第三章
「四ヶ郷~、スパナ~」
蓄音器から流れる擦れた音楽に合わせて、椿さんが手だけ寄越してくる。
「いくつの~?」
いい加減聞き飽きてなんの感慨も湧かなくなった音楽に合わせて、こちらも聞き返す。
「ん? えっと、十二──いや十四!」
「どうぞ」
指定に従い、工具棚からご所望のスパナを手渡す。
「へ、やっとお前もわかってきたな。前はスパナっつったら片っ端から持ってきてたのによ」
「そらこんだけ仕込まれれば嫌でも覚えますっての」
「そら結構なこった」
軽口に答えつつも椿さんは『闘奔勢走』を整備に集中したままだけど、横顔はどこか嬉しそう。あたしだって学習くらいすんだよ失礼な。
「これ終わったら給油すっから、一斗缶持ってきといてくれるか?」
「了解です」
応じながら椅子にかけられている椿さんの上着から鍵を取りだし、危険物保管庫へ。
何を隠そうあの『闘奔勢走』、動力源は油、つまりガソリンで動いているのだ。魔兵装だから魔力で動いているのだと思い、椿さんと会話が噛み合わなかったのがもはや懐かしい。
合体時は魔力で操作するらしいのだが、エンジンに魔力を増幅する機能──アカリの魔力循環のような仕組み──があり、長時間の運用や高機動を可能にしているのだとか。この辺もトラの魔力節約思想が根付いている。
「早いなー……」
並ぶコンテナの一番奥、危険物保管庫の鍵を開けつつ一人ごちる。
あたしがここへ転がり込んで、すでに二か月が経過していた。
振り返れば魔鋼艦に突っ込んでは魔鋼兵を切り伏せ、食料を求めて森林を彷徨い、向こうへ帰るのに備えて勉学に励みと、激動と断言して差し支えない毎日だ。これでもまだ帰還予定時期の半分さえ折り返していないのだから、気が遠くなるやらバカらしくなるやら。
『郷愁作戦』の折、こんな濃密な時間は人生で当分ないだろうなと思っていたけど、今なお現在進行形で更新されている魔界での日々に、向こうでの暮らしが夢だったのではないかと感じ始めてさえいる今日この頃。
「いかんいかん! あたしは帰る。絶対帰るんだ」
半ば言い聞かせるように呟き、ガソリンの入った一斗缶を抱えて戻る。
「持ってきました~」
「おう、サンキュー」
一斗缶を受け取るなり椿さんは、各部の調整を終えた『闘奔勢走』の給油口を開き、上戸を挿してからトクトクとガソリンを注いでいく。
「お前さ、向こうに戻ったらバイクの免許取れよ? どこへでも行けるし便利だぞ?」
「免許ですか? ん~……」
同好の士を増やさんとする椿さんの野望に悩む素振りをしてみせてはいるものの、実はかなり前向きに考えていたりする。
常在型魔兵装である『闘奔勢走』は、使用者である椿さんが許可すれば合体機能を除いて誰でも扱える。つまり魔の付くあれこれを外れたら、こいつは普通のバイクと化す。
『いつも整備手伝ってるんだからたまには乗せて下さいよ』
『おお! そうかそうか乗ってみたいか!』
場を持たせようと口を突いたお願いに、向こうさんは喜色満面に食い付いてきた。
それから椿さんより手解きを受け、なだらかな場所なら問題なく扱えるまでに上達した。
なんたってここは魔界、守るべき交通規則もなければ死角から人が飛び出してきたりもしない。森での運転は獣道すぎて不安は残るものの、だだっ広い荒野へ出てしまえば何も気にせず練習し放題である。すっ転んで怪我しても治るし。
この世界でやることといえば戦闘・訓練・勉強・家事と、生きていくために必須なものばかり。自分自身で興味を持った事柄を自分自身で追求できる時間は、あたしにとって唯一無二の娯楽となっていた。
「バイクはいいぞ~。速えーしカッコいいし、景色の流れが車なんかよりずっとリアルだ。周りが男ばっかだからナンパされんのが玉に瑕なんだけどよ。でもサイコーだ!」
聞いてもいないのにバイクのなんたるかを語る椿さん。てかナンパされんだこの人。声かけた男は見る眼があるんだかないんだか……。
「お前今失礼なこと考えたろ?」
「いえ全然」
椿さんのモテ事情は置いといて、短期間とはいえここまでバイクを極めたのだ。どうせなら向こうの世界に帰ってからも乗り続けたいと考えるのが好奇心というもの。車の免許は住んでる町の都合上絶対取らなきゃだし、自動二輪だけ先に取得しておくのも悪くない。問題があるとすれば肝心のバイクをどこで調達するかってところか。
「どうするにしても、帰ったらお金貯めなきゃですね」
「最初は中古買えよ? そいつで練習して事故って腕を磨くんだ」
「いや、事故るのは嫌ですから」
「あーしだってヤだよ。だが交通事故ってのはルールを守らない奴のせいで守ってる奴が割を食う。どんだけ気ぃ張ってても巻き込まれる時は巻き込まれちまう。そこだけは覚えとけ」
この人は何気ない雑談にさり気なく心理を突いてくるから油断できない。
「それにどんだけ大事に乗っててもバイクってのは多かれ少なかれ故障するもんだ。簡単な修理くらいテメェでできねーと、場所によっては命にかかわる」
「『闘奔勢走』の修理ばっかりうまくなっても意味ないでしょ?」
「んなこたねーよ。メーカーで多少差はあるが、基礎を抑えときゃそう違わねーって。とくにこいつの素体は元々スタンダードなモデルだし、応用は効く」
「ふ~ん」
先達の体験談を聞きながら、すっかりその気になってしまっているあたしがいる。
フワッとした願望に現実味が肉付けされ、鮮明になっていくのはなんでも楽しい。町の大人連中が昔話で『悪い先輩に教わって~』って下りはこういう場面を指してたんだな。
「とりあえず、帰ったら親に相談してみますよ」
「そうしろ。さっきも言ったけど、バイクは車より事故での死亡率が高い。だから未成年のうちは敬遠する親も多い。お前の気持ちも大事だが、まずはちゃんと話し合って──」
と、椿さんはハッと思い出したように言葉を止める。
「椿さん?」
「──先の話ばっかすんのも演技悪りーな。先輩の様子見てくっか」
「うっす」
ばつが悪そうに視線を逸らし、椿さんは蓄音機の針を上げて話題を変える。
わからなくはない反応ではある。あんまり未来の予定ばかりに思考を割いていると『この戦争が終わったら俺、結婚するんだ!』的な展開にならないとも限らない。先を見据えるのは大切だけど、であればこそ眼の前にある現在を全力でこなさなくては。
ジジジジッ! ジジッ! ジィーッ!
朝からずっと何やってんだろと覗いてみれば、縁さんは『境界閃』をトーチ代わりに電気溶接していた。町工場かここは?
「うぉ」
金属を瞬時に溶かす白色の閃光が視界を焼き、咄嗟に手で隠す。
作業者さんはかなり集中しているようで、あたしたちには眼もくれない。そうでなくても溶接作業中は危険が付きものなので、話しかけるのは厳禁だけど。
明滅する光に、作業場としてあてがわれた空間が不規則に照らされる。
均等に切り揃えられた装甲版。わけわかんない基盤。簡単な工作機械と工具類。すでに使用された板の切れ端や削りカスが押し込まれたドラム缶。
それらがところ狭しと、しかし理路整然と並べられあるいは積み上げられていて、物量に対してそこまでの雑多感はない。……やっぱり町工場かここは?
魔界での戦闘はすべて魔鋼兵相手なので食料こそ手に入らないものの、撃沈した魔鋼艦の一部や無事だった武器弾薬などの回収は戦闘後に必ず行っている。つまりここにあるのはほとんどが戦利品の山なのである。
物資が多い時は現場とアジトを何回も往復して輸送する日もある。あらゆるものに限りがある今の生活にあって、使えるものはなんでも使うの精神だ。
当然あたしも手伝わされるハメになるのだが、本来であれば一撃で仕留められるような相手も、運ぶのが面倒で徹底的に破壊していたりするのは内緒だ。
そんな鋼板やら配線やら使って、このところの縁さんは何やら作っているご様子。今みたいな溶接に始まり、部品の削り出しや穴あけ、回路をハンダでつないだり切り離したりと、かなり熱を入れて作業に勤しんでいる。
作業に勤しむ縁さんの姿を見ていると、小さかった頃に町外れの工場で働く職人方の仕事振りを飽きもせず見入っていたのを思い出す。何に使うかもわからない機械や部品がどんどんと組み上がっていくワクワク感が昨日のように甦る。
「……ふう!」
キリのいいところまで進んだのか、革製の防護服と保護眼鏡を外して縁さんが素顔を見せる。玉の汗を浮かべて前髪はおでこに張り付き、すっかり汗だくだ。
この手の作業は高熱の金属がいきなり飛び散ったりする危険があるので、どうしても厚着になる。防護服も断熱・難燃素材なので、とにかく蒸れて熱い。
「あら、いたの二人とも」
「お疲れっす。進捗どんな感じすか?」
縁さんを労いつつ、椿さんが手拭いと水を渡す。
「九割方ってとこね。試験飛空もしなきゃいけないから、次の出撃に間に合うか微妙ね」
汗を拭く縁さんの隣にしゃがみ、製作中の何かを観察してみる。
質感剥き出しの鉄板が立体的に組まれ、形状は平たい台形。両側には翼らしきものが左右二枚ずつで四枚、正面からはX字形に見えるよう配されている。後部には魔鋼艦の噴射口を小さくしたような筒が二か所。下を覗き込んでみると裏にも同じものがあった。
「ん~?」
形からして空を飛ぶものなのは理解できるのだけど、使用方法までは見当がつかない。
「飛空ユニットよ。私専用の」
首を捻っていると、製作者が答えをくれる。
「専用って──あ、乗るのかこれに」
薄く伸ばしたような形状は上に乗るためか。差し詰め空飛ぶお立ち台って感じかな。
「自力で飛べないのって私だけでしょ。いつもあなたたちのどちらかにくっ付いているわけにもいかないから、せめて単独で敵艦に乗り込めるぐらいはできるようにしておきたくて」
海か地面かの差はあれど、ここでも戦場の主流はもっぱら空だ。魔鋼艦に始まり子機群や砲撃等々、大地にへばり付いたままでは話にならない。
縁さんの『境界閃』は光撃で遠距離から一方的にしかけられるとはいえ、やはり当人も空中戦に対して思うところがあったのか。
飛空できる者のみで構成された魔法少女組織もあったぐらいだし、あたし自身『郷愁作戦』で制空の重要性は嫌というほど骨身に染みている。例え付け焼刃であっても、縁さんが空を手にしたいと考えるのは当然だろう。
この飛空ユニットとやらがどれほどの機動力を持つかはわからないけど、全員が各々の意志で空を動けるようになれば心強いことこの上ない。何よりあたしの生存率も上がる。
《揃ってるな》
「うお⁉ びっくりしたぁ!」
一人で勝手に納得していると、いつの間にか傍らにトラがひょっこり控えていた。猫の性かはたまた父親譲りか、気配を隠すのがうまい。
《来い、見せたいもんがある》
「へ? 何さ藪から棒に」
「ようやく術式が完成したのね」
「じゃ、さっそくお手並み拝見といくか」
