第三章
「……どーしよ?」
自らの置かれている状況を思い、途方に暮れる。
《オイ! 魔女サマイタカ?》《イヤ、テコトハソッチモカ》
息を殺して下を伺うと、魔獣たちがあたしを探していた。様子からしてこちらに気付いてはいない。あたしの気配消しもさることながら、魔装衣が森に擬態できる色で助かったぜ。
《モウコノ辺リニハイナインジャナイカ?》《確カニナ。突撃ナラアットイウ間ダシ》
スミマセン、上陸してからほとんど動いてません。
《捜索範囲ヲ内陸ニ集中シヨウ》《ダナ。西側ノ戦闘モ気ニナル。急イデ合流シナクテハ》
「……うはぁ~」
魔獣たちの駆ける音が遠退いていき、止めていた息を吐き出す。
「ホント、何やってんだろあたし」
到着してすぐはなんかこう──とにかくイケイケ状態で、なんならこのまま一直線に司令部までブチ抜いてやろうかとさえ思っていたわけだけど、休憩がてら木の上で一呼吸置いたらあら不思議、完全に腰が引けてしまった。勢い勇んで乗り込んだあの威勢はどこへ?
「つってもさ~、魔獣と戦えって言われてもさ~……」
今この瞬間まで見て見ぬフリをしてきたツケが、とんでもない利子を上乗せしてのしかかっている。因果応報と言われればその通りなんだけどもさ。
大体、考えが割れたからって敵だ戦えと言われて、『はい、わかった』で割り切れるわけがないだろと。ここにはあたしが助けた魔獣だって大勢いるのに、命を救った相手を今度は倒せとか、どんな拷問だよマジでさ。
不満たらたらに突き抜けてきた戦場へ視線を向けてみると、理路整然とあたしらを迎え撃った艦隊の鶴翼陣形は跡形もなく乱れていた。駆逐艦の何隻かは小さな爆発を伴いながら火煙を吹き上げ、ここからでもわかるほどに傾斜している。
空戦の方も両陣営が入り乱れての乱痴気騒ぎとなっていたが、だんだんとこちらの識別波長を持つ魔獣の方が多くなり、制空権を手に入れつつあるのがわかる。作戦開始時からはだいぶ減ってしまったけど、生き残った攻撃隊の突入も間もなくだろう。
「みんな……っ」
あの艦のどれかで、あの空のどこかで、魔女が、魔法少女が、魔獣が、魔人が、各々のできることを死に物狂いでやっている。引き替えあたしは、遅れてきた臆病風に吹かれ、こんな木陰で縮こまっている。一番槍が聞いて呆れる体たらくだ。
「……い、いかんいかん! こんなんじゃダメだ!」
このままここにいては本当に腐ってしまう。心も身体も両方の意味で。
とりあえず先へ進もう。ここで悪戯に油を売っていては、それこそ散っていった魔獣たちに申し訳が立たない。あの世で見ているクソジジイにも笑われてしまう。
とにかくまずは、敵本島地下中央にあるであろう司令部を目指そう。地戦隊が転移してきたからには、当然深戦隊も随伴しているはず。向かっているうちに地下通路が視覚共有の地図に更新されるはずだ。
「よし、征こう」
一番大事なのは、魔獣との接触はできる限り──いや絶対に避ける!
まあ、あたしより強い魔獣なんてそうはいないし、万が一鉢合わせても関節を少し斬って無力化すれば大丈夫だろう。降参さえしてくれれば、それ以上は傷付けずに済むんだから。
ヒュュユユゥゥ──ドオオォォンッ!
「うごあぅ⁉」
間抜けな風切り音の直後、爆音とともに寄る辺にしていた木ごと吹き飛ばされる。
「痛ぃぃ! あ──かは──っ」
勢い衰えぬまま地面に叩きつけられ、息が詰まる。重くなった腰を蹴り上げるとばかりの衝撃。こうでもしなきゃ動かないとでも思われているのだろうか?
