第二章
「はあっ! はあっ! は──」
走る、走る、とにかく走る。
紅葉と見紛うほどの深紅に彩られた魔界の森を、ひたすらに。
校庭をただ突っ走るのとはわけが違う。平坦でも安全でもない道なき道を、刹那の判断で駆け抜けているのだ。一歩間違えば足を取られ、一歩間違えば木に激突。片時も気を抜けない。
「は──っ! ──っ! は──っ!」
長時間にわたる全力疾走に全身が酸素を求め、心臓が早鐘を打つ。草木を掻き分ける音にドッドッドッと鼓動が混じり、身体の隅々まで血管の収縮を感じる。
「は──っ! ううぅぅ!」
だとしても耐える。大きく息を吸いたい衝動を抑えつけ、最低限の呼吸で疾駆を続ける。
肉体中で酸素が足りないのだから、当然頭に回る分も減る。となれば当然判断力も低下し注意も散漫になる。すでに腕や足の末端部は打身や擦り傷だらけ。細かな痛みが積み重なり、さらなる集中力の減衰を招く悪循環に陥っている。
今にも酸欠で倒れそうだけども悲しいかな、走るだけに集中してもいられない。
「──っ、……っ、──っ」
左約10メートル先、訓練相手の椿さんがピッタリ並走しているのだから。
あたしより5分遅れで追跡してきたはずなのに、あちらは辛そうな素振りも見せず、むしろ笑みさえ浮かべてこちらの一挙手一投足に追随している。どんだけ体力お化けなのさ。
『今日はとにかく全力で逃げまくれ。息が上がろうがコケようがとにかく全力でな。見つかっちまったら模擬戦突入だ。逃げきれたらお前の勝ち』
それが本日課せられた訓練の課題だ。
すでに補足されてしまったので、文面通りなら模擬戦に移行しているはずだけど、決して速度は緩めない。可能性は微々たるもんだけど、まだ逃げ切れるかもしれないし──
「──とか思ってんだろ残念だったなぁ!」
「⁉ ぐぅあ!」
なんてあたしの希望的観測は脆くも崩れ去り、抜刀した椿さんが右側より襲い来る。斬撃より先に声がしたので、どうにか刃引き槍を守りに構えて受けられた。
「こんの──クソがぁぁ!」
半ば怒りに身を任せる形で、全力の突きを椿さんの顔面めがけて繰り出す。
「そうだ、もっと自分を追い詰めろ! ここで追い込めば追い込んだだけ本番が楽になる!」
渾身の一撃も難なく躱され、椿さんはギラギラに輝く──あるいはキマった──瞳で前時代的な根性論を斬撃とともに振りかざしてくる。
あたしの槍を受け止めている二振りの刃引き刀が、木漏れ日を跳ね返して煌めく。
左手に打ち刀、右手に脇差。早い話が二刀流。いくら訓練用に刃を潰していても打たれたら痛いし刺されても痛い。何より持ち主の闘気は真剣そのもの。
「まだまだぁ!」
椿さんの間断ない攻勢に、致命打を反らすだけで手一杯だ。一度距離を取って仕切り直そうにも、足運びすら合わせられ、鋭い斬撃を浴びせてくる。
「く! ……ぁぁああ!」
受けに回っちゃダメだ! 劣勢であるからこそ、相手と同等の気迫と勢いでぶつからなければ。──そう考えはしても、一度傾いた流れをこちらに引き寄せるのは、先手で攻めかかる倍以上の度胸と胆力を有する。
なんのことはない。部活の助っ人をする時も、魔法少女を討伐する時も、あたしはこのやり方で機先を制し、渡り合ってきたんだから。
「どうしたどうしたぁ⁉ 様子見ばっかしててもしょうがねーぞ!」
「ちぃ! ぐぅぅ、こんの──」
槍の中央を握り最小の動きで、間断なく迫る剣戟をどうにかしのぐ。二刀流なのに一撃一撃が重く、手の痺れがどんどんひどくなる。
時代劇や舞台でもここぞという局面ででてくる、派手で華やかでカッコいい二刀流。
かくいうあたしも小さい頃、父さんの膝の上で時代劇を見ては、刀のおもちゃを両手に持って真似をした。剣道をやるなら絶対二刀流だと、わくわくしながら眠ったものだ。
ところがどっこい、ふざけてやってみる人はいても、剣道の試合ではまず見かけない。
実際にやってみればわかるが、片手では竹刀を持つため力が入り切らず機敏に欠け、なんだかんだと扱いづらい。まれに試合で使い手が現れても、審判が二刀流に不慣れで有効を取りづらく、酷い人だと意地悪して旗を上げなかったりする。と、前に部長先輩が教えてくれた。
夢のない話だが二刀流とは、創作の世界でのみ栄えるからこそ浪漫の王道なのだ。
「遅い! 浅い! 軽い!」
んでもって、その浪漫の王道をしれっと突き進んでいるのがこのお方というわけ。納得なんかしたくないけど、実際に圧倒されている以上あたしの意見は関係ない。
「ふう! ふぅぅ! あぁっ」
劣勢を挽回したい焦りを抑え、今一度冷静になって考えを巡らせる。
これまで手合わせしてきた中で、わかったことがある。椿さんは一撃を叩き込む時、打ち刀ではなく脇差を選ぶ傾向が強い。長く間合いがある打ち刀を陽動とし、小回りの利く脇差で止めを刺す。性格に似合わず怖いくらい慎重で狡猾だ。
あたしが隙を晒せば、椿さんは必ず左手の打ち刀をわかりやすく構え、向かってくる。そこを読み返せば、まだあたしにも活路はある!
「そぉらぁっ!」
いつでも来いと集中力を高めたところに、なんともちょうどよく打ち刀が振り上げられる。
ギィィイインッ!
上段から降りかかる一閃に槍を斜めにすることで受け流すと、狙い通り左腕を交差させるように脇差が現れ、一直線に腹へと迫る。刃引き刀とはいえ胴体に突き刺す気満々かよ。
「……しゃ!」
ドォ!
「ぬぉ⁉」
魔力で身体を回転させて脇差を躱し、その流れで回し蹴りを決める。椿さんは一瞬だけ顔に驚愕を浮かべ、後方へ吹っ飛んだ。この好機を逃さず踏み込み、横薙ぎの構えを取る。
ダメで元々、今のあたしに失うものなんて何もない! ならばせめて、あの憎たらしい顔に一太刀だけでも──
「──とか思ってるんでしょうけどごめんなさいね」
ドォォ‼
「ぅぁ⁉」
がら空きになっていた胴に衝撃。跳躍した逆の方向へ吹っ飛ばされ、巨木に背中を打ち付ける。ただでさえ満足にできていなかった呼吸が完全に止まってしまう。
「どこかに潜んでいるかもしれない伏兵にもちゃんと気を配らないとダメよ?」
「ぁ──う、ぃ……ぁぐ──」
まさしく飛び入り参加してきた縁さんよりありがたいお言葉をもらうも、その前にもらった一撃のおかげで声が出ない。
「ふう、今日はこの辺にしておきましょうか」
「うっす。バテられても困るっすからね」
やれやれといった風体で、二人からみるみる闘気が薄れていく。
一対一より二対一の方がいいのは当たり前。あたしだって散々使ってきた定石だ。討伐してきた魔法少女たちに誓って、ここで二人を卑怯と罵るのは許されないし資格もない。
因果応報とはよく言ったもので、この人たちと戦っていると、あたしがこれまでしてきた所業のツケを払わされている気分になる。
「はあ……っ! はあ……っ! はあ……っ!」
ようやく息が通るようになり、大の字になって不足していた空気を一心に吸い込む。
「にしても毎回毎回情けねーな。それでも暁の撫子かよ?」
椿さんが腰に手を当ててあたしの顔を覗き込んでくる。伝統的な暁の撫子はいくら走っても息切れしなかったり二刀流で襲いかかったりしねーっての!
「はあ……っ! はあ……っ! くっふぅ!」
などと一丁前に毒づく余裕もなく、ひたすら肉体の回復に徹する。
あたしが魔界に飛ばされてから早三週間。
二人とは何度となく手合わせしてきたけど、最後まで立っていられた日は一度としてない。いつもあたしが地面に倒れ伏してヒィヒィ言って終わる様式美の毎日だ。
自分が強いなんて思っちゃいなかったけど、ここまで弱いとは思っていなかった。
ケンとの契約に始まり、魔法少女の討伐・魔獣の救援・組織の壊滅・ちょっとした戦争。
思い起こせばキリがないこれまで蓄積した経験と成してきた実績に、あたしはそれなりの自信と誇りがあった。……ここに来るまではね。
逃げれば追い付かれ、斬りかかられては下がり、いけると前に出れば叩き落される。
こうも連日自身の不甲斐なさを見せつけられると、これまで積み重ねてきたものを否定されているようで、とてつもなく情けなくて悔しい。
そもそも強すぎなんだよこの人たち! ここに来る前は軍人か何かだったのか? 魔女暦では先輩なんて些細な矜持は初日に吹いて飛んでったっつんだよこっちは!
頭の中だけで叫び、せっかく補給された酸素を愚痴で使い潰す。
ここで『もう嫌だ!』と、匙を投げるのは簡単だ。でもできない。この二人に容易く圧倒されるささやかな教示でさえ、あたしにとってはかけがえのない宝なのだから。
これまで討伐した魔法少女たちと、向こう側に逝ってしまった魔獣たち。彼ら彼女らは黙して語らず、草葉の陰から訴えかけてくる。『お前はここで終わりなのか?』と。
ここで諦めてしまっては、魔の付くすべての存在たちに顔向けできなくなる。かつて絶対に背負うまいと心に決めた呪いになりおおせてしまったわけだが、だからこそ絶対にダメだ。
「……ふう」
大地に突っ伏して空を仰ぐ度に吹き上がる衝動を、自らに言い聞かせて踏み留まる。そうしているうちに呼吸も落ち着き、上体を起こし木の幹に寄りかかる。
ここまでの一連の思考が、今日を生き延びるための通過儀礼だ。
「呼吸が戻るのだけは早くなってきたな。ほれ」
「どうも、です」
差し出された椿さんの手を握り、立ち上がる。確かに技の冴えは相変わらずだけど、体力だけは否応なくついた気がする。へばってばかりもいられないもんな。
「椿さん」
「あん?」
「訓練で教わった内容を中心にして模擬戦するのって、どういう意味あるんですか?」
「どういう意味ってお前、覚えた技は身体に馴染ませなきゃダメだろ?」
「もちろんわかるんですけど……二人が絶対有利になるじゃないですか?」
いい機会だとこの際に、ずっと考えていた疑問を投げてみる。
復習が大切なのは言うまでもないけど、この形式ではどうしたってあたしが不利だ。なんたってこちらが何を仕掛けてくるか把握した上で対策できるんだから。
「四ヶ郷よぉ」
椿さんは酔っ払いみたいにしなだれかかり、肩に手を回してくる。
「お前はあーしらに勝つためだけに訓練してんのか?」
「え? いや、違いますけど」
「じゃあなんのためだ?」
「あたしが負けないためです。あと仲間を守るためです」
「……わかってんじゃねーか」
考えをそのまま伝えると、なぜだか面食らい顔の椿さん。
「本番は一回負けたらゲームオーバーだ。だったら負けていいところでは負けとけ。もっといろいろ探して、いろいろ試してみろ。せっかくの練習なんだからよ」
まあ、場数はお前のが踏んでるけどな。と、椿さんは教えながらもあたしの肩を持ってくれる。この人のこういう気の回しが、日々徹底的にしごいてくるにも関わらず嫌いになれない理由だったりする。アメと鞭の塩梅が絶妙すぎるんだよな。
「いやね、勝てるなら勝ってもいいのよ? いくら練習でも勝てるのなら勝った方が気持ちいいものね」
でも今の四ヶ郷さんには無理でしょ? と、縁さんは笑顔であたしの心を抉ってくる。
言葉遣いは椿さんの方が乱暴かもだけど、容赦のなさでは縁さんに軍配が上がる。堕溺兵装使用者は毒舌じゃなきゃいけない決まりでもあんのか?
