第95話 まだ、終われない
城の内部は、静かだった。
いや、正確には――音が、殺されている。
足音が石床に触れても、反響しない。金属が擦れる音すら、空気に吸い込まれていく。
まるでこの城そのものが、外界との接触を拒んでいるかのようだった。
壁に刻まれた装飾は、かつての威厳を保ったまま黒ずみ、剥がれ落ちている。王城であった名残は確かにあるのに、そこに人の気配はない。
生きていない。だが、死んでもいない。
そんな曖昧な空間を、俺たちは進んでいた。
城門で別れたガレオンとコーハの背中が、何度も脳裏をよぎる。
だがあの二人なら、必ず門を守り切ると信じている。
――問題は、俺たちの方だ。
通路を抜けた瞬間、視界が一気に開けた。
中庭だった。
思わず、息を呑む。
かつては、間違いなく美しい庭園だったのだろう。左右対称に整えられた石畳の道。噴水の名残。神話を模した彫刻。丁寧に区画された花壇。
だが今は、そのすべてが歪み、侵され、冒涜されている。
地面を突き破って伸びた樹木が、庭園全体を覆い尽くしていた。幹は異様なほど太く、黒ずんだ表皮の下で魔力が脈打っているのが分かる。枝の先には葉ではなく、枯れた指のような突起が無数に生えていた。
「……嫌な場所ね」
サリアが低く呟いた、次の瞬間だった。
ぎしり、と不快な音が庭園全体に響いた。
樹木が、動く。枝が軋み、地面を這い、石畳を割りながらこちらへと伸びてくる。同時に、影から影へと腐臭が広がった。
アンデッドだ。
人の形を保ちつつも、半ば植物と融合したようなもの、樹皮が骨に絡みついた異形のアンデッド。数は決して多くない。だが、動きに無駄がなく、明確な意思を感じさせる。
――誰かが、指揮している。
「来るぞ!」
ハードンの声と同時に、俺は喰闇を抜いた、その時だった。
ぱち、ぱち、と、場違いな音が響いた。
ゆっくりと、余裕に満ちた拍手。
「ここまでよく来たね」
樹木の奥から、ひとりの男が歩み出てきた。
長い外套。穏やかな微笑み。だが足元では蔓が彼の歩調に合わせて蠢いている。人の形をしているのに、どこか自然の摂理から外れた存在。
アルドレイン。樹木を操るネクロスの王子。
「待っていたよ。君たちがここに辿り着くのを」
その声は、驚くほど柔らかかった。だからこそ、背筋が冷える。
俺は一歩、前に出る。
「リヴはどこだ」
喉の奥から、言葉を絞り出した。感情を抑え込まなければ、声が震えそうだった。
アルドレインは、わずかに目を細める。
「さあ? それを確かめたいなら――」
彼は、背後の歪んだ庭園を示した。
「先へ進むといい。進めたら、だけどね」
次の瞬間、空気が裂けた。
アルドレインが手を掲げただけで、庭園全体が唸りを上げる。
樹木とアンデッドが、一斉に襲いかかってきた。
「迎撃!」
サリアが前に出る。槍が閃き、迫る枝を断ち切る。
ハードンが硬化した身体で前線を押し上げ、樹の打撃を真正面から受け止める。
シュウの晴天が走り、アンデッドの首を落としていく。
俺も、喰闇を振るった。
刃が樹皮を裂き、魔力を断つ。
確かに効いている。だが、次の瞬間には地面から新たな樹が生え、倒したはずの隙間を埋めていく。
全員で迎撃していくが、それでも――
「数が減らない……!」
誰かの声が重なる。
アルドレインは動かず、ただ、戦場を観察している。
その視線は、俺たちの力量を測っているようだった。
――戦力は拮抗している。
だが、その均衡は、一瞬で崩れた。
「キャア!」
リリラの悲鳴。
振り返った瞬間、血の気が引いた。
後方に控えていたツムギとリリラに、樹木の枝が伸びていた。
音もなく、狙い澄ました一撃。
ツムギが糸を張り、必死に迎撃しているが、防ぎきれていない。
考えるより先に、身体が動いた。
俺は地面を蹴り、二人の前に飛び出す。
喰闇で枝を斬る。
だが、同時に別の蔓が、俺の足に絡みついた。
「クロムさん!」
ツムギの叫び。
次の瞬間、腕、胴、首へと次々に樹木が絡みつい、締め付けが、急激に強まった。
呼吸が、奪われる。
地面から引き剥がされ、宙に吊り上げられる。
「ほう……いい反応だ」
アルドレインが、楽しそうに見上げてくる。
「仲間を守るために、迷いなく身を投げ出す。嫌いじゃないよ。だがそれは――王の役目じゃない」
胸が、ぎゅっと締め付けられる。
ツムギと魂共鳴を――そう思った。
だが、集中できない。樹木が魔力の流れを乱し、意識を削っていく。
「別に君を殺しても構わないんだ」
アルドレインの声が、やけに近く聞こえる。
「どうせメルクアが、蘇らせる。君は、その程度の存在だからね」
「クロム! くっ……どきなさい!」
サリアが必死に突っ込もうとするが、樹木とアンデッドに阻まれる。
他のみんなも同じだ。誰も、俺の元へ辿り着けない。
樹木が、さらに締まる。
骨が軋み、視界が暗くなる。
――ここまでか。
その瞬間だった。
心の奥底で、何かが叩きつけられた。
『諦めるんじゃねぇ!』
荒々しい声。
怒鳴るようで、叱りつけるようで――
けれど胸の奥を、不思議と温かく撫でる響きだった。
耳に残るその調子は、何度も背中を押された、あの日々の声とよく似ている。
『ここまで来たんだろうが!』
胸の奥が、熱を帯びる。
消えかけていた意識の底から、新たな力が湧き上がってくる。
――まだ、終われない。




