第13話 泥に咲く花
陽光が村を包み、修復された壁の影が長く伸びていた。
風が穏やかに吹き抜け、木々の葉がさわめく。
この村が、少しずつ息を吹き返していくのを肌で感じる。
けれど、まだ終わりではない。
建物も畑も、地盤が不安定なままでは長くはもたない。
俺は次に土を扱うスキルを持つ者のもとに向かっていた。
その名は、ドロシー。
スキルは【泥化】。
村の外れ、湿地帯の端にぽつんと建つ小屋に、彼女は住んでいる。
小屋へ近づくと、ぬかるみに足を取られた。
ぐにゃりと靴底が沈み、ぬるりとした泥の感触が伝わる。
「……なんだ、この地面は」
その瞬間、小屋の扉がバンと開いた。
「悪ガキども、また私にちょっかいをかけに来たのね――って、え、村長!?」
扉を開けた女性が目を見開いた。
灰がかった緑の髪が重く垂れ下がり、瞳は琥珀色に光る。
彼女がドロシーか。
「違う。頼みに来たんだ」
「……頼み?」
彼女の表情が一瞬止まった。
その瞳に、警戒と困惑が入り混じる。
「……本気で言ってるの? 私のスキルなんて、ただ土地を台無しにするだけよ?」
「そう思っているのはドロシーだけだ」
俺はゆっくりと手を差し出した。
「見せたいものがある。一緒に来てくれ」
ドロシーは息を飲んだ。
その手を取るまでに、少しだけ時間がかかった。
けれど、泥の冷たさよりも、彼女の指先の震えのほうが強く伝わった。
◇ ◆ ◇
樹海の入り口では、リヴとドルビが奮闘していた。
伐り倒した木の根が地中深くに絡みつき、作業が進まない。
「これじゃ、いつまで経っても木材にできねぇ……!」
「ドルビ、助っ人を連れてきた」
「助っ人? ……って、この姉ちゃんがか?」
ドロシーが片眉を上げる。
「ドロシー、頼む。あの根の周りを泥化できるか?」
「任せて」
ドロシーが指先を土に触れた。
途端に、乾いた地面が生き物のようにうねり始める。
地鳴りとともに土が液体に変わり、根を包み込んだ。
「今よ!」
リヴが踏み込む。
地を揺らす一撃で、巨大な根がずるりと抜け上がった。
泥のしぶきが空へ舞い、太陽の光を受けてきらめく。
「おおっ、本当に抜けたぞ!」
「……見事だな」
俺がそう言うと、ドロシーは照れくさそうに笑った。
「ふふ、泥にだって使い道はあるのよ」
ドルビは豪快に笑い声を上げる。
「いやあ……これなら地盤を掘るのも根を処理するのも楽だな。すげぇな、姉ちゃん!」
「……すごいなんて言われたの、初めてかも……」
その言葉に、ほんのわずか照れの色が混じっていた。
しばらくの間、ドロシーはドルビの作業を手伝った。
泥化した地面は柔らかく、木の根は次々に処理されていく。
太陽が西に傾くころには、木の根が残っていた場所がは驚くほど整地されていた。
「これで領地拡大の作業が一気に進む。助かった、ドロシー!」
「ふふ、もっと褒めてもいいのよ?」
「調子に乗るな」
そう言いつつも、俺も思わず笑っていた。
彼女のスキルが、領地拡大の役に立った瞬間だった。
◇ ◆ ◇
翌日。
ミーノが畑の新地を見つめていた。
まだ硬く乾いた土。生命の気配はない。
「ドロシーさんですね。早速この土地を柔らかくしてほしいんです」
「私の泥で?」
「はい。この大地を命を受け止める土に変えたいんです」
ミーノの目はまっすぐだった。
ドロシーは一瞬言葉を失い、ゆっくりと膝をついた。
両手が地面に触れた瞬間、茶色の光が流れ出す。
乾いた地が柔らかく溶け、泥となり、ふんわりと湯気を立てた。
そこにコーハの肥料を混ぜると、土は黒く、しっとりと艶を帯びていく。
「……見て、クロムさん。まるで呼吸しているみたい」
「これが、命の土か」
ドロシーは掌に泥をすくい、静かに呟いた。
「……泥って、こんなに優しい匂いがするのね」
「ドロシーさん、本当にありがとう。これで作物がもっと元気に育ちます!」
「ふふ、そんな大げさね……でも、どういたしまして」
ミーノがぱっと笑顔を見せた瞬間、風が吹き抜け、土の香りが漂った。
その風景を見て、俺は確信した。
――この村は、確かに再生している。
だが、その静かな時間を破るように、低い声が響いた。
「おいドロシー! 新しい防壁を作るとこ、地面が固すぎる! ちょいと柔らかくしてくれ!」
「ええ、わかった――」
「だ、だめです!」
ミーノが慌てて立ちふさがる。
「だめです! 今日は私の番です!」
「はぁ? 何の番だよ」
「ドロシーさんは今、畑づくりの仲間なんです!」
二人の真剣な言い合いに、ドロシーが目を瞬かせた。
そして、ふっと笑った。
「……私、こんなふうに取り合いされたの、初めてかも」
ミーノが頬を赤らめ、ドルビは頭をかきながら苦笑した。
「まぁ、どっちも大事な仕事だ。順番にやってくれりゃそれでいい」
「そうね。しょうがないわね、忙しい女って大変ね」
ドロシーは腰に手を当て、得意げに胸を張った。
その笑みは、かつて孤独に沈んでいた彼女のものとはまるで違っていた。
彼女の泥が、村を支える。
その泥の中から、確かな未来が芽吹こうとしていた。
背後で、ドロシーの笑い声が響いた。
その声は、泥よりも柔らかく、風よりも温かかった。
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