《マ、魔女サマ⁉ 魔女サマデハアリマセンカ!》
「……へ?」
上体を起こすと、そこには一体の魔獣が立っていた。
「うっげしまった……っ!」
見つかるまいと気合を入れた約五秒後に速攻で見つかってしまった。上陸してからロクな目に会ってないな。敵地だし無理もないけど。
《魔女サマ、オ怪我ハアリマセンカ?》
「お、おう。ありがとう」
差し伸べてきた手を条件反射で借り、立ち上がる。
《ア、アノウ……覚エテオラレマセンカ?》
「え? な、何を……ですか?」
そう控え目に尋ねてきたのは、頭に生えた二本の角が凛々しい、クワガタの魔獣だった。なんだろう? 確かにどこか見覚えがある。
《私ヲ含ム三体ガ、星ヲ繰ル魔法少女ト相対シテイタ時──》
「え……あ、ああ!」
そこまで聞いてようやく、散らばっていた断片が一つになる。
「あんたあの時のカナブンか!」
《イヤデスカラワタシハくわがたデスト! 前オ会イシタ時ニモ言ッタデハナイデスカ!》
忘れもしない。あたしが魔女として最初の一歩を踏み出し、初めての討伐に臨んだあの日。初陣で何もかも手探りで、建物に跳び移る時さえ腰が抜けかかっていたあの頃。
現場に到着して物陰から覗き込んでみると、三体の魔獣が一人の魔法少女を囲んでいた。魔獣有利かと思いきや、魔法少女の大技で戦況はまんまと逆転されてしまい、魔獣たちは窮地に陥ってしまった。
そこにあたしが颯爽と跳び蹴りで乱入し、菫色の魔法少女と対峙する運びとなった。あの子を導いた端末を破壊し、殺到する星々を跳ね飛ばし、あの子の胸に『兵香槍攘』を突き刺し、なんとか初仕事を白星で飾ることができたのだ。
「そっか……ちゃんと生えたんだ、角」
《エ? マア、ハイ》
よりにもよって最初の感想がそれかよ? とでも言いたそうにしているカナブン改めクワガタ。なるほど、初対面では角がなかったからピンとこなかったわけか。
「いやあ、元気そうでよかったよかった。……ところでさ──」
再会を喜ぶのも束の間、聞かねばならない事柄を思い、ゆっくりと口を開く。
「あんたって『砂漠の薔薇』だよね?」
《ハイ。私ハ『砂漠ノ薔薇』デス》
「──ってことはさ」
《イカニモ。現在私ハ、魔女サマノ敵デス》
「お、おう……」
先回りで断言されてしまった。つまりこのクワガタは今、あたしにとっては排除せねばならない存在以外の何者でもない。
かつて救った魔獣──しかも初陣を飾った際の──が、あたしの前に立ちはだかる。予想していた最悪の事態を軽々超える最悪の事態だ。マジでどうした今日のあたし?
