第107話 愛という名の呪縛
――最初から。
耳に届いた音は、ただの言葉にすぎないはずなのに、胸の奥で何かが軋む。
理解できない。理解したくない。
そう拒絶する感情だけが、遅れて湧き上がってくる。
「……最初から?」
掠れた声が漏れた。
それが俺のものだったのか、隣に立つリヴのものだったのか、分からないほど、思考が、完全に追いついていなかった。
だが、誰よりも大きく反応したのは――メルクアだった。
「……何を、言っているの……?」
震える声。玉座に座していた時の威厳も、冷静さも、そこにはなかった。
言葉を繋ごうとした、その瞬間。
――ガシャリ。
金属が擦れ合う、乾いた音が広間に響いた。
「……少し、黙っていてもらえますか」
チェイナードの声は、驚くほど静かだった。感情を荒立てるでもなく、怒気を滲ませるでもない。
ただ、当然のことを告げるような口調。
次の瞬間、床を這っていた鎖が跳ね上がる。
生き物のようにうねり、メルクアの身体に絡みついた。
腕を縛り、肩を押さえ、逃げ場を塞ぐように巻き付いていく。
「っ……!」
息を詰まらせ、メルクアは声を失った。
喉元に絡みついた鎖が、言葉を封じ込めている。
「なっ……チェイナード、自分の主に向かって何を!」
シュウが一歩踏み出すが、チェイナードはちらりとこちらを見るだけで、動じる様子はなかった。
「今は、話の邪魔です」
淡々と、まるで当然の権利のように言い放つ。
メルクアは必死に身をよじるが、抵抗は虚しく、鎖は一切緩まない。
「……最初から、というのはどういうことだ?」
俺は、声に力を込めて問いかけた。
チェイナードは、ゆっくりと立ち上がる。
リヴから受けたはずのダメージを、まるで感じていないかのように。
「五百年前、メルクア様がネクロマンシーを授かる、さらにその前から、という意味ですよ」
背筋を、冷たいものが走った。
「五百年前……?」
サリアが、低く呟く。
チェイナードは、縛られたメルクアへと視線を向けた。
その眼差しは、慈しみと執着が溶け合った、歪んだ静けさを湛えている。
「私がメルクア様に仕えるようになった時から……」
淡々《たんたん》と語られる言葉が、信じ難い真実を一つずつ積み上げていく。
「私は、彼女の心に触れていました」
広間では、チェイナード以外に誰も声を発しない。
「メルクア様は……少しばかり、純粋すぎた」
その言葉に、メルクアの肩が、びくりと跳ねた。
鎖が、かすかに鳴る。
「疑うことを知らず、人の言葉を信じ、心を預けることを恐れなかった」
チェイナードの声は、どこまでも穏やかだ。
「……だからこそ」
一瞬、ほんのわずかに、感情が滲む。
「私は、その純粋さに惹かれた」
広間の空気が、ひやりと冷える。
「汚したいわけではなかった。ただ――誰にも触れさせたくなかった」
その声には、確かな執着があった。
「この心は、私だけのものであるべきだと、そう思ったのです」
その一言に、リヴが息を呑むのが分かった。
「……その鎖で心を縛り上げたのか」
シュウが、低く呟く。
「ええ。それが私の愛です」
チェイナードは、何の躊躇もなく肯定した。
「彼女は、賢く、強く、誇り高く成長された」
そこで、わずかに笑う。
「――私の理想通りに」
ぞっとする。
愛していると言いながら、選択肢を奪い、導き、閉じ込める。
それを当然だと信じ切っている。
「やがて彼女は、神に選ばれ、ネクロマンシーを授かった」
視線が、縛られたメルクアへと注がれる。
「最初に蘇らせたのが、ルナリオだった」
シュウとツムギの視線が、床に伏した魔狼へと向く。
「その時、彼女は知ったのです」
チェイナードの声が、少しだけ低くなった。
「彼女のネクロマンシーは……愛した者しか、蘇らせられないということを」
言葉の意味が、ゆっくりと胸に落ちてくる。
「だから私は、確かめました」
あまりにも穏やかな口調。
「彼女が、私を愛しているかどうかを」
嫌な予感が、背中を這い上がる。
「……まさか」
「ええ」
チェイナードは、深く笑った。
「私は、王の追っ手に自ら居場所を知らせ、あえて殺されました」
広間が、完全に沈黙する。
「彼女は、迷わず私を蘇らせた」
鎖が、きしりと音を立てる。
「私が蘇ったその瞬間、私は確信した」
胸が、締め付けられる。
「私は、メルクア様に愛されている、と」
その声には、揺るぎない確信があった。
リヴが、唇を噛みしめる。
「蘇った私は、メルクア様の思う通りに行動させました」
チェイナードは、腕を広げる。
「彼女の選択を、少しずつ、望む方向へと」
そして、声が低く沈む。
「……ですが」
その一言で、空気が変わった。
「アルドレインに出会った時」
サリアの肩が、ぴくりと揺れた。
「彼女の心は、初めて揺らいだ」
チェイナードの笑みが、消える。
「私の声が届かなくなり、ネクロマンシーも鈍り始めた」
ぎり、と鎖が床を削る音が響く。
「だから私は――決めました」
冷たい瞳。
「彼女には、死の女王になってもらおうと」
嫌な沈黙。
「そこで第一王子の心を縛り、誘導し、アルドレインを殺させました」
その言葉を聞いたとき、メルクアが、縛られたまま大きく身を震わせる。
声にならない悲鳴が、喉元で詰まる。
「……結果は、ご覧の通り」
チェイナードは、淡々と続ける。
「彼女は、壊れ、そして――私の理想の女王へとなった」
歪んだ愛。否定できないほど、徹底的な支配。
「その果てに生まれたのが、この国――ネクロスです」
沈黙が、重く落ちる。
「そして、この愛が永遠になるように」
チェイナードの視線がメルクアを捉え、鎖が締まる。
「強化された私のスキルで彼女の生命を、呪縛しました」
――生命を。
「それが、彼女がここまで生き延びている理由です」
静かに、言い切る。
「彼女は、私の愛によって生かされているのです」
愛という名の鎖に、縛られて。
俺は、拳を握り締める。
――許せるはずがない。
これは、こんなのは、愛じゃない。
これは生き方そのものを奪う、呪いだ。
そして、チェイナードは、こちらを見て、微笑んだ。
「……さて、これから、どうしますか?」
この戦いは、まだ終わっていない。
いや――本当の戦いは、ここから始まる。




