第四章
「ふああぁぁ。おはようございま──」
パァンッ!
言い終わる前に派手な音を立て、頭に軽い衝撃が走る。
「痛ったぁ! 何すんですかいきなり──」
パァンッ!
言い終わる前に派手な音を立て、頭に軽い衝撃が走るパート②。
「…………」
無言の椿さんが握りしめているのは、今日日暁のお笑い番組でも見かけないコッテコテのハリセンだった。
「あの、だから椿さ──」
パァンッ!
こちらの話には一切応じず、椿さんは三度ハリセンを振り下ろす。
「ああもう! だからさっきからなんだって──んだ……あ!」
理不尽すぎる仕打ちに怒髪天を突かんとした矢先、ふと思い出す。
『明日は朝から暁語禁止な! 破ったら一回ごとにハリセン一発な! 忘れんなよ!』
早いものでメルーピアル語を習い始めて約二か月。そろそろ実戦的な学習も必要だという椿さんの一方的な宣言により、本日は暁語禁止デーと相成っていたのだった。だとしても朝っぱらから始めることねーだろせめてよーいスタートぐらいの音頭は取ろうぜ⁉
「……ふっ」
激情を戒めるあたしを見下ろし、椿さんは『やっと思い出したか』とでも言いたげに鼻を鳴らす。いつもは朝食ができるギリギリまで起きてこないクセに、こういうイベントには喜々として出張ってくるんだから。
「●おはよう、四ヶ郷さん。今日もいい天気ね」以降●はメルーピアル語。
墓穴を掘らぬよう口を閉じ、朝食を作るため改めてリビングに入ると、そこにはすでに普段通り背筋を正して着席する縁さんの姿があり、本日のルールに則って流暢な──というか本場の──メルーピアル語で話しかけてきた。洞窟の中なので天気は知らんけども。
「●……おはようございます、縁さん」
黙っていても始まらないので、たどたどしくも返事をして会話に応じる。ちなみに縁さんの腰にはいつもの『境界閃』ではなく、キレイに折られたハリセンが差されている。……もしかして笑うとこなのかコレ?
「●今日の昼食は何かしら? お腹が空いて仕方がないわ」
「●すぐに用意しますので、楽しみに待っていて下さい」
「●楽しみも何も昨日のカレーでしょ?」
「●……まあ、そうですけど」
メルーピアル語でやり取りしながらキッチンに周り、縁さんのご指摘通り昨日の夕飯で余ったカレーを火にかけ、昨日のうちに作り置きしておいたご飯を電子レンジにセットする。
「●さてさて、今日は何発叩き込めるか楽しみだぜ!」
聞こえよがしに言い、椿さんもいつもの席にドカリと腰掛ける。メルーピアル語でも椿さん節は健在のようだが、下手に乗っかってボロがでるのもイヤなのでやり過ごす。
朝食は基本的に余り物やお手軽品ばかりなので短時間で用意できるのだが、本日はカレーということもあり、輪をかけて早く食卓に並べていく。今日はまだ姿を見てないけど、トラの分も皿に盛って床に置いておくのも忘れない。
「●いつもありがとう。さあ、いただきましょう」
「●ちょっと待って下さい」
そして着席の前に寝室からハリセンを持ってくるのも忘れない。二人とも最低でも一発ずつは絶対引っ叩いてやるぞ!
「●では、いただきます」
「「●いただきまーす」」
不退転の決意を胸に手を合わせる。
「●しっかし三日三食連続でカレーか。いくらなんでも作りすぎたんじゃねーか?」
「●嫌なら食べないで下さい」
「●嫌なもんか。お前のおかげですっかり大好物さ。日を跨いだ方がうまいしな」
「●ところで四ヶ郷さん、この間だした地学の課題だけど、どんな感じかしら?」
「●その件でしたら──」
とりとめのない会話の裏に緊張感を滲ませつつも、向こうさん方はあたしに合わせてゆっくりめに喋ってくれているので、どうにか今のところは問題なく受け答えできている。
こちとらなんてったって二か月もの時間をかけてメルーピアル語を叩き込まれたのだから、日常会話くらいできなくてどうすんだって話だかんね。
習い始めの頃は頭に思い浮かべた文章をメルーピアル語に訳してから声に出していたが、近頃は深く考えずにスルっと言葉が出るようになってきた。我ながら人の成長ってスゲー。
縁さんの提案──という名の決定事項──に、当初は話の流れが急激すぎて面食らいこそしたものの、今にして思えばありがたかった。
二か月前、時に音楽は国や民族の垣根をも超えて心を揺さぶるのだと身をもって知った。同時にお互いがお互いを解り合うためには、精神面だけでなく実利面でも繋がる必要性も痛感した。そのための第一歩が、相手の言葉を学ぶことだ。
縁さんの方針通り、読み書きは文字と簡単な単語、自身の名前など本当に触りだけを習い、あとはひたすら会話の訓練だった。
簡単な日常会話に始まり、店員さんがおつりを間違えた時の対応。道を尋ねられた際の説明手順。警察・消防・救急への通報等々、限定的であっても遭遇する可能性が高いシチュエーションを集中して叩き込まれた。
自然に会話の中へ入っていくやり方や、一つの文章を一説いじるだけで意味や解釈をずらす裏ワザ等々、どれもすごく内容が濃く聞きがいがあった。
その際に、あたしたちの世界における言語事情も教わった。
現レビ=ラルダ平等連合である旧下層共同体は、新生メルーピアル連邦こと当時のメルーピアル共和国からの入植者が中心となって建国された国家だ。
しかしそこに至るまでには各島に住んでいる先住民族との熾烈な戦いの歴史があり、現代においてもその際に生じた軋轢が差別問題として社会に深く根付いている。
第三次天空大戦終結から四十九年。差別や偏見も昔ほどではなくなってきてはいるものの、未だかの国で幅を利かせているのはメルーピアル系であり、公用言語もそれに準じている。
とどのつまりレビ=ラルダ語の実態はほとんどメルーピアル語であり、この二つはもはや方言程度の差しかなく、実質的にメルーピアル人とレビ=ラルダ人は生まれながらにして二か国語を話せるという歴史的アドバンテージが存在する。
以上の点から、暁人は暁人というだけで国際的には不利になってしまう場面が多い。
まず言語体系が根本的に違い、習得そのものの難易度が高い。これは相手側にとっても同じ条件ではあるだが、二国はすでにお互いと問題なく会話ができるため、苦労してまで暁語を習得しようという意識が暁人ほど高くない。
なのでこのままではイカンと暁天空領もメルーピアル語とレビ=ラルダ語の習得を広く奨励し、学校の授業科目に導入しようとしていたのだが、習得した教師の数が圧倒的に不足し頓挫したのだとか。宮境高校にもいないし、全国津々浦々とはいかなかったのだろう。
ちなみに暁天空領の特別自治区である桜華公国と印幡王国は、漢字や文法など民族的に共通する部分も多く、メルーピアル語より格段に習得しやすいとされている。こっちの方は選択科目だけど授業もちゃんとある。
暁天空領と新生メルーピアル連邦は同盟関係にはあるものの、後者にとって気軽に話しかけられるのは、関係が良好とは言えないレビ=ラルダ平等連合。
この微妙に咬み合っていない三角関係も、不安定な社会情勢を引き起こしている原因の一つなのかもしれない。
かくして『あたしの国際化計画』という前代未聞な茨の道へ飛び込んだわけなのだが、難しいだけで何も不可能なわけではない。
現にここには暁語とメルーピアル語双方を完璧に解する人間が二人もいるのだから。人間誰しも必要に駆られたら嫌が応にも憶えるしかないって話なんだな。
『砂漠の薔薇』の連中も混血が故に暁語とレビ=ラルダ語両方話せるって言ってし、他国語を勉強している今となっては改めてあいつらのすごさがわかるぜ。
綺麗ごとかもだけど、ああいう双方の気持ちがわかる人たちにこそ、間を取り持つ架け橋になってもらいたいものだ。……その内二人を討伐したのあたしだけどさ。
「●──っ感じで進めてます」
「●なるほどわかりました。問題なさそうだけど、一応半分までできたら見せてちょうだい」
かれこれ十分ほどあの手この手で揺さぶりをかけているのだが、二人ともまったくボロをださない。片方は母国語、もう片方は現役留学生なので当たり前といえば当たり前なのだけど……にしたって隙がなさすぎる。
「●ごちそうさん! 朝から食った食った」
「●今日はみんなで片付けましょう。終わったらお茶でも飲みながら再開よ」
縁さんの指示通り後片付けも分担して手早く済ませる。そして二人はコーヒー、あたしは緑茶を片手に後半戦へと望む。是非ともこの辺でガツンと一発キメておきたい!
──のは山々だが、ここまで用意していた策がことごとく不発に終わっており、序盤にみなぎっていた士気がゴリゴリ削がれていくのを感じる。
高々二か月ちょい勉強した程度のあたしが、教えてくれた人たちと同じ土俵で対等に戦えるわけなどなかったということだろうか? 教わってた時は鬼に金棒だぜとか思ってたけど、敵に回すとこんなにも厄介な障害になりおおせるとは……。
「「……──」」
ようやく観念したか、とでも言いたげに姑息な笑みを浮かべるこいつら。
……まさかこの二人、あたしへの試験ってのはお題目でホントは有利な立場を利用してあたしを一方的に叩きのめしたいだけなんじゃないのか? つくづく意地の悪い人たちだな!