「さ、今朝はこのくらいにして、戻って朝ご飯にしましょう」
「はい」
「腹減ったな~」
呼吸も整い二人からいただいた痛みも引いてきた頃合いで、三人してぞろぞろとバイクへ戻る。すでに寝たいくらいにクタクタだが、生憎と時刻はまだ早朝、この実戦顔負けの模擬戦でさえ、朝飯前の日課にすぎないのだ。……とほほ。
ブゥゥオオォォオオォォ!
「……──」
ガチャ! ウウウウゥゥウウン!
「……──」
ジャキ! ウウゥゥウウウウン‼
「……──」
ガチャ! ウウウウゥゥゥゥウウン‼
「……ふう」
魔界の森を走り抜ける道すがら、速度に応じて強く当たる風が心地いい。
初めて乗せられた時はあんなに泣き喚いて椿さんの腰にしがみついてたってのに、今は両手を投げ出したまま平然としてられるんだから、人間の慣れとは恐ろしい。
「なんとなくだけれど、今日か明日にくる感じがするわ。ホントになんとなくだけれど」
後ろで縁さんが根拠剥落に呟く。この人に限らず直感で生きている者が大多数である魔の付く輩は、論理的に説明するのが億劫なだけで意外と的を射たりしているので、こういうフワッとした発言もバカにできない。予言ではないのでハズレもままあるのが玉に瑕だけど。
「今までは向こうが戦力を小出しにしてきたからどうにか捌けてたけど、そろそろ仕掛けてきそうな気がするのよね。これもなんとなくだけれど」
「数でイケイケドンドンされたれお終いっすからね。四ヶ郷もまだまだひよっこだし」
「……すいません」
「別に怒ってるわけじゃねーよ。最初から一人前な奴なんていねーし、お前は筋のいい方だ。先に魔女やってたアドバンテージもあるしな」
そのアドバンテージとやらをあっさり覆してきた人に語られてもなー。
あたしと同じく魔孔に飲み込まれた魔獣に加え、未だ魔界で逃げ回っている連中も少なからずいる。加えてこのところ活動が活発な魔鋼艦といい、状況はだいぶよくない。
ケンは魔界があたしたちの世界への干渉は最低限に抑えるつもりだと言っていたけど、いつまでもその方針が続くとは限らない。『砂漠の薔薇』のように魔の付く力を軍事力として扱う者たちが現れたのをきっかけに、方向性をガラリと変える可能性だって十分にある。
小島を一撃で破壊できる兵器に、大量の魔鋼艦。あんな代物があたしたちの世界に攻めてきたらと思うと、考えるだけでもぞっとしない。なんとしても阻止しなければ。
そこで新王が新たな魔女を引き連れ、魔界に帰ってきたという寸法だ。
現在は魔鋼艦を探知する紋を魔界のあちこち、主に辺境を重点的に設置し、反応すれば急行して叩く。という作戦を取っている。小さな損害でも確実に蓄積させていけば必ずどこかで問題が生じ、やがては機能不全に陥る。気の長い話ではあるけど、こういう地味な戦法こそあとからジワジワと効いてくるのだ。
あたしたちの世界の防衛は獣王に丸投げし、新王は魔界へ戻って魔獣を助けがてら魔鋼艦にちょっかいをかける。感情の問題は横に置くとして、理にかなったやり方ではある。自宅の庭に野良猫が潜んでいるとなれば、うかうか遠出もできないもんな。
「ま、焦らず気長にいきましょ。時間ならたっぷりあるんだから」
「……ですね」
思い出したくない事実を掘り起こされ、またしても気分が沈む。
なんでもあたしたちは、最低でも半年先まで帰れないらしい。
世界間の往来は転移紋のように簡単なものではなく、時期や場所を厳しく選ぶ。
よくよく思い出してみると、詩乃と初めて魔界に行った時も空間に亀裂が入ったりして大変だったので、生半可なものではないのだ。
「はあ……」
帰れないという事実を告げられた瞬間、あたしを絶望が包み込んだのは言うまでもない。
椿さんと縁さんはこの魔界遠征が長丁場になると承知した上で、しかも入念に準備してここにいる。一方あたしはなんの準備も予備知識もなく、着の身着のままやってきた。心構えもなしに半年帰れないは精神的にキツ過ぎるぜ……。
正直な話、寝ている時は向こうに帰った夢ばかり見ている。家族が、仲間が、地元が恋しくてたまらない。出征した兵隊さんの気持ちってきっとこんなだったんだろうな。
不幸中の幸いは、こっちで半年過ごしても、あっちでは大した時間が経っていないらしい点だ。聞くところによると、今の時期は魔界とあたしたちの世界に隔たる時空の関係でそうなんだとか。専門的でよくわからんけど、要は気圧差とか時差的な要素が絡んでいるのだろう。
縁さんたちがこの時期を選んで魔界にいるのも、あちらの世界を長期間留守にせずこっちに長期間滞在できるからなのだそう。
つまり向こうに残っているケンや詩乃たちは、あたしが魔孔に吸い込まれてまだ1分も経っていない計算になる。時間が引き延ばされて余裕ができた反面、数か月とはいえ余計に歳を取ってしまうわけで、あたしとしては得してんだか損してんだか微妙なところではある。
「朝ごはん済んだら授業よ。今日は数学と理科ね。宿題やった?」
「もちろんです。今日もお願いします」
「よろしい。素直な生徒で先生助かるわ」
これまた運のいいことに、縁さんは教師──しかも高校の──を志しているらしく、勉強を見てもらっている。先生を目指すような方があの毒舌なのはいかがなものかと思うけども。
最初は魔界に来てまで勉強すんのかよと辟易したものの、半年間も勉強に手を付けないとなれば、夏休み明けに相当苦労するのは眼に見えているので、ありがたい申し出だった。
こうしてあたしは様々な運に救われ、あるいは見捨てられ、魔鋼艦が現れない限り椿さんとは戦闘訓練(朝は毎日)に縁さんとは座学と、一日おきに担当してもらう運びとなったのだった。おはようからおやすみまで至れり尽くせりですね。
《遅い!》
「悪りーなトラ。ちょっと道が混んでてなー」
アジトへ戻るなり、洞窟の出入り口前で不機嫌を隠そうともしない黒猫に、椿さんが冗談で応じる。玄関先でご主人の帰りを待つ犬かよ。猫だけど。
ケンと同じくこいつも悠久の時を生きすぎて自分の名前を忘れていたので、トラとあたしが直々に命名してやった。椿さんと縁さんはお互いを呼ぶ時以外がこいつを呼ぶ時だったので気にならなかったようだが、あたしが混ざるとなるとそうもいかないのでこれを機にと説いた。
『なんで黒猫なのにトラなの?』
と、縁さんよりごもっともな指摘をいただいたが理由は簡単、『虎柄』ではなく『ドラ息子』からきているから。だってドラ息子じゃんこいつ。
だったら『ドラ』でいいじゃないのって話になるのだが、それだととんでもない禁忌を犯しているような気がしてならなかったので、やむなく濁点を省いてみた。父親という前例に同じく強行採決なわけだけど、当の本猫も本気で拒絶してこないので満更でもないらしい。この辺も父親にそっくりで微笑ましかったりしたのは内緒だ。
「いつもいつも律儀だね。準備は済ませてあるんだから先にやってればいいのに」
《アホか、部下の安否も確かめねーで食事する指揮官がどこにいる》
要約するとみんなで食卓を囲みたいと。やっぱ犬だろこいつ。猫だけど。
「「《いっただっきまーす》」」
「はい、召し上がれです」
元気よく手を合わせ、皿に盛られた朝食に食らいつかんばかりの二人と一匹。
ここへ転がり込んでからこっち、あたしはみんなの食事係を任されている。
事情を聴いてみると二人とも元々料理はからっきしで、魔界にいる間は大量に持ち込んだ缶詰や保存食で食いつなぐつもりだったらしい。
いくらなんでもそれじゃ味気ないと思い立ち、軽く炒めたり焼いたりしてみたのだが、これをみんなは思いの外気に入ってくれた。アジトの都合上、生鮮食品を用意できないのは残念だったけど、森に行けば野草や木の実もあるし、工夫次第で如何様にもできる。
勉強に訓練にと世話になってばかりなので是非やらせてくれと志願し、この役目を買ってでたのだ。一方的に何かを教えてもらうのではなく、こちらからも提供できる何かがあってよかった。対等とまではいかないまでも、引け目は感じずに済むからな。
「「──っ……っ」」
二人は会話もなく、わしゃわしゃと朝ご飯を掻き込んでいく。自分が作った料理を誰かが嬉しそうに食べてくれる。その光景を拝むまでがあたしにとっての料理だ。とはいえ──
「いつも言ってますけど、行儀よく食べて下さいよ。それでも暁の撫子ですか?」
「お、何々~そういう意地悪しちゃう~?」
「なら私は血に混ぜ物してあるから関係ないわね」
「……あ、あー」
椿さんの口答えはともかく、縁さんの自虐はアクが強すぎてどう反応するのが正解なのかさっぱりだ。どっちに転んでも角が立ちそうというか、いっそ聞かなかった体でいきたい。
「トラ、あんたもだよ」
《猫に作法を語るんじゃねぇ》
こっちもこっちで取り合わず皿にがっつき続ける。まあ、さすがにこいつはいいか。猫が箸やフォークを持てるわけないし。
「まったく。……さて、あたしも」
相変わらずの暖簾に腕押し状態に嘆息しつつ、あたしも食卓に加わる。
本日の朝食は干し肉を煮込んで戻し、鶏がらの粉末で味付けた簡単なスープ。と、昨日の余り物多数。
「♪~」
熱々のスープに昨日釜で炊いた冷や飯を放り込んでおじやにする。
づぞぞっ。づぞぞっ。
