第35話 白金の導き手
商業国ギルディアから独立領として承認された――
その知らせは、朝の空気を根本から変えた。
最初は誰もが、ただ戸惑い混じりに受け止めていた。
だが、それはじわじわと熱のように村へ広がっていった。
誰かが嬉しさをごまかすように声を上げる。その声はすぐに連鎖し、笑いが弾けた。
逃げて来た場所ではない。
誰かに怯えて潜むだけの土地でもない。
胸を張り、自分の意思で明日を選べる場所。
アストレイは――ようやく『自分の名』を持った。
◇ ◆ ◇
祝いの支度は、息をつく暇もないほどに始まった。
大鍋では、香草と肉の匂いが湯気と共に立ち上り、ハードンはいつも以上に豪快に肉を捌いていた。
「おいお前ら聞けぇ! 今日は祭だ! 肉は遠慮すんな! ドレイナがとびきりの肉を用意してくれた! 腹がはち切れるまで食え!」
「破けたらどうするんだよ……」
「そしたらツムギに縫ってもらえ!」
威勢の良い叫びに、笑いが起こる。
俺は木皿を運びながら、その光景を眺めていた。
どこか胸が温かかった。
こんな表情を、こんな笑いを、この村の誰が想像できただろう。
そんな最中だった。
村に警鐘が鳴り響く。
「北門より警報! アンデッド接近! その先頭に逃げている人らしき姿を確認!」
ラピの伝令に空気が、一瞬にして張り詰めた。
浮かれた声が止み、視線が鋭く変わる。
だが、動揺はない。混乱もない。
皆、もう戦いに慣れている。
死と共に生きる村は――強い。
「行くぞ」
「はい、クロムさん」
伝令に来たラピを先頭に、俺と共にリヴとネクレアたち、それに戦闘要員の面々が共に駆ける。
靴底が土を蹴り、冷えた風が肌を滑っていく。
◇ ◆ ◇
北門を出ると、一人の女性が走っていた。
白金の髪が、朝の光を柔らかく受けて揺れている。
泥にまみれ、息は荒いのに、どこか儚く整っていた。
その背中を追うように、アンデッドたちが呻き声を上げて迫っていた。
「大丈夫だ、こっちへ!」
リヴが跳び出し、他の仲間たちが追う形で展開する。
「リヴ!」
「はい」
リヴは迷いなく一歩踏み込み、拳を地へ叩きつけた。
大地が鳴る。
低い衝撃音とともに、土の揺れが波となり、前へと走った。
アンデッドたちの足元が浮き、身体がぐらりと傾き――次の瞬間、まとめて吹き飛ばされる。
「……回収お願いします」
リヴは息も乱さず、一歩下がる。
その言葉に、ネクレアたちが続いた。
言葉は一つもない。
ただ決められた役目を、迷いなく果たす者たちの動きだった。
倒れたアンデッドたちを、ネクレアたちはそっと抱き上げる。
まるで、かつての仲間を迎えるように。
痛みも、恐怖も、拒絶もそこにはない。
俺は一歩、踏み出した。
周囲に広がる死の気配を、息を整えながら受け止める。
掌をかざす――触れる必要は、もうない。
「……帰ってこい」
黒い霧が、俺の足元からゆるやかに広がる。
濃くも濁らず、ただ、夜明け前の影のように静かで透き通っていた。
霧は倒れ伏したアンデッドたちを包み込み、やがて、その影が内側から灯る。
薄く、かすかに――魂の輪郭を思い出すように。
そして、彼らは静かに目を開いた。
新たなネクレアが、またひとつ息づく。
◇ ◆ ◇
すべてが終わった後の空気は、ひどく静かだった。
女性はその光景を、ただじっと見つめていた。
驚愕でもなく、恐怖でもなく、祈りに似た静かな眼差し。
「……助けてくださって、ありがとうございます」
その声は、淡く、透き通るように柔らかかった。
「怪我は?」
「大丈夫、です……あ……わたし……セラといいます」
胸元に手を添え、少しはにかむように微笑む。
瞳は琥珀色。夕陽の色。
「セラ。どうしてこんな場所に?」
「えっと……聖大陸オルタリアへ向かっていました」
その名に、俺はわずかに息を止めた。
創造神オルタリウスをあがめ、その名を模した大陸。
そして教会の総本山。
俺たちの在り方とは、決して相容れない思想を持つ。
セラは困ったように小首をかしげる。
「わたし……ずっと上を目指してたんです。地図を見たら、北って上じゃないですか。だから、上へ……上へ……って……」
「……」
リヴが口元を押さえ、ラピは目をそらし、ハードンは肩を震わせている。
俺は額を押さえた。
「セラ。聖大陸オルタリアは海の向こうだ。船で行くしかないぞ」
「うう……知っています……」
セラはその場でしょんぼりと肩を落とした。
「ちゃんと港を目指していたんです……! でも……気がついたら……なんか……森とか、石碑とか、荒野とか……どんどん景色が怖くなっていって……気づいたら……ネクロスの地でした……」
「気づいたらの範囲が広すぎるだろ……」
俺は様子を見についてきていたラセルに歩み寄る。
彼はセラを、探るような眼差しで見つめる。
「ラセル。申し訳ないがマルキオンに戻る時、港まで案内してやってくれないか」
「もちろんよろしいですよ」
セラはほわりと笑った。
「ありがとうございます……クロムさん。ラセルさん」
どこにも濁りのない、まっすぐな笑顔だった。
◇ ◆ ◇
祝いの準備は再開され、宴が始まった。
肉が香ばしく焼け、子どもたちが駆け回り、歌が響き、人とネクレアが肩を並べて笑う。
セラはその光景を、胸に両手を添えるように見つめていた。
「……みんな……楽しそう……」
「アストレイでは生者も死者も関係ない。共に生きたいと思うなら受け入れる」
「……素敵ですね……」
その声は震えそうで、でもまっすぐだった。
「ネクロマンシーは、決して奪う力ではないんですね……」
「少なくとも俺は、そう思いたい」
セラは胸の上に手を添え、小さく息を吸った。
「わたし……アストレイを知れて、嬉しいです……」
その言葉は、ただの感動ではなく――
何か、心の奥の芯からこぼれたような響きだった。
◇ ◆ ◇
翌朝、ラセルとセラは、静かに旅立つ準備を終えた。
「クロムさん。また会えたら……嬉しいです」
「セラが道を間違えなければな」
「……がんばります……」
セラはふわふわとした笑顔のまま、しかしなぜか、その言葉は胸の奥に残った。
ラセルがこちらへ振り返る。
「……クロム様。彼女は――」
「ああ。多分、ただの旅人じゃないだろうな」
俺はそう答える。
女性一人であのネクロスの地から生き延びた。
旅慣れていないように見えて、その足取りは迷いなく強い。
「また会う時が来るだろう。きっと」
白金の髪が朝風に揺れ、光を散らした。
その姿は華奢で、けれど――、なにか大きなものを背負う予感を秘めていた。
ラセルの馬車を俺はしばらく見送ってから、振り返る。
宴の跡がまだ残った村を眺めながら、俺はひとつ息をついた。
「……さて。片付けるか」
俺たちの生活は、今日も続く。
今日の笑いが、明日へと続くように。
アストレイで灯った温もりが、誰かの居場所を守り続けられますように。
この日々が、いつか未来の平和につながると信じて。
――そう願いながら、俺は手を動かした。
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