「●ところでお二人方、今暁で流行ってるアレ、知ってます?」
「●あー知ってる知ってる! アレっすよね先輩?」
「●うんうん、アレね。アレったらアレね」
次第に『メルーピアル語の習熟』という当初の目的が捻じ曲がりひん曲がり、『いかに暁語を喋らせて合法的にぶっ叩くか』という方向へシフトしていた。
すっかり目的と手段が入れ替わってしまっているけど、ここまで来たら臨むところ。なんでもかんでもアンタらの思い通りに運ぶと思うなよ!
「●──という流れであたしは歴史の勉強をしていきたいんですけど、お二方は子供の頃に夢とかありました? あとどんな子供でしたか?」
「●急にどんなって言われても……普通の子よ。暁の血が混ざっている以外は」
「●あーしは自転車でいろんなとこ走り回ってたな。そういう意味じゃ今と変わんないな」
腐敗極めし年長者どもの打倒を決意してさらに十分、二人は平静を装って入るものの、内心は焦り始めているのが気配から伝わる。世話になってかれこれ四か月だからな。お澄まし顔でもそれくらいの機微は見抜けるんだよナメんなよ!
「●そういえば近頃は□□が○○らしいのだけれど、四ヶ郷さんはその辺りどう思う?」
「●ああ、それはあーしも聞きたい! △△とか◇◇なんかとくに!」
「●……あーはいはい。前にどっかで聞いたような──」
と、ここまでは教わった話し方や単語だけを用いて会話してきた二人だが、なりふり構っていられなくなったのか、ついに習っていない言葉まで使いだした。
どうせここでルール違反を主張したら『あなたの応用力や自習力を試したのよ』とか言うんだろうな老獪な大人たちだよつかむしろ子供はどっちだよ!
ジリリッ! ジリリッ! ジリリッ!
「どこからだ⁉」
「⁉ ──しゅ」
ゴォッ!
「痛っつぅぁ⁉」
まさに乾坤一擲とばかりに身体が動き、椿さんの額に渾身の一撃を放つ。やったぜ!
「テンメェこの──うおおぉぉ……っ」
時間差でも痛みが襲ってきたようで、患部を押さえて蹲る椿さん。
「あ」
たかがハリセン一発に大袈裟だなと呆れつつ手元を見ると、千載一遇の好機に気が急いてしまい、うっかり柄の方で叩いてしまっていた。ガムテープだけでは心もとなく、補強材として余っていた鉄板を仕込んでいたのが効いたらしい。
「い、いや~うっかりうっかりすいませんした! でもたまにはこういう日もあるますよね~。しょうがないしょうがない~」
緊急警報に対してとはいえ、暁語を喋ったのだからルールはルールだ。鉄板の件はご愛敬って方向でどうにか誤魔化していこう。
「うんうん。あなたもやっとわかってきたわね」
全力ですっ呆けるあたしに、縁さんはポンと肩に手を置きウインクを寄こしてくる。言葉が暁語に戻っているので、今日はもう試合終了らしい。
「はい! ありがとうございます!」
「ありがとうじゃねんだよバカが! くぅぅ~……」
依然として苦痛に喘いでいる椿さんとは対照的に、あたしの心は晴れやかである。いやーいい気分だね。たまにはこういう日もないとやってられないもんね。
「で、敵がどうしたのかしら?」
紆余曲折ありながら、縁さんの一言でようやく話が本筋へ戻る。
《毎度の魔鋼艦隊だ。これまでの残存艦と小規模な方面部隊を集結させ、再編してるらしい》
メルーピアル語訓練開始から沈黙を貫いていたトラが説明してくれる。
「痛つつ──あんだけ潰してもまだ湧いてくんのかよ……っ」
「叩いても叩いてもキリがないわねー」
沈めても沈めても弱る気配すら見せない敵さんに、二人は心底げんなりといった風。
当然あたしも同じ心境ではある。隙を見つけては横っ面に奇襲をかけ、時には真正面から撃ち破りと散々やり合ってきたけど、これっぽっちも意に介していない向こうさんにはいい加減うんざりなんだわ。
「出撃ですか?」
「もちろん。完全に合流しきる前にちょっかいかけて気勢を削ぐわ。規模が規模だから今回ばかりは通してしまうかもだけど、指を咥えて見ているなんて論外よ」
「ですよね! わかりました!」
静かに闘志を燃やす縁さんに充てられ、あたしのやる気もみなぎってくる。
「さあさああなたも、いつまでも痛がってないで準備するわよ」
「あんたそれ本気で言ってない⁉ 本気で痛いんだってマジで!」
これまで縁さんへの敬意を欠かさなかった椿さんの言葉が珍しく荒い。人間って切羽詰まるとこういう部分から剥がれ落ちてくよね。あたしも気を付けなければ。
「……うはあぁぁ~」
アジトの出入り口にて、樹々の隙間から覗く紅の空をポケーっと眺める。
着替えやら装備の点検やらしないといけない二人と違い、変身すれば準備完了のあたしは出撃前の時間に余裕があったりする。
「遅いな~」
出撃する度律義に緊張していた初期が信じられないほどリラックスできている。別に気を抜いているつもりはないのだけど、緊張すればするだけ無駄に疲れるし、いざという局面で気持ちのスイッチが入りさえすれば問題ない。いい意味で手を抜くってのは存外大切。
《おい》
存在しない誰かに言い訳しつつ黄昏ていると、同じく暇そうな黒猫がノロノロやってくる。
「何さ?」
《話がある。少し面貸せ》
「……へいへい」
暇といっても面倒ごとはごめん被りたい気持ちを抑えつけ、ひとまずトラに向き直る。
「んで、何さ?」
《お前、向こうに戻ったら俺たちと来る気はないか?》
「はい?」
単刀直入に切り出された提案に、つい首を傾ける。
《決して口に出しはしないが、あいつらはお前を高く買っている。俺も可能ならその力、お前たちの世界へ帰還してからも貸してほしいと思っている》
「……つまり、帰ってからも仲間になれっての?」
《無論、すぐにとは言わん。まずは故郷に戻って親を安心させてやれ。転移を使えば移動の手間は省けるから通いで構わん。……忌々しいが、それならクソ親父の案件とも両立できるだろう。別途に報酬もだす。どうだ?》
「……ははっ、真面目な顔して何言い出すかと思えば──」
ドガァァ!