干し肉と鶏がらに溶け込んだ塩気が、一汗かいた身体に染みわたっていく。冷や飯で適度に温度の下がったスープがだんだんと喉を通過するのがわかる。つまるところ、超うまい。
他人の行儀を諭しておいてなんだけど、これはこう食べるのが一番だ。消化も早くてすぐ動けるし。……食事に機能美を求めてしまう辺り、あたしもこの生活に馴染んできたな。
「あらあら四ヶ郷さん~、ちょいとお行儀がお悪いのじゃないかしら~」
と、聞こえよがしな裏声を寄越してくる銀髪が一人。憎たらしいったら。
「……食べますか?」
「くれ」「私もちょうだい」《俺もおかわりだ》
掌を返して空いた皿を出してくる薄情な面々に、魔女一派のみんなに桜華料理を振る舞った時を思い出す。人は変われど浮かべる表情に違いはない。相手の胃袋を掴むのが心を掴む近道とはよく言ったもの。料理を手解きしてくれたじいちゃんには感謝してもしきれないな。
「はいはい、順番ですから──」
言いながらしゃもじを持ち、各々の皿へ冷や飯をよそっていく。この時間こそ、あたしがこの世界で安らげる唯一と断言してはばかりない瞬間なのだった。ホント食事って大切。
「「《ごちそうさまでした!》」」
「はい、お粗末様です」
始まりと同様元気よく手を合わせ、朝食を終える二人と一匹。あたしもキレイに平らげられた皿が並んだ食卓を見下ろし、心身ともに満足感が満ちていく。
さて、これから朝食を片付け次第午前の授業と昼食の支度。午後の授業が終わり次第夕食の支度。夜はその他雑用と二人から出された宿題やら課題やらを仕上げて──
「はあ……」
考えれば考えるほど、やんなきゃいけないことだらけで気が重い。
縁さんは時間ならたっぷりなんて言うけど、勉強・訓練・魔の付く稼業・日々の生活と、ここでの暮らしは思いの外忙しい。寝る間も惜しんでというほどじゃないにしても、電気もガスも水道もろくにないので、生活の維持自体に忙殺されてしまう。
あたしたち現代人が当たり前のように享受している文明の利器がもたらす恩恵の数々は、数多の先人が『楽したい』という一心から生まれた発明だという歴史を思い知らされる。
あたしを取り巻く状況は常に変化し、近頃はその早さも著しい。今まで以上に時世を読み解く力が必要になる。あたしもこの流れに取り残されないようにがんばらないとな。
それにはまず、身体を鍛えて技を磨き、勉学に勤しまなくては。時間だって工夫すれば工面できないわけじゃない。つか、ここではそれくらいしかやることないし。
ジリリッ! ジリリッ! ジリリッ!
「うお~……もう」
そんな数少ないやることさえ、空気も読まずに邪魔してくるベルの音。敵勢勢力が各方面に設置された魔力紋の探知に引っかかったのだ。やはり縁さんの勘に狂いはなかった。ここまでくるともはや野生動物の域だな。
「ははは、残念だったなー四ヶ郷。お勉強の前にもうちょい運動だ」
「さあ、行きましょう。ちゃっちゃと終わらせて授業するんだから」
縁さんは急かすように手を叩き、がっくり肩を落とすあたしへ準備を促す。戦闘があるから今日はお休みよ。とは言ってくれないのがこの人の優しくも厳しい一面なのであった。
ブゥゥオオォォオオォォ!
「しゃあ! 今日は飛ばすぜ飛ばすぜ~っ!」
朝と同様、心も身体も魔兵装もアクセル全開な椿さん。飛ばさなかった時の方が少ないクセによく言うよ。
出撃時は全員で有事に臨むべしというトラの方針で、今回もバイク一台に三人と一匹での移動だ。今更だけどよく転ばないよなコレ。
「最近の魔鋼艦、わりと近場に出るわよね? 行くの楽でいいけれど」
「向こうもこの辺に野良猫が潜んでるって気付いてるんじゃないっすか? いくら念話妨害したって、未帰還の船がどの辺哨戒してたのかはわかるわけだし」
「かもしれないわね。たまには威力偵察も兼ねて都市の近くでも襲ってみましょうか?」
「いいっすね! たまには新鮮でうまいもの食いてーっすよ」
《勝手抜かすな。お前らろくに変装もできないだろうが。この間だって──》
「今度はうまくやるわ。私たちだって日々成長しているのよ」
《け! だといいんだがな》
いつもながら戦いの前だというのに、二人と一匹はアジトにいる時となんら変わらず気楽そうに話している。まあ、この面子があたふたしていたらそれはそれで怖いけども。
「四ヶ郷さん、平気?」
「……へ? あーはい。大丈夫です」
「言っとくがお前の作る飯がまずいって意味じゃねーからな? 勘違いすんなよ?」
「ええ、わかってますよ。あたしだってたまには保存食以外のもの食べたいですし」
受け答えこそちゃんとできているけど、これから待ち受けているであろう展開を思うと、どうしても気もそぞろになってしまう。
「ったく、まだ緊張してんのかよ? これで四度目の出撃だぜ? 慣れてくれっていい加減」
「わかってはいるんですけど、どうしても──」
魔女にせよ魔法少女にせよ、戦いで受けた負傷は程度による差こそあれ確実に再生する。討伐による記憶喪失で実質的な死はあれど、極論言えばあたしたちは不死身だ。
しかしこの法則も、この世界に限っては通用しない。
魔力閃の直撃をくらえばどうなるかわからないし、敵に捕まって魔人側に連行されてしまえばどんな目に会わされるかわかったもんじゃない。なんせあたしたちは、魔人族の野望を真っ向から邪魔する極悪人なのだから。
ここでの戦いは、ほんのわずかな傷さえ命取りになりかねない。こんな魔界の果てにまで来て、あたしはようやく戦いにまとわりつく本当の『死の恐怖』を知るに至ったわけだ。
この前提がある以上、例え何度目であろうと緊張するなというのが無理な話なのだ。
トラが捕捉した情報では、今回の敵は魔鋼の重巡洋艦が二隻。それぞれα・βと呼称予定。
あたしが過去三度の出撃で相対してきたのは、最初に見た中型の艦艇と単独の駆逐艦のみ。単純な戦力で比べても相当な難易度だ。重巡だけあって当然装甲も厚く、縁さんの『境界閃』が放つ光撃──これまたあたしが勝手に命名──でも打ち抜けないらしい。あたしの緊張云々に加えて、あたしたちだけでどうにかできるのか自体も不安が残る。
「肩の力抜いて、四ヶ郷さん」
後ろから優しい言葉とともに、ポンと両肩に手が置かれる。
「緊張っていうのはね、いつも以上の力を出そうと身体が張り切るからなるのよ。だから緊張するのは悪いことじゃないわ。あなたは大丈夫、自信持って」
「は、はい!」
「だが何ごとにも限度ってもんがある。武者震いならそれでもいいが、あんまりガチガチになられても邪魔なだけだ。効率よく緊張しろ。しすぎてもしなさすぎてもダメなもんはダメだ」
「……はい」
ふんわり優しく元気付けてくれる縁さんと、理屈で厳しく諭してくれる椿さん。この二人は入れ代わり立ち代わり、あたしを導いてくれる。本当に頼りになる人たちだ。
しかし戦場では当てにしたり、ましてや寄りかかったりするわけにはいかない。あたしはこれから様々な経験を積み上げ、この二人と対等に並び立たなければならない。
そう言い聞かせ、もう一度今回の作戦を頭の中でなぞる。
まず椿さんと縁さんが『闘奔勢走』で戦闘域へ滑翔。重巡二隻の下腹部に潜り込んで注意を引く。その隙にあたしは突撃にて二隻の直上へ位置取り、急降下にて重巡β上甲板に侵入。白兵戦を仕掛け船内を引っ掻き回す。可能なら機関部を破壊し航行不能、あるいは主砲を損壊させ使用不能にしておく。そうして甲板で暴れるあたしを排除しようと注意が逸れた重巡αに二人が乗り込み、制御系を掌握して鹵獲。武装にて重巡βを砲撃、撃沈させる。
「……うっ」
ここへ来るまでに何度も脳内で繰り返した一連の流れに、思わず生唾を飲む。二人はいろいろ励ましてくれたけど、だからって押し寄せる重圧には抗えそうにない。
この作戦では敵だけでなく、時間とも戦わなければならない。どこかで少しでももたついてしまえば計画は崩れ、みんなにも迷惑がかかってしまう。分単位など問題外、秒単位での三人と一匹の連携が必要不可欠となる。
ひよっこだからとか半人前だからとか、甘ったれてはいられない。戦場に出るからには一人の魔女として、過不足なく任務を全うするのみ! そしてちゃんと生き残る!
《もうすぐ目標地点だ。気合い入れて征くぞ》
「応」「ええ」「はい」
三者三様に応じ、あたしの気持ちもいつもの荒稼業へと切り替わっていく。
もはや愛着すら湧きかかった森を抜け、紅の大地が眼に痛い荒野へ躍りでる。木々もまばらな乾燥した大地が風にあおられ、砂が霧のように視界を妨げる。見える範囲を見渡すと、ところどころ盛り上がった小丘がちらほらあり、隠れられる場所がまったくないわけではない。
《見えるぞ、二時方向からだ》
「あいよ」
椿さんから借りた双眼鏡──メルーピアル製の対象との距離と大きさを測れるスゲーやつ──でトラの示した方向を見据え、ほどなくしてそれは現れた。
グオオォォ!
「でっか!」
舞い上がる砂嵐を食い破るようにして現れた異形を目の当たりにし、至極単純な感想が口をつく。加えて双眼鏡に示されている数値も、見てくれの印象に説得力を添える。
今までの艦艇や駆逐艦が公園の池に浮かんでいる小舟にすら思える巨体だ。ていうか重巡であの大きさだとして、戦艦級はどんだけ大きくなるのさ?