トラに促され、二人がその背中に続く。受け答えからしてどうやらこの人たちはなんの件か知っているらしい。またあたしだけのけ者かよ悲しいな。
《こいつだ》
独りぼっちにされるのが嫌で泣く泣くついていくと、作業台の上に五本の短闘剣が並べられていた。
「これは?」
そう尋ねてやらないと始まらなさそうな雰囲気だったので、とりあえず。
《お前の既知でない魔力に反応し、対象の魔力運用を阻害する雷撃を放つ仕込短闘剣だ》
「はあ……?」
猫だから表情が変わったりはしないけど、なんとなく得意気なのは伝わる。
「私も手伝ったわ。というか側は全部私が作りました」
ふんと鼻を鳴らし、腕を組んでふんぞり返る縁さんの図。こっちはわかりやすくて助かる。
「あ、これ魔鋼兵の──」
まじまじと短闘剣を眺めていると、元は魔鋼兵が所持し、撃退の後あたしたちが持ち帰った闘剣だと気付く。あれの刀身を切って短くし、ここまで仕上げたというわけか。
あたしはこれまで、出来合いの魔装衣と魔兵装が可能にする範囲で戦ってきた。自身に足りないものがあれば仲間同士で補い合ってはきたけど、『ないなら作る』ってのは従来ではあり得なかった発想だ。そもそも魔兵装が作れるって認識すらなかったわけだから無理もない。
縁さん飛空ユニットといい、魔界に来てから魔の付く自作品の数々に眼から鱗の連続だ。
《見てくれ通りナイフとしても使える。投擲時は設置式・時限式・着発式の選択も可能だ》
「四ヶ郷さん中距離戦のオプションなかったから役に立つと思うんだけど、どうかしら?」
「……えぇ⁉ これ、あたしのために作ってくれたんですか?」
「ええ、そうよ」
予想外の展開に、うっかり素っ頓狂な声を上げてしまう。
「もちろん具合がよけりゃあーしらも使うぜ。けど一番の狙いはお前の戦力アップだ」
《身体を鍛えるだけじゃ限界があるからな。とくにお前みたいなのは》
「はえ~……ありがとうございます」
なんというか、感動の一言に尽きる。今までだっていろいろしてくれたけど、これが一番嬉しいかもしれない。人の気配りより現物にときめく醜いあたしをどうか許して。
縁さんの指摘通り、あたしの魔兵装は二本とも近接戦用であり、距離を開けられた相手とやり合うには攻撃を躱しながら接近する必要がある。
『兵香槍攘』で突撃を発動させた瞬間に手を放し撃ち出す荒業もあるにはあるけど、あれは単発で再び『兵香槍攘』を呼びだせるようになるまでそれなりの時間を要する。二人に鍛えられたおかげで再呼びだしの時間もだいぶ短縮されたものの、博打要素を過分に含むという意味では、おいそれとは使えない選択肢であることに変わりはない。
実は試しで魔鋼兵の小銃を主兵装にして戦ってみたこともあるのだが、両手を使わないと照準は安定しないわ弾倉の交換時は無防備になるわでかなり煩わしく、速攻で諦めてしまった。
魔兵装は使用者の適性や性格で形作られる千差万別の相棒。元々近接戦専門のあたしが飛び道具を持ったところで生兵法もいいところ。その性能を完全に引き出せやしないのだ。
しかしこの短闘剣であれば、戦術面で行き詰るあたしへの最適解になり得るかもしれない。
相手の軌道を先読みして設置し網を張る。後ろから組み付かれた際に引き抜いて刺す。わざと見えるように発動させて進路を誘導する。単純に投擲し、躱されても雷撃で意表を突ける。
パッと思い付いただけでもこれだけの使用法がある。『兵香槍攘』や『快刀乱魔』と組み合わせれば、とてつもなく戦闘の幅が拡がるな。
「お! あんなとこにぶら下がった鉄板が! 四ヶ郷、ちょっとアレ狙ってみろ!」
棒読みの椿さんが指差す先に、まさしくお誂え向きな的が。
「……──」
いちいちボケを添えるな普通に言えねーのか感謝の念も引っ込むわ!
「まあ、いいですけど」
無視にならない程度にかまってやり、並べられたうちの一本を手に取ってみる。
「ふむふむ……ほうほう」
左右それぞれ逆手と順手で振り回してみても扱いづらい感じはなく手に馴染む。内部に施された仕掛けのためか、小振りのわりにずっしりくるものの不快な重さではなく、むしろ暗器を持っている安心感の方が勝る。投げるなら多少重くないと安定しないしこんなもんよな。
「いよっし!」
刃に反射する照明の光を認めて、的へ向き直る。
現実的な話、これを装備し実戦を迎えたとして、刹那の連続である戦場で有効な使用法を検討し、かつ適切に判断した上で問題なく扱える自信はない。
便利で応用が効いて幅広いのは理解できるけど、選択肢の量に縛られて結局何もできないなんて最悪の状況もないとは言い切れない。椿さんの三文芝居に乗っかるのは癪だけど、せめて投擲して相手の動きを鈍らせるくらいはできるようにしておかないと。
「利き手で投げちゃダメね。獲物を振るいながらサポートで使うものだから」
「わかりました」
縁さんの助言に従い、右手で握っていた短闘剣を左手に持ち替え、約十メートル先に吊るされた鉄板へ狙いを付ける。
「──せいっ!」
心の中で音頭を取って振り投げる。短闘剣は回転しながら緩い弧を描いて鉄板へ。
──カァン!
が、当たったのは生憎と持ち手側で、新品の刃は目標を貫けず落下してしまった。
「ヘタクソだな」「ヘタクソね~」《ヘタクソかよ》
「しょうがないでしょうが初めて投げたんだから!」
背後から失望の念を隠そうともしない呟きがチマチマと。何事も最初からうまくいくわけなかろうがと。
「ここが戦場ならあなたお終いよ?」
「そうならないための練習じゃないですか⁉」
「ならなおのこと、実戦だと思って臨みなさいな」
「練習は本番のように、本番は練習のようにってな」
《せっかく作ってやったんだから役立ててくれよ。……先が思いやられる》
あたしの一挙手一投足に小言炸裂の二人と一匹。短刀一振り刺し損ねただけでここまで責められなくちゃならないとか、息苦しすぎるだろこの職場!
「っていうかあなた、ナイフ投げるなら刃の方持たないと」
「あともっと腰落とせ。突っ立ってるだけじゃ体重が乗らねーよ」
《どうせ投げるならフォームはサブマリン投法でいけ。人間は下から上に移動するものへは視線を追いづらい。野球かじってるなら知ってるだろ?》
こちらの鬱屈に構わず、口々にあーだこーだと捲し立ててくる一同。きっとどの助言もなんだかんだ正しいんだろうし、だからこそ順番に話してほしいのですが……。
「で、これの名前なんてーの?」
《名前だと? んなもんお前たちで勝手に付ければいいだろうが》
などと吐き捨て、トラは興が削がれたとばかりそそくさ去っていく。どうやらダサいと総スカンされたのをまだ根に持っているらしい。
「名前なんて今はいいわ。とにかく練習しましょう」
「ちなみに十投以内で命中率が80%を超えるまで休憩なしだかんな。はいスタート!」
「え~……」
こうして唐突になんの前触れもなく、本日の猛特訓が始まるのだった。
†
キュ、キュ、キュ、ピッ、キュ、キュ、ピッ──
「……っ! ──っ、 うぅ!」
縁さんが『キュ』と丸を描く度胸をなで下ろし、『ピッ』と射線を切る度心臓が軋む。全体的に丸の方が多いから悪い点数ではないはずなのだが、戦場とはまた違う意味で生きた心地がしない。てか回答者の眼の前で採点するか普通?
「終わったわ」
採点を終えたらしい縁さんが、朱入れされた答案用紙を机の上に並べていく。
「ど、どうでしょうか?」
「良くも悪くも中の上ね~」
結果を眺め、縁さんはため息とともに頬杖を突く。
「……で、ですね」
あたしも広げられた答案用紙を見てみる。どの科目も概ね七十点から八十点の辺りを推移している。確かに可ではあるけど優良ではなく、中の上と言われれば……まあそうか。
「いえね、別に全科目満点取りなさいって言ってるわけじゃないのよ? どんな教師も他の先生が作ったテストじゃどうしたって間違えるもの」
どうにも煮え切らない縁さんの発言に、言いようのない不安が背筋を這う。ダメならダメってはっきり言ってくれよ。そもそも悪くないならいいじゃんか。
「でも──」
「──こうも得意科目も苦手科目もねーんじゃ、教える側はおもしろ味に欠けるって話だわな」
後ろから答案用紙を覗き込んでいた椿さんがお小言を引き継ぐ。……なんか身に覚えのある流れだなコレ。
「四ヶ郷さん、あなたって──」「──ズバリ、器用貧乏だよな」
「うぐぅ……っ!」
言葉という名の鋭利な刃が無慈悲にもあたしの心へ突き刺さる。
「部活の助っ人だっけか? どのスポーツも使う筋肉が違うし、ルールだって把握しなきゃならねー。それをキッチリ切り替えられるのは才能だ。生まれ持ったセンスってやつだな」
「あ、ありがとうございます」
「でも試合には出てないから実績は残らない。つまりスポーツ推薦はもらえない。本当に学生時代の自慢話で終わっちゃう特技なのよね~」
「……う、うおぅ」
落とすために上げていたとわかっていたのにこの破壊力。なんなのホント⁉
「広く浅くもここまで極めるとある種の依存症だな」
「技そのものじゃなく対戦相手との駆け引きがうまいっていうのがなおさらね~」
「あぐぅぁ」
怯むあたしに二人は追撃の手を緩めない。
「器用貧乏って読んで字の如く貧乏くじを引きやすい役回りなの。そこに美徳を求める人もいるけど、大抵は大成せずに終わるイメージかな私は」
「おいしいところは全部持っていかれるのに責任だけは押し付けられたりな。お前にはいろいろと叩き込んだし、できればそうなってほしくないんだけどな」
「止めて下さいよもぅ!」
うっすら感じ始めていた予感を連続で的中させられ、つい頭を抱える。
「四ヶ郷さん、これはきっといろんな人に聞かれて、あなた自身も思い悩んでいるのだと思うのだけれど……本当にやりたいこととかないのかしら?」
大真面目な瞳で縁さんは問いかける。茶化しも誤魔化しも効かない真摯な眼差しだ。
「……そ、それは──」
縁さんが前置きしてくれたとおり、図星すぎて二の句が継げない。
将来の夢、大人になったらなりたいもの、進路。
漠然とした願望が成長とともに現実味を帯びていき、いずれ必ずしなければならない人生の選択。多少の前倒しや先送りはできても、逃げることは許されない決断。こればかりは『今は魔界にいるから先のことまで考える余裕がない』という逃げ口上は通用しない。
「高校二年の夏休みは、人によってはすでに進路を決めている時期よ。まだ一年あるって思うかもだけど、就職なら会社見学、進学ならオープンキャンパスや学祭、これが全部夏に始まるの。せめて進学か就職くらいは二年生の間に決めておかないと、結局どちらも詳しい情報や体験は得られなくなっちゃうわ。つまり、実際はあと半年もないの」
「そ、そういうもん、ですか……」
唐突に始まった縁先生の進路指導にひたすら面食らう。大事だけど今する話かコレ?