トラのすぐ後ろにそそり立つ崖を全力で蹴りつける。周囲の樹々がミシっと一斉に揺れ、崖の上からはパラパラと小石が転がってくる。
「テメェの親も説得できないような腑抜けが、昔敵だった奴を取り込もうなんて十年早いんだよ!」
自身の数倍はくだらない時を生きている存在に、思いのたけをぶちまける。
父親を追い落としてまで強行した革命も失敗に終わり、魔界を追われた挙句すべてを失った魔獣の王子。強引なやり方は気に食わないけど、こいつはこいつなりに魔人と魔獣の関係を真剣に考えていた。
ケン直属のあたしが邪魔で、渚を使って亡き者にしようとしたのだって、あたしが憎かったわけじゃなくて、こいつの立場が自らをそう動かしただけ。わかってるさそんなこと。
でも感情は別だ。
渚の家庭事情に付け込んで契約させ、魔女暗殺用魔女として宮境町へ送り込み、あたしや詩乃を討伐せんとした一連の出来事、あたしは忘れてはいない。
こちらでの戦いの日々を含め、もうダメかもと思った修羅場は数知れない。中でも詩乃共々渚に追い詰められたあの時が、あたしにとってはぶっちぎりの窮地だ。唯姉さんの乱入で命を拾ったものの、のちに渚が新王の魔女だと聞かされ、向こうの本気を思い知らされた。
「あたしの前にさ……渚に伝えなきゃいけない言葉があんじゃないの?」
渚を引き入れるために大見えを切り、新王の報復から渚の家族を守るため、ケンに護衛を付けてもらうよう取り計らったあたしが言うのも変な話だけど、こいつならあたしたちの眼を盗んで渚に接触できる手段はいくらでもあったはずだ。
あんなにも大切な人たちのために身を粉にしていた渚を、こいつが蔑ろにしていたのが許せない。共同生活に波風立てたくなかったから今まで言わなかったけど、もう知らん。
あの決闘であたしが渚を下せたのも、運が味方してくれたに他ならない。
あたしと渚、異なる思想の元に生まれた二人の魔女がどちらも討伐されず、しかも同じ旗の下で存在している今の状況は、とてつもない幸運なのだ。
《……あいつには魔界での任務が終わり次第、会いに行くつもりだ。そもそもこちらからでは連絡のしようが──》
「だったらあたしの勧誘も帰ってからにすればいいだろ! 面倒ごと先送りにするクセに根回しだけは先にしておく性根が気に入らないんだよあたしは!」
相手が喋り終わらないうちに遮るのは道理に反するけど、今回ばかりは止まらない。それがまかり通ってしまうほどの業を、こいつは背負って然るべきなのだから。
「あたしを仲間にしたかったら、まず渚にちゃんと説明して謝れ! そんでさっさとケンとも仲直りしろ! 話はそれからだってのわかったか⁉」
だからこそ筋を通そうとしないこいつの振る舞いには心底腹が立つ。自身を取り巻く問題を何一つ解決しないうちにあたしを勧誘するなど言語道断。
「だいたい『親を安心させてやれ』とかどの口が言えんだよ! お前だろ⁉ お前がまずケンを安心させてやれよ! 条件や待遇だけで相手の心を動かせると思うなクソ猫が!」
《貴様──っ》
歯を食いしばり、トラは黒い毛並みを逆立てる。小娘に言いたい放題された怒りと、図星を突かれて反論のしようもない屈辱が半々といったところか。
「いきなり揺れるから何かと思えばよぉ」
「本気で蹴ってアジト壊さないでね? あと二か月は使うんだら」
激情渦巻くトラの背後より、灰海色の軍装をキッチリまとった椿さんと縁さんが現れる。あの様子からして全部聞いてから出てきたな。相変わらず趣味が悪いったらない。
「舐め腐られたもんだよなぁ。あーしらがいなきゃ垂らし込めると思われてんだからよぉ」
「ホンットに成長しないわね~。長生きしすぎておつむの成長が頭打ちなのかしら?」
《……くぅ!》
弱っているトラを囲んでネチネチ攻撃の二人。
この人たちにしてみれば、トラがあたしを誘うのは《お前たちだけでは力不足だ》という風にも受け取れるわけで、嫌味の一つも吐いて当然だろう。
「いい啖呵だったぜ~四ヶ郷。言いたいことズバッとかませるって大事だよな~?」
愉快そうに見えて明らかに機嫌の悪い椿さんが、肩に腕を回してしなだれかかってくる。魔力で治癒力を促進したのか、おでこの腫れは引いているがまだほんのりと赤い。
ドス、ドス。
「あの、椿さん? 痛いんですけど……」
くわえて意味もなく脇腹を小突いてくる。ひょっとしてさっきのまだ怒ってんのか? ……そりゃまだ怒ってるか。鉄板でおでこ引っ叩いたんだし。
「でも、言葉遣いまで椿に似ちゃったのは困ったものね」
それはさておき四ヶ郷さんと、縁さんは肩をすくめて続ける。
「お猫様のご意見とやらは別として、一緒に戦ってくれるのなら私は大歓迎よ」
「え? いや……その」
当人はなんの気なしに言ったのかもしれないけど、この誘いはめちゃくちゃ嬉しい。未だに朝の訓練はボコボコにされっぱなしだけど、それを織り込んでなおあたしを傍らに並び立たせるだけの実力があると認めてくれたのだから。……でも──
「縁さん、あたしは──」
「まあ! 帰れるまでまだ二か月あるしよ、結論はもうちょい先でいいんじゃねぇか?」
口を開きかけたタイミングで、椿さんが『闘奔勢走』押しながら通りすぎる。出鼻を挫くためにワザとやりやがったな。余計な気だけはサラッと回してくるんだから。
「おい! 何やってんだ征くぞ!」
「置いてくわよ~」
先を行く二人に『遅れてきたクセに』という小言を飲み込み、あたしも駆け足で追う。
「お前、最近横文字増えたよな?」
現場移動中恒例のお喋りタイムにて、例によって椿さんが口火を切る。
「……やっぱわかります?」
「そりゃあな。ジワジワ洗脳されてんなーって」
「失敬ね。そこは教育の賜物と評してほしいのだけれど?」
かたや飛空ユニットに片膝ついて上方を飛翔する縁さん。みんな念話で補聴しているので、距離があろうがバイクがうるさかろうが構いやしない。
「でもよ、机に足の指ぶつけた時メルーピアル語で痛がってたのは笑ったな~。くくっ」
「あれは傑作だったわね。嫌なことがあったら真っ先に思い出すようにするわ」
「またその話ですか……しつこいですよ」
ことあるごとに話題に上がるあたしの失敗談に肩身が狭くなる。親に子供時代の恥ずかしいエピソードを穿り返された気分。というかまさにそれなんだけども。
あたしの心持はとにかく、いろいろときっかけになっているのは確かだ。
メルーピアル語の勉強が始まってからというもの、あたしの語彙はかなり刺激されている。暁語にない微妙な言い回しや、あえてメルーピアル語を用いる方が感覚的にしっくりくる表現など、メルーピアル語を教わっているはずが、知らぬ間に暁語に対する理解も深められた。
「まあ、それだけちゃんと身についてるってこったな」
「教えた内容を吸収した上で応用してくれるのは教師冥利に尽きるわね」
「はい。……最初はどうなるかって思いましたけど、すごく楽しいです」
「楽しいのは結構だが、向こうに帰ったら気を付けろよ? あんまメルーピアルかぶれしてっと周りから浮いちまうぞ。しばらくは自慢せず質問にだけ答えて大人しくしとくんだな」
聞いてもいないのに生々しい処世術を伝授してくる椿さん。
「でも言葉って使わないと忘れちゃうんですよね?」
「当たり前だろ。話せる奴見つけてきてなんでもいいから会話すんのがベストだわな」
「いませんよそんな人。地方の田舎町ですよ?」
「だったら念仏でも唱えるつもりでブツブツ呟いてろ。それだけでもだいぶ違う」
「え~……」
それただのヤバい人じゃん。
「四ヶ郷さんの新しい扉が開いたみたいで私は嬉しいわ。人生なんてきっかけ一つでいくらでも変われるもの」
まさしくいくらでも変わっている最中のあたしには刺さる一言。
魔界に飛ばされ四か月と少し、任期満了まで残り二か月に差し掛かっている。
当初は遠い未来にも感じられたこの生活の終わりが、一日一日を懸命に過ごしていく中でようやく現実味を帯びてきた。振り返ればあっという間と言い切れもするが、実際はとても濃厚で心身ともに刺激が絶えない毎日だ。
魔法少女に追い詰められたケンを助けて契約し、魔女となったのが四月の中頃。『郷愁作戦』が七月の末だったから、あの時点であたしの魔女暦はおおよそ三か月半。
つまりあたしは向こうで魔女をやっているよりも長い時間、こっちで魔女をやっている計算になる。魔法少女連中も比較対象に含めれば、あたしはあっちの世界の人間でもっとも長く魔の付く業界に身をやつした最長老といえるだろう。我ながら不名誉な称号だこと。
務めている長さが強さや賢さに比例するわけじゃないけど、気が付いたら天辺というのもどこか虚しい話に感じられてしまう。
「……ダメだダメだ」
かぶりを振ってまとわりついてくる感傷を追い払う。
期日が迫っているからといって魔鋼兵は手を緩めてはくれない。現に奴らはあたしたちの帰還次期を前に大攻勢をかけてきている。どれだけ苦労して積み上げても、崩れる時は一瞬。最後の一分一秒まで、絶対に油断してはいけない。
「トラ! 残留組との念話ってまだつながらないのか?」
『闘奔勢走』の真ん前で偉そうに腰を降ろしているトラへ、椿さんが問いかける。
残留組とは一か月ほど前、魔鋼艦との戦闘で偶然かち合った魔界に残って戦っている魔獣たちの俗称だ。あの時は結局、互いの情報を擦り合わせる間もないまま敵の砲火で散り散りになってしまい、以来連絡が途絶えたままになっている。
《暗号化した情報を小まめに流してはいるが、向こうからの返信は一度もない》
「……そうか」
あくまでも確認しただけといった風で、椿さんは答えた。
大局を前にしてこそまとまった一団が必要不可欠なのだけど、ないものねだりをしても仕方がない。あたしたちだけでも、できることをやらなければ。
