第26話 罪を抱く者
意識が浮上していく。
深い湖底から、誰かに手首を掴まれて引き上げられるような感覚だった。
暗闇は抵抗するが、光は容赦なく瞼の裏を照らす。
目を開けると、見慣れた天井があった。
木材は簡素で、節のひとつひとつが剥き出しのままだ。
粗野とも言える造りだが、俺たちが積み上げてきた生きるための形そのものだった。
ゆっくりと体を起こす。筋肉が鉛のように重い。
まるで数日眠り続けていたかのような倦怠が全身にまとわりついていた。
「起きましたか、クロム様」
リヴの声が、静かに部屋の空気を揺らした。
変わらず落ち着き、変わらず寄り添う声だった。
「……俺は、どれほど眠っていた」
「数時間ほどです。身体が限界だったのでしょう」
昨夜の光景が、波のように意識に押し寄せる。
侵攻の報せ、作戦の決断、コーハの言葉、そして――死と再生。
胸がきゅう、と締めつけられる。
俺は息を整え、支度を済ませて外へ出た。
朝の空気は冷たく、頬を刺す。
太陽はまだ低く、村に長い影を落としている。
広場には村人と護衛組の面々がいた。
動きは少ないが、どこか安堵と疲労が滲んでいる。
「クロムさん、ようやく起きたか」
ガレオンが近づいてくる。
その声はいつもの豪放さを保っていたが、目の奥に沈む疲れが隠しきれなかった。
「敵は?」
「撤退した。兵糧が腐り、装備も崩れていた。しばらくは来ないだろう」
勝利――そう言える結果だ。
だが、その勝利は軽くない。
軽くなるはずがない。
「こちらの被害は?」
問わずとも、答えは分かっていた。
喉に棘でも刺さったような感覚。
ガレオンは視線を落とす。
「……コーハだけだ」
そうだ。コーハは死んだ。だが同時に――
「クロムさん!」
声がして振り返る。
そこにいたのは、コーハだった。
いや、コーハだったものだ。
生前とは違う。
肌は滑らかで、傷も疲れもない。
だが温度がなかった。生き物の温度ではなく、静謐な死の余韻。
それでも、彼は確かに俺を見ていた。
「無事で……よかったです」
喉が詰まる。
「……すまない。俺は……コーハを……」
その先が言えない。
言葉にすると、それは取り返しのつかない重さになる気がした。
コーハは、静かに首を振った。
「クロムさんのせいじゃないです。僕が、そうしたかったんです。アストレイを守りたかったから。……それに、ミーノと同じにネクレアになれたの、嬉しいんです」
淡々とした言葉。
それは絶望ではなく、受容だった。
それが何より、残酷だった。
「僕、昔は何もできなかった。ただの足手まといだった。でも今は違う。クロムさんの力の一部として、アストレイを守れる。……僕は、それでいいんです」
胸の奥が鈍く痛んだ。
それでいいなんて――誰が決めていい言葉だ?
◇ ◆ ◇
集会所で、昨夜の報告と今後について話し合うことになった。
丸卓を囲み、それぞれが席に着く。
「問題は、これからだ」
ガレオンの声は低く、現実を見据えていた。
「敵はまた来る可能性がある。防衛を強化する必要がある」
「村の外周に新しい陣地を築くべきだ」
ドルビの言葉も現実的だった。
俺も考えを述べようと口を開きかけた、その時。
「まぁ、そんなに心配することもねぇだろ」
ハードンが笑った。
「どうせ、死んでもネクレアになるんだ。だったら戦えばいい。守るために死ぬならそれも悪くねぇ」
空気が凍りついた。
「ネクレアになれば、食わなくていい。眠らなくていい。傷も治る。スキルも強くなる。戦うには好都合――」
「――やめろ」
気づけば俺は立ち上がっていた。
椅子がわずかに軋む。
「死ぬことを、そんな都合のいいものみたいに言うな」
声が震えた。
止められなかった。
「死は……戻れないんだ。ネクレアとして蘇ったとしても、それは同じ命じゃない」
ハードンがこちらを睨む。
「あんたがそれ言うのか。ネクロマンサーのあんたが」
胸が冷たく締め付けられる。
「人を死なせて、蘇らせて、それで『死は重い』なんて……今さら言うのか?」
その言葉は、胸の奥に冷たい針を落とした。
俺は――何も言い返せなかった。
コーハは俺の横に立っていた。
けれど何も言わなかった。
その沈黙が、痛かった。
◇ ◆ ◇
会議はまとまらず、解散となった。
俺は一人、村を歩いた。
人の気配、灯る光、交わされる声。
それを守るために、俺はネクロマンシーを使った。
だが――それは本当に守るだったのか。
死を利用すること。
死を肯定すること。
死を手段にすること。
その境界は、今の俺には見えなかった。
◇ ◆ ◇
その夜――夢を見た。
深い闇の中で、誰かの声がした。
「……クロム」
懐かしいようで、恐ろしくもある声。
「こちらへ」
闇の奥に、誰かが立っていた。
細い影。淡い光。
微笑みは穏やかで、触れれば消えてしまうほど脆いのに――
そこには確かに、終わりの匂いがあった。
俺は知らないはずなのに、覚えていると錯覚した。
生と死の境に立つ者を、昔、どこかで。
◇ ◆ ◇
目を開いたとき、胸は早鐘のように脈打っていた。
窓の外は、まだ夜の底。
闇は濃いままだった。
罪は、まだ俺の中にある。
第三章はここで完結です。
第三章では、村が拡大していくことで避けられなくなった、外部からの干渉を主軸に描きました。
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