第37話 癖のある手と穏やかな手
静かな朝だった。
アストレイの空は今日もどこまでも澄んでいて、地平線の向こうへ吸い込まれるように青が広がっている。風は穏やかで、村の木々を優しく撫でていった。
村の中心に立ち、俺はまだ形の定まり切らないこの集落を見渡した。
新しく建った家、畑、作業場。人は増え、生活は根を張り始めている。
だが――まだ足りない。
大地に根を張るなら、戦うなら、守るなら。
この村にはまだ『生き抜くための基礎』が決定的に不足していた。
思考が深く沈みかけたとき、砂を軽く蹴る足音が近付いた。
「また考えごとでございますか、クロム様」
柔らかく、しかしどこか計算された響きの声。
振り返れば、旅装の外套を軽やかに揺らしながらラセルが立っていた。
「ラセル。まさか今日も来るとはな」
「アストレイは今、私にとって最も優先すべき地です。来ない理由がございません」
あいかわらず、言葉に隙がなく綺麗だ。その瞳には迷いがない。
ならば、俺も迷っている暇はない。
「ラセル。相談がある」
ラセルは一瞬だけ息を整え、その表情を真剣なものへと変えた。
「なんでございましょう」
「アストレイには鍛冶師も医者もいない。武具の手入れも修理もまともにできない。薬も道具も、ラセルの商隊から買って補っている状態だ。このままでは、いずれ限界が来る」
「……ええ、確かに」
ラセルは頷いた。
「そして、治療も問題だ。ツムギのスキルで何とかごまかしているが、彼女も医者ではない。怪我人が出ることは、これから確実に増える」
「……つまり、クロム様は求めている。――アストレイの『次の柱』を」
「ああ。もし、誰か心当たりがあるなら――」
そのとき、ラセルはわずかに唇を吊り上げ、目を細めた。
「おりますよ」
「……本当か?」
「この地にふさわしい人物を。少々癖はありますが……アストレイでこそ輝く者たちです」
嫌な予感がした。
「近日中には連れて来られます。ぜひ、会ってみてください」
ラセルはそう告げ、軽やかに笑った。
俺は頭をかいた。
――嫌な予感は、大体当たる。
◇ ◆ ◇
数日後、ちょうど昼過ぎ、 村の入口で、また騒がしい声が上がった。
「おおッ! ここが噂のアストレイか! こりゃあいいな! 構造がいい! 分解しがいがある!!」
……開口一番、それか。
背の低い、がっしりした体格。深い赤銅色の髭を豪快に揺らし、背には工具袋。
紛れもなく――ドワーフ。
「ちょっと待て。分解っていったか? 何をしようとしている」
「言った! とりあえず入口門だな! 一度バラせば精度が――」
「やめてくれ」
即答すると、そのドワーフは腹を抱えて笑った。
「はっはっはっ! まぁそう言うなって! 俺の名前はバラクだ。バラしてもちゃんと組み直すから安心しろ!」
意味はよくわからないが、勢いはすごかった。
その横に立つ女性は対照的だった。
薄いラベンダー色の髪が風に揺れ、まぶたの動きさえゆっくりな女性。
空気ごと柔らかく緩めてしまうような存在感。
「……トローネ、と申します……」
声は水滴のように静かだった。
「医師、をしていました……。でも……忙しいところは、あまり……向いていなくて……」
彼女の声は、村の喧噪さえ緩めるような柔らかさだった。
ラセルが一歩前に出て、俺に視線を向ける。
「この二人が、クロム様の求められていた鍛冶と治療を担える人物です。どちらもアストレイに――とても合う」
そう言うと、少し意地悪な笑みを浮かべた。
「癖は強いですが」
……だろうな。
「まずは、バラクの紹介からお願いできるか」
バラクが胸を叩く。
「オレは鍛冶師だ。武器も防具も作れる。……ただ、まぁ」
言いよどんだ。
その代わりに、横でラセルが肩をすくめた。
「彼は【分解】のスキルを持っています。構造を理解するために『壊す』ところから入ってしまう。職人としては腕は一級ですが、ドワーフの国の宝剣を……」
「言わなくていい……」
バラクが眉をひそめた。
「俺はただ造りを確かめてから、手入れをしようとしただけだ」
「結果、国を追い出されたわけですね」
「うるせえ」
言い合いながらも、そこには確かに信頼があった。
だからこそ、ラセルは連れてきたのだろう。
俺は、静かに言った。
「バラク。ここにはまだ大したものはなにもない。必要なのは、手だ。鉄を打てる手。村のために働ける手。それがあるなら歓迎する」
バラクは驚いたように目を見開いた。
だが、すぐに笑った。大きく、肩の揺れる笑い
「任せとけ! 武器も防具も道具も全部見てやる! 必要ならぜーんぶ分解してやる!」
「最後のはやめろ」
その笑顔は、炎のようにあたたかかった。
次に、トローネ。彼女はゆっくりと、胸に手を当てる。
「わたしは……【停滞】のスキルを使います……血の流れを、痛みを、遅らせます……」
そこで一度、言葉を探した。
「病院では……『治すのが遅い』と、よく言われました……でも、焦らない治療が必要な場所も……あるんです」
その言葉に、俺は、静かに頷いた。
「必要なのは、早さではなく――正確さだ。トローネのやり方で、存分にやってくれ」
トローネは、目を見開いた。
ほころぶように、微笑む。
「……ありがとうございます……」
その微笑みは、まるで朝のやわらかな日差しみたいだった。
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