「あーし的にはとりあえず進学ってのもアリだと思うけどな。焦って決めるのもよくねーし、なんだかんだ大卒の方が就職の幅は広いしよ」
「やっぱ……そういうもん、なんですね」
便乗するように椿先輩。この人は先生って柄じゃない断じてない。
「まあな。神衆島で一番デカい大学ってーと、枩科大学か。そっからサークルにでも入ってみたらどうだ? お前の性格ならどこでもうまくやってけるだろ?」
「は、はあ……」
こっちに来てから考えすらしなかった進路という話題に、実感がまるで湧かない。
「実は……やりたいことがないわけでもないっていうか、あるにはあるんですけど──」
「お! なんだなんだあんじゃねーか! 何やりたいんだ? 笑わねーから言ってみ?」
ささやかな意地で囁くと、椿さんは食い気味に乗り出してくる。
「す、すみません。まだちょっと、自分でもよくわからなくて。あたしの中でまとまったら……ちゃんと話しますんで」
「そうか? じゃあ待つ! でもあんま待たせんなよな?」
気遣いと好奇心がせめぎ合い、どうにか持ち堪えた感じの椿さん。鹿を撃つのは待たなかったクセに、この人も変なところでものわかりがいいよな。
「最終的に決めるのは四ヶ郷さんだから、どんな選択であっても尊重するわ。……でも、とりあえず進学っていうの、私的には感心しないわね」
「な、なんででしょうか?」
どことなく不機嫌が混ざり込んだ縁さんの発言に、ちょいビビる。
「大学生は完全無欠のエリートであるべきってのが先輩の考えだからな」
対してやれやれまたかといった風で椿さんが肩をすくめる。
「大学は就職までの時間稼ぎや遊び時間のためにあるわけじゃないわ。明確な目的のない人がなんとなくで進むような場所じゃない」
「その遊び時間の合間に夢や目標を見付ける奴だっていると思うんすけどねー」
「自分で学費を稼ぐ学生なんてほとんどいないし、奨学金だって卒業してから何年もかかって返済しなきゃいけないのよ? 未来へ負債を先送りにしてまで必要だとは思えないわね」
「極論だなー。誰もが先輩みたいに若いうちから将来の夢に出会えるわけじゃないんすよ?」
「夢を持たないことが悪いなんて言っていないわ。そういう人はズルズルしないでさっさと見切りを付けて社会を回していくべきって話よ」
「そんな隅から隅までギッチギチの人生あーしは嫌だね。息が詰まるっすわ」
「あなたね──っ」
「なんすかぁ?」
「……お、おう」
二人の間で見えない火花が散り、そこに挟まってしまったあたしの図。
常日頃先輩と慕っていても、縁さんが提唱する理念すべてに追従しないのはいかにも椿さんらしい。上下関係はあっても、根っこの部分では対等なのが伝わってくる。……もう少しあたしの心労に配慮してほしいけども。
「進路、か」
この世界で呟くには余りに場違いなその言葉が、暗い洞窟に溶けていく。
縁さんの意見と椿さんの意見。両方を聞いた上でどちらも正しいとあたしは思う。
もし椿さんの言う通り進学を選んで大学に進むとして、学費は高校同様両親に払ってもらわなければならない。大学は四年制──留年など以ての外──、その間に両親が収めてくれた金額に見合う何かを、あたしが得られるのだろうか。という不安がまずある。
であるなら縁さんの言う通りさっさと就職して自立し、両親を安心させた方がいいのではないのか。という想いもあるにはある。
二つの道の間を行ったり来たりでどちらにも傾かないまま、ズルズルと今日に至る。
選び取るだけの決め手は持ち合わせていないクセに、選び取れない理由はわかっている。
あたしに心の底からやりたいこと、人生をかけて目指したいものがないからだ。今のあたしは真ん中に軸が通っていない。だからこんなにもみっともなくブレて、迷い悩んでいる。
「あたしが……やりたい、こと」
さっきは何も考えてないと受け取られるのが悔しくて口走ってしまったけど、あの言葉は嘘ではない。ただ、本当にそれがやりたいのか、空っぽなのが嫌で無理くり当てはめてるだけじゃないのか、確信が持てない。
だからまだ話せない。あたし自身がこの感情を持て余している以上は。こんなまとまりのない気持ちを二人に聞いてもらったところで、ただの愚痴になって終わるだけだから。
二人に伝えるなら『どうすればいいか?』と尋ねるのではなく、『こうしたい!』と胸を張りたい。そのためには我ながら情けないけど、もう少しだけ時間が必要だ。
「とにかく、気持ちの整理がついたら話してみなさいな。内に溜まった疑問を吐き出すだけでも案外スッキリするし、人の意見を聞いて見えてくる現実もあるから」
「昨日のバイクみたいにな」
「……昨日のバイク?」
「どうせなら免許取れよって四ヶ郷と話してたんすよ」
「ああ、それは大賛成ね。乗せてくれる人が増えれば私も助かるし」
先刻の闘論が嘘のように二人の意見が合う。そこは他力本願前提なのかよ……。
†
キュイィィンッ! ギュゥゥンッ! ──ドオオォォンッ!
「熱っつ⁉ ……うぁぁあ!」
大地も空も赤く紅い世界の中、至近を通り過ぎる赤黒い熱線が肌を焼いたかと思えば、前方に三式弾の爆発が乱れ咲いて進路を塞いでくる。
「クソが! どうしてこうなった⁉」
『無駄口叩いてる暇があんのか⁉ 回避に集中しろ!』
椿さんの怒気を孕んだ叫びに己を戒め、敵への怒りを魔力に回し、ひたすら逃げに徹する。
突撃を小刻みに発動して軌道を読ませず、集中を総動員して銃砲撃を躱す。変針する度ちらほら視界に入り込んでくる手近の駆逐艦を睨み付けるのも忘れない。
とにもかくにも敵艦隊の数が多い。
視認できるだけでもすでに十隻以上。『郷愁作戦』において『砂漠の薔薇』が用いた艦隊数をすでに上回っている。高度が低い上に荒れ地の砂が巻き上げられて視界も悪く、未だ全体が把握できないが、見えている艦列が描く弧の具合からして、三十隻はいるとみるべきだろう。
つまり魔鋼艦隊はすでに、トラが念話を妨害できる範囲を超えて展開している。あたしたちの存在は魔人側へ報告され、完全に露見してしまった。
「ふぅ! つぅぅ! やあぁ!」
どれだけ雑念を振り払おうと、どうしても無意識下で後悔が思考で渦を巻く。
縁さんの飛空ユニットが完成し、その試験飛空のために辺鄙もさらに辺鄙なここまで転移してきた。当然ながら敵に見つかるわけにはいかないので、場所選びには慎重を期した。
最高速度の計測と急制動試験に始まり、重りを乗せての負荷実験や旋回半径の確認等を一通り済ませて帰ろうとした矢先、ちょうどいい感じの駆逐艦が一隻、単艦でウロウロしていたのを椿さんが発見した。
『せっかくだしあいつ撃沈してデータ取ろうぜ!』
──という椿さんの提案に乗って突っ込んだまではよかった。
実際襲撃した駆逐艦は回避運動も緩慢で弾幕も少なく、これなら時間をかけずとも沈められると、所詮辺境に割り当てられた型落艦だと、どこかで侮ってしまっていた。
武装と燃焼機関を破壊し、ぼちぼち止めを刺そうとした矢先、周囲の景色が陽炎のように揺らめき、突如として数隻の魔鋼艦が現れ、魔力閃と砲撃の嵐を見舞ってきた。
トラ曰く、あれは不可視迷彩装甲なる機能で、肉眼での目視と魔力による探知、その両方から存在を隠せる優れものなのだとか。使用中は相当魔力を食うらしく、隠密関連での単独運用が基本で、これだけの艦隊すべての船に搭載されているのは想定外だったらしい。やはり魔法少女から送られる上納魔力おかげで、ずいぶんと魔力が潤沢のようだ。
で、待ち構えていた奴らの網にあたしたちはまんまと引っかかってしまったと。
魔鋼兵は命ではない。あえて戦闘力の低い艦を囮に使って敵を誘き寄せるという、魔獣や人間であれば思い付いても即座には実行できない作戦も、奴らは簡単に踏み切れる。だって壊れたらまた新しいのを造ればいいだけなんだから。
『なんつうか……悪ぃーなみんな』
無駄口叩くなと言っておきながらも、椿さんは謝罪してくる。
言い出しっぺだからといって、この事態は椿さんだけの責任ではない。かれこれ二か月近く魔鋼艦にちょっかいをだし続けてきたあたしたちだ。いい加減敵が何かしらの作戦を仕掛けてきても不思議ではないと予想できた。椿さんの提案に深く考えもせず『そうですね!』などと安易に賛同してしまったあたしにも、十二分に落ち度はある。
《ひとまず上がれ! 対空を振り切るんだ!》
『『了解!』』「了、解!」
言われるまでもないトラの指示に『兵香槍攘』の切先を立て、上空へ逃げる。途中雲に出たり入ったりを繰り返し、視覚的に攪乱するのも忘れない。
「くう! うわっぷ!」
もはや恒例となったずぶ濡れになりながら、早く早くと上空を目指す。
『無事か⁉』『なんとかね』「大丈夫です!」
対空の爆発と魔力閃の嵐が治まったところで、各々距離を取ったまま念話にて安否確認。射程外とはいえ固まっていてはいい的だ。
『下に敵艦隊! ずいぶんと大所帯みたいよ!』
縁さんの念話に、今しがた切り抜けてきた方を注目。
すでに砂塵も晴れ、あたしたちを罠にはめた魔鋼艦隊の全貌が見渡せる。
巨大な輪形陣を外円から駆逐艦・軽巡・重巡と配置され、中央には初めてお眼にかかる魔鋼式中型空母が二隻、守られるように鎮座している。
これまで出会ってきた魔鋼艦同様両舷に揚力機関はなく、船尾の燃焼機関より吹き上がる熱が煌々と輝く。中でも眼を見張るのは、ところどころ肉抜きされた側面の装甲と、まるで階段のように幾層も重なった飛空甲板だ。
あたしたちの世界での空母は基本的に空に面している一番上だけが飛空甲板で、下の階層は格納庫兼整備場になっている。
格納庫には飛空機の整備に始まり爆弾や魚雷の装着等々、空母の存在意義と断言しうる工程が集約されているが故に気密性が高い。外の環境にいちいち左右されていては、精密な作業などできるはずもないからだ。
しかしあの魔鋼式空母は、気密性どころか場所によっては壁となる装甲すらない。あれでは速度を上げれば風が強く、高度を上げれば恐怖が込み上げと、利点などどこにもない。
ではなぜあの形なのか? 『使うのが魔鋼兵だから』だろう。もはやお決まりの回答だ。
魔鋼兵であれば風などビクともせず、高度が高かろうが恐怖を憶えたりもしない。その上であの軽装甲であれば、補給は用意だし飛空機の出撃と収容も短時間で済む。
魔鋼兵ならではの設計思想で建造された船をこれまでいろいろな種類見てきたけど、あの船から受けた衝撃は別格だ。てかスゲーカッコいいなあの空母! 敵だけど。
『艦載機が発艦してるぞ。やっぱ簡単には逃がしちゃくれねーか』
考察からの感動も一瞬。スゲーカッコいい空母より黒い粒が続々と空へ吐き出されていく。これまで相手取ってきた子機なんて生易しい代物ではなく、こちらを問答無用で叩き墜とそうとする生粋の戦空機群だ。
こちらはすでに全員が敵砲の射程外へ退避済み。魔力閃型の主砲は魔力の光線を撃ちだす性質上、有視界戦闘であれば射程限界は存在しないが、これだけ距離が離れていれば早々当たりはしない。であれば空母から戦空機を空に上げ、撃墜させる方が確実と踏んだか。
《空戦になるぞ! 腹括れ!》
ただの黒い点にしか見えなかった物体が、接近するにつれより詳細な輪郭を得て向かってくる。あたしたちの世界のそれとより鋭角的で、かつ禍々しさを備えた魔界の戦空機。
あの中に魔鋼兵が乗り込んでいるのか、はたまた戦空機そのものが魔鋼兵なのか、ふとそんな疑問が頭をよぎる。
あの空駆ける魔鋼の群れをすべて叩き墜とさなければ、あたしたちに活路はない。
もたついていれば艦隊も高度を上げ、再び主砲の射程圏に捉えられてしまう。そうなっては完全に詰みだ。なんとしても戦空隊を退けないと!