《もうじき敵の索敵圏内に入るぞ》
ヘソを曲げたままのトラが、抑揚なく告げる。
「あの、ここの座標って──」
「ああ、お前が飛ばされてきた場所だな」
もしやと思い尋ねたら案の定だった。
約四か月前、あたしはひび割れたあの空から魔界へ落っこちてきた。
一緒に飛ばされ乱雑に積み上げられた第三八六二号島の残骸も、魔界の赤茶けた砂に表層を覆われ、地形に若干の違和感が残るものの景観に溶け込んでいる。あたしよりあの山の方が体感や記憶に囚われず、正確に時を刻んでいるというのも皮肉な話だよ。
「しっかしここも因縁深いっつーか。やっぱなんかしら理由があんすかねぇ?」
「きっとね。無理矢理魔孔を穿つにしても、同じ場所の方が都合がいいのかしら?」
「一度通った道だからわかりやすいとか?」
「だとしたらやりようはあるわね。……上昇するわ。椿は合体、四ヶ郷さんは私の後ろに」
「「了解」」
指示に従い『闘奔勢走』から跳び、樹々を蹴って跳躍。縁さんの駆る飛空ユニットへストンと着地。後方から『闘奔勢走』と合体した椿さんも続き、揃って高度を上げる。
今日も適度に湧いてくれている雲に感謝しながら身を潜め、地上を見下ろす。
「……本当に、たくさんいますね」
眼下ではトラの事前情報に違わず、魔鋼艦が大集結していた。
艦隊が艦隊を組んでいるとでも表現すればいいのか、空母二~三隻を中心とした輪形陣の艦隊がさらに輪形陣を描いている。個々の離隔は目測でも1000メートル以上はあり、かなり広域に展開しているのがわかる。差し詰め大艦隊だな。
「ったく、いやらしい陣形組みやがる」
「……ですね」
あれは十中八九あたしたちの襲撃を想定し、対策された布陣だ。
繰り返される戦いの中で編み出されたあたしたちの切り札、拡散魔力閃。
三人と一匹しかいないあたしたちが圧倒的戦力差を誇る魔鋼艦隊を一網打尽にできる、ある種の必殺技ではあるものの、連射ができないという致命的な弱点を抱えている。
砲台たる『闘奔勢走』は高圧縮魔力閃を一発撃つごとに総点検が必要なほど各部に何かしらの異常をきたすし、『境界閃』には砲弾たる魔力を溜めておく必要もある。ダメ押しは放たれた高圧縮魔力閃を拡散させる際、あたしが『兵香槍攘』の障壁で受け止めなければならないわけだけど、その時の魔力消費量も尋常じゃない。……あと結構な恐怖を伴う。
連携技の都合上各々の息が合っていないと自滅の危険もあり、魔力・精神・肉体とあらゆるエネルギーがごっそり持っていかれてしまうのだ。
あれだけ距離を開けて艦隊を展開させてしまえば、こちらが拡散魔力閃を放っても撃滅できるのは一個艦隊が関の山。これでは費用対効果の面でもうまみが少なすぎる。
かといって欲をかいて拡散範囲を広げればその分威力も分散されてしまい、どの道期待される効果が得られない。連射の効かない弱点を突いた的確な対策といえる。
かれこれ二か月近くこの方法で殴り込んでるから、魔鋼兵とか関係なく対策の一つも講じられるのが当然ではあるけど。
「嫌になるくらい物量物量アンド物量っすね」
「本当にね。残留組と合流できなかったのが悔やまれるわ」
「……ですね」
毎度毎度、魔鋼兵の計り知れない生産力には驚かされる。
魔鋼兵が魔鋼兵を造り、造られた魔鋼兵がさらに魔鋼兵を造る。あたしたちが必死に戦っている間も、疲れ果てて眠っている間も、それが文字通り年中無休で行われている。
鹵獲した魔鋼戦艦で魔鋼兵の工場を襲撃したこともあったけど、あれでさえ数ある施設のたった一つを潰したにすぎない。あたしたち三人が捨て身で奇襲したところで、与えられる損害なんて雀の涙もいいところなのだ。
「縁さんあの……真ん中の艦隊──」
「ええ、どこか不気味ね」
大艦隊の中心に位置する艦隊を指差すと、阿吽の呼吸で縁さんが同意してくれる。
輪形陣を構成しているのは他の艦体と同様巡洋艦や駆逐艦なのだが、それらに守備されている魔鋼艦には一切見覚えがなかった。
あたしたちの世界で言うところの飛空船のような円筒状の細長い船体。飛空甲板がないので空母でないのはわかるのだが、かといって戦艦や巡洋艦のようなパッとわかる武装が一つとして見当たらない。そのくせやたらと大きく、得体の知れない雰囲気を放っている。
「トラはあの魔鋼艦知ってる?」
《いや、俺も知らない。恐らく新造艦だ》
「ああいうの放っておくと大抵碌な目に合わねんだよな~」
悪態付く椿さんに『まったくだ』と、心の声で賛同。
ひょっとしてこれだけの大艦隊を制御するためにあえて武装を積んでないとかだろうか? いずれにせよ、眼前にある謎を捨て置くのは心中穏やかじゃない。
「とりあえず他の艦とは明らかに違うし、以後あの艦隊を旗艦艦隊、真ん中のデカいのは敵旗艦と呼称しましょう。その上で最優先警戒目標に設定。どんな変化も見逃さないように」
「了解です」「あいよ~」《うむ》
「で、どうする四ヶ郷さん? 勝ち目なさそうだけど、尻尾巻いて帰る?」
いきなりピンポイントでわかりきった質問を投げてくる縁さん。優しいけど意地が悪い。
「形勢不利が魔女の宿命。ここからどう引っ掻き回すかが腕の見せどころでしょう?」
「よく言ったぜ四ヶ郷! 命令に従うだけの人形どもに、命の力を見せつけてやろうぜ!」
あたしを含め一同、圧倒的な戦力差にあっても士気だけは高い。今更頭数や新技術を叩きつけてきたところで、あたしたちは止まったりしないぜ。
魔獣もあたしたちも、まだ完全に諦めてはいないという意志を、魔人たちに知らしめるために。あたしたちの血と汗と信念が、いつか魔人たちの心に届くと信じて。
「よろしい。何か作戦はあるかしら?」
満足そうに頷く縁さんに問われ、改めて艦隊の威容を俯瞰してみる。
先ほどから雲に紛れて様子を窺っているが、本当にあたしたちを捕捉できていないのか、はたまた取るに足らずと泳がされているのか、大艦隊に目立った動きはない。
ここで奴らのあたしたちの世界への侵攻を許したとしても、魔の付く不文律がある以上あの大軍勢が世界各地の都市を襲うわけではないだろうが、あんなおっかない代物があたしたちの世界に土足で上がり込まれていい気はしない。他所の世界に土足で上がり込んでいるあたしがそう思うのだから間違いない。なのでここは是非とも徹底的に邪魔してやりたい。
「でしたら、聞いてもらっていいですかね?」
「「……──っ」」
二人はわずかに口元を吊り上げ、『話してみろ』と視線を寄こしてきた。
ダダダダダダッ! ──ヒュンヒュン、ヒュ! ヒュィ!
後ろにつかれた戦空機より秒間十数発の機銃弾が放たれる。多めの閃光弾は光の一閃となって網膜に焼き付き、近くを高速ですぎゆく擦過音が耳を劈く。
掠るだけでも致命傷、一発でもくらえば四肢は吹き飛び内臓は持っていかれる。この何気なく躱している鉛玉の一発一発が、あたしに終わりを告げる可能性そのものだ。
「くぅ! しつこい!」
最近、敵戦空機の軌道が読みづらく、逆にこちらの動きは読まれやすくなっている。
これまで取り逃がした魔鋼艦や戦空機が持ち帰ったデータを元にして、こちらの思考・クセ・傾向・その他諸々が解析されているのだ。
一隻・一機から得られた情報が、数十隻・数百機という同型に共有され、翌日にはよりあたしたちに特化した兵器として襲ってくる。機械の利点を最大活用した数と質の暴力だ。
「くぅぅ……っ」
一向に命中しない状況に業を煮やしたか、戦空機はより必殺の間合いに入るため、出力を上げて距離を詰めてくる。回避軌道を無視した強行突入だ。
チカッ!
「ふぅ!」
銃弾の装薬が爆発して銃口が光る刹那、『兵香槍攘』の先端を上空に向けての宙返り。
「くらえ……っ」
一瞬前にいた場所へ銃撃が殺到。その隙に後背へ回り込み、そのまま突撃で機関部をえぐり取る。これだけ損傷させてしまえば撃墜は確実。
あたしとて魔女の端くれ。敵が搦め手を使ってきたぐらいで根を上げたりはしない。
読まれるなら読み返せ。上回ってくる上回り返せ。命と機械が織り成す意地と技術の追いかけっこだ。往生際の悪さに関しては年季が違うってね。
「よし」
戦空機が墜ちていく姿には眼も暮れず、次に最短距離で狙える目標を選別し、向かう。
学習は魔鋼の専売特許ではない。
魔鋼艦隊や魔鋼兵と一戦交える度、戦場で得られた膨大な経験があたしの中で蓄積されている。それらを元手に、次の戦場でより深く重要な経験を得る。そうやってあたしはあたし自身を成長させ、生き延びてきた。
空戦においても、もはや二人に引けを取らない。撃墜数が二人より多い日だってある。
油断はしていない。慢心など以ての外。
常日頃そう戒めてやってきたけど、それを踏まえてもあたしは確実に強くなっている。こんなところでこの積み重ねを終わらせてたまるか。絶対に生き残って宮境町へ帰るんだ!
『抜かれたわ!』
『あーしが回る! 四ヶ郷、こっち任せた!』
同戦闘域にて後衛についていた二人より指示が飛ばされる。
「魔孔開口部周辺は注意して下さい! 気圧差にやられて吸い込まれますよ!」
『経験者は語るってか! 了解だぁ!』
余計な一言を残して椿さんが増援の追撃へ向かう。こちとらなんたって一度吸い込まれてるからね! これだって負けから学んだ立派な経験だっての。
椿さんが向かう先には直径100メートルほどの魔孔が、時があるのかすら定かではない向こう側を写して口を開けている。
魔鋼艦から発射された特殊な砲弾で空中にヒビを入れて穿たれたその孔は、空間が塞がる前に内側へ専用の装甲をまとった戦空機を円形に配置し、それ以上の閉塞を防いでいる。
パァァンッ! パァァンッ!
