第101話 歪んだ愛の証明
俺は、ゆっくりと扉に手をかけた。
石と骨で組まれた巨大な扉は、見た目以上に重く、押し開くたびに低く鈍い音を立て、きしむ音が、やけに大きく広間へと響いた。
扉の隙間から溢れ出す魔力が、肌を刺す。
それは単なる悪意ではなかった。
怒りや憎しみだけでもない。
執着。渇望。失われたものを取り戻そうとする、歪んだ感情。
それらが混ざり合い、粘つくような重さとなって、空気そのものに溶け込んでいるようだ。
胸の奥が、じわりと重くなる。
だが――退く理由は、もうなかった。
背後には、仲間たちの気配がある。誰一人として、足を止めていない。
俺たちは、無言のまま、一歩を踏み出した。
◇ ◆ ◇
中は、想像していた以上に広大だった。
天井は高く、半壊した柱が左右に並び、かつては王権を誇示するための豪奢な装飾が施されていたのだろう。
今はそのほとんどが剥がれ落ち、砕け、床に散乱している。
それでも、ここがただの広間ではないことは、誰の目にも明らかだった。
王への謁見の間。生者が頭を垂れ、王を仰いでいた場所。
そして、その中心。
段差の上に設えられた玉座に、一人の女性が腰掛けていた。
彼女の周囲を取り囲むのは、アンデッドの群れ。
騎士の亡骸。魔物の亡骸。いずれも、かつて生きていた痕跡を残したまま、主の意志に従って静止している。
だが、玉座の女性は、まるでそれらが存在していないかのように、優雅に脚を組み、こちらを見下ろしていた。
その姿に、圧倒的な存在感があった。
「……待っていたわ」
澄んだ声。よく通る、女性らしい声。
それなのに、魂の奥まで染み込むような、不気味な余韻を残す。
「この時代の、ネクロマンサー」
その言葉が落ちた瞬間、広間の空気が一気に張り詰めた。
サリアが槍を構える音。シュウが息を詰める気配。ツムギの魔力が、微かに揺らぐのを感じる。リヴも、俺の隣で静かに身構えていた。
俺は、玉座の女性から視線を逸らさなかった。
「……お前がネクロスの女王か?」
短く問いかけると、女性は、くすりと微笑んだ。
「はじめまして。私はメルクア」
ゆっくりと胸に手を当て、優雅に名乗る。
「このネクロスの女王よ」
その瞬間、背筋を冷たいものが走った。
ネクロス。この地を覆い、国々を混乱に陥れ、数多の命を奪ってきた存在。
その中心に座る女、メルクアの視線が、俺たち一人ひとりを撫でるように巡る。
「アルドレイン様と、執事のチェイナードは……もう知っているわよね?」
そう言って、玉座の脇へと視線を移す。
そこには、無言で立つアルドレイン。
相変わらず仮面のような微笑みを浮かべたチェイナード。
そしてメルクアの傍にいる存在――
「こっちは、私のかわいいルナリオ」
銀灰色の魔狼が、一歩前に出る。低く唸り声を上げ、鋭い瞳でこちらを睨みつけてくる。
ただの魔物ではない。明確な意思と、獲物を狩り、主を守るための殺意を宿した存在。
俺は、ゆっくりと息を吐いた。
「リヴをさらい、俺たちをここまで引きずり出して……何が目的だ」
率直な問いだった。
メルクアは、少し首を傾げる。
「お話がしたかっただけよ」
拍子抜けするほど、軽い口調。
「それと――あなたの愛を、確かめたかったの」
「……愛、だと?」
思わず、眉をひそめる。
メルクアは、その反応を待っていたかのように、楽しげに笑みを深めた。
「そう。愛よ!」
王座からゆっくりと立ち上がり、アンデッドたちを従える広間の中心で、両腕を大きく広げる。
まるで世界そのものを抱きしめるかのような仕草だった。
「あなたの大切な人が奪われたとき、あなたがどんな行動を取るのか。それを見たかったの」
胸の奥が、ざわつく。
「私たちの傘下に下るのか。それとも、絶望に沈むのか」
その視線が、ゆっくりとリヴへ向けられた。
「でも、あなたは違った。ここまで自力で辿り着いた」
拍手すらしそうな口調。
「素晴らしいわ。これはもう、立派な愛よ」
その言葉に、怒りが込み上げた。
「……ふざけるな」
声が低くなる。
「そんなことを確かめるために……どれだけの犠牲を出したと思っている」
俺は、玉座を見据えたまま、言葉を続ける。
「五百年前のことは、詳しくは知らない。だが、断片的には伝わっている」
メルクアの表情が、わずかに変化した。
「お前たちが裏切られ、切り捨てられたこと。絶望したこと」
一歩、前に出る。
「だが……今を生きている人間に、罪はないだろう」
空気が、凍りついた。
しばらくの沈黙の後――メルクアは、ゆっくりと首を横に振った。
「いいえ」
きっぱりと。
「人が人である限り、何も変わらないわ」
その瞳に、冷たい光が宿る。
「裏切り、恐れ、排除する。やり方が変わるだけ」
両腕を広げる。
「だから私は、愛で埋め尽くすの」
ぞっとするほど、歪んだ宣言。
「恐怖も、裏切りも、拒絶も――すべて、私の愛で包めばいい」
メルクアは、再び微笑んだ。
「あなたたちの愛の素晴らしさに免じて、提案するわ」
その声が、やけに優しくなる。
「私と、協力しない?」
玉座から立ち上がり、ゆっくりと階段を降りてくる。
「同じネクロマンサーでしょう。今まで、随分苦労したはずよ」
確かに、苦労はしてきた。
迫害され、拒絶され、戦い続けてきた。
だが――
「……確かに、苦労はした」
俺は、正直に答えた。
「だが、それでも俺は……俺たちはここまで来た」
脳裏に浮かぶ仲間たちの顔。
愛してくれた人。信じてくれた人々。守ろうとした命。 そして、守れなかった命。
「その結果、認められた。受け入れられた」
一歩、さらに前へ。
「それを……お前の身勝手な愛で壊すことなど、許されない」
メルクアは、少しだけ目を細めた。
「そう……残念だわ」
その一言に、感情はなかった。
次の瞬間、周囲のアンデッドたちが、一斉に動き出す。
武器を構え、魔力が渦巻き、殺意が広間を満たしていく。
ルナリオが、低く吠えた。
アルドレインが、静かに剣を抜く。
チェイナードが、楽しげに肩をすくめる。
俺は、一瞬だけ仲間たちを振り返る。
全員が、迷いなく頷いていた。
覚悟は、すでにできている。
再び、メルクアを見る。
「……これで、終わりだ」
彼女は、玉座の前で立ち止まり、微笑んだ。
「いいえ、始まりよ」
こうして――最後の戦いの火ぶたは、切って落とされた。