ここからでもやかましい駆動音を轟かせている二隻の重巡は、何事もなく間隔を保ったまま直進中。どの砲も動いておらず、まだ察知はされてはいないとみていいだろう。
「当たり前だけど、全然違うんですね」
双眼鏡を手に、初見の敵艦をまじまじと観察。
幸先のいいことに、二隻の主砲は魔力閃型ではなく砲弾型。つまり砲の仰角には限界があり──魔力閃型は銃口や砲身がなく、対応できる範囲が広い──真上には撃てない。あれなら上から近づく前に対空でドカンなんて出オチはなさそうだ。
そして両舷には揚力機関がない代わりに、大小様々な機銃座がハリネズミの如く張り巡らされている。中でも眼を引くのが、上下甲板に搭載されているような旋回式の主砲ではなく、船体から砲身が突き出た側砲だ。あんなの初めて見た。
例え同じ艦種であっても、世界が違えば艤装の配置から運用思想まで様変わる。こんな局面で場違いかもだけど、とても興味深い。
《以降左翼側をα、右翼側をβと呼称。作戦に変更はない。俺・桜沢・金井山は地上から接近して両艦を陽動。四ヶ郷は直上から重巡βを奇襲し、可能な限り艦の兵装を破壊しろ!》
「「「了解!」」」
トラの命に応じ、あたし、縁さん、トラは『闘奔勢走』より飛び降りる。
「抱きしめろ! 『闘奔勢走』!」
景気よく叫び、椿さんは『闘奔勢走』を岩盤の傾斜を利用して器用に跳び上がらせる。
直後、分解された『闘奔勢走』が宙に浮いた椿さんを取り囲み、大地に写しだされる影が重なっていく。車輪部は踝ではなく肩の後ろに接続し、いつも腕に装着される装甲は申し訳程度に足へと収まる。大地を走り抜けるいつもの合体とは逆の配置だ。
「兵装合体! 『闘奔勢走』飛翔形態!」
もはや毎度お馴染みとなっている椿さんのキメ台詞。それを待っていたかのように肩の車輪が回転し、ホイール部分に精緻な紋が浮かび上がる。
そして当然の権利とばかりに空中に留まり、浮遊する。
初めてあの合体を見た時、『なんでバイクで空飛べんだよ⁉』と思わずツッコんでしまったのがもはや懐かしい。あたしも槍で空飛んでるけど、にしたってあれはおかしいだろと。
序盤の役割こそ下に潜っての攪乱だが、艦を鹵獲するためには縁さんたちを内部に潜入させる必要がある都合上、最初からあの形態の方がいいのだとか。
大地を駆け回る滑翔形態に、大空を飛び駆ける飛翔形態。
椿さんの『闘奔勢走』は状況に合わせて姿を変え、まさしく活路を見出す魔兵装なのだ。見れば見るほど反則だろって感じだけど、カッコいいなら細かいことはいいんだよと納得してしまう自分が憎い。
「抜かるなよ四ヶ郷! 『夜明けを共に』!」
「今日もみんなでがんばりましょう」《無謀な相手じゃない。気負わずやれ》
激を飛ばす椿さんに、その背に乗った縁さんとトラも続く。
「はい! そちらも……『夜明けを共に』!」
メルーピアル語がこそばゆくて慣れないけど、郷にいては郷に従えと言い聞かせ、あたしそれっぽく返す。
あたし以外の面子が、砂煙をわずかに起こしながら低空を飛んでいく。
「今日もよろしく! 『兵香槍攘』!」
椿さんたちを見届け、あたしも魔兵装を呼ぶ。いつでもどこでも変わらない漆黒の炎を纏って現れた長槍を握り、緊張を薄めるように気持ちが高ぶっていく。
「よし、征こう」
切先を直上に取って突撃を発動。一直線に高度を稼ぎ、雲に突入して身を隠す。
「冷た! うわっぷ!」
あっという間に全身水蒸気に晒され、びしょ濡れになる。どうせ雲を抜けて飛んでいるうちに乾くから問題ないんだけど、それまではどうにも気持ちが悪い。
眼下で雲越しにパッパッと閃光が明滅し、遅れて雷鳴にも似た低い響きが届けられる。重巡が椿さんたちを捕捉し、攻撃が始まったようだ。
「……ふう」
奇襲開始まで数十秒余り、緊張も連動して最大に達する。心臓の辺りがキリキリし、身体も寒いんだか暑いんだかわからなくなる。
敵の不意を突くといっても、雲を抜けて接近すれば必ず察知され、重巡は迎撃しようと上部の火器を総動員してくるだろう。
下方に向いた注意があたしに対応するまで、多く見積もっても五秒程度。戦闘全体で見れば微々たるものだが、そのわずか数秒が明暗を分けるのが戦場という空間でもある。
『いいか、三秒以上直線に飛ぶなよ⁉ 常に変針して動きを読ませるな! 墜とされるぞ!』
無言で戦場を見下ろしていると、戦闘中の椿さんより念話が入る。
「はい!」
『返事はいい! 戦場に集中しろ!』
「は──ぅ!」
反射で返事しそうになり、どうにか口を噤む。
『……頃合いだな。来い、四ヶ郷!』
ついに椿さんから合図が下される。ここまできてしまった以上、後戻りはできない。腹を括って死ぬ気でやるっきゃない! もちろん死ぬつもりはないけど!
突撃の軌道を直下に取り、高速で急降下。一瞬で雲を抜けて姿が露わになり、想定より早く船体がチカチカと光り、高速で迫る気配に総毛立つ。
ヒュン! ドォン! ギュィン! ヒュン!
銃撃の擦過音と高角砲弾の爆発、さらに魔鋼艦お馴染みの赤黒い魔力閃も織り交ぜられ、命を削り取る嫌な音の詰め合わせが耳元に届けられる。
「ううぅ! ふんぬ──っ」
小刻みに進路を変え、重なりかけた火線を躱す。視界に入る二隻の重巡がどんどん大きくなり、接近に比例して砲火も厚くなる。
ガギィン! キィィン!
躱しきれなかった銃撃が数発、突撃の障壁に阻まれて表層を揺らす。魔力閃も同じくあたしの眼を焼きながら反射され、後方へ流れていく。
どの攻撃も一発一発が強力な威力を持ち、掠めただけでも肉塊か丸焼けだ。幸い突撃で発生する障壁のおかげで、致命傷になるような軌道は逸れていくから、このままどうにか──
『障壁張ってるからって回避をサボるんじゃねぇ! 当たった分だけ魔力が消耗する!』
「⁉ くぅ!」
言われて気が付き、即座に突撃の軌道を逸らす。三秒以上直線に飛ぶなと言われたばかりなのにと、一瞬でも保守に走った判断を悔いる。常に本気で最善を尽くさねば、今わの際で後悔するのはあたし自身だというのに!
『落ち着け。槍を操作するんじゃなく、自分を振り子にして軸の芯をずらせ』
椿さんに言われた通り、鉄棒をする要領で『兵香槍攘』に回転を加える。
「うお⁉ マジか……」
不思議なもので速度の減衰を最小限に抑えつつ、本当に突撃の軌道が不規則になった。こちらの動きに対空砲火は対応しきれず、弾幕が躱しやすくなる。あたし自身も回るから油断すると空間失調まっしぐらだけど、めっちゃ効くなコレ!
砲座・銃座からの射撃は旋回半径の関係上、距離が詰まれば詰まるほどこちらが有利。今はただ、この機を逃さず進み続けるのみ!
気が付けば重巡βの船体は、視界には収まりきらないほど肉薄していた。必中の間合いまで踏み込んだ。ここまで来れば小技も必要ない!
「いぃぃけぇぇあ!」
ガァァアアンッ!
船首側の第一主砲。そのど真ん中へ急降下の勢いも上乗せた『兵香槍攘』を突き立てる。砲塔は陥没し、鋼鉄の塊がまるでトタンのようにめくれ上がり、生まれた隙間から灼熱の爆煙が溢れる。
「ははっ! まずは一基!」
初手の戦果による歓喜が全身を満たす中、第二主砲の砲身がこちらに向いている。
「くら、えぇぇい!」
そこへ狙いを付け、突撃を発動させた瞬間に『兵香槍攘』を放して射出。
ズゥオォォオオンッ!
『兵香槍攘』は砲身の中へ入り込み、内部の砲弾に引火して爆発。根元の旋回装置が見えるところまで跳ね上がった。
「これで二基!」
立て続けに二基の主砲を破壊。先制攻撃としては上々の滑り出し。撃ち出してしまった『兵香槍攘』はしばらく使えないが、その価値に見合う戦果だ。この勢いに乗って後方にある残りの砲塔も一気に──
ガガガッ!
「ふっ!」
背後からの銃声に、思考を切り上げて飛び退く。立っていた場所からキュインと、小さな火花が散る。
「まあ、簡単にはやらせてくんないわな」
ここからは伺えない死角から、あるいは艦内へ通ずる扉から、ぞろぞろ現れる人の形をした人でない者たち。
「こいつらが魔鋼兵か」
水道管を繋ぎ合わせたような簡素な体躯に、顔にはカメラのようなレンズが一つ。主だった外見と性能は事前に知らせれてはいたが、面と向かうのは今日が初めてだ。
「征くぞ! 『快刀乱魔』! おおぉぉおお!」
頼りになるもう一振りの相棒を呼び起こし、未知への不安を自らの咆哮でねじ伏せる。
ガガガッ!
「──っ」
キキキンッ!
顔合わせから二秒と経たず放たれた銃弾を『快刀乱魔』にて弾く。初陣に始まり、射撃系の魔兵装持ちとは何度も戦ってきた。今更銃口を向けられてくらいでビビったりしない。
そうだ。あたしには多くの魔法少女たちと戦ってきた経験がある。これを活かせば、魔鋼兵とだって渡り合える。あたしに刻まれた戦歴は、あたしを決して裏切らない。
「ふぅ! はぁ! っと!」
様々な角度から放たれる銃撃に、弾いて避けてを繰り返す。
魔鋼兵の照準は良くも悪くも正確。即死を狙い頭部、動きを止めるために足と、狙われたままその場に留まっていた場合、必ずどちらかに命中する。
故に読みやすく、回避へつなげる筋道を立てやすい。その欠点を補うために数で攻めるってやり方なんだろうけどここは重巡の甲板、平野と違い狭く障害物にも事欠かない。常に魔鋼兵の位置を把握し、適切に立ち回れば十二分に戦える。
ガシッ! チャキ──ッ!
直近の魔鋼兵が撃ち尽くした弾倉を捨て、新しいものに交換する。ひとまず距離を置くなり遮蔽物に隠れるなりしない辺り、いかにも設定されていない動きはできない人形らしい。
「はああっ!」
ギィィンッ!