『そぉら墜ちろ! 墜ちやがれぇ!』
《まんべんなく墜とそうとするな。一か所に集中して叩け!》
『わってる黙ってろ!』
珍しく口を出すトラを余所に、椿さんは魔孔の縁に取り付きお得意の狙撃で次々と戦空機を破壊していく。爆散した戦空機はたちまち魔孔へ吸い寄せられ、次元の彼方に消える。掃除機に吸い込まれる埃のようなその様を垣間見て、改めてあれの中から無事に出てこられた奇跡を思い知らされる。……二度目は絶対ないな。
『順調に縮んでいるわ! そのままお願い!』
『応よ! さっさと閉じてやるぜこんな孔っぽこ!』
後方から予備機が補充されてはくるものの、戦空機も一度縮んだ魔孔を圧し拡げるだけの力はないらしく、徐々にだが小さくなってきている。これならば全機破壊できなくともやがて戦艦級は通行不能になる。それがあたしたちの目指す勝利だ。
『しっかし『はず』とか『だろう』ばっかでどうなるかと思ったが、やっぱお前の勝負勘は本物みたいだな!』
『ええ、磨こうと思って磨ける感覚じゃないわ。獣王が唾付けるだけあるわね』
《……ふん》
あたしにはもったいない称賛の中、椿さんの肩よりトラが聞こえよがしに鼻を鳴らす。そりゃあ、あいつにしたらおもしろくないわな。
魔孔は次元の流れへ強引に孔を穿ち、侵入・通行する移動手段。
しかし苦労して開いた道もすぐさま次元の修正力が働き、たちまち塞がってしまう。あれだけの艦隊を安全に通過させるには、魔孔の閉鎖を防ぐなんらかの方法があり、かつそれは頑丈ではなく、大きさもそう巨大には作れないはず。──ってのが一つ。
場所の選定からしてわざわざ一度開けた場所を選ぶくらいなので、入口の大きさ同様、開門時間もたっぷりとはいくまい。必ず開いている時間に限りがあり、それに間に合わせようと細部が疎かになるだろうと踏んだ。──ってのがもう一つ。
いくら魔鋼艦が大挙して押し寄せようと、魔孔を通過する際には一時的に陣形を崩さねばならない。さすがに折り目正しく一列に並んだりはしないだろうけど、陣形形成時と同等の力は発揮できないぐらいの期待はしていいだろう。──ってのがさらに一つ。
以上の三つに着目し、魔孔へ入ろうとする一番手を門前で攪乱すれば大艦隊はたちまちグダグダとなり、少なく見積もっても今回の遠征は延期させられると踏んだ。
根本的な解決にはなっていないけど、もとより小勢のあたしたち。敵の予定を狂わせるだけでも万々歳だ。もはやこれまでと十死零生に臨む方がよっぽどもバカらしい。
椿さんの指摘通り希望的観測ばかりであたしとしてもどこまでいけるか不安だったけど、結果的にはどれもうまくハマってくれてホッとした。
穿たれた魔孔を支えている戦空機は武装を積んでいない専用機であり、周囲の護衛さえ墜としてしまえば処理は容易い。後方から続々と撃墜した分が補充されてしまうのでいたちごっこにはなってしまうものの、状況の遅滞自体は概ね成功と言える。
第一陣が魔孔に入る直前に奇襲したので大艦隊は陣形の一部が崩れており、こちらへの迎撃も最大限の効果を発揮できていない。
それでも接近してきた駆逐艦が砲口を向けてくるも、こちらは常に魔鋼艦を背後に戦っているので、奴らは同士討ちを恐れて主砲など大口径の武装を撃てないでいる。
常であれば敵を倒せるなら味方の巻き添えも躊躇しない魔鋼艦であっても、今回ばかりはあたしたちの世界へ送り込む艦隊を温存したいはず。こちらも読みが功を奏したぜ。
「は、どうだどうだ⁉ 撃てるもんなら撃ってみやがれ!」
自然と口を付く野次に我ながら驚く。もともと言葉遣いが丁寧な方ではなかったけど、間違いなく誰かさんの影響を受けてるな。朱に交われば赤くなるとはよく言ったもんだよ。
「いける! これなら」
戦力差から考えれば作戦は順調そのもの。椿さんのおかげで魔孔も時期に収束するし、あたしたちもそろそろ見計らって撤退──
ギュイイィィイイン‼
「⁉ この音──うあぁぁ」
一度聞いたら二度と聞きたくない不快音を轟かせ、漆黒の閃光が稲妻を帯びて戦闘空域を横一線に貫いていく。味方の魔鋼艦はいとも容易く薙ぎ払われ、空へ上がっていた戦空機は砂に息を吹きかけるように一瞬で蒸発する。
「ああっ! くっそぉ!」
十分な距離があるのに、肌が見えている部分にチリチリと熱が伝わってくる。挑発したそばから本当に撃つとか、結局敵も味方もお構いなしかよ!
『椿⁉』
『大丈──無事っす! チクショウが! あ──カブツ、高圧──力閃搭載型──たのか!』
突如発生した膨大な魔力に戦場が掻き乱され、念話にも影響が生じる。
たとえ侵攻作戦の途中であっても、あたしたちを撃滅できるのなら艦隊の一部が消し炭になっても構わないとは、あちらもいよいよしびれを切らしたか。やはり仲間が壊れたらまた次の仲間を造ればいいって方針はあらゆる問題を根こそぎ解決するな。損得勘定だけで行動する魔鋼らしい思考だよまったくさ!
『魔孔が……っ!』『やってくれるぜ鉄屑どもが!』
脳内で毒づき振り返ると、小さくなっていた魔孔を飲み込む形で穿たれた新たなそれは、直径約300メートル優に超えていた。
そこへ先ほどとは打って変わり、ハエの大群と見紛うほどの戦空機が大挙して押し寄せる。戦空機はあたしたちを素通りし、新たに穿たれた魔孔の内側を装甲で固めていく。予備機が周囲にも配置され、より堅固な構えで。
こちらが序盤の戦闘で消耗してしまっている以上、初期の三倍近い大きさのあれをどうにかするのはもはや絶望的。あたしたちの士気を挫く意味も含め、わざと最初の魔孔は小振りにしたのか。そりゃ真ん中で後生大事にしまっておくわなあんな切札。
『チィ! ここらが退き際か。先輩!』
『撤収よ! 各自散会して戦線離脱! 艤装ルートで帰還!』
『「了解!」』
即座に見切りをつける縁さんの命令に、『兵香槍攘』の切先を戦場の外へ向け突撃を発動。
ひとまずは決めてあった艤装ルートで戦闘空域から離脱し、道中で転移を繰り返して敵の索敵を振り切りアジトへ戻ろう。今後の高圧縮魔力閃搭載型への対策等々問題だらけではあるけど、今はこの場を逃げ果せて情報を持ち帰るのが先決だ。
「ゴホッ、ゲホォ! うわ熱っつ!」
沈みゆく魔鋼艦の煤煙で身を隠し、間を縫うようにして飛翔する。散発的な爆散に伴って飛散してくる破片はどれも高温であり、細かいものが魔装衣に付着してはポツポツとホクロのような焦げ跡を残す。あとで直るとはいえ忌々しい。
『左だ四ヶ郷!』
「え⁉」
ドゴォッ!
「かはぁ──っ」
躱し損ねた魔鋼艦の破片が胸に直撃。器官が塞がり、呼吸が止まる。『兵香槍攘』への魔力供給も止まってしまい、突撃の推進力がなくなり落ちていく。
爆発で吹き飛ばされた物体は、一時的に空気抵抗に囚われない軌道を取る場合があるから留意しろと口酸っぱく言われていたのに……最後の最後でやってしまった。
『おい⁉ 四ヶ郷!』『四ヶ郷さん!』《大丈夫か⁉》
あたしの方へ取って返し、手を伸ばす椿さんと縁さん。
「くあぁぁ──っ。あ、あ」
だんだんと視界から色が失われ、時間の流れが遅くなり、やがて二人は焦燥の表情を浮かべたまま止まる。……もしかしてコレ、今わの際に世界がゆっくりになるってアレか? 走馬灯はこの前もやったけど、近頃こんなのばっかりだな。
『──ちゃん! 棗姉ちゃん⁉』《聞こえていますか棗⁉ 棗!》
ついに幻聴まで聞こえてきた。この期に及んで仁とケンとか……もっと他にいるだろ?
