第94話 死の城門
城が、見えた。
樹海を抜けた先。腐臭と瘴気の向こうに、黒く歪んだ輪郭が浮かび上がる。
石で組まれたはずの城壁は、ところどころが不自然に膨れ、ひび割れ、その隙間から枯れた蔓や骨のような枝が突き出していた。
まるで、死体が無理やり立ち上がったかのような姿だ。
――あそこか。
胸の奥が、微かに疼いた。
理屈ではなく、魂の奥で、何かが引き合っている。
リヴが、あそこにいる。
確信に近い感覚だった。
同時に、嫌な予感もある。
あの城は、俺たちを呑み込むための口だ。
それでも、足は止まらなかった。
◇ ◆ ◇
城下町は、すでに町ではなかった。
石畳は割れ、道は歪み、家屋は半ば崩れたまま放置されている。
扉という扉は内側から引き裂かれ、窓には何かが這い出た痕跡が残っていた。
人の気配はなく、死の名残だけが、執拗に張り付いている。
「止まるな!」
ガレオンの声が響く。
考える暇はない。馬車を降り、俺たちは城下町を駆け抜けた。
瓦礫の影から、路地の奥から、腐り落ちた肉の音を立ててアンデッドが這い出してくる。
腕だけのもの。顎が外れたままのもの。脚を引きずり、這うもの。
それらを斬り、突き、蹴り飛ばしながら先に進む。
城門前に出た瞬間、空気が一変した。
――その数だ。
城門を覆い尽くすように、アンデッドが群がっている。
人の形を保つ者は、もはや少数派だった。
四肢の数が合わないもの。骨と肉が無理に縫い合わされたもの。魔獣の名残を色濃く残し、唸り声を上げるもの。
それはまさに死の壁。
ここを抜けねば、先はない。
喉が、無意識に鳴った。
「……やるか」
隣に立つガレオンが、静かに言った。
大剣を地面に突き立て、柄に手を置く。
覚悟を決めた者の顔だ。そこに迷いはない。
この男は、退路を考えない。切り開くことだけを考える。
「頼む」
短く言う。 余計な言葉はいらない。
俺は、魂共鳴を解放する。
魔力が跳ね上がる。
意識が、引き裂かれるように重なった。
魂が、繋がる。
視界が、反転した。
◆ ◆ ◆
重い。
だが、この重さは嫌いじゃない。
大剣を握る手に伝わる、確かな質量。
刃の奥に流れ込んでくるクロムさんの魔力が、剣そのものを一段階上の存在へと引き上げていく。
力が溢れている。
魔力だけじゃない。
クロムさんの中で渦巻く、焦燥と怒り、そしてリヴを取り戻すという執念までが、この剣に流れ込んでくる。
押さえつけなければ、想いごと振り切ってしまいそうだ。
「……一直線だな」
城門まで。ただ、それだけでいい。
考えるな。振れ。
踏み込むと地面が砕け、土煙が上がる。
腰から全身を使い、大剣を薙いだ。
一振り。
アンデッドの群れが、音を立てて割れた。
骨が砕け、肉が飛び散り、霧のように散っていく。
まだ足りない。
二振り。三振り。
剣は、確かに重いが、押し返される感覚がない。
クロムさんの魔力が、俺を支えている。
背中を預けていいと思える力だ。
アンデッドは、もはや敵じゃない。
ただの障害物だ。
叩き割り、押し流す。
「道は――開ける!」
叫びと同時に、全力を込めた最後の一振り。
城門前の広場が、文字通り割れた。
死の壁は崩れ、一直線の道が生まれる。
「走れ!」
合図と同時に、仲間たちが一斉に動いた。
視界の端で、クロムさんがハードンに背負われているのが見える。
やがて全員が城門へと辿り着いた。
城門は、もはや門としての役割を失っている。片側が残っているだけで、閉じることなどできない。
十分だ。
俺は、剣を地面に突き立て、足を止めた。
◇ ◇ ◇
視界が戻った瞬間、息が荒くなった。
全身が、鉛のように重い。
魔力を使った感覚が、はっきりと残っている。
俺はハードンに背負われたまま、城門前に立っていた。
「ここまでだ」
ガレオンが、こちらを振り返らずに言う。
「この城門は、俺が抑える」
一瞬、誰も口を開かなかった。
だが、俺はすぐに理解する。
――このまま進めば、城外からの増援が必ず来る。
背後を断たなければ、俺たちは中で挟み撃ちになる。
「誰かが、ここで食い止める必要がある……」
ガレオンがそう口にした瞬間だった。
「僕も、残ります」
ガレオンの隣にコーハが、静かに立つ。
魔力を抑え込むように深く息を吐いていた。
「……コーハもか」
「うん。かなり魔力を使いました。この先僕が役立てる場面はなさそうです」
一拍置き、コーハは視線を上げる。
「それならここでガレオンさんを援護します」
理屈は分かるが、胸の奥が僅かに締め付けられた。
ガレオンは、城門を背に立つ。
その背中は、これ以上なく頼もしい。
その隣で、コーハが深く息を吐き、魔力の流れを静かに整えている。
「必ず、戻る」
そう言うと、ガレオンは僅かに口角を上げた。
「当たり前だ」
コーハは、ただ、小さくうなずく。
「……待ってます。ここを、守り切りますから」
それだけで十分だった。
俺は、ハードンに背負われたまま、城門をくぐる。
振り返らない。
ここから先は、俺たちの戦場だ。
城の内部へ足を踏み入れた瞬間、空気が完全に閉じたように感じた。
外の世界が、切り離される。
逃げ場はない。
だが――進むしかない。
この先に、リヴがいる。
そして、すべてを終わらせる答えが、待っている。
俺は、歯を食いしばり、前を見据えた。