まずは先鋒と言わんばかりに一編隊五機が迫る。
「くぅ……えぇいっ!」
棒立ちよりはマシと突撃を発動し、敵編隊目指して突貫。こちらも加速し、両者の接近する速度が一挙に倍増する。
パパパ! シュン! シュン! ヒュ! ──ダダダダッ!
「ぅぅ⁉」
機首が煌めいたかと思えば機銃弾が到来し、遅れて銃声が耳を劈く。
「──ぐおおぉぉおお!」
開幕の掃射をやり過ごし、すれ違う。直後に旋回、敵機の後ろを取らんと弧の軌道を描く。すさまじい遠心力が全身を巡る血液を下半身に集中させて意識が飛びかけるも、魔装衣が反応して作用を軽減してくれる。この辺は普通の搭乗服と変わらない。
『郷愁作戦』の時は脇目も振らずに敵本島へ突っ込んだから、あたしにとってはこれが初めての格闘空戦だ。負けられない、絶対に生き残る!
《奴らはオーソドックスな量産型だ! おつむはお前たちほど利口じゃない! つかお前たちのが絶対強いから過度な恐れは無用だ!》
トラお得意の褒めてんのかバカにしてんのか判断に困る言い回しを激励と受け取り、『兵香槍攘』握る手に一層力を籠める。
「ぐぬぅぅ──っ!」
常であれば小刻みにしか使わない突撃の最大出力をほぼずっと使い続けているのに、速度も軌道も敵機と拮抗して状況が動かない。でも生身のこちらは徐々に軋みを上げていく。……知能で勝ってても体力で負けてちゃ意味ないのでは⁉
『敵機撃墜!』
《七時方向から二機接近! 切り刻んでやれ!》
『応よぉ!』
他はどう戦ってるんだとわずかに視線を向けてみると、椿さんとトラたちはいとも容易く敵機の背後に周り込んでは一発ないし二発の銃撃で仕留め、時には近接専用の鎖鋸すら持ち出し、すれ違い様に敵機を真っ二つにしていた。……人間技じゃねー。
『遅いっ』
一方縁さんは、飛空ユニット上で片膝を付き後方より襲いくる敵機の攻撃を、まるで背中に眼がついているかの如く躱している。……あれも人間技じゃねー。
「盟約に従い堕溺せよ──『境界閃』!」
ズキュウウゥゥン!
『一機撃墜』
視線は正面に向けたまま、後方に『境界閃』をかざして光撃を放ち、食らい付く戦空機を一撃で撃墜せしめる。穿たれた敵機は虚しく大地へ向かってきりもみし、然るのち爆散する。
『……南西から新たな敵機七。私が墜とすわ』
撃墜の余韻に浸る暇もなく、縁さんは新たな獲物を求めて飛空ユニットを旋回させる。
戦い方はまるで違えど、互いに競うように敵機を追い詰めていく二人の戦技に感嘆を禁じ得ない。今更も今更だけと化物かあの人たち⁉ いや、間違いなく化物か。
「くっそぅ! あたしだってぇぇ!」
二人の戦姿に当てられ、闘争心が高まっていく。あんな戦技、今のあたしには逆立ちしたってできないけど、これでも魔女の端くれ、意地でも食らい付いてみせるっての!
身を強張らせていた恐怖が次第に薄れ、敵機の数と位置、速度と軌道等が目まぐるしく移り変わる戦場の情報が波となって脳内に押し寄せる。この戦闘を生き残るため、あたしを縛るあらゆる無駄が削ぎ落されていく。懐かしいなこの感覚!
遠心力・強風・詰まる呼吸。度重なる苦境を耐えに耐え、敵機のお尻が見えてくる。このまま追い付いて八つ裂きにしてやる。
「ふえぇ⁉」
もう少しもう少しと自らに言い聞かせていると、敵機は突如として旋回を止め、気が変わったと言わんばかりの急上昇に転じる。機械のクセにあまのじゃく過ぎるだろ⁉
「んだよ、こんの──っ」
すかさずこちらも『兵香槍攘』の切先を上空へ向け、追撃を試みる。燃焼機関の煤煙と熱風を避けるために軸線をずらし、再度の接近を狙う。しかしあちらも機関の出力を上げているらしく、差は開く一方だ。
これは一度離脱して仕切り直すかと考え始めた矢先、敵機の燃焼機関の火が弱まり一気に減速。そのまま重力に従い機首を反転し、あろうことかこちらへ向かってきた。
「は! 上等だ!」
どうやら敵機は正面からの一騎打ちをご所望の様子。機械のクセにカッコつけやがる!
「『快刀乱魔』!」
近接戦に備えて一槍一刀の構えを取る。『兵香槍攘』を両手で握れなくなるため姿勢がいまいち安定しないけど、やらなきゃやられる以上やるしかない!
キュンッ! キィ! ビシィ!
突撃によって形成された円錐状の障壁が、あたしを終わりへと誘う銃弾を弾く。浮かび上がっている紋様も掻き乱されてぐちゃぐちゃになるも、この程度で破れるほどヤワではない。
障壁に余計な負荷がかかればその分魔力消費もかさむとわかっていても、ここで回避を選べば再び背後に回り込まれ、ハチの巣は避けられない。
機銃を撃ちながら高速で接近する敵機と交わる一点の刹那──
「ここだぁ!」
ギィィンッ!
すれ違い様、『快刀乱魔』の刃を外側に立て、敵機の翼を斬る。
接触した衝撃と確かな手応えに振り向くと、敵機は左翼が中ほどから喪失し、姿勢を立て直すこともままならず散華。数多の破片となって地表に降り注ぐ。
「よし!」
自分だけの力で掴み取った戦果に身体中を歓喜が駆け巡る。椿さんのように真ん中からキレイに真っ二つとまではいかなかったものの、撃墜は撃墜だ。互いが高速であるほど刃を立てた際の切れ味も跳ね上がる。まずは狙い通りいってよかった。
「いける! ……いける!」
どうやらこの状況でもうまく自身の狂気を引き出せているらしい。機械相手の戦闘にもようやく慣れてきたって感じか。
「冷静に、確実に」
心身ともに沸き立つ自らに釘を刺し、改めて戦場を見やる。
ここで調子に乗って足元をすくわれてしまうのがこれまでのあたしだ。一つひとつ積み上げた成功も、一つの失敗で台無しになる。だからこそ冷静にたぎり、激情を確実に燃え上がらせ続けねばならない。
ダダダダッ! キィンッ!
「うぅ⁉ しまっ──」
とか言い聞かせているそばから、雲に隠れて接近してきた敵機の銃撃により、『兵香槍攘』を取り落としてしまう。
「くぅ!」
落下の不快感に晒されつつ『兵香槍攘』実体化を解除し、喪失状態を回避。あのままなくしてしまっては再び呼びだせるようになるまで時間がかかりすぎてしまう。
「クソ! なんであたしはいつも!」
戒めた途端の失敗に、椿さん怒り顔と縁さんの呆れ顔が脳裏に浮かび上がる。命の危険に際して真っ先に出てくるのがあの二人ってあたしもよっぽどだな。
新たに現れた敵機は、魔界の引力に引かれ絶賛落下中のあたしへ一直線に急降下してくる。どうやら機銃で挽肉にするのではなく、翼で切り裂くつもりのようだ。ただ墜っこちてるだけの相手に弾撃っても無駄だと判断したか。機械のクセに倹約家なこった。でも──
「ただでは墜ちないんだよ! ふんぬっ!」
身体を無理くり捻って向きを変え、『快刀乱魔』を戦空機に刺して組み付く。突如として加わる推力に腕が千切れそうになるも、魔装衣が強度を補強してくれてことなきを得る。
「うあぁぁ⁉ ひぃ⁉ あ゙あ゙──」
回転、旋回、逆宙返りと、戦空機はしがみつくあたしを振り落とそうと揺さぶってくる。あたしより先に搭乗員が失神してしまいそうな変態軌道だが、そこは魔鋼兵以下略。
内臓が一つになるんじゃないかと思えるほどの不快感に耐えて搭乗席を覗いてみると、座席はあっても魔鋼兵が乗っていなかった。つまりこいつは、魔人用の戦空機に魔鋼兵の機構だけ走らせて運用してるってわけか。
「っ! そうか──」
こういう時こそと思い出し、左足に装備しておいた『臨機桜変』。を引き抜く。
「ふん!」
ガキィ!
逆手に握りしめた『臨機桜変』を戦空機の装甲の継ぎ目に突き刺す。さらに捻りを加えて抉り、刀身が隠れるまで食い込ませる。
「く、ら、えぇぃい!」
バチィン!
