第111話 帰る場所
すべてが終わった城内は、驚くほど静かだった。
つい先ほどまで、呪詛と怨嗟と狂気が渦巻いていたとは思えない。
ネクロスの城は、まるで最初から何もなかったかのように沈黙している。
空気は澄み、魔力の濁りも感じられない。
床に残る戦いの痕跡だけが、ここが地獄だったのだと告げていた。
戦いは終わり、ネクロスは滅びた。
それでも、この静けさは、勝利の余韻とは程遠い。
嵐がすべてを薙ぎ払い、何も残らなかった後の、空虚そのものだった。
「……帰ろう」
自分に言い聞かせるように呟く声は、思った以上に掠れていた。
リヴたちも、短く頷く。誰も多くを語らなかった。
帰るべき場所がある。
今の俺たちを前へ進ませているのは、それだけだ。
城の回廊を歩く足音が、やけに大きく響き、静寂を壊すのが怖くなるほどだった。
壁に刻まれた無数の傷跡。崩れ落ちた石材。
それらは、ほんの少し前までの出来事だというのに、すでに遠い過去のように見える。
城を出る途中、俺たちはハードンの亡骸を回収した。
血は乾き、身体は冷たい。
それでも――その顔は、穏やかだった。
最後まで戦士だった。自分の意地を抱えたまま倒れた顔だ。
「約束通り迎えに来たぞ。……アストレイに帰ろうな」
自然とそう口にしていた。
俺たちは黙ってハードンの亡骸を袋に収め、担ぎ上げる。
その重みは、肉体の重さ以上に、彼が背負ってきた覚悟そのものだった。
◇ ◆ ◇
城門へ向かうと、ガレオンとコーハ、二人の姿があった。
二人とも満身創痍だった。
ガレオンの大剣は折れていたが、それでも、二人は立っていた。
「……無事みたいだな」
ガレオンが、低く言う。
「そっちもな」
俺がそう返すと、コーハがふっと笑った。
「正直、もうダメかと思いましたよ。でも……天空から光が降りてきて、アンデッドたちが一斉に崩れたとき……クロムさんたちが決めたんだって、すぐ分かりました」
ガレオンは周囲を見渡し、やがて、俺たちが抱えている大きな袋に目を留めた。
ハードンの姿がないことに気づき、表情が強張る。
俺は、ハードンの最期を簡潔に説明した。
ガレオンとコーハは一瞬、言葉を失った。
そして、目を伏せ、短く息を吐く。
「……意地を張りやがって……馬鹿野郎が」
それだけ言って、ガレオンは顔を背け、それ以上、何も言わなかった。
言えなかったのだろう。
それが、彼なりの弔いだった。
◇ ◆ ◇
帰路は、驚くほど静かだった。
道中、魔物と数度遭遇したが、アンデッドの姿はどこにもない。
あれほど溢れていた死者たちは、完全に消え去っていた。
俺のネクロマンシーが、すべてを終わらせた。
そう実感した瞬間、胸の奥に、鈍い痛みが走る。
俺の力なら、違う形もあったはずだ。
ネクレアとして目覚めさせ、思い残したことを終えさせ、静かに旅立たせることもできた。
すべての魂を救えるなど、最初から思っていない。
それでも――
手を伸ばせなかった命が、確かにあった。
――これで、よかったのか。
問いは浮かぶが、答えは出ない。
俺は、前を向くしかなかった。
立ち止まれば、置き去りにしたものすべてが、足元に絡みついてくる。
だから、進む。
迷いを抱えたまま、それでも進み続けるしかなかった。
◇ ◆ ◇
やがて、アルトレアの門が見えてくる。
防壁の上から、声が上がった。
「……クロム様が、帰ってきたぞ!」
その叫びを合図に、門が開かれる。
次の瞬間、俺たちは人の波に包まれた。
「クロムさん……!」
「生きてた……本当に……!」
「よかった……!」
泣きながら抱きついてくるフリシア、膝から崩れ落ちるミーノ、ただ名前を呼び続ける村人たち。
張り詰めていた恐怖と不安が、一気に溢れ出していた。
俺は、ただ立ち尽くす。
帰ってきた。本当に、帰ってきたのだ。
だが、その喜びは長く続かなかった。
ハードンの亡骸を見た瞬間、人々は言葉を失う。
「……そんな……」
「ハードンさんが……」
