第100話 この手で終わらせるために
リヴの黒翼が霧のように消え、部屋を覆っていた異様な気配が、ゆっくりと薄れていく。
まるで長い悪夢が、ようやく終わったかのようだった。
耳に届くのは、崩れ落ちた石が床を転がる乾いた音と、誰かの荒い呼吸だけ。
それ以外の音は、何もない。
俺は、リヴを腕に抱いたまま、ゆっくりと周囲を見渡した。
ついさっきまで、死と呪縛が渦巻いていたはずの空間に、仲間たちの姿がある。
床には、完全に動かなくなったアンデッドの残骸がいくつも転がり、もはや敵意も魔力も感じられない。
サリアは槍を地面に突き、額に汗を浮かべながら肩で息をしていた。
シュウは壁際に座り込み、必死に呼吸を整えている。
ツムギもリリラも無事だが、表情には隠しきれない疲労が滲んでいた。
どうやら――俺がリヴを取り戻したころ、ほかの戦いも、すべて終わっていたらしい。
その事実に、胸の奥がわずかに緩む。
腕の中で、リヴが小さく身じろぎした。
「……ここは……?」
掠れた声。だが、確かな意識。
その一言を聞いただけで、張りつめていた何かが、音を立ててほどけた。
「ネクロスの城だ。もう……大丈夫だ」
そう告げながら、ゆっくりと彼女を下ろす。
リヴは一度足元を確かめるようによろめき、それでも自分の足で立った。
視線が、周囲を巡る。
倒れ伏したアンデッド。
消耗しきった仲間たち。
「……クロム様」
呼ばれて、視線を合わせる。
その瞳には、さっきまであった虚無も狂気もない。
だが代わりに、何かを察したような、張りつめた色が宿っていた。
◇ ◆ ◇
俺は、簡潔に、ここまでの経緯を話した。
リヴがチェイナードに囚われたこと。
アストレイや、他国で起きていた異変。
彼女を取り戻すため、ネクロスに乗り込んだこと。
城内での戦い。
そして――
「ハードンが……俺をかばって死んだ……」
その名を口にした瞬間、リヴの表情が、はっきりと凍りついた。
「……え?」
小さな声。理解を拒むような、短い沈黙。
「ハードンは、ネクロマンシーを拒んだ。これが俺のゴールだと言って……」
言葉が落ちた瞬間、場に沈黙が降りる。
リヴの肩が、かすかに震え始めた。
「……私が……」
唇を噛みしめ、声を絞り出す。
「私が囚われたばかりに……ハードンさんが……」
悔恨と自責が、抑えきれずに溢れている。
その姿を見て、胸が締めつけられた。
「違う」
俺は即座に首を振る。
「ハードンは、自分で選んだ。誰のせいでもない」
それでも、リヴは俯いたままだった。
その背中に、サリアが静かに歩み寄る。
「……リヴ」
責める色のない、落ち着いた声。
「あなたを取り戻す、という目的は果たした」
そこで一度、言葉を切る。
「でも――これから、どうするの? クロム」
現実的な問いだった。
ここまで、誰一人として無傷ではない。体力も、魔力も、確実に削られている。
城門には、ガレオンとコーハを残してきた。無事でいる保証はない。
アストレイは。ほかの国々は。
ネクロスが引き起こした混乱は、ここだけでは終わらない。
その時だった。
「……クロム様」
リリラが、こちらを見る。
「実は……リリリから、連絡が入ってました」
その名に、全員が顔を上げる。
「アルトリアも、アストレイも無事。ほかの国も、今のところ大丈夫だって」
安堵の息が、いくつか漏れた。
だが――リリラの表情は、晴れない。
「……でも」
彼女は胸元を押さえる。
「私たちは、共鳴で繋がってる。だから……分かるの」
声が、わずかに震える。
「リリリ……平気なふりをしてるけど……」
一度、目を閉じる。
「……限界が近いと思う」
空気が、再び張りつめた。
俺は、静かに息を吸い込む。
ここまで来て、引き返す選択肢は、もう現実的ではない。
この状況を変えるには。
この連鎖を断ち切るには。
「今ここで、ネクロスと決着をつけるしかない」
俺の言葉に、視線が集まる。
「俺は、進むべきだと思う」
言い切った。
「確かに消耗はしてる。でも――」
自分の内側を、確かめる。
魔力が、満ちている。
歪められていた流れが、正常に戻りつつある。
旅立ったネクロスたちの存在を、はっきりと感じていた。
リヴも、俺の魔力で回復している。
その顔色は、さっきよりもずっといい。
「被害がゼロじゃないのは分かってる」
ハードンの顔が、脳裏をよぎる。
「でも……ここで止まったら、ハードンの死は、無駄になる」
それだけは、許せなかった。
サリアが、ゆっくりと息を吐く。
「……分かったわ」
槍を握り直す。
「行きましょう。ここまで来たんだもの」
シュウも、立ち上がった。
「俺も、まだ戦える」
ツムギも裾を払う。
「……私も、平気です」
震えはあるが、目は真っ直ぐだった。
リリラは一度だけ天井を仰ぐ。
「みんなが、持ちこたえてる間に、終わらせよう」
リヴが、俺を見る。
その瞳には、もう虚無はない。
「……私も、行きます」
静かだが、強い声。
「今度は……こちらの番です」
俺は、頷いた。
◇ ◆ ◇
城の頂上。ひときわ大きな扉の前に、辿り着いた。
石と骨で作られたような、不気味な造形。
扉の隙間から漏れ出す魔力は、桁が違う。
肌が、ひりつき、魂の奥を、直接撫でられるような感覚。
ここだ。
ネクロマンシーを巡る、すべての終着点。
俺は、扉に手を伸ばす前に、一度振り返り、仲間たちの顔を見る。
恐怖は、ある。
迷いも、ある。
それでも――
全員が、前を向いていた。
「行こう」
その一言で、十分だった。
扉の向こうに待つものが、何であれ。
俺たちは、ここで終わらせる。
生と死と――この物語を。
この手で。