魔力を込めた直後、『臨機桜変』から電撃が迸り、患部から敵機全体へ波及。機体全体に血潮のように輝いていた赤黒い光が不規則に明滅し、プツンと消える。
戦空機の機能停止に伴い、強烈な加速も止まる。魔鋼兵が戦空機を操縦していたらどうなるか微妙だったけど、戦空機そのものが魔鋼兵ならと思い立ち、どうにか対処できた。
しばらくは惰性で上昇していた戦空機だが、次第に慣性の均衡が釣り合い空中で一瞬だけ停止し、今度は重力に引かれて落下していく。
「そんじゃまあ、一応ね!」
息を吹き返されては困るので、墜ち様に搭乗席の操作計をあらかた破壊してからそそくさと飛び降りる。敵機はそのままヒラヒラと落ちていき、やがて眼下の雲層に消える。辛勝になってしまったが勝ちは勝ち、二機目の撃墜だ。
「はは! あんたやるね!」
落下の恐怖に晒される中、左手に収まっている本日より加わった新しい仲間に賛辞を。
名無しの短闘剣改め『臨機桜変』。どうやらこいつの電撃が敵さんの魔力運用を阻害するって触れ込みは本物らしい。一度お世話になってしまったが最後、もう手放せる気がしないぜ。
場違いにも安堵しているあたし対し、五機からなる新たな編隊が調子に乗るなと言わんばかりに上がってきた。
「やっべ! 『兵香槍攘』!」
折を見て槍の方の相棒を再度呼び出し、空を取り戻す。
「ひとまずはっと!」
一度にあれはいくらなんでも無理だろと、高度を犠牲に速度を上げて逃げを打つ。狂気がこの身を巡っていながらもそれに飲まれず、引き際を見極められる自分に少しだけ安堵。
ダダダダッ! ガガガガッ! ダダダダッ!
あたしたちの世界の定石に寄らず、編隊各機は飛空軌道をずらし、全機で銃撃を見舞ってくる。強烈な擦過音と閃光弾の嵐が襲いかかる。
「ふひ、くひひ……っ!」
どれか一発でも当たればお終いだというのに、喉からは笑いが込み上げ、抑えきれない狂気が漏れては全身が疼き、みるみるうちにあらゆる感覚が研ぎ澄まされていく。
「なら、こういうのもアリなんじゃ、ないの!」
千切れ雲に入ったところで『臨機桜変』を敵機編隊が迫る後ろへ放り投げ──
「いけ!」
バチィィンッ!
距離を見計らって空中で起爆させてやると、電撃は雲の水蒸気を伝って広範囲に浸透し、付近にいた敵編隊全機が一斉に動きを鈍らせる。手放せる気がしないからの速攻投擲は我ながら薄情だと思うが、実体化させていないのがまだ複数本あるので問題ないってことで。
「はは! おっそいおっそい!」
範囲を広げた影響で威力が減衰したためどの戦空機も機能停止には至っていないものの、先ほどまでの眼を見張る高速は半分程度にまで落ちている。
この隙を逃さず『兵香槍攘』と『快刀乱魔』を連結。二本の魔兵装を一挺の鎌へと様変わらせ、すぐさま取って返す。
「そぉらぁぁ!」
続けざまに三機の翼を斬り割いて奴らの空を奪う。その惨劇を認め、取りこぼした二機が不利とみて旋回、離脱していく。しかし肝心の速度は電撃の余韻が抜け切れておらず鈍足。こうなってしまえば子供のかけっこも同然だ。
「逃がさねーんだよぉ!」
迷わず追撃し、一機は下方から突撃にて突き上げて胴体をひしゃげさせる。
「お前もなぁ!」
最後の一機はお土産とばかり、鎌を振り下ろすと同時に『快刀乱魔』を分離、高速で回転したまま搭乗席へグサリと突き刺さる。
「そんじゃね」
突撃で死に体の敵機を追い抜きがてら『快刀乱魔』を回収すると、向こうも力尽きたように高度を落としていき、黒煙を吹きながら一直線に落下していく。
『やるじゃねーか四ヶ郷!』
『魔兵装を落とした時は落第にしようかと思ったけれど、よく持ち直したわね』
「ら、楽勝です……よ」
どうやら知らないうちに別の死線も潜り抜けていたらしいあたし。やはりあの時浮かんだ二人の顔は間違いではなかった。
『敵さん退き始めたみたいだぜ。案外早かったな』
『こっちも全部片付けたわ。飛んでいても所詮は魔鋼兵ね』
二人の威勢に慄いたわけではないだろうが、あれだけ果敢に攻めてきた戦空機の群れが、どこかやる気をなくしたようにそそくさと退いていく。
出撃した数に対して、墜とされた数が許容値を越えたのだろう。感情に寄らず数字できっちりかっちりやってくれるのは、あたしたちには中々できない美徳ではある。
《戦空機は去った。雲の中で一端合流だ!》
「『了解』」
椿さんにひっ付いているトラより招集がかかり、雲を掻き分けるようにして集結する。
「おう、四ヶ郷! ご苦労さん!」
「無事みたいで何よりよ」
今となってはいつもの流れだが、先日一悶着あったあととは思えないほどいつも通りに二人が出迎えてくれる。
「……お疲れ様です」
悠々と飛空ユニットに佇む縁さんは汗一滴掻いた様子はなく、魔装衣にも汚れ一つ見当たらない。椿さんと『闘奔勢走』も同様に被弾は皆無。硝煙で多少黒ずんでこそいるが、戦闘前と同じく傷一つない。
汚れや傷がないということは、それだけ動きに無駄がなく効率的であったことを意味する。戦い方は無論として、細かい部分でも超えきれない練度の壁を痛感する。
対するあたしの魔装衣は雲で濡れては風で乾きさらに汗が混ざりでぐちゃぐちゃ。一段落付してしまったせいで気持ちが悪くて仕方がない。
「見たか鉄屑人形ども! あーしらは最強だ!」
雲の向こうにいる艦隊に椿さんが勝ち誇ったように吠える。序盤の不利をひっくり返して苦境を脱したのだ。雄叫びの一つも上げたくなるわな。
かく言うあたしも、椿さんの行いをとやかく言えないくらいには気分が高揚している。
今回の空戦であたしの撃墜は七機。第三次天空大戦時のものさしでは五機撃墜で撃墜王なので、一度の空戦で七機撃墜は超が付く凄腕搭乗員だ。もはや軍神じゃね?
「ちなみにあーしは二十三機撃墜しましたけど、先輩は?」
「確実が十六機。不確実が七機って感じかしら」
「お、おう……」
──という歓喜も束の間、部隊の総撃墜数で見れば戦果の大半は椿さんと縁さんによってもたらされたもの。あたしの持ち分など二人に遠く及んでいなかった。
「そうしょげるなって四ヶ郷」
「初空戦で七機撃墜は立派よ」
《明日の百機撃墜につながる貴重な経験だ。粛々と受け止めるんだな》
静かにヘコむあたしへ寄せられる励ましの数々。
「ど……どうも、です」
持てるすべてを引っ張り出して戦ったところで、すでに軍神なこの人らには及ぶべくもなかったか。
「はあ……帰りましょうか?」
「そっすね。悔しいっすけど、これも生きてる証拠ってやつか」
《常勝なんかそう易々とできてたまるか。今死ななきゃそれでいい》
口々に無念を零し、みんなは戦場に背を向ける。
「……──」
あたしも黙ってそのあとに続く。
不意を突かれたのも悔しいし、まだやれるという気持ちもある。しかし引き際の重要さも痛いほど理解している。後塵を拝しこそしたが、今日はあたしなりの意地も示せた。生きているだけで丸儲けと思い、ひとまずはよしとするべき局面のはず──
「あいつら、沈めませんか?」
「「《……は?》」」
自然と口を付いたあたしの言葉に、みな一様にキョトンとした顔で振り返る。
「いや……四ヶ郷、アドレナリンドバドバでハイになってんのはわかるけどよ」
「小勢ならそれもできたけれど、今日は敵艦の数が多すぎるわ」
《勇敢と蛮勇を履き違えるな、つないだ命を次に活かせ》
即反対多数で却下されるあたしの意見。まあ、ごもっともな反応だよ。
「……いやあの、無策なわけじゃなくてですね──」
「あのなー四ヶ郷よ。やられっぱなしで腹立つのはあーしらも一緒さ」
「……いやだから、とりあえず話を──」
「ここで無理したってしょうがねんだし、帰ろうぜ」
「……いやですから──」
「あん? ったく、聞き分けない奴だな」《これ以上は俺たちでも──》
「あ゙あ゙あ゙あ゙、うるっせぇ‼」
「う! ……なんだよ急に」
「急じゃねーよ考えがあるって言ってんだろてか人の話は最後まで聞けよ!」
「……あ゙あ゙⁉ んだとテメェ!」《小娘が調子に乗るな!》
いい加減カチンきて声を荒げると、椿さんとトラもいい感じにブチキレる。
「はいはいストップ~」
空中で器用に取っ組み合いかと身を乗りだすと、あたしと椿さんの間に素早く手が差し込まれ、縁さんが割り込む。
「話してみなさい、四ヶ郷さん」
「ちょっ、先輩⁉」《正気かお前⁉》
縁さんが淡々と促してくれる中、あたしに向いていた怒気もそちらへ流れる。
「頭ごなしはよくないわ。あなたたちだって身に覚えがあるでしょ?」
「《っ! ……──》」
縁さんの一声に、何やら本当に身に覚えがあるらしい一人と一匹が一挙に沈黙。
「まったくあなたたちは……その性分のせいで散々苦労してきた口でしょ? なんで下の子に同じことするかなー。ちょっとは学習してよー」
「す、すみません……っす」《……悪かった》
縁さんの追い打ちは止まらず、椿さんとトラは縮こまった身体をさらに小さくさせる。
「ん」
利かん坊が大人しくなった頃合いで、縁さんはあたしに顎をしゃくる。どうやら話を聞いてくれるようだ。
「えっと……まずあたしが囮になって、敵艦隊が密集するようにけしかけます。二人は連結して、艦隊に向けて高圧縮魔力閃を放って下さい。そうしたらあたしが突撃で障壁を張って、魔力閃を拡散させてみせます!」
「ふむふむ、無茶だけどおもしろい作戦ね。まったく誰に似たのかしらねぇ?」
一息に説明すると、縁さんは顎に手を当てながら呟き、隣で渋面を作っている椿さんをチラリと一瞥する。
「それであの……どうでしょうか?」
「まずあなたが本当に艦隊の陣形を崩せるのか怪しいのが一つと、『兵香槍攘』の突撃が私たちの高圧縮魔力閃に耐えられるかも未知数ね。あと障壁をこっちに向けるってことは魔力閃を拡散している間は艦隊の砲火に無防備になるわけだけどその辺わかってる? とにかく不確定要素が多すぎるのよ。リスクとリターンが釣り合ってないわね」
「で、ですよね!」