『棗そこにいるの⁉ 棗ぇ!』『姉上! 無事なんですか⁉』『返事しやがれ! おいナツ!』
リクエストにお応えしてくれたのか、みんなの声まで脳内で再生される始末。
「はあ……いよいよお迎えか」
絶対に口にするまいと誓っていた縁起でもない言葉が、情けなくもするりと零れ落ちる。必ず帰ると自らを奮い立たせて頑張ってきたけど、終わる時は呆気ないもんだよな──
『何あっさり受け入れてるの! 違うからね! ぼくたちだよ!』
「ふぇ⁉ ……え、本当に仁……なの?」
『そうだよ!』
独り言のつもりで呟いていると、思いの外的確に切り返してくるお迎えさん。しかも念話同様、口ではなく思念で会話ができていることにも遅まきながら気が付く。
『もう一度確認するよ! 棗姉ちゃんなんだね⁉ ぼくたちの魔女、四ヶ郷棗だね⁉』
「う、うん。あたし……四ヶ郷棗、だけど?」
『……ああ、棗。ありがとう、棗』『バカが心配させやがって!』『さすが、ただでは折れない方ですね』《ミンナ! 魔女サマハゴ無事ノヨウダゾ!》《《ウオオォォオオ‼》》
念入りな誰何に頷くと、次々に安堵の声が。背後からも魔獣たちの歓声が響き、向こう側が熱気に沸いている。
「でも、どうしてみんなと念話が? こっちはまだ魔界にいんのに」
『通信器渡したでしょ? 飛び出す時に』
「通信器? ……んん?」
さも当然のように言われ、とっ散らかった記憶を漁り回る。
「……ああ、はいはい。あったねなんか」
言われてみれば木嶌を助けに飛び出す寸前、仁から何か投げられたような気がしないでもなかった。あの時は無我夢中で魔装衣の胸ポケットに押し込んでしまったけど、あれが通信器とやらだったのだろうか?
『通信器は破損すると起動する仕組みなんだ。短時間だけど異世界間の念話も可能だよ。さっきは説明する間もなかったけど、気付いてくれたんだね』
そうか、魔鋼艦の破片が胸にぶつかった衝撃でその通信器が起動したのか。
帰りたい、会いたい、話したいと願い続けていたあたしだけど、よりによってそんな大切なものを四か月も魔装衣にしまいっ放しにしていたとは。教えてもらう時間すらなかったとはいえ間抜けな話だ。これぞまさしく灯台下暗し。
《棗、私です!》
「お~ケン。久しぶり」
《通信の原理は今主が説明した通りです。そちらの状況は?》
「その前にこの刻が止まった感じなんとかならない?」
《異世界間の通信は時の流れが遅い方に同期されます。心地悪いでしょうがご辛抱を》
なるほど納得。向こうの等倍に合わせてるから身体は動かせないけど思念は飛ばせてるわけね。そうでもしないとあたしからは超絶早送りになっちゃうもんな。
《して棗、そちらの状況は?》
「そうそう! それなんだけどさ──」
再度ケンに急かされる形で、あたしはここに至る経緯をざっくりと説明した。
魔孔に吸い込まれながらも奇跡的に魔界へ辿り着き、現地の協力者たち──トラの件は伏せた──とともに魔鋼艦隊と戦い、今まさにその大艦隊が魔孔によってそっちの世界へ向かわんとしていることを。
《ふむ……波乱万丈でしたね》
「まあね」
あたしとしてはそんな薄っぺらい四字熟語で片付けてほしくはないくらい壮絶な日々なんだけど、説明された側はそうとしか答えられんわな。
《しかし現地で協力者を得られたのは僥倖でした。こちらへ帰還した際には是非ともお礼を言わせていただきたいですね》
「ああ~……っとですねぇ」
白熱しているお犬様につい言いよどむ。さすがにこの局面で『あんたのドラ息子だよ』とは言えない。戻った途端あたしたちごと始末されかねないし。
「その辺は置いといて、そっちは変わりある? どっかに魔孔でてきたりしてない?」
《棗が吸い込まれてかれこれ四十分ほど経ちますが、この世界ではどこからも魔孔の出現は報告されていません》
ってことは縁さんが言っていた通り、現在は魔界の一か月間があたしたちの世界での十分間に相当する周期なんだな。帰ったらちょっとした浦島太郎気分が味わえてしまうわけか……。
「つまり魔鋼艦に関する被害はないわけね?」
《ええ。よくぞここまで守り抜いてくれました。やはりあなたは最高です》
「お褒めに与り光栄の至りだよ」
興奮を隠しきれていないケンの言葉を、とりあえず素直に受け取っておく。
《であれば棗、魔鋼艦隊とやらをこちらの世界へ誘い込んで下さい。我々で迎撃し、かの艦隊を撃滅します》
「えっと、気持ちはありがたいけど、できんの? ずいぶん消耗してた気がするんだけど」
ケンの心強い申し出に率直な疑問を呈す。
魔女一派と『砂漠の薔薇』衝突に辺り両陣営も満身創痍で、しかも魔界からの高圧縮魔力閃
でかなり損耗したはず。とても立て続けに戦闘できる雰囲気とはいえない。
誰もかれもが過酷な状況の中でどうにか拾った命。魔獣の誇りが闘争だと理解はしているけど、だからこそここで投げだしてほしくない。
《無論万全ではありませんが、直参衆とアカリが中心となって各戦隊を再編中です。これもすべて、棗が魔界で魔人方を引き付けてくれていたおかげです》
ケンの返答を聞くに、どうやら精神論だけの考えではないらしい。
あたしが死にもの狂いで過ごした魔界の四か月が、向こうの世界でみんなを休ませ、魔鋼の大艦隊を迎え撃つための四十分を作りだした。おかげでこうして反抗の目途も立ちつつある。やはりあたしたちが魔鋼艦にしてきた嫌がらせは無駄ではなかった。
「とりあえず、こっちの方でも相談させてくんない? あたしの一存じゃどうにも」
《わかりました。こちらで待つ私たちにしてみれば一瞬ですので、どうぞごゆっくり》
「だね。じゃあ切るからまた──」
《あ、待って下さい棗!》
さっそく縁さんたちと話し合おうと念話を切りかけると、ケンは慌てて呼び止めてくる。
《その前に、詩乃たちと話をしてあげてくれませんか? みなとてもあなたを心配していました。……とくに唯音の取り乱しようといったら》
「お、おう……うん。そうだね……うん」
無理もない。立場が逆ならあたしだって絶対そうなる。
自分のことだけ考えていた四か月など、近しい誰かを失ってしまったと嘆く四十分に比べたら永遠にも感じられる絶望のはず。こうして無事を知らせられたからには、お詫びの一言ぐらいあって然るべきだろう。
「じゃあ……変わってくれる?」
《わかりました。みなさん、どうぞ──》
ジィッ! という短いノイズののち、ケンとつながっていたチャンネルが切り替わる。
『棗、わたしだよ! 唯音だよ!』
「う……うん。棗、だよ」
緊張で声が震える。なんせみんなとは四か月ぶりに言葉を交わすのだ。まさしく夢にまで見た瞬間ではあるものの、いざその時を迎えると頭が真っ白になってしまう。
『本当に大丈夫なの⁉ 怪我してない⁉』
「だ──大丈夫大丈夫! 無傷とはいかないけどなんとかやってるから!」
ぶっちゃけ斬れたり折れたり外れたり──主に訓練で──と、無事でない方が圧倒的に多い日々なのだが、ここで馬鹿正直に答えるほどあたしは空気の読めない奴ではない。
『よかったよ~。ホントに心配してたんだから~』
『『……──』』
感極まっている唯姉さんの後ろで『こいつ今嘘付いたな』と、口をへの字に曲げる詩乃と渚の顔が眼に浮かぶ。こういう構図も懐かしいなおい。
『じゃあ、詩乃ちゃんと変わるね』
ノイズとともに唯姉さんの気配が遠ざかる。どうやら一対一方式で話すらしい。別にいいけど面接みたいだな。
『ナツ、私だ』
と、すでにトサカにきているとわかる詩乃の声が。
「お、おう詩乃。久しぶり」
『とりあえず帰ったら一発殴らせろ』
「開口一番ブレないな! 嫌だよ悪かったってマジで!」
『あと、そっちで朝陽ソイニネンを見かけなかったか?』
「へ? 朝陽ソイニネンって……『砂漠の薔薇』の?」
脈絡なくでてきた名前に、それが誰だったか思い出すのに数秒を費やしてしまう。
『ああ、見てないか?』