好機を逃さず魔鋼兵の懐へ接近し、下段に構えた『快刀乱魔』斜めに切り上げ、左脇から頭部にかけてを斜めに切断。取り落ちた小銃を奪い、狙いを他の魔鋼兵へ定める。
ガガガッ!
「うおっとと!」
上に跳ねる反動とともに、銃口が火を噴き弾丸が撃ちだされる。一度引き金を引くと弾が三発だけ発射される仕様のようで、焦りながらも落ち着いて撃てるのが扱いやすい。
銃弾を浴びた魔鋼兵はその三発が命中しただけで動きがぎこちなくなり、壊れたラジオみたいな奇音を撒き散らして頽れた。これも事前情報通り、量産型だけあって脆い。
「そぉら、くらえくらえ!」
ガガガッ! ガガガッ! ガガガッ!
腋を締めて銃床を肩に当てて固定し、群がる魔鋼兵に撃ちまくる。耐久性のなさが災いし、おもしろいくらいにバッタバッタと倒れていく。
カチ、カチ。
「ははっ、次だ次!」
弾切れになった小銃を投げ捨て、撃破した魔鋼兵が持っていた小銃を奪い取り、今度は腰だめでばら撒く。予算の削減や魔人にも使い回せるように規格統一したのが裏目にでたな。
『しゃがめ!』
「──ぃ」
念話越しの叫び声に、考えるより先に身体が動く。
ビュン!
「うお⁉」
頭のすぐ上より聞こえた風切り音に、姿勢を低く保ったまま振り返ると、最初に倒したはずの魔鋼兵が残った右手で闘剣を振り下ろしていた。まさしく間一髪。一瞬でも躊躇していたら背中をざっくり切り裂かれていた。
ダァァンッ!
刹那、横合いから飛んできた弾丸によって魔鋼兵の上半身が掻き消える。残された下半身は自身の喪失に気付いてさえなく、カシャンカシャンと不気味に足踏みする。
『魔鋼は生き物じゃねーんだぞ‼ 機能停止はちゃんと確認しろバカ!』
弾丸に続き、援護の主より怒声も飛んでくる。
魔鋼兵は魔力で動く人形、いわば機械だ。だから首を斬り落としても絶命しない。散々諭されていたはずなのに人の形に引っ張られて失念してしまった。
「クソッ!」
この戦闘だけで、あたしは何度やらかした? とくに今のは椿さんが知らせてくれなきゃ間違いなくやられていた。
経験どころか失態ばかりが積み重なっていく体たらくに、無力感が心身を蝕んでいく。
しかし落ち込んでいる暇なんてもんは端っからない。そんなことをしようものなら瞬く間に飲み込まれ、反省する機会など永遠に失われてしまう。
「よし」
高ぶっていた感情をひとまず落ち着かせ、堅実な立ち回りからの撃破に徹する。
遮蔽物を利用して接近し、『快刀乱魔』にて一閃。所持していた武器を奪う。それが小銃なら撃ちまくり、闘剣なら投げつける。これを単調に確実に、魔鋼兵よろしく機械的に繰り返す。
「はあ……はあ、ふぅ!」
単体では眼を瞑っていても対処できる自信がある魔鋼兵も、ひたすら数に任せて向かってこられるとさすがに疲れが溜まり、集中力も削られる。毎度お馴染み多勢に無勢ってやつだ。
何より戦闘における奴らの習性が厄介極まりない。
両脚を潰して動きを封じても小銃を撃ち続け、両腕を切り落とせば自爆せんと全速力で駆け寄ってくる。同士討ちを誘おうと射線を交差させても躊躇い一つなく、射線上の仲間が蜂の巣になるのも構わずこちらを狙ってくる。
己の身を厭わず、ただひたすら眼前の敵を排除するためだけに行動する。これが生命でないからこそできる機会人形の戦略かよ。
『もうすぐ中に侵入した先輩とトラが重巡αの制御系を奪取する。それまで持ち堪えろ』
椿さんより作戦の進行状況が告げられる。あの人もあたしと同じく重巡αの甲板で戦っている。みんなそれぞれの役割を全うせんと奮闘しているのだ。あたしも負けていられない!
とはいえ決意するのは簡単でも、行動で実現させるにはどうすれば──
ドオオォォン‼
「ひぃぃ⁉」
重巡αの側砲が咆哮し、先ほど沈黙させた第一・第二主砲を甲板もろとも吹き飛ばす。
『四ヶ郷さん無事~? 当たってないわよね~?』
「だ、大丈夫です……っ!」
頭を抱えて伏せているところに、場違いなまでに呑気な縁さんの声が聞こえてくる。せめて『今から撃つわよ』くらい言ってくれよなんのための念話だよ!
爆煙が風に掻き消されると、甲板は羊羹をスプーンでくり抜いたように根こそぎなくなっていた。千切れた配線がバチバチと火花を散らし、装甲の一部は熱で溶解してドロドロだ。
『じゃあもう一発、今度は船尾いくわよ!』
ドオオォォン‼
「うぅ⁉ ああぁぁああっ!」
心の叫びが届いたのか、今度は予告──了承は求めてこない──からの一撃。超至近距離から発射された直撃弾に船体が大きく揺さぶられる。あたしは手摺にしがみ付いて事無きを得たが、衝撃に耐えられなかった魔鋼兵は振るいにかけられるが如く姿勢を崩し、外周にいた者は船外へ弾き出される。
あたしもろともなのはこの際置いといて、縁さんが主砲を動かしたということは、重巡αの制御掌握が順調に進んでいる証拠。どうかこのまますんなり──
『うん、無理ね!』
「は⁉ む、無理って何が?」
悪い意味で期待を裏切ってきた縁さんの白旗発言に敬語も吹っ飛ぶ。
『途中までは調子よかったんだけど、急にセキュリティが固くなって。主砲の制御も取り返されちゃったし、これじゃお手上げね』
おどけた顔で両手を上げる縁さんの姿が眼に浮かぶ。
《まあ、こういう日もある》
そして焦りまくるあたしとは対照的にやたらあっさりしたトラ。
「だってここまでやってそんな簡単に──じゃあどうするんですかこいつら⁉」
問答している間も魔鋼兵はわらわら湧き、数が増えないように食い止めるのが精一杯だ。マジでどうすりゃいいんだこの状況⁉
『仕方ないからここで二隻とも沈めちゃいましょ』
「……いやいやいや!」
それができないから片方鹵獲ってとてつもなく面倒くさい作戦にしたんじゃないの⁉ できるならやろうよ最初から!
『んなわけで四ヶ郷、ここでネタばらしだ』
『今回の作戦はあなたに魔鋼兵との実戦経験を積ませるために立てたのよ』
「え? ……え?」
『もちろん敵艦も鹵獲したかったけれど、ダメだった時のプランはちゃんと練ってあるわ。今からそっちに作戦移行よ。黙っていてごめんなさいね』
「──……」
っんだよそれ! あたしの苦戦も失敗も初めから全部予定通りってわけかよ⁉ つか謝罪こそ口にしてるけど悪いとは毛ほども思っていないのが丸わかりだっての。
『とりあえず念話機器は全部壊したから、退却して問題ないわ』
「でも、こっちのはまだ活きてますけど?」
『さっき電信室に主砲撃ち込んだでしょ? だから大丈夫よ』
「ああ……なるほど」
どうやらあたしみたいなひよっこが思いつく程度の問題はとうの昔に対策済みらしい。ホントに一から十まで掌の上だなおい!
『つー話だからよ、お前もそろそろ離脱していいぞ。こっちも上甲板の砲はあらかた潰したから、空に上がって距離を取れば問題なく逃げられる』
「……そうですかよ」
やりとりの間も魔鋼兵は変わらず攻めかかり、現場の危険度は変わらないというのに、どこかに穴でも開いてるんじゃないかってくらいにやる気が萎んでいく。
「ああ、もうっ! 来い『兵香槍攘』!」
苛立ちに任せて先刻壊してしまった魔兵装の銘を呼ぶと、所望の長槍はシュパン! と音を立て、揺らめく炎をまとわせながら手に納まった。
「あれ? でた」
いつもなら破損した魔兵装を再び呼びだすにはもう少し時間がかかるのだが、想定外にすんなり現れてくれて驚く。
「そんじゃまあ、とっとと逃げるか」
土産がてら手近に倒れている魔鋼兵から小銃と闘剣を拝借し、『兵香槍攘』を空に掲げて突撃を発動。生き残った魔鋼兵たちがバリバリ飛ばしてくる鉛玉を回避しつつ上昇。来た時とは逆の軌道を描いて傷付いた重巡βより離脱する。上空にて俯瞰すると、抉られた甲板の惨状が敵艦ながら痛々しい。あれがこれから沈むのかと思うと、なぜだかいろいろ感慨深い。
押し寄せる感傷もろとも振り切り、初めは緊張でいっぱいいっぱいだった集結地点に舞い戻る。お膳立てされた作戦とはいえ、怪我もなく無事でよかった。この結果も二人の想定内なのかと考えると業腹だけどもね。
「おお、先に着いてたか」
ほどなくして『闘奔勢走』を纏った椿さんが背中に縁さんとトラを乗せて帰ってきた。こっちはあたしとは違って戦場に慣れまくっているので、いつも通り余裕綽々な風体である。
「ご苦労様、四ヶ郷さん」
「……はい、そちらも」
「魔鋼兵はどうだったよ? 安い物量でジリジリ圧されるってのも結構キツかっただろ?」
「……で、どうすんですかあいつら?」
我ながら大人気ないいけずな対応。あたしのためにいろいろ考えてくれたのはわかるし、だからこそ秘密にしとかないといけない事柄だったんだろうけど、感情は別問題だ。これぐらいつっけんどんでもバチは当たるまい。
「んな怒んなよ~。死ぬ気でやらなきゃ訓練になんねーだろ?」
「まあまあ椿。この子の心情を思えば当然の反応よ」
ニヤニヤしながら肘でグリグリしてくる椿さんを、縁さんが和やかに制する。腹は立つのに二人のやり取りを目の当たりにして安心してしまっている自分がさらに憎い!
《無駄口なら動きながら叩け! いいからさっさととどめを刺せ!》
「応さ! 形態変更だ『闘奔勢走』!」
トラの苛立ちの混じった急かしをサラりと受け流し、椿さんは気前よく叫び上昇する。形態変更と言ってもここからわざわざ滑翔形態になる意味があるのか?