「恩着せがましくて悪いけど、ここはあの時の貸しって感じで見逃し──」
《ソウハ参リマセン。今本部ニ魔女サマ発見ノ信号ヲ送リマシタ。時ヲ置カズニ周辺ノ部隊ガココニ集結シマショウ》
さすがは魔獣。それはそれこれはこれの判断力がハンパない。
《勝手ナガラ、先般ノ魔法少女迎撃ノ際ニ、魔女サマヘノ御恩ハオ返シシテオリマス》
「あ~……うん。そりゃそうか」
前回敵本島を訪れた際、270人近い魔法少女の群れから帰還できたのは、『砂漠の薔薇』の魔獣たちが参戦し、帰りの道を用意してくれたおかげだ。モズレー曰く、あれは魔獣たちの独断だったらしいし、あの件でトントンだぞと言われても、理不尽なところは何一つない。
デスカラ魔女サマと、クワガタはあたしの納得を余所に続ける。
《降伏シテ下サイ。御身ノ命ハ捕虜トシテ、丁重ニ扱ワセテイタダキマス》
「いやいやいや! あたしまだなんもやってないし」
《我ガ方ノ駆逐艦ヲ小破サセテオイテヨク言イマスネ》
「……そういやあの艦、あとで詩乃と青さんが沈めてくれたんだっけ?」
《ハイ。アッケナク大破轟沈デス。被害甚大デス。ドウシテクレルンデスカ?》
「言いっこなしでしょそれは。こっちだってどんだけ撃ち堕とされたと思ってんのさ?」
この言い合いもある意味戦争の縮図か。
とはいえ、降参などもっての他だ。敵も味方も仲間の屍を乗り越え、あるいは盾にして、必死に戦っている。暁軍人の散り際みたいな台詞でアレだけど、ここであたしだけホイホイと降りてしまっては、それこそ魔女の名折れだ。
「そういうあんたこそ、バカな真似はやめて降参したらどうなのさ?」
《デキナイ相談デス。私コソ、マダ何一ツ成シテハイマセンカラ》
毎度の流れながら、お互いの我がすれ違う。これでは永遠に平行線だ。
「あたしとやりあって勝てると思えないけど? 大人しくしてるのが身のためだと──」
《デアレバ早クヤレバイイデショウ! 何ヲ躊躇ッテイルノデス⁉》
「──⁉」
《……イヤ、失礼。エベルハルター先輩ニハ、魔女サマト同ジク恩ガアリマシテ。ソシテ、アチラノ恩ハマデ返シキレテオリマセンノデ》
ハッと我に返り、クワガタは聞いてもいない言い訳を並び立てる。
《オ察シノ通リ、私ハ魔女サマヨリ弱イ。シカシ、例エコノ身ガ貫カレヨウト、義ニ背クワケニハイカナイノデス。先輩ノ矛ニハナレズトモ、盾ニハナレマス故》
「あ……う」
雷に打たれた心持だった。
何が『あたしより強い魔獣なんてそういない』だ。こいつの意志は、あたしなんかよりよっぽど強く、硬い。こんなすごい奴を無意識に見下していたなんて、どれだけ腐れ外道なんだあたしは。心が伴わなければ、力などただの暴力。あたしは、暴力でこいつらを抑えつけようとしてしまった。こいつらの誇りや意地を、一顧だにせずに。
「……『兵香槍攘』」
拳に冷たい炎をまとい、これまで散々魔法少女を貫いてきた相棒を呼び出す。
「ごめん。あたしが間違ってた」
短く詫びて、これまで散々救ってきた魔獣の……その第一体目に相棒を向ける。
《アリガトウゴザイマス。……ト言ウノモオカシナ気ガシマスガ》
肩をすくめているのか、クワガタは困った口ぶりで応じてきた。
見つけたんだ。『砂漠の薔薇』にいるすべての魔獣は、かつての恩者を敵に回してでも、後ろに続く者たちに曇りのない明日を生きてもらおうという目的を。
こいつらのやり方が正しいのか、あたしにはわからない。もしかしたらその先には、とんでもない絶望が待っているだけなのかもしれない。
だけどそれを決めるのは、託された未来たちの役目だ。断じてあたしではない。あたしにできる役目があるとすれば、こいつらの主張に誠意を以って応えること一点のみ。
あたしたちだって同じなんだ。誰も気が付いてくれないけど、あたしたちは間違いなく、この世界が辿る運命の分かれ道、その最前線にいる。譲るわけにはいかない。こいつらに描く理想があるように、あたしにもみんなと迎えたい明日があるから。