案の定ボロカスに言われ倒される。実際思いつきだし粗だらけなのは仕方がない。
「まあ、そもそもぶっつけ本番だから確実な項目なんて何一つとしてないわけだけれど」
それでもやりたいのよね? と、縁さんは単調ながらも厳しい指摘で念を押す。
「やらせて下さい。あたしの命、みんなに預けます!」
「いらないわよ一つしかないんだから大事にしなさいな」
露骨に嫌な顔をして、縁さんはしっしと手を払う。精神論や感情論に何がなんでも流されまいとするこの人の姿勢には絶対の安心感があるぜ。
「じゃあ、やってみるとしましょうか。あ、艦隊に突っ込んで引き付けるのはダメね。私たちが少し姿見せるだけでも釣れるし、今日は一矢報いられればいいわ。ここは譲れません」
「わかりました。それでお願いします」
「よろしい。……聞いての通りよ。いいわね?」
「いや、やれっていうならやりますけど──」《本気でうまくいくと思ってるのか?》
やはりすんなりと頷いてはくれない椿さんとトラ。
「ダメならダメで逃げればいい話じゃない。せっかく教え子がやる気になってるのに水を差す先生がありますか。イエスマンだけじゃ組織は回らないのよ?」
椿さんたちのもっともな懸念を、縁さんはのらりくらりと躱す。その姿はどこか詩乃を煙に巻く唯姉さんを彷彿とさせる。仲間を言い包める舌回りは年長者の必須事項というわけか。
「おい、四ヶ郷」
「は、はい」
「ビビッてやっぱなしっつっても文句は言わねーぞ? 一番危険なのはお前なんだ」
声を低くして椿さんが念を押してくる。お互い感情的になってしまったばかりなのに、それでもあたしの身を案じてくれるのが不思議と嬉しい。
「そりゃあ、怖くないわけないですけど……ここで逃げたら魔女が廃ります!」
「は! 半人前がナマ抜かしやがる」
「どっかのバイク乗りから移ったんじゃないですかね?」
「そうかよ。そら難儀なこったな」
椿さんは嬉しそうに呟き、口の端を吊り上げる。
「よし! いっちょやってみるか! お前の命、あーしらが預かった!」
「だからやめてそういうの私は預からないからね絶対に」
腹を決めて拳を打ち合わす椿さんと、隣でブレない縁さんの図。頼もしすぎる。
「とりあえず私たちは上昇するから、四ヶ郷さんも突撃の準備お願いね」
「はい、お願いします」
「へ? これより上がったら空気薄くなるっすよ?」
「そんなの魔力でどうにかすればいいじゃない。あなた砲撃形態の間は飛べないんだから、シークエンスも見越して高度稼いでおかないとダメでしょ」
「……なるほど。んじゃ行きましょう」
椿さんが短く納得し、二人は上昇してさらに空の彼方へ。
《視覚共有に各自の位置と魔力充填率を同期した。互いを狙ってぶっ放せ!》
トラが念話にて告げると、空高くに黒く囲われた人型の輪郭が二つ浮かび上がる。ここから見える大きさから、結構高いところにいるのがわかる。なんか喋らないと思ったらあの猫、こんないい仕事してたのか。
多少揉めようが方針さえ決まればみなまで言わずとも各々が役割を把握して動ける。
築き上げた関係がもろに出るから誰とでもできる仕事じゃないけど、だからそこハマった時の心地よさは最高の一言に尽きる。なんだってやってやれるという全能感を仲間たちと共有できている一体感が強張る肉体をほぐし、思考を前向きにさせてくれる。
だから恐怖はあっても不安はない。あたしならできると、あの人たちならやってくれると、無条件に信じられるから。
椿さんたちはあたしを狙って高圧縮魔力閃を放ち、あたしは椿さんたちに向かって突撃を発動させて突っ込む。ここだけ聞かされたら仲間同士がやる作戦とは思えないな。
『魔力充填開始』『さ、さすがに重量オーバーね……』
二人の報告とともに、輪郭横にあった魔力の数値が急速に上がり始める。
縁さんの苦悶を察するに、砲撃形態の『闘奔勢走』を飛空ユニットに乗せ、最大出力でギリギリ支えているのだろう。空中では『闘奔勢走』を固定できないため、高圧縮魔力閃発射時は縁さんが飛空ユニットで後ろから支えなければない。計らずもいい過負荷試験になったな。
『充填完了まで十秒!』『四ヶ郷さん!』
「了解です!」
魔力閃と突撃をぶつける都合上、あたしと椿さんたちは今以上に距離を開けておかなければならない。魔力閃発射直前に突撃を発動しては、不測の事態に対処できないからだ。何よりあたしの姿を確認させて艦隊を引き付ける意味でも、一次的に雲から出る必要がある。
「──~~⁉」
雲層を抜けて姿を現すと同時、この場にいるすべての存在からの視線が集まるような威圧感に全身の毛が逆立つ。速い話がめっちゃ見られてる感じがして実に気持ちが悪い。
その返事とばかり、眼下に展開しているほとんどの艦がチカチカと瞬く。魔力閃式の砲塔をあたし目がけて発射したのだ。しかしどれもが至近弾止まりで回避するほどのものではない。あの距離ではさすがの魔鋼兵といえど簡単には狙い撃てないようだ。
『魔力充填完了! 四ヶ郷、上がれ!』
「はい!」
椿さんの景気のいい合図に、こちらも気合を込めて突撃を発動させ、今しがた落ちてきた空の道を一気に駆け昇る。
「いいか! 消し飛ばすけどお前は消し飛ぶなよぉ‼」
ギュィィイイィィン‼
椿さんの難しい注文とともに、怪音を伴った二条の魔力閃が周囲の雲をも消し飛ばしてあたしへ向かってくる。
──ドォオォォ‼
「うおああぁぁ──⁉」
接触と同時、強烈な閃光とともに前方へ進む感覚が霧散する。突撃の真骨頂である前進する力を、『闘奔勢走』の高圧縮魔力閃が真正面から抑え込んで静止させているのだ。
眼をきつく瞑っても瞼から赤黒い光が突き刺し、『兵香槍攘』もガタガタと安定しない。これでは拡散させるどころかあたしが蒸発しないようにするので精一杯だ。
当然といえば当然だ。これだけ強力で高純度の魔力閃に狙われたら、一も二もなくまず避ける。こんなの受けようとか思うの全異世界中でもあたしくらいなもんだぜ!
『障壁の角度絞れ! 外側だけで真下に当たってねぇぞ!』
「……くううぅぅ‼」
魔力閃の中から抜け出したい生物的衝動とも戦う中、微かに聞こえた椿さんの指示を受け、魔力を操作して障壁の円錐形状をより細長く鋭利に調整する。
突撃の障壁越しとはいえ、形状を変えた影響で拡散中の魔力閃との距離が近くなり、全身が焼けるように熱い。……っていうか絶対焼けてる!
「こんの──クソがぁぁああっ!」
だとしても決して逃げは打たない。
眩しいし熱いし怖いし下を見る余裕さえないけど、椿さんがそう言ってくるからには、あたしの行動は的外れではない。とにかくみんなを信じ、己の役割を全うするのみ!
『いいぞ、もう少し耐えろ!』
簡単に言ってくれるぜあの胡麻プリン頭!
心の中だけで悪態をつき、最後の力を振り絞る。椿さんの発言に違わず、魔力閃はほどなくして威力の減衰が始まり、十秒ほどかけて収まっていった。
「はあ……はあ……終わっ──た」
「四ヶ郷さん!」
精も魂も尽き果てて落ちるあたしを、縁さんが急降下で抱き抱えてくれる。
「大丈夫⁉ どこも怪我してない?」
「……すみません、力入んなくって」
なすがままされるがままの中、どうにかそれだけ返す。
「よくやったわ。……見てみなさい。これ、全部私たちがやったのよ」
促されるまま下を見ると、景色が一変していた。
蛇がのたうったような跡がいくつも地形を無視して拡がり、紅い魔界の大地を黒く焼き砕いている。ところどころに爆発を伴う火の玉が燃え盛っているのは、拡散した魔力閃の直撃を受けて沈んだ魔鋼艦たちだ。どれもが大部分が爆ぜ飛び千切れ裂けと、惨憺たる有様だ。
濛々と立ち昇る煤煙を避け、卓越した舵捌き、あるいは強運により難を逃れた魔鋼艦が五隻ほど、脇目もふらずに逃げ去っていく。艦種はすべて駆逐艦であり、図体が大きくて舵の効きが遅い空母や巡洋艦はすべて撃沈せしめたようだ。
一矢報いるどころか、一発逆転で魔鋼艦隊を撃滅させてしまった。取りにいく戦果に見合うだけの危険はあったとはいえ、ここまでうまくいくとは。
「さあ、今度こそ帰りましょう」
してやったりといった表情を浮かべている縁さんに、あたしも似たような顔をし、今度こそ頷いた。
「うう──んん?」
微睡からゆっくりと意識を取り戻す。
顔を上げると書きかけの白板が眼に入り、視線を手元に移すと板書途中のノート。書かれている内容は読み進めていくほど文字がのたくり、最後の一筆はあらぬ方へ進んで消えている。どうやらそこで睡魔に抗いきれず寝入ってしまったらしい。
「⁉ やっべ!」
そこまで考えて、自身が授業中だったと思い至り、がばりと跳ね起きる。
「んあ?」
肩にふわりと温かな感触を覚えて手を回すと、背中に毛布が掛けられていた。
「え? ……え?」
恐る恐る室内を見回すも、先生たる縁さんの姿はない。
これまでも戦闘帰りの疲れ切っている状態で授業を再開し、どうしても疲労に耐え切れずウトウトしてしまう機会が多々あった。
しかし縁さんはいかなる例外も許さず、あの手この手であたしを叩き起こしてきた。
頬をつねられたままの持ち上げに始まり、椅子を引っこ抜かれ、耳元に水を垂らされ、椿さんを引っ張ってきて『闘奔勢走』をブォンブォン吹かしてきたりもされた。
この多彩極まる折檻の何が恐いって、全部無表情でやってくるのがとにかく恐い。怒るなり落胆するなりしてくれればこちらもやりようはあるのに、何考えてるかまったくわからないのが謎で不安しか湧いてこない。あたしだって好きで眠たいわけじゃないのに理不尽な話さ。
それが一転なんだこの放置? ……まさかあたしに愛想尽かして出て行ってないよな?
♪~、♪♪~。
寝ぼけ眼も手伝い混乱していると、どこからか音楽が聴こえる。耳を澄ませてみると、音源は外からのようだ。二人して晩酌でもしているのだろうか?
「ど、とうしよ?」
毛布まで掛けてくれたぐらいだから怒ってはいないはずだけど、ここで何事もなく輪の中へ入るのは躊躇われる。なんならいっそもう一度寝てしまうのも手か?
