第113話 形にする日
気づけばリヴのことばかり考えていた。
朝、アルトの泣き声で目を覚ましたときも。
執務で書類へ視線を落としながらも。
夜、城内を歩くときでさえ。
ネクレアとして、アストレイに残る理由。
アストレイで、俺の隣に残り続ける理由。
それを、俺はまだはっきりと理解できていなかった。
答えを急ぐつもりはない。
彼女が望むなら、旅立つ日まで、ただ隣にいられればいい。
そう思っていたはずなのに。
だが、問いを先送りにし続けることも、もうできないところまで来ていた。
彼女は、誰よりも献身的にアルトの世話をしている。
笑顔で、優しく、何一つ不満を口にせず。
その姿が、時折、胸に引っかかる。
――それは、俺のためなのか。
――それとも、彼女自身の願いなのか。
もし前者だったとしたら。
俺は、彼女を縛り付けているだけではないのか。
だから――俺は、相談することにした。
◇ ◆ ◇
「それで、私たちに相談ってわけね」
サリアは、俺の話を最後まで聞き終えると、深いため息をひとつ吐いた。
「……まだまだ頼りないパパですねぇ」
容赦のない一言だったが、否定できない。
アルトを抱いて夜中に右往左往していた俺を、誰よりも見ているのは彼女なのだから。
「いや、その……」
「言い訳はいいわよ」
ぴしゃりと切り捨てられる。
会議室に集まっているのは、サリア、フリシア、ツムギ。アストレイを支える女性陣だ。
「とはいえ、クロムさんの気持ちも分からなくはありませんけど」
そう前置きしてから、フリシアが肩をすくめた。
「ネクレアさんたちが次々と旅立って、ギルドも人手不足なんです。以前みたいに、二十四時間対応、というわけにはいかなくなりましたし」
淡々とした口調だが、そこにはギルドマスターとしての苦労が滲んでいる。
「……すまない」
「いえ、責めてるわけじゃないですよ。ただ、現場は現場で大変なんです」
そう言って、フリシアは苦笑する。
「私たちも、暇ではないんですよ」
ツムギの一言は短かったが、的確だった。
俺は深く息を吸い、吐いた。
「……リヴのことだ。このままでいいのか、分からなくなった」
口にした瞬間、部屋の空気が、わずかに変わる。
「彼女はネクレアだ。いつか旅立つ存在だと、分かっている。だが……」
言葉を探しながら、続ける。
「もし、俺への想いだけで、この世界に留まっているのだとしたら。それは、正しいのか……」
そこまで言ったところで、サリアが手を叩いた。
「はいはい、そこまで」
呆れたように首を振る。
「難しく考えすぎ。クロムは、昔からそうよ」
その時、何かを考えこんでいたフリシアが、ぱっと顔を上げた。
「でしたら私にいい提案があります」
「提案?」
「ええ」
フリシアは、少し楽しそうに微笑んだ。
「結婚式、やりません?」
一瞬、思考が止まった。
「……結婚式?」
「ええ」
「誰の?」
「もちろんクロムさんとリヴさんのですよ。ネクロスの事後処理も一段落しましたし、いい機会じゃないですか」
フリシアの目は、本気だった。
「国も落ち着いてきましたし、希望の話題が欲しい時期です」
「それがいいわね」
サリアも頷く。
「正妻はリヴ、って話はしてたけど、それ以外、何もしてないでしょ」
痛いところを突かれた。
「ちゃんと形にするの、大事よ。特に、リヴの場合」
ツムギが、珍しく声を弾ませる。
「そして私がドレスを、作ります」
「そこまでやるのか」
「当然です」
即答だった。
「リヴさんに似合うもの、もう考えています」
その様子に、フリシアも笑う。
「式の準備なら、ギルドも全面協力しますよ。人手は足りないけど、こういう時は皆、頑張りますから」
サリアは、俺をじっと見た。
「で、クロム。あなたはどうしたいの?」
俺は、しばらく黙り込んだ。
結婚式。形にすること。選択すること。
逃げ道は、もうない。
「……リヴが、それを望むなら」
それが、今の俺の正直な答えだった。
◇ ◆ ◇
その後、俺はリヴを会議室に呼んだ。
サリアはアルトを抱き、様子を見ている。
「話がある」
「はい」
リヴは、いつもの穏やかな笑みを浮かべていた。
俺は、真正面から切り出した。
「……結婚式をしないか」
一瞬、彼女の瞳が揺れた。
「……誰のですか?」
「俺とリヴのだ」
「……私が、ですか?」
「ああ」
リヴは、視線を伏せた。
「いまさら、ですよ。私は……」
「それでもだ」
サリアたちも、後ろからそっと背中を押すように声をかける。
「いまさらなんてこと、ないわ」
「ご褒美だと思いましょう」
「一番、綺麗な姿を見せる日です」
リヴはしばらく沈黙し、それから、ゆっくりと顔を上げた。
微笑みながら、目に涙を滲ませて。
「……皆さんが、そう言ってくださるなら」
そして、俺を見る。
「……はい。お願いします」
胸の奥が、温かくなった。
◇ ◆ ◇
それからのアストレイは、久しぶりに慌ただしさを取り戻した。
結婚式の準備、招待状の作成、日程や式次第の打ち合わせ。
やるべきことは山ほどあるのに、不思議と心は軽かった。
忙しさが、こんなにも前向きなものだと感じたのは、いつ以来だろうか。
招待状は、俺の故郷であるヴァルネストをはじめ、これまで関わってきた国々へと送った。
ギルディア、バルドリア。そして、来られるかどうかは分からないが、オルタリアへも。
しばらくたち、返事が届き始める。
ギルディアからは、ヴィゼル王直々の書簡だった。
そこには、「ぜひ祝いの席に参列させてほしい」という、形式ばらない言葉が添えられていた。
同封されていた別の文には、ラセルの名前もあり、彼らしい祝辞が綴られていた。
バルドリアからの返事は、「四領主を引き連れて行く」と一文で書いてきたのだ。
バハドール王らしい豪快さだった。
オルタリアについては、出席とともに、別の知らせが届いた。
新しい聖女が、正式に選ばれたという。
選ばれたのは――ノクティア。
驚きはしたが、不思議と納得もできた。
一方で、セラはというと、「現場の方が気楽なんですよ」と言って、辞退したらしい。
セラらしい話だと思った。
そんな知らせに目を通しながら、準備は着実に進んでいった。
それに比例するように、リヴの笑顔も、日ごとに増えていく。
アルトの世話をしている時の柔らかな表情とは、少し違う。
もっと自然で、もっと素直で、どこか肩の力が抜けたような笑顔だった。
その笑顔を見ていると、思う。
――結婚式をすることにして、本当によかった。
夜、準備の合間に並んで腰を下ろし、静かな時間が流れる。
「……いい結婚式になるといいな」
俺がぽつりと呟くと、リヴは少しだけ照れたように視線を伏せ、そして、はっきりと頷いた。
「はい」
短い返事だったが、その声には、もう迷いはなかった。