「しゃがめぇ!」
《⁉ ──ッ!》
「うお⁉」
突如として迫る気配に、咄嗟に上体を反らす。空に向けたお腹の上と顔面スレスレを、何者かの足が高速で通り過ぎていく。
「いたいた! やっと見つけたぜ魔女!」
転びそうになるのを堪えて振り返ると、枝に足をかけ、宙吊り状態でこちらを指差す魔法少女が一人。勢い任せであたしに食ってかかり、勢い任せであたしを言い包めた、人一倍自己主張の強い『砂漠の薔薇』の最年少。
「瀬川真夜!」
「応よ! 『砂漠の薔薇』遊撃、瀬川真夜参上! やったやった運がいいぜ! どうせ戦うならあんたしかいねーよなって思ってたんだよ四ヶ郷棗!」
「……ご期待に沿えて何よりだよ」
相変わらず名前に反して真っ昼間みたいに元気な子だな。
何より勘も運もいい。いくらクワガタが信号を送ったとはいえ、元から近くにいなければこんなに早く駆けつけられない。本人も遊撃って言ってたし、最初から戦闘の指揮系統には組み込まれてはいないようだ。
そりゃこんなクセの強そうな聞かん坊相手に『お前は○○の部隊だぞ』って指示したところで、命令通り動くわけねーもんな。さすが、木嶌イングリッドは適材適所を心得ている。
「ここはあたしが引き受ける! お前は後ろの部隊に合流しろ! 自由奪還!」
《ハ、ハイ! 真夜サマモオ気ヲ付ケテ! 自由奪還!》
一生に一度は言いたい台詞をまさしくピッタリな局面で叫び、瀬川はクワガタを逃がす。
「さあさあ、これで好きなだけやりあえるぜ!」
クルクルと舞いながらスタっと着地し、瀬川は戦闘の構えを取る。
脇差ほどの刃渡りの闘剣が二本、両手に逆手で握られている。寸法に余裕のあった砂色の外套は葡萄酒色の襷で縛られ、取り回しに支障はなさそうだ。説明会の時は魔兵装まで見られなかったけど、やはり紋無しではなかったか。
「いきなり現れていきなりだな」
怒涛の展開に呆れつつ、こちらも『兵香槍攘』の切先を瀬川に向け、戦闘の意志を示す。
魔獣相手でも容赦しないと、腹を決めた途端に梯子を外されてしまった形だが、クワガタと戦わずに済んで、どこかホッとしてしまっているあたしがいる。いけ好かないガキだけど、そこに関してだけは感謝してやってもいい。
「よっしゃいくぜぇ!」
性格を表すかのような一直線で、瀬川が突貫してくる。
「そっちこそ、魔女舐めんなよぉ!」
とりあえずその気概に応え、初撃は真正面からぶつかってやる。魔力を乗せた渾身の一突きを、瀬川は闘剣を十字に構えて受け止めた。
キィン! ギィン! カキン! キュィイン!
「はぁ! せい! だぁりゃぁ!」
刃を交わしたのも一瞬、すぐさま至近距離での打ち合いに転じ、火打石のような短い火花が現れては消え、瀬川は間断なく魔兵装を振りかざす。
獲物を逆手に持つ利点は、動きの端々が格闘戦につなげやすい部分にある。拳を繰りだす延長線に刃があるわけだから、刀や剣を扱う術をそこまで必要としない。
実際瀬川の動きは、お世辞にも剣術や格闘術を修めているようには見えず、良くて初心者や我流、悪くて喧嘩が強い程度の域を出ない平凡なものだ。契約前は普通の小学生だっただろうし、当然と言えば当然なんだけど。
「ふ! うぅ! ちぃ!」
対するあたしは『兵香槍攘』の真ん中を軸にして、最低限の力で受け流す。
技量はさておき、とにかく手数が多い。瀬川の出方を見る余り、こちらが守り気味になってしまっている点を織り込んでも、ずいぶんな猪突猛進振りだ。
「そらそら! どしたどしたぁ⁉」
後先考えない激しい動きに、瀬川は疲れを見せるどころかキレを増して向かってくる。浮かべている表情はイキイキと輝き、久しぶりの実戦に心躍らせているようだ。
「ひぃぃやぁ‼」
『いつまで守ってんだ臆病者!』とでも言わんばかりの豪快な後ろ回し蹴り。こいつの体格なら、足を目いっぱい伸ばしてもそこまで──
ジャキン!