どこか藁にも縋るような必死さに、再度記憶の糸を手繰り寄せる。
『郷愁作戦』の折、あたしは朝陽ソイニネンとは顔を合わせていない。ケンの報告では確か、鹵獲艦隊の戦艦一号についていて、詩乃と激戦を繰り広げたとか。
全体の半分を超える損害をだしながら突き進む魔女一派飛翔戦隊を殲滅するため、『砂漠の薔薇』は守備型に展開していた鹵獲艦隊の陣形を崩した。そのわずかな隙を突き潜入していたスパイが転移妨害紋を破壊し、敵本島こと第三八六二号島へ魔女一派の地上部隊を引き入れた。
あの一手が呼び水となり、戦場は空に陸にと大きく掻き乱れ、魔女一派は序盤の不利を盛り返すに至った。
しかし『砂漠の薔薇』もただでは折れなかった。
総崩れの可能性もあった中で逆境にもめげない木嶌イングリッドの差配と、その方針に従い見事踏み止まってみせた魔獣たちの雄姿は、敵ながらあっぱれだった。……ちょうどあたしが怖気づいてた辺りだったから余計にそう感じるんだよな。
結果として魔女一派は艦隊の再鹵獲に手間取ってしまい、詩乃・渚・唯姉さんは敵本島に上陸できなかった。
そして詩乃の足止めをしていたのが、件の朝陽ソイニネンと記憶している。
詩乃にとっては会敵から停戦までまさしくぶっ続けで戦っていた相手。であれば刃を交えながら会話もしたはずだし、詩乃の性格からして『お前、宮境町に来ないか?』ぐらい突っ込んだ話もしていたかもしれない。
そんな好敵手の安否をわざわざ尋ねてくるからには、あちらの世界で朝陽ソイニネンは行方不明なのだろうか? 同じく消息不明だったあたしの無事が確認でき、ならもしかしたらと聞かずにはいられなかったと。
「あたしは見てない、かな?」
『……そうか』
声だけでもわかる詩乃の落胆に、罪悪感がチクリと胸を刺す。もっとマシな言い回しできないのかとも思うけど、ここは変に言葉を飾るべきじゃない。
命からがら魔孔から脱出してアジトに連れて行かれ、回復もしきらないまま落下現場に舞い戻ったあの日、周囲にあたしたち以外の生命反応はなかった。
考えたくはないが、一緒に魔孔へ飲み込まれていたなら抜け出せないまま次元の狭間を彷徨うか、運よく魔界に出られたとしても土砂に埋もれてしまった可能性が高い。
『いや、だったらいいんだ。今は作戦に集中しよう』
あたしの思案を余所に、詩乃は務めて明るく切り上げる。
朝陽ソイニネンの消息に関しては情報が少なく時間も経ってしまっている以上、下手な憶測を伝えるべきではないし、根拠もなく希望を持たせてもよくない。申し訳ないけどここは詩乃の言う通り、眼の前の戦いに意識を切り替えてもらう他ない。
『じゃあ、またな。……ナギ、いいぞ』
こちらの返事も待たずに三度のノイズ音。
『姉上、お元気そうで何より』
「渚、久しぶり」
『差し当たり、掻い摘んでこちらの状況をお伝えします』
こちらが感傷に浸る間もなく渚は短く前置き、第三八六二号島に魔界から高圧縮魔力閃を放たれて崩壊するまでの経緯と、魔女一派の面々や魔獣たちの様子を簡潔に説明してくれた。
先ほどから当事者視点の発言ばかりで掴みづらい部分もあったので、客観的な解説はありがたい。とくに高圧縮魔力閃関係は、当時木嶌イングリッドを追い詰めるべく島の内部にいたあたしにとっては貴重な情報だった。
感情に左右されず──表にださないという意味で──、冷静沈着に物事を捉えられる渚の対応力は実に頼りになる。時折あたしに対して毒が混ざっているのが玉に瑕だけど、みんなの心労を思えばそれくらいの八つ当たりは甘んじて受けよう。
「わかりやすくて助かったよ。おかげでだいぶ整理できた」
『であればよかったです。それと姉上──』
「ん?」
『自分は中田会長のように泣きもしなければ赤岩先輩のように殴りたいとも思いませんが、気持ちは同じです。……とても心配していました。生きていてくれてありがとうございます』
「うん。あたしも、みんな無事でいてくれて嬉しかった。ありがとう」
『えらく素直ですね。そちらで少しは成長しましたか?』
「余計なお世話だっての。ったく」
軽口を叩き合い、互いに自然と微笑み合う。
『では姉上、またあとで』
「あいよ。時差があるから念話切ったらすぐ魔孔がでるだろうから気を付けて!」
『承知。武運長久を、姉上』
「そっちも、武運長久を」
久々に交わす決まり文句に、気持ちが高ぶっていく。何もかもが久しぶりで心地いい。
『んじゃナツ、待ってるぞ』『え、切っちゃうの⁉ 待ってナギちゃんもう少し──』『情報の摺り合わせがまだだよちょっと待──』《そうですよ! もっと大艦隊の詳細を──》
急に混線してわちゃわちゃになり、ブツ切りで念話が終わる。相変わらず締まらない連中だな。あたしもその内の一人だけども。
「さて──」
短く音頭を呟くと、すべてが停止した光景から色彩が、時間が、切迫感が戻っていく。
パシッ!
「うぐおぅ⁉」
「大丈夫か四ヶ郷⁉」
「痛い、椿さん痛いって!」
再び動きだした椿さんが、握り潰さんばかりにあたしの手首を掴んでくる。
「それだけ騒げるなら命に別状ないわね」
「ったく、ここぞってとこでヘマしやがって! とっととづらかるぞ!」
「ちょっ──待って!」
あたしの無事を認めるなり戦場に背を向け離脱を図る二人に、まずは叫ぶ。
「い、意見具申! 一端様子を見て、あの大艦隊へ乗り込みましょう! 次元の狭間を抜けた先で、向こうで待ってる魔獣軍と挟み撃ちにするんです!」
「「……はあ?」」
一息に捲し立てると、二人は微妙な間を挟み、揃って間抜けな声を上げる。
「その話は前にも聞いたけど、消耗が激しくて撤退するのが濃厚って話したじゃない。どうして急に蒸し返すの?」
「再編成は時期に終わります! だから大丈夫なんです!」
「だからなんでんなことわかんだよ?」
「念話で話したんです! あたしたちの世界にいる、みんなと! さっき!」
「……はあ⁉ 念話でだと⁉ んな暇どこにあった⁉ 意味わからん!」
そらこういう反応になるわな。立場が逆ならあたしだってこうなる自信あるもん。
「ああもう! これが──証拠です!」
とはいえ真実は真実なので、信じようとしない二人に胸ポケットの通信器を引っ張りだして見せつける。金属質の薄い板が二枚、断面を合わせると大きさは学生証くらいか。証拠と言い張りつつも初めて見る現物に、これは意識の端に追いやられるのも無理ないと納得。
「なんだそのカード? それで向こうと念話したってのか──」
《待て! 俺にも見せろ!》
眉間にしわを寄せる椿さんの背中からトラがひょっこり顔をだして『闘奔勢走』を伝い、スンスンと通信器の匂いを嗅ぐ。魔力でも嗅ぎ取っているのだろうか?
《魔界の兵士に持たせる緊急用の通信器だ。クソ親父の魔力残滓もある。間違いない》
ありがたくも太鼓判を押してくれるトラ。
「じゃあ、念話であっちの世界と会話したっていうのも本当なの?」
《異世界を跨ぐ通信は時の流れが遅い方に合わさる仕組みだ。今は向こうの方が遅いから、こいつ以外には一瞬に感じたんだ》
トラが向こう側のケンとほぼ同じ説明をしてくれる。要点のまとめ方そっくりじゃん。
「とりあえず……よくわからないけどわかったわ。でも──」
一端言葉を区切り、縁さんはあたしとトラを交互に見つめる。
「魔孔を抜けた先がちゃんと魔女一派と魔獣軍がいる戦域だって確証はあるの?」
《この戦域は向こう側の魔孔から吐き出された場所だ。ここから艦隊を送り込むからには出口も同じと考えるのが妥当だ。何より疲弊した魔獣を一気に叩ける好機とあれば、奴らにそこを突かない理由はない》
半信半疑な縁さんの追及に、トラは淀みなく答える。
「魔女一派が再編してるおかげで、魔界側の見積もりより魔獣側は弱ってません! だからどうにかしてあいつらに潜り込んで一緒に転移できれば──」
──あたしたちであの忌々しい大艦隊を殲滅できる!
