第34話 境界に立つ者たち
昨日の戦いは、村の空気にまだ深くしみ込んでいた。
重傷者は既に診療所へと運ばれ、軽傷者は互いに支え合いながら、作業の指示を交わしていた。
それなのに、不思議と村は静かだった。緊張は残っている。けれど、もう恐慌はない。
ただ、呼吸を取り戻しつつある場所の空気だった。
その静寂の中で、ラセルはマルキオン領主と名乗った。
その瞬間、空気が止まった。
驚きが走り、息を飲む気配が周囲から次々と伝播してくる。
耳の奥が妙に静かになり、自分の心臓の音だけが響いた。
ラセルが――領主。
俺たちがただの商人だと思っていた男。
軽妙で飄々として、掴みどころのない冗談混じりの笑みを見せていた男が、領土と民を背負う存在だった。
その事実は、言葉以上の重さで俺の胸へ落ちていった。
「……どうして、領主自ら? あなたほどの立場が、こんな小さな村に来る理由があるのか」
領主とは土地を治め、政治を行う者だ。
商人としてあちこち取引に来るなど、普通はありえない。
しかしラセルは、表情を変えることなく答えた。
「良いものは、直接この目で見なければ価値が分かりません」
まるで、当たり前だと言うように。
けれどその目には、商人のものではなく――
領地と民を背負う者の、鋭い観察と決断の光が宿っていた。
「私は商人であると同時に、領主でもある。品を見、土地を見、人を見て判断する。それはどちらの立場でも変わりません」
その瞳は、今までと同じ色をしていたはずなのに、まるで別物に見えた。
その目は――秤を持った者の目だった。
誰が偽り、誰が誠実か。
どの土地が育ち、どの土地が死ぬか。
そして、誰が未来を変えるのか。
それらを見定める目だ。
「私は判断するために来ました。クロム様。あなたがネクロスと同じ、死を撒く者か、それとも生を繋ぐ者なのかを」
ラセルの視線は、隣に立つリヴへと向いた。
リヴは静かにその視線を受け止めた。
恐れも、怯えも、後悔もない。
ただ――今を生きる者の目。
「私は見ました。あなたは支配しない。奪わない。ネクレアたちは、従属ではなく共にある。それは、北で暴れている死の女王とは決定的に違う」
俺の胸に、言葉にならない思いがこぼれていった。
――分かってくれた。見てくれた。
ただそれだけで、胸が熱くなるのだと知った。
そして、横からハードンが低い声で口を開いた。
「なら、なんで最近来なかったんだよ。お前がこねぇ間、うちは結構大変だったんだぞ」
いつものぶっきらぼうな言い方だったが、そこに悪意はなかった。
ラセルは苦笑した。
「私があなた方をただ気に入った、という理由だけでは国は動きません。アストレイが何になれるのかを、ギルディア本国に示す必要があったのです」
そう言いながら、彼は鞄を開け、一通の封書を取り出した。
封蝋。王家の紋章。
そこには国そのものが刻まれていた。
「お読みください」
俺は震えないように気をつけながら封を切り、文面を目で追った。
視線が文字をたどるごとに、心臓が強く打ち始める。
「ギルディア商業国は、アストレイとの同盟を提案する。また、アストレイを独立領として承認する――」
息が、止まった。
リヴが、むせるように声を漏らす。
「く、国が……正式に、うちを……?」
誰もが分かっていた。
これが意味するのは――もう『隠れて生きるだけの場所』ではいられない、ということだ。
ここから先は、外へ踏み出す領地になる。
他国に名を持ち、地図に記され、選ばれ、試される場所だ。
だが、文面は続く。
「ただし条件がある、と」
ラセルは北の空へ視線を向けた。
灰色に霞んだ遠い地。荒れ果て、死と静寂の支配する不毛の地。死の国ネクロス。
「ギルディアの北境に広がるネクロスの領地。その奪還と管理をアストレイにお任せしたい」
「……元はギルディアの土地だったはずだ。手放していいのか」
「いいのです。ヴァルメイアほどではないにせよ、我が国も被害を受けております。あそこは、我々にとっても呪いでしかない。しかし――あなた方なら、違う形に変えられるでしょう」
ラセルはまっすぐ俺を見た。
「あなた方は、死を終わりではなく、繋ぎ直すものに変えた。それは災厄ではなく――変革です」
俺は息を吸い、ゆっくり吐いた。
選ぶ余地はあった。逃げることだってできる。
この話を断り、今まで通りの生活に戻ることだって。
けれど。
俺はもう、目を逸らすことはできなかった。
「……わかった。引き受けよう」
その瞬間、朝の空気がほんの少し暖かくなった気がした。
リヴが、そっと俺の袖を握った。
ラセルが静かに微笑んだ。
「その言葉を、待っていました」
俺たちのアストレイは、もう――ただの村じゃない。
ここは道になる。境界になる。新しい地図の上で、色を持ち始める場所になる。
だから俺は、力強く言葉にした。
「アストレイはギルディアと同盟を結ぶ。そして――ネクロスから北を取り戻す」
ラセルは深く頷いた。
「あなた方と『隣人』になれることを、心から光栄に思います」
朝靄が晴れ、陽光が村を照らし始めた。
その光は、まるで新しい幕が開いたことを告げているようだった。
第四章はここで完結です。
第四章では新たな登場人物と共に新たな争いに巻き込まれました。そして独立領となったアストレイが、どのような展開を巻き起こすのか楽しみにして頂けたら幸いです。
※作者からのお願い
投稿のモチベーションとなりますので、この小説を読んで「続きが気になる」「面白い」と少しでも感じましたら、↓の☆☆☆☆☆から評価頂き作品への応援をよろしくお願い致します!
お手数だと思いますが、ブックマークや感想もいただけると本当に嬉しいです。
ご協力頂けたら本当にありがたい限りです。




