プロローグ
トンネルの中をゆっくり、ゆっくりと歩を進めていく。
光源がどこにもないのに空間すべてがうっすらと照らされて歩行自体に不便はない。けれどその不気味な雰囲気が邪魔をして結局先を急ぐ気になれないでいる。
ドッ──ドッ──ドッ──ドッ──
この場所に入ってから絶えず耳に届く心臓の鼓動じみた音によりもたらされる眠気が、張り詰めている緊張を解さんと茶々を入れてくる。
人が電車の中で睡魔に襲われるのは、車内の騒音が母親のお腹の中にいた頃の音と酷似しているからだと、何かで読んだ。つまりこれも、あの現象の一環というわけか。
「あれは──」
こうなると知っていたなら、ミントの効いたガムの一つも持ってくればよかったと後悔していると、ここまで同じ景色の繰り返しだったトンネルに変化が訪れる。
放射状に拡がる黒い爆発痕。斬撃により削られた壁面。衝撃により崩落した天井。考えるまでもなく戦闘の爪跡だ。
「っ! 椿!」
惨状の中央、今日まで共に戦ってきたバディの姿を認め、反射的に駆け出す。
椿は壁に寄りかかり、首はだらりと前に落ちている。あれでは寝違えてしまう。今からでも横にしてあげないと。
「先行してるのなら言いなさい。まだ天側の動きが掴めてない……んだ、から──」
安堵を誤魔化す悪態が途切れる。
「椿?」
腰を落とし、頬に触れてみる。死んではいないようだけど、寝ている時でさえ感じられた魔力の気配が、今はもうない。
「……そっか」
見間違うわけがない。椿の有様は、私たち魔女が魔法少女たちに散々強いてきた姿とまったく同じなのだから。これまでしてきた所業のツケを払わされた。ただ、それだけなのだ。
「ずいぶん派手にやられたものね」
もはや魔女でもなんでもなくなった後輩に、労うように囁きかける。
魔装衣が左肩からばっさり切り裂かれている。おそらく、斬り飛ばされた肉体だけ再生したのだろう。この子がこんな一撃をくらうとは、これだけでも戦闘の壮絶さが窺い知れる。
「ホント、やってくれるわね」
いつの間にか通路のど真ん中で堂々と立ち塞がっている人影に話を振る。
形こそ私や椿と同じ魔界の軍装だけれど、色は私たちの灰海色とは異なる暗緑青色。よほどの接戦だったのか、椿の魔装衣と同様ところどころが破け焼け焦げてボロボロだ。
「やっと来てくれましたね、縁さん」
「……四ヶ郷さん」
私を待ち構えていた、かつて同じ釜の飯を食べたもう一人の魔女と対峙する。
私──きっと椿も──は、この子の師匠だという自覚がある。向こうも、私たちの弟子であるという認識を持ってくれていると信じている。その師の片方を討ったばかりだというのに、彼女は衰えぬ闘志を隠そうともせずこちらに送ってくる。皮肉にも、私たちが教えた通りに。
「いつかこんな日が来るかもって、心のどこかで思っていたわ。四ヶ郷さん」
「あたしもです。縁さん」
互いに親愛を込めて名を呼び合い、相手の顔へ獲物の切先を向ける。
「言っても無駄でしょうけど、手を退くならここが最後のポイントよ? 始まったら止められないもの」
「ええ、言っても無駄です。ここであなたも、あたしが止めます!」
椿を討伐してハイになっているのか、はたまた自身を奮い立たせているのか、いつになく闘争心を剥き出しにして四ヶ郷さんは吠える。
「今日まで一度も私に勝てなかったあなたが?」
「つまり、ここで勝てばこれまでの黒星は全部白星です」
相も変わらず無茶苦茶な言い分ではあるけど、ある意味的を射てもいる。どれだけ醜態を晒そうと、最後の最後まで立っていられる人が真の勝者なのだから。だとしても──
「あなたは手負いで私は万全。この状況がわからないほどバカなあなたじゃないでしょう? 再考をお勧めするわ」
「やってみなければわかりません」
会話に応じながらも、四ヶ郷さんはまったく聞く耳を持ってくれない。計算高いタイプではないにしても、無謀と蛮勇を履き違えるような子でもなかったと思っていたのだけど。
「わかったわ」
無闇やたらに食い下がったりはせず、心に残る『惜しい』という感情を切り捨てる。
現実問題、手加減してどうにかできる相手ではない。ただで済まなかったとはいえ、椿を討伐してみせたのが何よりの証左。ここは殺るつもりで取りに征くしかない。
「──『境界閃』!」
「『兵香槍攘』!」
獲物に魔力を流し、戦闘態勢へ。これから交わされるのは言葉のような温いものではなく、眼前の相手を容赦なく叩きのめす無慈悲の感情のみ。
「おおぉぉおお‼」
四ヶ郷さんは咆哮とともに突撃を発動。一直線にこちらへ突っ込んでくる。
「はぁ‼」
対する私は、収縮させた魔力を『境界閃』に乗せ、いつもより凝縮させて撃ち出した。
キュゥゥーンッ!