首を傾げるあたしに見せつけるように、肩の後ろに接続されていた『闘奔勢走』の車輪部が分離し空中で制止。次いで左右の車輪部は互いの位置を入れ替えて再接続。椿さんは車輪が前面にくる形になって着地した。
「『闘奔勢走』砲撃形態!」
「まだあんのかよそういうの⁉」
「注文通りのリアクションをありがとう」
《欲しいタイミングで欲しい反応がくるってのは気持ちのいいもんだな》
初見である第三の形態に、本日渾身のツッコみ。そして満足そうに頷く一人と一匹。
魔界に飛ばされてからこっち、口頭・脳内を問わずツッコんでばかりだ。あたしってこんな役回りだったっけ? これが立場は人を変えるってやつなのか? いや絶対違う。
「アンカー打設」
あたしの苦悩を余所に、『闘奔勢走』の脚部よりガシン! と鋭くも厳つい杭が数本打ち込まれ、纏った魔兵装ごと大地に固定される。
「『境界閃』接続」「『境界閃』接続、了解」
縁さんは『境界閃』を構え、『闘奔勢走』の背中にある鍵穴のような溝に差し込み、エンジンをかけるようにカチリと回した。
「注入開始」「注入開始、了解」
縁さんが状況を告げる度に椿さんが復唱し、準備が着々と進む。マジで何が始まるのさ?
「変換機構始動!」
グゥオオォォオオン──
低く重い駆動音とともに、『闘奔勢走』の端々が純白に輝きだす。
──キイイィィイイ!
駆動音は次第に高く軽いものへと変調していき、純白の煌めきは徐々に漆黒へ塗り替わっていく。『境界閃』より送り込まれた天力を、『闘奔勢走』が魔力へと変換しているのか。本来であれば共存し得ない、相反する二つの力を用いる『境界閃』だからこそできる芸当か。
「魔力充填率80%!」
「そんだけ溜まりゃあ十分だ!」
「了解! 変換機構停止! 周囲に障害物なし! 安全装置解除! 発射準備完了!」
早口に縁さんは告げ椿さんの肩をパンパンと叩く。
「さあ──消し飛べよぉぉおお!」
──ギュィィイイィィン‼
「うぉわ⁉」
小気味悪い発射音を伴い、赤黒くおどろおどろしい二条の高圧縮魔力閃が『境界閃』を接続した『闘奔勢走』より生みだされる。衝撃波に砂塵が舞い上がり、咄嗟に『兵香槍攘』を地面に突き立てて踏ん張る。
滅びを運ぶ光の向かう先には、先ほどまで甲板上で暴れ回っていた二隻の重巡──
ドォォ!
高圧縮魔力閃は重巡αの船尾に命中。煌々と輝いていた機関部を一瞬で停止させ、光撃さえ弾き返すぶ厚い装甲を難なく貫いた。まるでつくねに竹串を指すように、いとも簡単に。
「四ヶ郷! 押せぇぇ!」
「は? え? へ⁉」
怒涛の展開についていけず呆けていたところ、呆けさせている本人からお呼びがかかる。
「地盤が脆くて姿勢が安定しないの! 後ろから支えて! 早く!」
見ると『闘奔勢走』は地面に固定されているのも構わず前方に跡を引き、ゆっくりと後退している。
「あ……はい!」
縁さんの切羽詰まる説明と現状把握でようやく意味が伝わり、駆け足で二人の背中へ回る。縁さんが右に逸れたので、あたしは左側を支える。
「……ぐぉぉ!」
間近で迸る魔力閃に眼が焼かれる。ただでそこらじゅう赤くてチカチカするってのに、間近でこんなのやられたら治まるまでどれだけかかるのやら。
「左に三度だ!」
「りょ、了解! 四ヶ郷さん、もっと強く押して!」
「は──はいぃ!」
砲手である椿さんの指示に、縁さんと押す角度を調整する。撃ち抜いただけでは不十分だから、横薙ぎに割いて一気に終わらせる算段か。たかが三度の修正でも、これだけ標的と距離があればすっごい振れるもんな。
あたしの思考を証明するかのように、重巡αは船尾から船首にかけてを横一線に貫かれて爆沈。重巡βは灼熱に消えゆく僚艦を見向きもせず全速で逃走を図るも、楽勝で射程圏のこちらを振り切れるわけもなく、早々に重巡αと同じ運命を辿る。どちらの最期もガス溶接で鉄板を溶断するのに似ていた。
「すっご」
二隻の魔鋼艦が一方的に蹂躙されていく様をポカンと眺めていると、『闘奔勢走』は充填した魔力を出し尽くしたのか、最初は極太だった魔力閃が徐々にか細くなり、やがて消え入るように霧散した。
「ふぅ~っ! 撃った撃ったぁ!」
一仕事終えた椿さんが満足そうに一息ついたのを確認し、『闘奔勢走』から離れる。
「……はえー」
魔力閃の痕が視界に残留する中、無理くりに双眼鏡を覗いて結果を確認してみる。
揃って上下真っ二つと相成った両艦は大爆発とともに地表に叩きつけられ、もはやただの鉄塊と化していた。撃沈地点は紅蓮の火炎を燃え上げ、向こう側の景色すら遮るほどの濃密な煤煙を立ち昇らせ、真紅の空を無作法に塗り潰している。
「はっはっは! どんなもんだ鉄屑どもぉ!」
宣言通り艦隊を消し飛ばしてみせた椿さんの横顔は、これ以上ないくらいに得意気だった。
「さーてさて、どうだったよ実際やりあってみて?」
戦場終わりの家路にて、すっかり恒例となってしまった反省会としゃれ込む。
「すみません。足を引っ張ってばかりで」
この一言から口火を切るのも、情けないけどすっかり恒例。
身も蓋もなく総括すると、これまでの経験がまるで役に立たなかった。
魔法少女戦で培われた感覚が役に立つどころか、邪魔をしてすらいた。
魔鋼艦や魔鋼兵は生物ではなく、造られた存在だ。だから生物と同じように対処しても倒せるとは限らないし、油断も手加減もしてこない。言葉を尽くしたところで聞きやしないし、きっとあたしがどんなに泣き叫ぼうと攻撃の手を緩めないだろう。これまで散々やってきた駆け引きや交渉も、ここでは役に立たない。
冷静に考えれば当然の結果だ。命を持たぬ者との戦いに、命を持つ者との戦いを叩き台にする発想そのものが間違っていたのだ。
今日だって椿さんと縁さんがいなかったら何度死んでたか、もはや数える気にもならない。明らかにそれとわかる失態に加え、無自覚にやらかしていたことだってあったはずだし。
持ち前の勘だけで窮地を切り抜ける段階は終わり、これからは心身ともに強くなって障害を打ち払っていかなければならないというわけだ。
「ったくよー、ヘマする度にいちいちヘコむなって」
「あなたはよくやっているわ。今回だってちゃんと生き残れたじゃない」
「縁さんたちがすべて把握した戦場で、ですけどね」
前後からの腫物扱いに、つい卑屈になる。
この戦闘があたしを鍛えるために用意された舞台だと聞かされた時、憤るのと同じくらい情けなくもあった。例え二人に管理された戦場であっても、あたしが二人の期待に応えられていればこういう結果にはなっていなかったからだ。
今回に限らず魔界に来てからのあたしは、戦闘への道筋から失敗時の援護に至るまで、椿さんと縁さんのおんぶに抱っこもいいところ。ここまでしてくれているのにろくに戦えもしないとか、マジで今までのあたしは何をやってたんだと。
そらあたしなりに満ち満ちていた自信も砂とともに吹き飛びますわって話だよ……。
「いいか、四ヶ郷──」
溜息とともに肩を落としていると、椿さんがチラリとこちらを見る。
「あーしらはあーしらが楽したいからお前に戦い方を教えてる。今は未来への投資期間で、凡ミスくらいは織り込み済みさ。気にし過ぎしない程度に気にしてくれりゃそれでいい」
「うんうん。この調子でいけば来月の終わりくらいには使い物になる予定だから。そしたらうんっと熨斗付けて返してね」
「は、はあ」
そういうせっこい思惑まで本人にズバズバ言っちゃうのがこの人たちのスゲーとこっていうかヤベーとこっていうか。
「正直、自信ありません」
「大丈夫よ。口は出しても手は出さない猫もいるんだから」
《俺には脚しかねーよ》
「……お前、この空気でそれ言っちゃう?」
いい意味でも悪い意味でもブレないトラを全力で放置。
「こういうのに決まった方法とかないから、すべては四ヶ郷さん次第よ」
「っすね。あーしらがお前に何か教えたとして、お前ができるようになった時のやり方はあーしらとは別もんだし」
その考え方は痛いほどわかる。肉体を使ったあれこれは、座学の問題みたいな明確に決まった答えはない。触りの説明はそこそこに、自分なりに考え噛み砕き、試行錯誤して正解を探し当てるのが常道だ。結局どれだけ高名な先生に導いてもらっても、どう気付きどう成長していくかは本人次第というわけだ。
「……わかりました。まずはやってみます」
観念して頷く。腕っぷしですら遠く及ばない方々に、口で挑んで勝てるわけもない。
当てにしすぎるのもよくないけど、せっかく頼れる仲間がいるのだから、使えるものは全部使って泥臭くやっていくしかない。差し当たっての目標は、来月の終わりくらいには使い物になるという、縁さんの見立てを裏切らないところからか。
なんだかんだカッコいいよなこの人たち。厳しさと優しさをいい塩梅で併せ持つ感じとかとくに。あたしは唯姉さんみたいな優しさで包み込む振る舞いはできないし、二人の姿はあたしが目指す理想の先輩像なのかもな。……当人たちには口が裂けても言ってやんないけども。
「でも絶対迷惑かけますし足引っ張りますから。いいですね?」
もはやただの開き直りだが、言ってしまった以上やり抜くしかなくなってしまった。こうして人は追い詰められていくのか。
「はは! お手柔らかに頼むぜ」
「いい感じで締めようとしているみたいだけど、授業は休まないわよ?」
「……はいっす」
あわよくばとよぎる微かな望みも、後ろに座る先生は摘み取ってくる。
こうしてあたしの非日常は、その中でも比較的日常成分が多く含まれる時間へと戻っていくのだった。
「せぇ~のっと!」
バサァ!
「うう! さぶ……っ」
先日の戦闘から数日後のある休息日、当てがわれている部屋に何者かがノックもせず入り、かけていた毛布を無慈悲に引っぺがしてくる。
「おうおう、四ヶ郷! 朝だ起きろ!」
股の間に両手を差し込み、胎児のように丸くなるあたしを、椿さんは楽しそうに見下ろしている。すでにこの時点でムカつく。
「うう、まだ起床時間じゃ……」
枕元の時計を弄ると、案の定草木も眠るド深夜だった。洞窟の中なので朝になるからって明るくなるわけではないので、ここでは時計が示す数字だけが頼り。
「まったく、なんですかこんな時間に?」
眉間にシワを寄せ、鬱陶し気に呟いてみせる。まさか腹が減ってるから夜食作れとかじゃないだろうな?
