第112話 選び続ける者
ネクロスとの戦いから、約一年が経った。
長いようで、短い一年だった。
振り返れば、息をつく間もなく過ぎ去った日々だが、世界は変わった。
あの日、死と狂気に満ちていたネクロスの大地は、今では静かに息をしている。
完全な平穏とは言えないが、耳を澄ませば、土が息づく音がする。風が草を揺らす音がする。
生きている大地の音だ。
まず大きく変わったのは、ネクロスだった領地の扱いだった。
ヴァルメイアとの協議の末、領地は半分ずつ管理する形に落ち着いた。
正直なところ、あれほど広大な土地を、アストレイだけで抱え込むのは無理があった。
人手も、物資も、経験も足りない。
無理にすべてを抱えるのではなく、ヴァルメイアと役割を分け合う道を選んだのだ。
それは、逃げでも妥協でもなく、守るべきものを、確実に守るための判断だった。
アンデッドはいなくなったが、問題がすべて解決したわけではない。
五百年前は大地も肥え、作物が盛んだったと伝えられているが、五百年という歳月は、土地から恵みを奪い、代わりに魔物を増やした。
痩せた土壌。荒れた森。未だ危険が残る荒野。
一気に開拓などできるはずもなく、少しずつ、慎重に、俺たちは村を増やしていった。
畑を作り、道を整え、水路を作り、家を建てる。
一歩一歩、確実に。
その積み重ねこそが、国を作るということなのだと、今なら分かる。
そんな中で、アストレイを訪れる人の数も増えていった。
理由は、新しい国への移住。
そして――俺のネクロマンシーだった。
病で亡くした家族。戦で命を落とした仲間。言葉を交わせぬまま別れた恋人。
彼らをもう一度、この世に呼び戻してほしいと、人々は縋るような目で俺を見る。
その視線を、俺は何度も受け止めて、そのたびに、必ず同じ説明をする。
ネクレアは、永遠の存在ではないこと。
未練を果たせば、必ず旅立つこと。
生者の都合で、縛り続けることはできないこと。
「それでも……」
そう言って言葉を詰まらせる者もいれば、静かに頭を下げ、踵を返す者もいる。
そうして、アストレイに残る者も増えてきた。
そして、旅立つネクレアたちは、後を絶たなかった。
ネクロスとの戦いの後、最初に旅立ったのは、ヴァリアさんだった。
決着からしばらく経ったある日、彼女は穏やかな顔で、俺の前に立った。
「アストレイのことを、頼みます」
それだけを告げて、彼女は静かに微笑んだ。
引き留める言葉は、喉まで出かかったが、言えなかった。
もともと、彼女は一度、寿命で亡くなった人だ。
ここまで共に歩んでくれたこと自体が、奇跡のようなものだった。
「……今まで、本当にありがとうございました」
そう伝えると、ヴァリアさんは、少し困ったように笑った。
「こちらこそ。いい国を見せてもらいました」
次の瞬間、彼女は光の中へと溶けていった。
◇ ◆ ◇
その後も、多くのネクレアたちが旅立った。
ネクロスが消え、長年の恐怖から解放された者。
一度蘇り、やり残したことをすべて終えた者。
誰もが、納得した顔で、別れを告げていった。
それは正しいことだと頭では、理解している。
それでも、見送るたびに、胸の奥が少しずつ削られていく。
そんな中で、残る者もいた。
コーハとミーノは、その代表だ。
「もう少し、技術を伝授したら旅立ちますよ」
そう言って、二人は笑った。
発酵の技術。農業の技術。生活を支える知恵。
自分たちがいなくなった後のことを考え、アストレイの未来を繋ごうとしている。
ツムギは残っていた。
糸を紡ぎ、衣服を作り、時にはトローネの病院を手伝う。
淡々とした日常の中で、アストレイを支え続けている。
ツムギが残っている理由は、きっとシュウのためだろう。
シュウは、再び修行の旅に出た。
「何年後になるかは分からない。でも、また顔を見せに来る」
そう言って去っていった背中は、迷いがなかった。
彼が戻るその日まで、ツムギはここで生き続けるのだろう。
ガレオンも、相変わらずだ。
「マリーナの晴れ姿を見るまでは、死んでも死に切れん」
そう豪語して、イリーナに呆れられている。
だが、その言葉の裏にある覚悟を、俺は知っている。
そして――もう一人。
「今日も、アルト様は元気ですよ」
そう言って、リヴは腕の中の赤ん坊をあやしていた。
俺とサリアの間に生まれた、長男アルト。
小さな手が、無意識にリヴの指を握っている。
リヴは、彼の乳母として、今もアストレイに残っていた。
ネクレアとして残る者たちは、皆、理由を持っている。
未来へ繋ぐため。
誰かを見届けるため。
自分の役目を果たすため。
なら――リヴは、なぜ残っているのだろうか。
俺への想い。
それだけで、この世に縛りつけているのだとしたら。
それは、本当に正しいのだろうか。
アルトが、小さく声を上げる。
リヴは微笑み、その頭を優しく撫でた。
その姿は、とても穏やかで、幸せそうで。
俺は、何も言えなかった。
答えは、まだ見つからない。
だが――問いから目を背けるつもりもなかった。
選び続けること。
それこそが、生きている者の責任なのだから。




