第28話 南より来たる影
陽はまだ高いというのに、南の道から吹き込む風は乾いていた。
砂を含んだ風は、遠い荒地と、焚かれた鉄と、血が乾いた時のような匂いを運んでくる。
この風を知っている。
戦いの匂いだ。
「来るぞー!」
見張り台からハードンが大声で告げた。
俺と数名が南門へ向かうと、坂の先に、荷馬車がゆっくりと近づいてきているのが見えた。
御者席には上等な衣服を着た細身の男。
両脇を固めるように、筋骨の張った護衛が二人、馬上で周囲へ鋭い目を向けていた。
「随分と物々しいな……」
そう呟く俺の隣に、足音を重く響かせながらガレオンが近づいてきた。
彼の視線は、護衛たちの鎧と紋章に向いていた。
「――武闘国バルドリアだな。あれはカザル領の紋章。昔よく見た。奴らは国境沿いだけじゃない、交易路にも深く顔を出す。だが……」
ガレオンはそこで言葉を切った。
胸の奥が、鈍く疼く。
彼が言いたい言葉は、言わずとも分かった。
あいつらがここに来る理由は、良いものではない。
俺たちは門前に立ち、来訪者を迎えた。
荷馬車は止まり、御者席の男が朗らかに帽子を取って笑った。
「いやあ、お初にお目にかかります。私はバルドリアのカザル領より参りました商人のドレークと申します。こんな辺境とは思えない、美しい村ですね。感嘆いたしました」
声も笑顔も柔らかい。
だが、目だけが笑っていない。
「俺はアストレイの村長、クロムだ。用件を」
言葉を短く切ると、ドレークはすぐに笑ったままの表情で、声の色だけを落とした。
「ええ。お尋ねしたいのはただ一つ。この村へ逃げてきた者はおりませんでしたか?」
笑みの形のまま、瞳の奥だけが獣のように細くなる。
獲物を探す眼だ。
俺はあえて、すぐに返事をしなかった。
「誰のことだ?」
「いやぁ、少々恥ずかしい話なのですがね。その人物は、私どもが扱っている――商品でして」
空気が凍りついた。
「商品だと」
俺の声は低く落ちる。
ドレークは優雅に微笑んだまま、胸に手を当てた。
「ええ。私共はバルドリアで奴隷商を営んでおります」
「ここはヴァルメイアだ。奴隷制度は禁止されている」
はっきり言うと、護衛の一人が鼻で笑った。
「はっ、随分と偉そうだな、村長さんよ。だがよ、ここは元々寂れた村だったのは知っている。どこの領にも属してねぇって事もな。 ヴァルメイアの法なんてねえ関係ねぇだろ」
その護衛は、長い柄のついたスパイクメイスを肩に担ぎ、口の端を歪めた。
その目は、何かを救うためではなく、奪うことでしか確認できない者の目だった。
俺が返答しようとしたその時だった。
「……クラガン」
振り返ると、ガレオンがそこにいた。
その表情は、怒りでも憐れみでもなく――深い痛み。
クラガン、と呼ばれた男が振り向く。
目がガレオンを捉え、見開かれ、そして歪んだ笑みへと変わった。
「おお……生きてやがったか。ガレオン」
驚愕は一瞬。
次に浮かんだのは、歪んだ侮蔑の笑みだった。
「腕までそろって。ずいぶん元気そうじゃねぇか」
クラガンの視線は、ガレオンの左腕へ。
「……誰に生やしてもらった? 医者か? 祈祷師か? それとも――この村長か?」
ガレオンは、しばらく言葉を探したようだった。
そして、かすかに震える声で答えた。
「……俺が腕を失ったとき。俺は……まだ戦えると思っていた。だけど――お前たちは俺を切り捨てた」
「当たり前だろ」
クラガンは即答した。
迷いなど一欠片もなかった。
「使えねぇ仲間は捨てる。それがバルドリアだ。背負ってやる義理なんざ、誰にもねぇ」
ガレオンは唇を噛む。
その拳は震えている。
怒りではなかった。
かつて信じた仲間が、最初からずっと、そういう人間だったのだという悲しみだった。
「……それで、今は奴隷商の護衛か」
俺は告げた。
クラガンの顔が、ピクリと動く。
「落ちぶれたものだな」
「黙れッ!!」
クラガンが吠えた。
「お前が欠けてから全部狂ったんだ! パーティーは崩れ、仕事も減り、金も消えた! 俺たちは落ちたんだよ!! 全部――全部、お前のせいなんだよ、ガレオンッ!」
ガレオンはゆっくりと、首を横に振った。
「違う。背を向けたのは、お前たちだ」
「自業自得だ」
俺は言った。
村長としてではなく、一人の人間として、ただ真実だけを。
クラガンの顔が真っ赤になった。
「村長風情が……ッ! 死ねやァァァ!!」
クラガンがメイスを振りかぶり、叫びとともに突っ込んできた。
一歩踏み込むごとに、地面が重く鳴る。
だが、その一撃が俺に届くことはなかった。
ガレオンは、大剣を背負ったまま、ただ右足を一歩踏み込み、左拳を握り──
「……悪いな」
その拳は、クラガンの腹へ深く沈んだ。
重い肉の音と、肺から漏れる息の音。
クラガンの体がくの字に折れ、そのまま地に崩れ落ちる。
あまりに、あっけなかった。
「俺は……ここで、もう一度、生きるって決めた。失った分だけ、得るものもあった。……お前たちには、わからないかもしれないが」
声は震えていた。
強さではなく、哀しみの震え。
護衛の一人がクラガンを引きずり、ドレークは静かに頭を垂れた。
「……今回は引きましょう。ですが、商品は必ず取り戻します。いずれまた」
「二度と来るな」
俺はただそれだけを告げた。
馬車は砂煙を上げ、南へと消えていった。
ただ、風だけが残った。
ガレオンは空を見上げていた。
その瞳に映るのは、失ったものでも、過去でもない。
「……情けないな」
「いいや」
俺は首を振った。
「昔の仲間に、ちゃんと向き合えたガレオンは強いよ」
ガレオンは俯き、小さく息を吐く。
その肩に手を置くと、彼はわずかに目を閉じた。
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