「休息日だからってダラダラしてんじゃねぇ! そら、起きた起きた!」
こちらの言い分などお構いなしに声を張り寝床を揺すり、あたしを起こしにかかる椿さん。
「あ~はいはい。わかりましたから静かにして下さいよ~」
当て付けるようにグチグチ文句を垂れ、ひとまず身体を起こす。
「よし! さっさと準備して行くぞ!」
「え? 行くってどこに、ですか?」
「狩りだ!」
「狩り⁉ ……なんでまた急に? てかなんの?」
起き抜けに突拍子のない提案を投げられ、頭からはてな印がポコポコ生える。
「いつも訓練授業戦闘ってのもアレだからな。たまには違うことして気分転換しようぜって話さ。当然だが、お前に選択肢はない。だから行くぞ!」
「はあ……?」
気を回してくれといて選択肢がないとはこれいかに。
「いや、身から出た錆でもあるんで、わざわざ気を遣ってもらわなくても──」
「当然だが、お前に選択肢はない。だから行くぞ!」
「…………ですから──」
「当然だが、お前に選択肢は──」
「ああぁぁもううるっさい‼ わかりましたよ行くよ! 行けばいいんでしょ行けば⁉」
「は! 最初からそう言やいいんだよ。手間のかかる居候だな」
「んぐ! こんの──」
理不尽に込み上げる怒りを、拳を震わせて抑え込む。
先日、一瞬でも『やっぱこの人カッコいい!』とか思ってしまった己を張り倒したい!
どれだけ面倒見が良かろうと、この人は根っこの部分でこういう人だった。猪突猛進で自分勝手で、一度決めたら気が済むまで止まらない暴走バイク。あたし、一発くらいならこの人殴る権利あると思うんだよな。恩人ってのは脇に置いてさ。
「なんだよ? あーしの顔に何か付いてんの?」
「……いえ別に」
などと考えこそすれ、実際に行動を起こす度胸などあるはずもなく、あたしはせめてもの抵抗とばかりに嫌そうな顔をして、唯々諾々と身支度を始めるのだった。
「「「────」」」
みんなして黙して語らず、切り取られた絵画のような景色にただただ集中する。
強くも弱くもない風に擦れる枝葉。遠くに囀る虫や鳥の鳴き声。……あとは自分の吐息と心音くらいか。とにかく静寂が大音量である。
『ホントに来るんですか?』
音漏れ防止の観点より、会話はすべて念話にて行われている。
かれこれ一時間、寝不足に加えて変化の乏しい光景を延々眺めさせられる静かなる波状攻撃に、三十秒に一度は込み上げる欠伸を噛み殺す。
『焦らない焦らない』『待つ時間もひっくるめて狩りだ』
何かと小慣れた二人から助言を賜りつつ、そういや詩乃も釣りの時似たような話をしていたなと思い出す。釣りにしろ狩りにしろ、早急に結果を求めるようじゃできない趣味か。
ちなみに本日は戦闘じゃないのでトラはお留守番。いたらいたであいつは文句ばっか言うだろうし、お互いいい選択したな。
「……ぁ」
それはこの際置いておくとして……とにかく暑くて蒸し暑い。
あたしたちが張り込んでいるのは、窪地を軽く掘りって天幕を張り、上に落ち葉をかけて隠蔽した、獲物を待ち伏せるための臨時塹壕だ。その中で三人川の字でうつ伏せに寝そべり、来るかもわからない獲物が現れるのをひらすら待ち続けている。
中は掘り起こした土の匂いと湿気が天幕に遮断されているのでとにかく蒸れる。あたしたちの体温も相まって、蒸し風呂とまではいかないまでも不快指数がヤバい。すでに魔装衣は汗でベタベタ。あたしと違って二人は魔装衣を洗濯しなきゃなのに、ホントよくやるよ。
「……ぅ……ぉ」
『動くな!』『獲物が逃げちゃうわ』
『す、すいません!』
熱さに加えて長時間同じ姿勢で身体が痛くなり身じろぎしてしまうと、二人から鋭い叱責が飛んでくる。あまりの理不尽に『じゃあなんで連れてきたんだよ?』とうっかり念話に乗せそうになり、集中を総動員して抑える。
「……──」
過去にない種類の時間との戦いに、ちょっとでも気を紛らわせられるものはないかと、椿さんが構えている猟銃に眼がいく。
光が反射して獲物に気取られないように、金属部分には迷彩色の布が撒かれ、わずかに塹壕から出た銃口はここからでも区別がつかないほど景観に擬態している。その道の知識皆無なあたしだけど、それがおおよそ趣味の範ちゅうで収まらない代物なのはわかる。
『お出ましよ』
『っ!』
消え入りそうな縁さんの囁きに緊張が走り、渡されていた双眼鏡で現れた目標を確認。
椿さんが狙い澄ます銃口の先には、黒がかった毛並みにクリッとしたお眼々がかわいらしい魔界の鹿が三匹ほど。角があるのは一匹だけで、さらに一匹は子供なのか体格が小さい。
あたしたちがいるなどとは露ほども思っていないだろう鹿一家は、散歩でもしているかのようなのどかさで、様々な赤が織り成す魔界の森林を歩んでいる。
『南東の風、3メートル。目標との距離、40メートル』
『あいよ』
縁さんが周囲の状況を伝え、椿さんが小銃に乗ったデカい照準器の摘まみをカチカチいじる。
双眼鏡を握る手に汗が滲む。
あたしたちが何気なく使っている『魔獣』という言葉は、あたしたちの世界で言う『動物』を意味する。哺乳類がいて爬虫類がいて、草食がいて肉食がいて、地を駆ける種や空を飛び海を泳ぐ種が存在している。そして、言語を介する魔獣と介さない魔獣。
あたし自身が王様や直参衆等々お偉方とばかり交流してるから忘れそうになるけど、言語を介す魔獣はむしろ稀で、大半の魔獣はあたしたちの世界に生息する動物同様、言語による意思疎通ができない。ここみたいな人の手が届かない大自然の中では、ああいった動物系魔獣と出くわす方が普通なのだ。
『どっち狙うの? 私は親の方がいいかな。大きいし』
『柔らかさなら子供のがオススメっすよ。……でもたまには腹いっぱい食いてーしなー』
二人とも理性を保ちつつも食欲が刺激されているのか、珍しく皮算用を呟く。
魔獣は魔人のように、自力で魔力を生み出す術を持たない。ではどうやって自然界の魔獣は生きていくための魔力を工面しているのか? 言うまでもない。魔獣同士が戦い、勝者が敗者を喰らうのだ。魔獣が魔人との対立で窮地に立たされてなお闘争を好むのは、心身に刻まれたこの習性に由来する。
生きようとする力の弱い個体は淘汰され、強い個体の血肉になる。悲しいほどに残酷で、けれど当たり前に存在する自然界の掟。
──という見方をすれば、魔獣が魔界にとっての動物というのも理解できる。無論あたしたち人間とて、この法則に無関係ではいられない。
長々と何が言いたかったかというと、人間も魔獣を食べるのだ。
今日まで守ってきた魔獣たちを、食べるために殺す。単純にして明解な行為が、理屈では理解できても心が納得しない。
おそらく魔女一派の中で、魔獣を一体も殺めていないのはあたしだけだろう。
あたしにとって魔獣を守るということは、魔に身をやつした目的そのものに等しい。だけど他のみんなにとっては、自身の目的を達成させるために選び取る手段の一つでしかない。
人の信念をとやかく言うつもりはない。様々な価値観や境遇、出会いを経て今の魔女一派があり、目標に向かって進む姿こそが命の輝きだから。
であるからこそ、あたしが魔女である証明・矜持・信念を、ここで覆すなんてできない。それらの中には、今あそこにいる鹿たちも含まれているのだから。
『……椿さん』
『なんだ?』
『……やめませんか、狩り』
『ダメだ。あいつらは今日の獲物だ』
一考の余地なく、あたしの願いは取り下げられる。
『木の実や山菜も、もっとたくさん探します。食糧だって切り詰めればどうとでもなるじゃないですか? 缶詰だってまだたくさん──』
『あれは二人と一匹分の食糧だ。お前が増えた分、どうしたって足りなくなる。それに缶詰は日持ちする。できるだけ温存して、現場で調達できる物は調達しておくべきだ』
『で、ですけど──』
『お前、単にあいつら殺したくないだけだろ? みっともない言い訳つらつら並べてよ』
『……うぅ』
図星も図星すぎて反論のしようもない。
『お前、昨日だってうまそうに干し肉食ってたよな? 思考と行動の筋が通ってねーぞ』
『っ! だって』
視線は鹿に向けられたままなのに、直接射すくめられたように言葉が詰まる。
『まあ、あれは牛だけどね』
椿さんを挟んだ向こうから縁さんが茶々を入れるも、拾えるだけの余裕もない。
『もう一度聞く。干し肉や缶詰はよくて、あいつらがダメな理由はなんだ? 答えられたら撃つのをやめてやる』
『……それ、は──』
『早くしろ』
『⁉ ぁ、うぅ』
いつもらしからぬ冷淡な椿さんの口調に、すっかり萎縮してしまう。
あたしの気持ちは決まっている。だけど言えない。魔獣を死なせたくないから殺すのをやめて下さいなんて。根拠も正当性もないただのわがまま、ぶつけていいわけがない。
話してみたところで、怒られたり殴られたりするわけじゃないのはわかっている。でも今のあたしは、二人に失望されてしまうのが何より怖い。人にどう思われるかが気がかりで本音を躊躇っているなんて、信念や矜持が聞いて呆れる。
「はあ……。四ヶ郷よ』
実際にため息一つ吐き出し、椿さんは念話を寄越してくる。
『お前が料理得意なおかげで、あーしらはマジ助かってる。本当だ。あっちにいる時もいろんなもんみんなに作ってたんだろ?』
『……それなりに』
『だが生きてる奴をてめぇで獲った経験はねーだろ?』
『……いけませんか?』
『いいや。猟師にでもならない限りそんなもんさな』
だがここじゃそうも言ってられねんだよと、椿さんは淡々と続ける。
『この世界にはスーパーもコンビニも商店街もない。腹が減る前に、飢える前に自分たちで獲るしかないんだ。お前だってそれぐらいわかってるだろ?』
攻めるでも咎めるでもない椿さんの問いが、否応なく突き刺さる。
『あたしだって……買った肉が切り身のまま走り回ってたなんて思っちゃいませんよ!』
魔力に乗った声なき声でみっともなく叫ぶ。