「いいじゃねぇの! あっちに再編した魔獣軍がいるってんなら話は別だぜ!」
「渡りに船ってやつね。願ってもない申し出だわ」
トラの解説とあたしの一押しが決め手となり、一転して乗り気になる二人。根拠を示した途端に掌を返す辺りがなんともこの人たちらしい。
「じゃあ……一緒に行ってくれるんですか?」
「愚問だな」
「ええ、ここで征かなきゃ魔女が廃るわ」
実に頼もしい先輩方。後進の指導方法には言いたいあれこれも多々あるけど、いずれはあたしもかくありたいもんだ。
《あっちの行くのはいいが……クソ親父の手を借りるのか》
闘志を燃やす二人とは対照的に、この期に及んでというかやっぱりというか、父親の策に乗るのが気に食わない様子の息子さんが一匹。
「んな悠長なこと言ってる場合かよ⁉ 二度とねーんだぞこんなチャンス!」
「これ以上魔界で抵抗を続けても多勢に無勢。使えるものはなんでも使うべきよ」
この大局を前にしてもなお、感情が先に立って煮え切らないトラに対し、二人も苛立ちを隠しきれない。意地というのは時にこんなにも己を頑なにしてしまうのか。
「……以降の作戦を現戦域の魔鋼艦隊を私たちの世界へ誘引し、現地の魔女一派との挟撃に切り替えます。異存ないわね?」
「応」「はい」《……》
承諾を得る体を取ってはいるものの、実質は有無も言わせぬ縁さんの命令に、あたしたちは約一名を除いて頷く。トラも心情はどうあれ、現時点ではこのやり方しかあの魔鋼大艦隊をどうこうできる手段がないとわかっているはず。無言を貫くのがせめてもの意地か。
人にせよ獣にせよ、魔の付く輩はつくづくめんどくさい。
「で、どうやってあいつらに乗り込む?」
「そこはいつものアレでしょ? ねえ、四ヶ郷さん」
「ですね。アレでいきましょう。ってわけで椿さん、お願いします!」
「……ああん?」
主語がぼかされたまま水を向けられた当の本人は、『なんの話だ?』という風で首を傾けた。
グオン、グオン。グオン、グオン。
心臓の鼓動よろしくと規則正しい駆動音が鳴り響く魔鋼艦内の通路脇。
さんざん沈めてきた魔鋼艦ではあるものの、稼働状態で中に入った経験はなかった。この艦も魔鋼兵の装備同様魔人の使用を想定しているらしく、何から何まで人間サイズだ。
「椿さん~、そっちにレンチあります? 6ミリの」
「ちょい待ち──ほい」
「ども」
その一角、薄暗く手狭なスペースにて椿さんとブツクサ言い合いながら『闘奔勢走』の整備点検を急ぐ。できれば十分なスペースを確保したいところではあるが、そこは戦闘用の船。これもあたしたちの世界にあるものとそう変わりない。
旗艦艦隊を含めた全体の三割ほどが魔孔に進入した頃合いで、あたしたちは切札である拡散魔力閃を侵入直前の艦列に叩き込み、大艦隊を一時的に混乱させることに成功した。
いくら壊してもまた造ればいいがモットーの魔鋼艦といえども、旗艦に虎の子の高圧縮魔力閃搭載型を据えている以上、いたずらに深追いして損耗を出したくないだろうと踏んだ。
その読みがこれまたハマり、あたしたちは大した迎撃もされないままゴタゴタに乗じ、いい感じに被弾した巡洋艦の内部に潜入して息を潜め中なのだった。
大艦隊御一行様は内部に不穏分子を抱えているとは露知らず、崩れかけていた艦列を速やかに組み直し、続々と魔孔から次元の狭間へ突き進んでいるのだった。
「……拡散魔力閃ぶっ放したってのにオーバーホールもなしか。これじゃ向こうに着いたところで万全に戦えるかわかんねーぞ?」
「だからこうして現場でイジってんじゃないすか」
「焼け石に水って言葉知ってっか?」
愚痴り合いながらせっせと作業を進める。暗い場所や狭い空間でも問題なく整備できるように練習しておいてよかったぜ。
「二人とも口はいいから手を動かして。時間だって無限にあるわけじゃないのよ?」
「「そう言うなら手伝ってくれませんかね?」」
やたら急かしてくる縁さんはというと、飛空ユニットを盾にして通路を監視していた。
「この通路じゃ狭すぎて無理よ。それに見張りだって必要でしょう?」
「んなもん魔力探知張っときゃいいでしょうが。頼みますよ先輩」
「魔力を隠蔽しているタイプがいないとも限らないわ。目視も大切だから」
都合のいい言い訳を並べて見張りに徹する金髪さん。悪い意味で口が達者よな。
ここに隠れてかれこれ二十分ほど。窓がないので外の様子までは知る由もないけど、時間的には時空の狭間を通過中といったところだろう。縁さんの言う通り艦内で魔鋼兵と戦闘になる可能性は高いとはいえ、ちょっとぐらい手を貸してくれてもよくない?
「にしてもお前ってさ、ここぞって時は結構博打打つよな?」
「……いやいやいやいや」
縁さんの言い分とは裏腹に魔鋼兵が来る気配もなく点検は着々と進み、作業にも終わりが見えてきたさなか、当の博打打さんに言われてカチンとくる。
「そう仰る椿さんは戦闘中ほど保守的になりますよね?」
「抜かせ小娘。あーしは生き残る確率が高い選択をしてるだけだ」
「あたしだって同じですよ」
「お前は趣味に走りすぎなんだよ派手好きが! だいたい拡散魔力閃だって整備できないリスク冒してまで撃つ必要あったのかよ⁉」
「現にこうして整備できてるし十分のめるリスクでしょうがよ! 椿さんだってそう思ったから撃ってくれたんでしょ⁉」
「お前が駄々こねる時間が惜しかっただけだ!」
「そう判断したってことは悪くない策だって深層意識では思ってたんじゃないんですか⁉」
「詭弁だな。死中に活といやあ聞こえはいいが、要は勇敢と蛮勇を履き違えてんだよ!」
「いいじゃないですか乾坤一擲! つか誰に影響された性格だと思ってんのさ⁉」
「人間の性格がたかが四か月でひっくり返ってたまるか! 本質は全部テメェ由来だ!」
「んぐぅ! あんたどの口が言って──」
「んだよやんのかぁ? 顔がボコボコだと戻った時誰かわかってもらえなくなるぞ?」
戦闘の高揚感と場所的な閉塞感がそうさせるのか、よくわからないまま椿さんにケンカを吹っ掛けてしまう。向こうさんも口調の激しさほど怒気は感じられず、お互いに引っ込みが付かず睨み合うという変な状況と相成っている。
「いいわね~師弟愛~。これこそ私が目指す教育の在り方だわ」
いつも間にか飛空ユニットの上に寝っ転がってくつろいでいる縁さんが、眼福とばかりころころ笑っている。つかせめて見張りするフリぐらいしとけよ!
「「……──」」
いくらなんでも傍らで実況されるのはいたたまれず、二人して無言で作業に戻る。……でもまあ、上下関係はあっても対等に議論できるのはいい環境ではあるのか。
教育とは何も、教師から生徒への一方通行ではない。
時に教師が生徒から学ぶ機会だって少なくはない。教える側が自身の思想をただ押し付けるのではなく、教わる側の思想と掛け合わせた上で新たな考え方を生み出し、それをさらに教える側へ伝え、切磋琢磨していく。
実際はそこに感情が混ざるわけだから毎度すんなりとはいかないだろうけど、良好な交友関係を育む上での理想形であるのは確かだ。
「おし、終わった。そっちはどうだ?」
「はい、こっちも問題なしです」
総仕上げに各部品の緩みやネジの締め忘れ等も確認し、結局魔鋼兵は来ないまま応急処置は完了した。椿さんの懸念する通り、可能ならもっと細かくバラして診てあげたいのだが、これがこの場所でできる限界だ。
「そしたら、ことが起きるまで休憩だな」
「了解でっす」
簡易工具を片付け、お互い邪魔にならない範囲で通路に腰を下ろす。床は硬くて冷たい金属製で、すぐにお尻が痛くなる。
この調子であれば大艦隊が獅子身中の虫ことあたしたちの駆除に乗りだすのは、時空の狭間を抜けて転移を終了させた直後。あたしたちの世界に到着してからか。
「しっかし、魔界ともおさらばして、もうすぐあーしらの世界か~」
「長いようで短いようで長かったですね」
人事を尽くし、あとは天命が訪れるまでのんびりするのみ。敵の腹の中でリラックスとは、我ながら神経が太くなってしまったよ。
「よかったなー四ヶ郷、予定より二か月も前倒しで帰れるぞ」
『闘奔勢走』を挟み、椿さんが言葉を投げてくる。
「へ? ……あ、そっか」
一瞬何を言われているのかわからず、間を置いてハッとなる。眼の前にある障害を捌くのに必死で、そこまで考える余裕がなかった。
「帰れるんだ、あたし」
「今更どうした? お前が言い出しっぺだろうが」
「なんですけど、意識したらなんか──」
気を抜いた途端、向こうで過ごした膨大な情報が走馬燈ばりに押し寄せてくる。
買い物客で賑わう商店街。自転車で突っ走る通学路の田んぼ。仲間たちが浮かべる様々な表情。生温い真夏の風と涼しい木陰。魔法少女たちと戦う日々。……最後のやつを日常に分類するのはいかがなものかと思うけど。
帰れる。あたしが生まれた世界に。あたしが育った宮境町に。父さんと母さんが待っている家に。詩乃が、渚が、唯姉さんが、灯子がいる、あの場所に。
「まだ油断しちゃダメよ」
故郷へ飛んでいた意識が、凛とした一声によって引き戻される。
「私たちの世界には帰れるけど、家に帰れるわけじゃない。戦いはまだ終わっていないわ」
怒っているわけでも呆れているわけでもない、坦々と紡がれる事実が心に突き刺さる。
「まずはしっかり勝って、それから帰りましょう。私たちの、それぞれの家に」
「……はい」
「……うっす」
縁さんの静かかつ確固たる一括に、あたしたちも浮つきかけた心を戒める。
「すみませんでした。もうすぐ帰れるって思ったら、つい」
「構わないわ。かく言う私もまったく嬉しくないわけではないから」
無表情から打って変わり、縁さんは自嘲気味に微笑み、あたしたちを見回して続ける。
「やりたいこと、行きたい場所、会いたい人。私にだっていろいろあるもの。だからこそ、ここが正念場よ。……守りましょう。私たちの世界も、魔獣の矜持も」
「はい!」「応よ!」《当然だ!》
珍しく熱くなっている縁さんに充てられたのか、こういう席でなかなか口を挟まないトラにまで熱が波及している。
「あんたもよかったねトラ。これで渚に謝れるじゃん」
《……身の不始末は付ける。お前に言われなくてもな》
歯切れの悪いトラの返しに、これはうまくいくか半々だなとため息。
各々の思い描く未来への決着が刻一刻と近づいていく中、あたしの心持は思いの外穏やかだった。