「……しゃーない」
持ち前の性分がそうさせるのか、起きたからには顔は出さねばと腹を決めて外へ。
「お! 我らが英雄様のお目覚めだ」
「よく眠れたかしら?」
光量の落とされた照明に照らされ、二人は炭火を囲っていた。相変わらず会話に混ざらないクセに蚊帳の外は嫌なようで、トラも端っこで丸まっている。
「さあさあ、ぼけっとしてないで座りなさい」
「は、はい」
縁さんに導かれるまま腰を降ろすと、車座からはコーヒーの香りがした。どうやらお酒は飲んでいないらしいと少しだけ安堵。
「……すみません。授業中なのに寝ちゃって」
「あなたが私の授業で寝た最初の生徒だって、一生忘れないわ」
「マンツーマンって何気に辛いよな~。面と向かってるからサボりようがねーし」
二人は居眠りを咎めるでもなく、どことなくまったりした雰囲気で迎えてくれる。こうも好意的だと何かしらの企みがありそうで逆に怖い。
「何か飲む?」
「えっと、緑茶を」
聞かれるがままに答えると、縁さんは炭火にかけていたやかんをカップに注ぎ、お茶を用意してくれた。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
コツンとカップを打ち合わせ、ふぅふぅしてからずずっと一口。懐かしい渋みとほどよい熱さが、起き抜けのしゃっきりしない心持ちを引き締める。
「今日はよくやったわね、四ヶ郷さん」
「へ⁉」
喉を通る温かさにホッとしていると、縁さんは静かに優しく囁いた。
「あ、はい……ありがとう、ございます」
こっちに来て初めて食事関係以外で褒められた、気がする。
授業・訓練・実戦・日常において、斬られ叩かれ殴られ蹴られ怒鳴られと、今振り返っても碌な目にあってないもんな。
二人とてあたしが死なないように厳しくしていたのはわかるし、自分たちが生き残る確率を上げようと必死だったのもわかる。……だとしてももうちょっとどうにかできなかったのかよ? と、叫びたい気持ちもあったりなかったり。
「でも、結局あたしたちのことばれちゃいましたし、よくはないですよね」
今回の戦闘において、あたしたちの存在はついに魔界側の知るところとなってしまった。
迫る艦隊は首尾よく退けたものの、これからは辺境各地でも本格的な魔女狩りが始まってしまう。もはやこのアジトにだって、いつ魔鋼兵が攻め込んできてもおかしくはない。
唯一の救いは、あの場所へは転移紋を乗り継いでやってきたため、アジトからかなり遠方にあったぐらいか。それとて数にものをいわせて捜索されれば時間の問題ではあるけど。
「そうとも限らないわ」
あたしの弱気発言を、縁さんはぴしゃりと否定する。
「拡散魔力閃を成功させたおかげで、奴らに私たちを迂闊に手出しすれば火傷程度じゃ済まない相手だと知らしめられた。あの戦場で手繰り寄せた勝利は、とても価値のあるものよ」
えらく前向きに評価してくれてるとこ悪いのだが、あの時はただ『何くそこのままで終わらせるか‼』って感情に流されるままだったし、ぶっちゃけ深い意味はないんだよな。
「接頭に魔を頂く者は、時に常識や最適解だけでは推し量れない判断を下すスキルが求められる。あなたにはそれがあるみたいで羨ましいわ」
「ど、どうも……です」
いつになく褒めちぎるな。あとで裏に連れてかれてボコボコにされたりしないよな?
「だからっていつでもテメェの意見が通るわけじゃねーからな?」
まったり空気に活を入れる椿さんの横槍に、そうそうこれだよこれ! と、なぜだか心が沸き立つ。……あたしの感覚は一体どうなってしまったのか。
「確かに今回はお前の機転がうまいこといった。さすがは初代魔女だ。だけど今日はたまたま運がよかっただけだ。ダメだと思ったら素直に退け。あーしらは最強でも、無敵なわけじゃねーんだ。ヘマしたあーしが言うのもなんだが、色気だすのもほどほどにしとけ」
「はい、わかってます。あたしも負け知らずってわけじゃないんで」
「わかってんならいい」
椿さんはお小言もそこそこにカップを口に運ぶ。
「乱暴な物言いだけれど、椿は間違っていないわ。あなたにもしものことがあったら、私たちは切腹してもあなたのご両親にお詫びしきれないんだから」
「んな大袈裟な」
縁さんの台詞に思わず苦笑してしまう。
簡単に説明できない経緯ではあるけど、あたしがここにいるのは自身がした選択の結果であるのは疑いない。感謝こそすれ、縁さんたちが気負う必要なんて一つとしてない。
「大袈裟なもんですか。大切な娘さんを預かっている以上、私たちにも責任があるのよ。例え偶発的な事情であってもね」
「それが大人ってこったな」
「……そういう、もんですか」
一個上の唯姉さんにすら人として越えられない壁を感じているあたしだ。四・三個上で、しかも成人している人に言い切られてしまっては、未成年の身として返す言葉もない。
「そ、そういえばレコード、いつもと違いますね」
なんとなく居づらくなってしまい、わざとらしさを自覚しつつ話題を変える。
「あーしだってたまにはこういうのが聞きたくなる時もある」
蓄音器から流れる音楽は、陽気で騒がしいジャズやポップスばかり掛けたがる椿さんには珍しく、しっとりとしたバラードだった。
蓄音器など今日日暁でも骨董品扱いだというのに、椿さんはこの妙に色褪せた音色がお気に入りらしく、一緒に持ち込まれた大量のレコードは『闘奔勢走』の整備中や食後のひと時等々、緊急でない時にはほとんど流されている。
最近の曲はさすがにCDだけど、異文化交流の一環と称して不朽の名作や伝統芸能辺りの有名どころはあらかた聴かせてもらった。異国の言葉で綴られた歌詞はまったくもってわからないけど、普段聴く音楽とは対極的な新鮮さで、いくら聴いても飽きがこない。
この間の鹿じゃないけど、これからメルーピアルの楽曲に触れる度、あたしはここでの日々を思い出すだろう。それだけ強い印象を、この蓄音器はあたしの心に届けてくれている。
「……ふう」
音色が、歌声が、心身に染み込んでくる。
朝風に揺れる稲穂。昼時の賑わう商店街。他愛もないバカ話。屋上から見下ろす校庭。夕方でほの暗くなった路地裏の水路。重たい桜華鍋を振って作った夕飯。
異国の言葉で、しかも初めて聴く曲だというのに、なぜだかやたらと地元の風景やみんなとの日々が思い起こされる。
「あ、アレ……?」
気が付くと、涙が頬を伝っていた。慌てて袖で擦り、溢れそうになった感情を抑える。
「どしたどしたー?」
「なんか、地元思い出しちゃって。最近はそこまで考えなくなってたんですけど──」
「「……ぷっ」」
衝動のまま弱音を吐くと、二人はしばし顔を見合わせて吹きだした。
「……なんですか?」
「いや、わりーわりー」
「バカにしているわけじゃないのよ?」
笑い声を交え釈明する二人。どう考えてもバカにしているようにしか見えないが?
「この曲はね、戦地の恋人に早く会いたいと願う女性の歌なのよ」
「へ、へぇー……そうなん、ですか」
「ええ、あまりに的を射ているからおかしくて。笑ってごめんなさいね」
縁さんの解説を受け、改めてバラードに耳を澄ます。
バイオリンが奏でるしっとりとした音色はどこかもの悲しい。歌声も同じく耐え忍ぶような悲痛さが伝わり、言葉はわからなくても想いが聴こえてくる。
あなたは今、どこにいるの? 手紙を書く。会いたい。私はいつでも待っている。早く会いたい。抱きしめたい。あなたを──
「──ううっ。ひ、ぐ……うう! あ、ぁぁ」
しばらくその意味を噛みしめていると、両眼に溜まった涙は、ダムが決壊したかのように溢れ出した。いくら拭っても収まる気配はなく、瞬く間に袖がびょびしょになる。諦めて膝の間に顔を埋めると、今度はぽたりぽたりと地面の石ころを濡らしていく。
向こうでの日々を思い起こす度、この世界を生き抜かなきゃ帰れないと言い聞かせてきた。その溜まり溜まった想いが異国の音楽を引き金にして、一気に弾けてしまった。
「帰りたい?」
「はい……っ! 帰りたい、です」
即答。当たり前だ。あっちの世界で魔孔に吸い込まれてからずっと、あたしは帰りたいと願い続けている。日中に思い出さないだけで、夢の中ではほぼ連日あの町にいるのだから。
「あーしだって帰りてーよ。今すぐにでもな」
「来る前に覚悟はしていたはずなのに、やっぱりなっちゃうわよねー、ホームシック」
泣いてこそいないが、二人の胸中にも里心が根付いているみたいだ。
《……お前たちの働きには感謝している》
片隅で沈黙していた猫が、申し訳なさそうに言葉を絞りだす。
《お前たちの功に報いたい気持ちはある。できればすぐにでも国元に返してやりたい。……やりたいが、そういうわけにはいかない》
あたしたちの世界と魔界との間に隔たる次元の波が落ち着くまで、今から数えても最低で四か月はかかる。あたしたちが故郷の土を踏みしめ、青い空を見上げられるのはまだまだ先だ。どれだけ帰りたいと叫ぼうが、会いたい人に想いを馳せようが、これだけは覆せない。
《もうすぐで任期も折り返しだ。残った日々を、どうか耐えてくれ》
そう締めくくり、トラは一段と小さくなったかのように身体を丸める。それが父親のすべてを奪った挙句、自身もすべてを失った魔獣の王子ができる、精一杯の誠意なのだろう。
「お前に言われずとも、テメェの仕事ぐらいわかってらぁ!」
「受けた任務はきっちりこなすわ。今は少しセンチになっているだけだから」
二人も強がりで応える。あたしも同じ気持ちだ。
後押しするように、バラードの曲調がわずかに明るくなる。
何を言っているのかわからなくても、何を言っているかわかる。……文章に起こしたら完全に意味不明だけど、これはきっとそういうことなんだ。
例え異国の歌でも、聴けば故郷の景色を思い出せる。生まれや育ちのまったく異なる人が紡ぐ歌声が、生まれや育ちがまったく異なる人の記憶を呼び起こして心を動かせる。
理解できないから排除するんじゃなくて、ちゃんと相手と向き合い知ろうとすれば、人と人は必ずお互いを認め合える。
無論、これがそう簡単にいかない話なのは明白だ。
同じ国の人同士でも反りが合わない人たちはいる。考え方や価値観だって近しい人はいても完全に同じ人などそういない。歌一曲流したくらいでどうにかなるなら、世界はとっくに平和になっている。そうなっていないのもまた、あたしたちが人である所以なのだ。
だからこそ、少しずつ積み上げていくしかない。例え途方もなく難しくとも、正しい方角に進んでいるのがわからなくても、あたしたちはわかり合えると信じて。
……ならば、あたしが目指す先は一つしかない!
「椿さん、縁さん、トラ」
顔を上げ、ここにいる全員に伝える。
「あたし、なりたいものがあります」
「ふぅーん」
「歴史を、ねぇ」
《……よりにもよって》
思い切って前々から考えていた将来の希望である『進学して歴史を勉強したい』という旨を話し終えると、二人と一匹はさっきまでのしんみりした雰囲気が嘘のように考え込む。
どんな内容でも笑わないと、どんな内容でも尊重すると、二人は約束してくれていた。現に笑いもしなければ一蹴もされてないけど、だとしても何さこの微妙な反応は?