通常よりも控え目な音を蹴立て、光撃が放たれる。
「ううぁ⁉ かはぁ──」
それは突撃により展開された鏃状の障壁を難なく貫き、使用者である四ヶ郷さんの胸を魔力塊もろとも削り取り──
「うああぁぁ⁉」
「うお⁉ せ、先輩?」
眼前の惨劇を振り払うように跳ね起きる。
「びっくりしたな。やっとお目覚めっすか?」
「え、椿? ……な、なんでここに?」
「なんでここにじゃねっすよ! 出るから準備しとけって言ったクセに何寝てんすか⁉」
眼が合うなり隣にいた椿が捲し立ててくる。
辺りを見回すと、魔界潜伏のために用意したアジト、コンテナの中だった。椿を待つついでにとソファーに腰かけ、うっかり寝てしまっていたらしい。
「ったく、勘弁してくれます? なんであーしがあいつにどやされなきゃなんないんすか?」
ガチでご立腹の椿。この子にしてみれば、休日にいきなり仕事しろと言ってきた当の本人が寝ていたのだから無理もない。
「……あれは、夢?」
「ほーほー、後輩走らせといてテメェは夢の中? さぞ楽しかったんでしょうねぇ!」
「ううん。そんないいもんじゃ、なかった……はず」
椿の大声が効いたのか、夢の記憶はすっかり頭から消え去っていた。とてつもなく大切は局面を迎えていた気がするのだけど、もはや思い出すとっかかりさえ掴める気がしない。
「──ごめんなさい。行きましょう」
夢なんてこんなものだとかぶりを振って立ち上がり、椿の先を行く。
「ったく、なんなんすかマジ? 寝てるのがあーしだったら絶対もっと怒るのによぉ!」
なおもグチグチ続く椿の呟きに、なんとも耳が痛い。戻ったら肩でも揉んであげよう。
《何をクズグスしている⁉ もう時間はないぞ? 急いで出発しろ!》
私を見るなり、バイクの戦闘に乗った王が急かしてくる。どうやら結構な時間寝ていたようだ。待つだけの者にしてみればとんでもなくストレスの溜まる時間だったろう。
「へいへい、すぐ出しますよーっと」
王の小言を右から左へ受け流し、椿が慣れた動きでバイクに跨る。私も続き、シート裏の取手を掴む。
この子は昔から腰を触られるのが苦手で、私が後ろに乗り慣れていなかった頃は咄嗟に抱き付いてはさっきみたいに叱られたものだという思い出が、性懲りもなく脳裏をかすめる。
ブォン! ブォンブォン!
椿がアクセルをひねり、エンジンが快調に唸る。
「よっしゃ! 出撃だ!」
椿が叫び、バイクが走り出す。同時に背中から後方へ引っ張られる感覚が迫り、私は取手を握る手に一層の力を込めた。




