第27話 境界に逃れ来る者
北の空はいつも鈍い。
灰に似た白さがどこまでも広がり、陽光は雲を突き抜けることなく、弱々しく大地へ落ちていた。
冷たい空気が肌を撫でるたび、ここがかつて死の国と呼ばれていた土地だということを、嫌でも思い出させる。
人が踏み入れれば魂ごと腐り落ちる場所。アンデッドが徘徊する呪われた土地。
――本来なら、そうであるはずだった。
俺たちはそこへ、日常の延長のように足を踏み出す。
恐怖でも、虚勢でもない。ただ、必要だから。
アストレイを守り抜くために、俺たちは変わらなければならなかったのだ。
コーハの一件から、俺は痛みを知った。
守れなかった後悔。
手を伸ばすのが遅れた苦さ。
だからこそ、俺たちは強くなるほかなかった。
その為に以前より積極的に、彷徨うアンデッドをネクレアへと変えていった。
そして俺自身の力も変質しつつある。
かつては直接触れなければ変化させられなかったネクロマンシーが、今では俺を中心に半径五メートル以内――その中にいるアンデッドたちを、ネクレアに変化できるようになっていた。
ネクレアが増えるほど、俺の魔力は強靭になり、彼ら自身もまた、成長していった。
コーハは腐食の力を制御できるようになり、作りたいと言っていた発酵食品のチーズなどをあっさり成功させた。
リヴは力の増大が著しく、加減に苦労するほどだった。
ドルビは木材加工を寸分の狂いなく素早くこなし、ミーノの能力で作物はさらに早く美味しく育ち、村の食卓を支えていた。
丘の上から見下ろすと、村の北部に新しい集落が見える。
ネクレアたちのエリアだ。
かつてアンデッドと呼ばれ、未練と哀しみ、あるいは憎しみに縛られ、ただ徘徊していた存在だった。
しかし今の彼らは違う。
言葉を話し、笑い、労働し、そして祈る。
俺の呼びかけに応じて――共に生きようとしている。
しかし、すべての者が同じように受け入れられるわけではない。
救いを求めてアストレイに来たはずの者たちが、俺がネクロマンサーである事や、ネクレアがアンデッドとは違うと説明を受けても震える者もいた。
中にはようやくたどり着いたのに去っていく者たちもいた。
恐怖は理解をすぐには許さない。
だからこそ、あのエリアは必要だった。
隔てるためではない、距離を置いて、理解する時間を与えるためにだ。
「クロム様!」
丘の下からリヴが手を振った。
「今日は魔物のアンデッドだけでした。皆さん無事です」
「そうか……よかった」
そう告げながら、胸の内がひどく静かに疼いた。
――これは、安堵か。
――それとも、罪か。
俺は彼らを導いているつもりで、本当は利用しているだけなのかもしれない。
答えは、まだ見えない。
リヴは俺の横に立ち、空を見上げた。
「クロム様。やっぱり、前と少し雰囲気が違います」
「そう見えるか?」
「ええ。以前は……守ろうとする目をしていました。今は――前に進む人の目をしています」
その言葉に、小さく息が漏れる。
「守るだけじゃ足りない。アストレイを、生き抜く場所にする。そのためには、覚悟がいる」
「……はい」
ヴァルデン領からの本格的な侵攻は、あれからまだない。
だが、偵察は続いている。
次の侵攻は必ず来る。
その時、俺たちは敵を殺さずに守り抜くだけの力を持っていなければならない。
その思考を断ち切るように、鐘が鳴り響いた。
敵襲ではないが、緊急事態を知らせる音だ。
「クロムさん!」
飛び込んできたのは伝令役のラピだった。
「南から来た人が……少し様子がおかしくて。とにかく来てください」
俺たちは南門へ向かった。
◇ ◆ ◇
人だかりができている。
門番を務めていたハードンが腕を組んでいた。
「嬢ちゃんが一人、転がり込むようにして来た。今は休ませてるが……ただ事じゃねぇな」
案内された部屋をノックすると、怯えた声が返ってきた。
許可を得て中へ入ると、空気がひんやりと揺れた気がした。
俺は違和感を感じつつ、女性を見た。
破れた服は血に濡れ、耳が細く長い。
――エルフ族だ。
ここ、ヒュマリア大陸では滅多に見ない種族。
海を挟んだ、亜人たちの大陸――フェイリア。
豊かな森と鉱山を抱き、自然と共に生きる文化が根付いた地。
資源も文化も独自性が強く、外の大陸との交流は慎ましい。
つまり――この大陸にエルフ族がいること自体が、尋常ではない、ということだ。
淡い銀雪色の髪。透き通るような肌。白いまつ毛に縁取られた、過度に澄み切った瞳。
年齢は俺と変わらないように見えたが、エルフの寿命は人の三倍。
見た目で判断はできない。
「俺はアストレイの村長、クロムだ。君の名は?」
女性は震えながら答えた。
「……フリシア」
その瞬間、村中に警戒の鐘が鳴り響いた。
先ほどのとは違う。
敵襲の合図。
「フリシア、ここから動かないで。必ず戻る」
そう告げて部屋を後にする。
外へ出ると、空の色は変わらないのに、
村は嵐の前のようなざわめきに包まれていた。
俺は、南門へ走った。
何かが、確実に始まろうとしていた。
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