《アクの強いもんが好きってのは、魔女の必須項目にはなかったはずなんだがな》
体裁を取り繕いもせず、ど直球の死球をブン投げてくる黒猫。人が真剣に考えた結論に対してひでー言い草だなおい。
「四ヶ郷さん」
「は、はい」
神妙な面持ちで名を呼ばれた手前、こちらも居住まいを正して向き直る。
「まず最初に、あなたの夢を私たちに話してくれてありがとう。胸の内に抱えた望みを誰かに話すのは、とても勇気がいることよ。あなたからの信用と信頼、私はとても嬉しいわ」
その上で質問させてもらうのだけれどと、縁さんは真剣な表情のまま言葉を紡ぐ。
「歴史と一言に言っても、その分野はいろいろあるわ。あなたはどういう歴史を学びたいの?」
前置きもそこそこに核心を突いてくる先生。
「えーっと、歴史って言いはしましたけど……どんな人たちがどんな場所でどんな生活をしてるとか……そういうのを勉強したいんです、はい」
「あー、文化とか風習の方か。戦争とか勉強したいわけじゃないのか?」
「戦争はちょっと、今はお腹いっぱいですね」
お堅い縁さんとは対照的に、椿さんはいたく砕けた感じで尋ねてくる。現在進行形で絶賛戦争中なこの身、せめて進路はこの因果な境遇から遠ざかりたいのですよ。
「それもそうだな。知ってるか? 暁の戦国史って半分以上創作なんだぜ?」
「はい知ってます」
あの本の愛読者様から嫌と言うほど聞かされてますので。
「文化を学ぶにしても、戦争の歴史からは逃れられないわね。文明の入り混じるきっかけなんて大抵戦争だし、あなたが作ってくれる炒飯やカレーライスだって、第三次天空大戦がなければここまで認知されなかったはずよ」
同じ台詞をあの愛読者様からも諭されたっけ? すっかり遠い日の記憶だ。
「歴史といえば四ヶ郷、お前メルーピアルってどういう意味か知ってっか?」
今度は椿さんからの質問。なんか面接みたいだな。
「意味……ですか? わ、わっかんないっす」
生憎とあたし、メルーピアル語はさっぱりなもので。
「『スゲー理想郷』だ。あくまで直訳するとだけどな」
「へ、へぇ……」
横文字だとカッコいいのに、説明されるととんでもなく胡散臭く聞こえるな。
「じゃあ次、レビ=ラルダってどんな意味だと思う?」
「わかんないっす」
生憎とあたし、レビ=ラルダ語もさっぱりなもので。
「ち、考えるフリぐらいしやがれ」
どうやら向こうさんの欲しい反応ではなかったらしく、椿さんはブツブツ言いながらいじける。この人も大概面倒くさいよな。
「で、答えは?」
「大昔、メルーピアル共和国に存在した島とその都の名前だ」
「……メルーピアル、共和国? え、レビ=ラルダの話ですよね?」
「ああ、そうさ。かつて──」
「──かつて世界中でもっとも高度な文明と栄華を極めたメルーピアル共和国、その首都島レビ=ラルダ島。レビ=ラルダ平等連合首都島トヌロア・レビ=ラルダ島は、天空石の過剰採掘によって落下してきたかの島であり、そこに住まう我々こそが真の後継者だと、一部の過激派は主張しているわ。証拠もないしただの嘘っぱちっていうのが定説だけれどね」
椿さんを遮り、縁さんがお株を奪う形で一息に喋り終える。
「つまり、『あたしたちこそ本当のメルーピアル人だ』ってレビ=ラルダ人は言ってると?」
「ああ、笑えるだろ?」
いや、笑えないよ。
ある日突然『うちが本物の四ヶ郷家でお前たちは偽物の四ヶ郷家だ!』とか断ぜられて憤らない人なんていない。喧嘩を売るとかいう次元すらすっ飛ばした恫喝だ。
「メルーピアル人的には……そこんとこどうなんですか?」
「いい気分になれるわけないわね」
恐る恐る尋ねると、すっかり機嫌が悪そうな縁さん。混血とはいえ国籍上はメルーピアル人だし、そりゃそうなるよな。
「パッと見は平和でも、蓋を開けたら中はドロドロ。これが歴史であり政治だな」
まさしく身も蓋もない心理を披露する椿さん。
「かといって直接撃ち合うよりはずっといいでしょ?」
「まあ、大多数の本音はそうよね」
触りはざっとこんなものかしらね。と肩をすくめて縁さんは話を締める。
「歴史を学ぶっていうのは、こういうチクチクする話題に自分から飛び込むってことだから、その辺りは覚悟しておいた方がいいわ」
「き……肝に命じます」
生易しい世界でないと教えようとしてくれたのはわかるんだけど、速攻で出鼻を挫きにかかるのもどうかと。せっかく見つけた目標だし、何言われても頑張るけども。
にしても夏休み前まで太平の世だと思っていた世界が、実はとんでもない薄氷の上に成り立っていたとか、いかにあたしが真実を知ろうとしてこなかったかがわかるな。……むしろ隠されているのにさえ気が付かなかったと言うべきか。
あたしたちの世界が抱える問題や時代背景、各国に住んでいる人たちの立場や考え方。どれも宮境町にいたままでは片鱗すら掴めなかったものばかりだ。
知識を経験に変える。
魔の付く業界に首を突っ込んでからというもの、幾度となく自身に言い聞かせ、誰かに諭されてきた命題。もはや魔の付く付かないに関係なく、この言葉の重みを痛感しない日はない。
新しい何かに触れる度、あたしを構成する考え方や価値観が更新され、刷新されていく。生まれ変わるは言い過ぎかもだけど、少しずつでも成長していく感じがとても心地いい。
これから先もこの気持ちを忘れずにいられれば、あたしはきっと大丈夫だ。根拠も確信もないけど、ひとまずはそんな方向で締めたい。
「とりあえず、普通の大学じゃ心許ないな。もっと専門的か近代的なとことなると──」
「神衆島の大学が悪いわけじゃないけど、歴史重視ならやっぱり天京になるのかしら?」
あたしそっちのけであたしの進路について相談しだす二人。親か!
「大学、か」
率直な話、高校を卒業していきなり歴史に関係する仕事には就けないし、何よりあたし自身が漠然とした目標を持て余してしまっている。この気持ちをどう拡げていくか見極めるためにも、どんな学校に進むべきなのかは重要だ。
「二人が出会ったのは大学なんですよね?」
「へ?」「ああん?」
二人のなれそめは以前にも聞いた気がしたが、正式に大学進学を志した今、改めて知っておきたいと思い尋ねてみた。
「……ええ、そうよ。同じ大学の先輩後輩。暁人は椿だけだったから、私が面倒見ていたの」
「あーしは高校出たら親の工場で働くつもりだったんだが、親父もお袋も『これからは余所の国にも顧客を増やすんだー』とか張り切りやがってな。あーしも当時はなんとなく乗せられちまって、気が付いたらマイトス行きの飛空機に乗せられてた」
「いい話じゃないですか」
理由はどうあれ、学費や渡航費を工面してくれてるわけなんだし。
「じい様が始めた小さな修理屋だぞ? 余所の国を見据える前にすることがあんだろうが」
などとぶつくさ愚痴りながらも、大学を辞めたりせず律義に通っている辺り、ご両親の気持ちに応えようという気概はあるようだ。
「バカな親たちさ。あーしがガキの頃から若い時は忙しくて学校なんか行く暇なかったって散々聞かされたし、きっと学がないのがコンプレックスだったんだろうな」
「やっぱりいい話じゃないですか」
こちらが尋ねてもいないのに、椿さんは懐かしむように語り、洞窟の岩肌を見上げる。なるほど、だから子供に同じ思いをさせたくなくて世界を見てこいと送りだしてくれたわけか。
当人は不幸自慢のつもりかもしれないけど、中身はただの自慢話なのが微笑ましい。
「まあ、実際行ってみたら眼に写るもの全部がおもしろかったし、魔女なんて真っ当に生きてたら絶対なれないもんにもなれた。いい経験させてもらってるとは……思うんだけどよぉ」
どこか照れくさそうに枝で炭火を突く椿さん。ホント、徹頭徹尾人間臭い人だ。
「……あ、そうか! ほら! そうだよ先輩! ほら!」
「何がよ?」
主語が欠落した不意の問いかけに眉間にしわを寄せる縁さん。
「あーしがなんとなく進学しなきゃ、あーしと先輩は出会ってないし、揃って魔女にもなんなかった! そしたら四ヶ郷だってどうなってたか。なあ⁉」
「へ? ……あ、はい」
そんなキラキラ──あるいはギラギラ──した瞳で水を向けられたら頷くしかないだろと。
「……ただの結果論じゃない。それ言いだしたらあなたと出会わなかった人生の方がいい方向に進んでいた可能性だって──」
「だーから言ったじゃないすか先輩~っ! 最短距離を本気で走り抜けるだけが人生じゃないんすよ! 回り道上等、立ち止まり上等! 人生いろいろってな~っ!」
はいあーしの勝ちぃ! と、椿さんは一方的に勝利宣言をし、カップを掲げてゴクゴクと呷る。……やっぱお酒飲んでいるのだろうか?
「聞きなさいよ……っ!」
わなわなと肩を震わせ、縁さんにイライラが充填されていくのを感じる。そこそこ長い付き合いとはいっても、お互いの性分すべてに慣れっこというわけではないようだ。
「そうだぜ四ヶ郷! お前留学しろ! メルーピアルに!」
酔った? 勢いのまま妙案とばかりに手を叩き、椿さんがしてやったりとこちらを向く。
「はい? ……え、留学⁉」
「いいわねそれ! どうせ学ぶなら見聞は広く持った方がいいもの! ああ、そうよそうよ! なんで思いつかなかったのかしら⁉」
渦中のあたしが理解しきる前に、呆れていた縁さんまでも乗っかってくる。
「いや──ちょ、ちょっと待って! いきなりすぎです!」
「暁の文化や風習を学びたいのでしょ? だったら外から見てみないとわからない真実だってあるわ。そもそも文化や風習に国という垣根はないのよ?」
「どうせ進学すんなら最新式の方がいいじゃねーか。特待生制度だってあるし、うまくいきゃが学費だって抑えられる。あーしもその口だしな」
「地域によっては存在すら忘れられている制度だから、帰ったら役所か学校で調べてみる必要はありそうね」
当人そっちのけで白熱する二人。
「よし。そうと決まれば語学の授業も追加しましょう」
「はいぃ⁉」
なんかとんでもない方向に話が大きくなってますけど? しかも何やら勉強まで大変そうになってるんですけど⁉
「あの……縁さん! せっかくですけどそこまではいいかなってあたし──」
「安心なさい! テストでいい点取ればいいだけの授業になんてしないわ。書きは基本程度に抑えて、リスニングを徹底的に鍛えてあげる。あっちに帰る頃にはペラペラなんだから」
「そいつぁいい! 喋りならあーしも協力できっしな! バシバシいくぜ!」
「あ、あの──え、えっと……ちょ待」
《諦めろ。こうなったら満足するまで手が付けられん》
あたふたしている間にすさまじい速度で話が煮詰まっていく中、すでに悟りの境地にいるトラ。こいつも似たような強行採決でいろいろ押し切られた口か。
あたしは日頃、暴走気味の椿さんを冷静沈着な縁さんが手綱を握り制御しているのだと思っていた。実際日常でも戦場でも、そういった場面には多く出くわしてきた。……しかしこの状況を鑑みるに、この認識はどうも間違っていたらしい。
「結局どっちも似たような性格じゃねーかよぉ……」
すっかりその気になっている二人を余所に、あたし苦悩は際限なく蓄積していくのだった。




