第106話 女王を縛る者
広間に、重い静寂が落ちた。
戦いの余韻すら、音を失ったかのように、空気が張り詰めている。
倒れ伏す三体の存在が、それぞれ横たわっていた。
樹木を操っていたアルドレインは、サリアの槍を正面から受け、その場に崩れ落ちている。
鎖を振るっていたチェイナードは、リヴの渾身の拳によって床へと叩きつけられ、胸を上下させながら荒い息を吐いていた。
そして、魔狼ルナリオは、シュウの一閃を受け、完全に沈黙している。
――勝った。
状況だけを見れば、そう言い切れるはずだった。
だが、胸の奥に、どうしても拭えない違和感が残っている。
視線の先、玉座に座していた女王メルクア。
彼女は、呆然とした表情で、この光景を見つめていた。
これまで一度たりとも揺らぐことのなかった女王の顔。
五百年という時を生き、すべてを見通し、支配してきた存在の余裕。
それらを当然のように纏っていたはずの姿が、今は失われている。
唇が、震えている。 瞳が、揺れている。
――初めてだ。
彼女が、女王であることを忘れたような顔をしているのは。
「……アルドレイン様……」
掠れた声が、広間に落ちた。
その声には、威厳はない。
ただ、不安と焦りだけが滲んでいた。
メルクアは、玉座から立ち上がる。
ゆっくりと、足を前へ運び、倒れているアルドレインのもとへと向かっていく。
その足取りには、先ほどまでの優雅さはなかった。
あるのは、取り繕うことすら忘れた動揺だけだ。
「アルドレイン様……しっかりしてください……」
膝をつき、その名を呼ぶ声は、もはや命令ではなく、縋るような響きだった。
その姿を見て、胸の奥がざわつく。
彼女は、アルドレインを駒として扱っていたはずだ。
それなのに、その呼び声はあまりにも必死で、切実で――
そして、彼女は、はっとしたように顔を上げ、反対側を振り向いた。
「ルナリオ!」
感情が剥き出しになったその叫び声に、思わず息を呑む。
そこにいたのは、五百年生き、すべてを見通した女王ではない。
まだ成熟しきっていない、一人の女性の姿だった。
――どういうことだ。
俺は、無意識に歯を食いしばる。
何かが、決定的に噛み合っていない。
「……魔力の流れが、なんか変だ」
シュウの声が、静寂を破った。
彼は刀を下ろしたまま、周囲を警戒するように視線を巡らせている。
「今ならわかる。この城……やっぱり魔力が落ち着いてない」
その言葉に、俺は即座に意識を研ぎ澄ませた。
今の俺は、シグレと魂回帰したままの状態だ。
感覚は、普段よりも遥かに広く、深い。
戦っていない今なら、魔力の流れが、はっきりと見える。
城全体に漂う、濃密で淀んだ魔力。
死と再生の境界を曖昧にする、ネクロマンシー特有の魔力。
――やはり、メルクアか。
そう思いかけた、その時。
『……クロム殿。シュウの言う通り、この城に纏う魔力、やはりおかしい』
シグレの声が、内側から届いた。
『ネクロマンシーのものではあるが……それだけではない』
俺は、さらに集中する。
視線を、メルクアへ。
彼女を中心に、魔力の流れを辿る。
確かに、彼女から強大なネクロマンシーの魔力は発せられている。
だが――
「……何かある?」
思わず、声が漏れた。
メルクアの体は、謎の魔力に絡め取られるように歪められている。
まるで、彼女自身が――束縛されているように。
俺は、その魔力の糸を辿った。
絡まり、ねじれ、城の床を這い、やがて一本の流れへと収束していく。
その先にいたのは――
「……チェイナード」
倒れていた男のもとへ、魔力が繋がっている。
俺は、警戒を解かぬまま、ゆっくりとチェイナードへ歩み寄った。
「どういうことだ、チェイナード」
問いかける声に、力を込める。
その声に、反応があった。
チェイナードの指が、ぴくりと動く。
「……まさか……」
小さな声が、背後から聞こえた。
振り向くと、リヴが蒼白な顔で立ち尽くしている。
「いえ……そんな……」
彼女の瞳が、大きく揺れた。
震える唇で、言葉を探している。
「……まさか」
リヴは、一歩前へ出る。
「私を操っていた時のように……メルクアの心を……」
言葉が、震えた、その瞬間。
「――くくっ」
低い笑い声が、床から響いた。
チェイナードが、ゆっくりと上体を起こす。
口元には、歪んだ笑み。
鎖が、床の上で、かすかに音を立てる。
「気づかれてしまいましたか」
その声には、悔しさなど微塵もない。
あるのは、思惑通りに事が進んだ者の余裕だけだ。
「いつからだ?」
俺は、鋭く問いかける。
チェイナードは、視線をアルドレインの傍で呆然とするメルクアへと向けた。
そこには、執着と歪んだ庇護欲だけが静かに滲んでいた。
「いつから、ですか?」
彼は、肩をすくめる。
「……最初からですよ」
その言葉が、広間に落ちた。