すすり泣きが、あちこちから広がる。
俺は、深く頭を下げた。
「……すまない。ハードンは、俺を庇って亡くなった。俺のせいだ」
それ以上、言葉は続かなかった。
誰も俺を責めなかった。
それが、余計につらかった。
そこへ、援軍として来ていたマサクリフが歩み出る。
「無事で何よりだ、クロム」
「……援軍、感謝します」
深く頭を下げる。
「困ったときはお互いさまだ。……まぁ、こちらも無傷ってわけにはいかなかったがな」
その言葉に、胸が詰まる。
「……もし、望むなら……ネクロマンシーで……」
言いかけた瞬間、マサクリフの目が鋭く光った。
「ふざけるな!」
怒声が、場を震わせる。
「ここにいるのは覚悟を決めた戦士だけだ! バルドリアの戦士の覚悟を、汚すんじゃねぇ!」
俺は、何も言えなかった。ただ、深く頭を下げる。
「……無礼を言った。すまない」
マサクリフはしばらく俺を睨んでいたが、やがて視線を逸らし、頭を掻きながら言う。
「……理解しろとは言わん。だが死もまた、戦士の誇りだ」
その言葉は、重く胸に残った。
◇ ◆ ◇
その夜、祝勝と弔いを兼ねた宴が開かれた。
バルドリアの兵士たちも混じり、広間は久しぶりに人の熱で満ちていた。
ハードンは、皆に好かれていた。
だからこそ、俺は彼をギルドマスターに任命したのだ。
「就任してしばらくは愚痴ばっかりでしたけど……楽しそうでしたよ」
サブマスターとして近くで見てきたフリシアが、そう語る。
「アストレイに流れ着いたときも、同じ境遇の連中をまとめてた。見た目に反して、世話焼きだったな」
俺は、村だった頃のアストレイを思い出す。
まだ国ですらなかった、必死に生き延びていた日々を。
「……私、ハードンさんの跡を継ぎます」
フリシアは、真っ直ぐ俺を見た。
「ギルドマスターになります。ハードンさんみたいにはできないかもしれませんけど……頑張ります」
「……頼む。困ったら、いつでも言ってくれ」
そう言って、杯を掲げる。
俺は席を外し、援軍として駆けつけてくれた二人のもとへ向かった。
「セラ、ノクティア。……改めて、ありがとう。二人が来てくれなければ、ネクロスとの決着をつけることはできなかった」
そう頭を下げると、セラは小さく肩をすくめた。
「気にしなくていいです。困っている人を助ける。それだけです」
いつも通りの淡々とした声音。
一方、ノクティアは腕を組み、少しだけそっぽを向く。
「……借りは返したわよ。これでチャラね」
そう言いながら、耳まで赤くなっているのを、俺は見逃さなかった。
「助けに来てくれて、心強かった」
そう伝えると、ノクティアはむっとした顔で俺を見る。
「な、なによ。今さら改まって……」
だが、すぐに視線を逸らし、小さく付け加えた。
「……まあ。無事でよかったわよ。あんたも」
そに言葉で、十分だった。
宴は夜更けまで続いた。
酒と笑い声が、天へと昇る。
あの世のハードンに、届くように。
◇ ◆ ◇
すべてが落ち着いた頃、俺は自室で机に向かい、手紙を書いた。
宛先は、ヴァルメイア王と、父上。
ネクロスのこと。メルクアのこと。五百年前の真実。
そして、必要とあらば、ネクロマンシーで手を貸すということ。
数週間後、返事が届く。
王からは謝罪と、今後の協力を惜しまないという文。
父上からの返事は、簡潔だった。
『ヴァルネストの問題はヴァルネストで解決する。
気にする必要はない。
ただ、アストレイに助けを求める者がいれば助けてやってくれ』
俺は苦笑する。
「……まったく」
皆、同じだ。
誰も、俺に答えを与えない。
だからこそ――俺は、選び続ける。
こうして、ネクロスを巡る五百年の騒動は、幕を閉じた。
長く、重く、痛みに満ちた戦いだった。
多くを失い、それでも前に進んだ。
だが、俺は知っている。
これは、終わりじゃない。
俺たちの物語は、ここから始まる。
死と共に歩む者として。
生を選び続ける者として。
未来へと、歩き出すために。