よく声を荒げなかったと自分でも思う。ここで大声を上げれば鹿の家族にあたしたちの存在を知らせ、追い払うことだってできた。そうしなかったのは一重に、生きるためには何を置いても食べなければならないという、二人の考えの方が正論だとわかっていたからだ。
『でも! あたしは魔獣を守るために──』
『うん、みんな知っているわ。あなたが守って、積み上げてきたものを』
椿さんを挟み、向こう側から縁さんが話しかけてくる。
『だったら、お願いですから──』
『できないわ。私たちは生きなきゃいけないの。例えここであの子たちを見逃しても、必ず私たちの食糧はひっ迫してしまう。先送りにするわけにはいかないの』
わかっていた答えが、揺るぎようのない答えが、またしても淡々と届く。
『縁、さん……っ。あたしは──』
『仕方がないの。どうしようもないの。私たちが守り続けるためには、私たちが生き続けなきゃならないんだから。……四ヶ郷さん。あなたは今日、それを知識から経験にするの。眼を逸らしちゃダメ』
知識を経験にする。何度となく自身に言い聞かせ、様々な人たちにも伝えてきた、あたしの教訓の一つ。その言葉が今、かつてない威力を伴い、容赦なくあたしへ跳ね返ってくる。
『よく見とけクソガキ。これが生きるってことだ』
もはやあたしの答えなど待たず、椿さんは無感情なまま引き金に指をかける。
「ちょっ! 待──」
銃声──
「あここでスパイスを~っと~♪」
大きめに切り分けられた鹿肉を網が曲がりそうなほど敷き詰め、椿さんはノリノリで塩とコショウを振りかける。したたる肉汁が炭に落ち、ジューという音が耳に届く。
焼き台はドラム缶を縦半分に切断して寝かせ、中で炭火を焚く形式。これこそまさに野外料理といった風体だ。洞窟内の暗さも相まって、夜の宴感がスゴいったらない。
子鹿を猟銃にて仕留めたあと、椿さんは獲物をアジトまで運び、縁さんと一緒に解体からここまで全部やってくれた。ちなみに『闘奔勢走』の荷台に縛った都合で、あたしは『兵香槍攘』に縁さんを乗せて突撃で帰ってきた。
料理はできないクセに魔獣の解体はできるのかと、言いたいことは多々あれど、徹頭徹尾丸投げして不貞腐れていたあたしに文句を垂れる筋合いはあるまい。
「これ、もういいんじゃない?」
「そっすね~。おい四ヶ郷! 皿だせ皿」
「は、はい!」
ボケっとしているところで突然呼ばれ、条件反射で持っていた皿を差し出してしまい、焼き立てのステーキがステンレス製の簡素な皿に乗せられる。
ただ塩コショウを振って焼いただけの一枚肉だが、焦げ目からはジュージューと香ばしい音を立て、食欲を掻き立てるいい匂いが鼻孔へ入り込んでくる。彩のために温野菜を添えるようなお行儀のいい盛り付けなど不要の、見ただけ聞いただけでうまいとわかる一皿だ。
「うおお……っ」
朝の出来事があってなお襲いくる欲求の暴力に、ごくりと生唾を飲む。
このうまそうなステーキが今朝方まで親鹿たちと元気に森林を駆け回っていたと思うと、運命とは些細なきっかけで容易く変貌してしまうのだと痛感する。
「……──」
誤差なく眉間に撃ち込まれた弾丸が撒き散らす脳みそ。衝撃で飛び出した両眼。吹き飛ばされた後頭部より立ち昇る湯気。銃声にキンとなる耳と硝煙の臭い。魔界を彩る赤とはまた違う血の赤色。子供の最期を見向きもせず逃げ去っていく二匹の親鹿。
振り返っているうちに一部始終が余すところなく再生されてしまう。
「ああ~たまんね~っ!」
「靴底より厚いステーキなんて久しぶりよねー」
人が様々な葛藤に苛まれているのを余所に、二人はガシガシステーキをナイフで切り分けてはせっせと口へ運び、命の恵みに舌鼓を打っている。
「四ヶ郷さん食べないの?」
「腹が減ってないわけねーよな? 今朝から何も食ってねーんだから」
ご名答。あたしの心情など一片の配慮もなく、お腹の方は昼を越えた辺りからグーグーと鳴りっぱなしだ。眼の前で子鹿が撃たれたのが衝撃的で食欲が湧かない。そうなってもいいはずなのに、肉体は皿に乗ったステーキをこれでもかと求めている。なんて現金な身体なんだ。
「ここまできて食えねってんなら、お前がやってんのは命への冒涜だぜ?」
「それは人間のエゴでしょ?」
どこか得意気にしている椿さんの横合いから、縁さんがしれっと割り込む。
「え? いや、だって先輩──」
「おいしくキレイに食べてあげるのが供養だって言いたいんでしょ? 私だったらどう食べられようと絶対許さないわ。だって殺されているのよ? 末代まで祟っても足りないわよ」
「……確かに、そうかもしれねっすけど~」
見せ場を潰され、椿さんは拗ねて唇を尖らせる。
縁さんも意地が悪いなと呆れつつ、あたしに椿さんばかりが悪者に写らないよう帳尻を合わせてくれたんだなと察する。こういう何気ないやり取りの積み重ねが、人間関係を円滑に進める秘訣なんだろうな。
「私たちを含めすべて命は、他の命を踏みにじって生きている。例え息の根を止めたのが自分じゃなくってもね。いただきますって、関わった命みんなにお礼を言っているの」
動物の命に始まり、その命を積み取る人。肉を切り分け加工する人。お店に運送する人。お店に並べて売る人。買って調理する人。最後に、食べる人。
あたしが経験した役目なんてたかが下から二つだけ。ほとんど都合よく結果だけを無意識に享受しているだけの側だ。今まで散々肉や魚を食べておきながら、いざ生きている魔獣を狩るのはかわいそうだなんて。これだって立派なエゴなのに。
「あなたが文字通り命を賭けて魔獣を守ってきたのは、みんなが知っているわ。でも守るためには生きていかなきゃならないわよね? 飲まず食わずってわけにはいかないもの」
そのためには言葉を介さない魔獣の命は軽んじてもいいとでも言うのか? それだって人間のエゴじゃないのか? おかしいだろそれ……。
「矛盾しているわよね? 私もそう思うわ。だからこそ、眼を逸らしちゃダメなのよ」
さあ、せっかくのご馳走が冷めちゃうわよと、縁さんは微笑む。言葉も仕草も椿さんと違って優しいけど、有無を言わさぬ気迫を放つのはこちらも同様だ。
「……──っ」
ナイフとフォークを手に取り、皿のステーキをゆっくり一口大に切り分ける。
「……あむ!」
意を決して──あるいは観念して──恐る恐る口へ運ぶ。まずは口の中で転がし、然るのちゆっくりと咀嚼していく。
「どうよ?」
椿さんは頬杖を付いて、『うまい以外の感想があるのか?』とでも言いたげな視線──人はそれを同調圧力と呼ぶ──を寄越してくる。
「っ! っ!」
どうよも何もめちゃくちゃうまい! 表面はしっかり焼いているのに中は柔らかく、どこか甘みの漂う濃厚な脂にしつこさはない。塩コショウをさっと振っただけの簡素な味付けではあるものの、故に小細工なしの真っ向勝負感がたまらなく愛おしくててんてこまいだ。
途中から支離滅裂でわけわからんけど、これならお腹の容量が許す限り食べ続けられる。
「おいしい、です」
「はは、だろ⁉ 当ったり前だ! 獲りたての焼き立てだぜ? つか一から十まで自分たちでやってんだから不味いわけねーだろ」
この気持ちを言葉に起こしたところで理解されるとは到底思えないので、とりあえず一言だけ告げると、椿さんは満足そうに破顔した。
「あたしは、見てただけですけど」
「現場にいたなら十分当事者さ。ほれ、もっと食え食え!」
一気に機嫌をよくした椿さんは、あたしの皿に焼き上がったばかりのステーキをほいほい乗っけてくる。いくらうまいとはいえ限度がと思いつつも、ここで椿さんの笑顔に水を差してしまうのは気が引けるので黙る方向で。
「我を通したけりゃ強くなれ。ペラい言葉だけじゃ人は動かないし動かせない。お前もそうやって魔法少女相手に生き残ってきたんだろ? なら、ここでも同じようにやってみせろ」
ステーキの焼き加減に注視したまま、椿さんが呟く。辛辣と分類して差し支えないその言葉が、この人なりの励まし方だ。
「わかりました」
「はん、返事だけは一丁前に速いな」
出会い方はどうあれ、あたしたちはかれこれ一月近く一緒に生活している。この程度の機微を見抜けないほど、あたしも腐っちゃいない。
《青春ごっこは終わったか?》
さっきからやけに静かだと思ったら、物陰でトラが鹿肉の切れ端をガツガツ食していた。
「え、え~……」
《まったく、黙って聞いてればグヂグヂと。弱い奴が強い奴の血肉になるのは当然だ。観念して命を受け取れ。エゴ以前に、死んじまったら食わねえともったいないだろうが》
魔獣の王子からしてこれと考えると、魔獣を食べる食べないで真剣に思い悩む人間のあたしは、とてつもないバカなのではないかと思えてしまう。
「んん~っ! やっぱりステーキにわさび醤油ってサイコね~。お酒にも合う合う~♪」
さらに追い打ちをかけるように、縁さんが居酒屋のおっさんみたいな感想を口ずさみ、ほくほく顔で帝酒を引っ掛けていた。てかすでに出来上がっている。
あたしが疲れ果てて寝静まったあとも、二人で酒盛りしていた日もあったからいける口らしいのは知っていたが、ついに未成年の前でも堂々とやり始めたか。別にいいんだけど。
「……ダメよ。暁は二十歳になるまで飲酒禁止でしょ?」
もの欲しそうにしているとでも思われたか、縁さんは酒瓶を守るように懐へ抱き寄せる。
「わかってますよ」
興味がまったくないわけじゃないけど、あたしとて若いうちから吞んだくれてパーになりたくはない。家系的にもそこまで強いわけじゃないっぽいし。
嘆息しつつ、べらぼうにうまい子鹿のステーキをもう一切れ。
美味なのはもちろんだが、知性がないとはいえ守ってきた魔獣を食べてしまった罪悪感も絶無ではない。これからの人生、あたしは肉を切る度、焼く度、食べる度、今日の出来事を思い出すだろう。教訓として。戒めとして。あるいは呪いとして。
そして思い出さなくなってしまった時が、あたしがあたしでなくなってしまう時だ。我ながらめんどくさい性分だよ。何を食べても気兼ねもなくおいしいと感じられなくなるんだから。
だとしても構わない。これがあたしの、四ヶ郷棗の生き方なんだから。