「⁉」
小気味いい金属音を鳴らし、瀬川の踵から闘剣の刃が生える。
「ぬふぅ──」
増加した間合いに対処するため、姿勢が崩れるのを承知で再びのけ反る。そのまま後転した勢いで跳び、一度瀬川の間合いからでる。
「ち! 避けやがるとは、やっぱやるなあんた!」
片足立ちの構えのまま、瀬川は余裕たっぷりに言い放つ。実に楽しそう。
「つぅ! 足にもついてんのかよ!」
両手の闘剣に加え、両足──あの種の装備が片足だけということはまずない──の仕込み闘剣。四刀流かよカッコいいな!
「だったら──あたしもそろそろ、本気でいかせてもらう!」
ザシュ!
「ぐあぅ⁉」
気前よく一歩踏み出すと同時、右腕から冷たい痛みが伝わる。
「んな⁉」
痛む箇所に眼を向けると、左腕が肘から手にかけて斬られていた。血が染み出し、患部の魔装衣を赤黒く濡らす。幸い見てくれほど傷は深くなく、『兵香槍攘』の扱いに違和感はない。
「いつの間に──」
「どしたどした? 本気だしてくれんじゃなかったのかよ⁉」
急停止し、もう一度距離を取りなおそうするも、瀬川は考える隙を与えまいと攻め上がってくる。ノリかけたところで出鼻を挫かれ、またしても防戦一方に抑え込まれてしまう。
「うぅ! くっそ!」
さっきのはなんだ? 斬撃を飛ばした? いや、闘剣を振り抜くような動作はなかった。瞬間的に高加速するにしたって、それをするための魔力が溢れる兆候もなかった。
「く、ら、えぇぇい!」
跳躍して高度を取り、威力はあっても隙だらけな大振りをかましてくる瀬川。
「さすがにそんなのには当たらな──」
ザシュ!
「ぐうぅ⁉」
跳び退き回避したところで、今度は右膝を切り裂かれる。傷はさっきより深く、体重を乗せるとキリリと痛む。魔装衣には生暖かい血が拡がり、皮膚にべったり貼り付いたかと思えば、外気に晒され冷たい感触に変わる。
「はは! すっかりビビっちまったみてーだな」
などとのたまい、瀬川が最高にドヤっている。あの顔は間違いなく、何かしでかした顔なのだが、やはり何か仕掛けた素振りは見受けられなかった。ホントなんなんだこの攻撃⁉
「ダメだダメだ。落ち着け……落ち着けあたし」
被りを振って自らを戒める。
戦法の読めない相手となんて吐いて捨てるほど戦ってきた。今更二手三手後れを取ったところでなんだってんだ。例え魔力が万能の力でも、扱うのが人間である以上、正解には必ず辿り着ける。可能性を一個ずつ潰していけば、おのずと活路は開ける。──と信じたい!
「……せっかくだから使ってみるか」
「ブツクサ言ってねーでかかってこいよ腰抜け魔女さんよぉ!」
「う! 調子乗んなクソガキ!」
瀬川の見え透いた挑発にそこそこ乗っかりつつ攻めかかり、自身の内側でも準備を進める。
「確か、これで──」
波長の異なる魔力を二つ、自身の内側に生みだす。
「ふん!」
ピィーーン。
その二つをぶつける。衝撃によって周囲に等速で拡散していく魔力波が発生し、さらに波長の異なる魔力を感知する。直参衆直伝の魔力側的だ。
『郷愁作戦』決行にあたり、あたしたちは直参衆から『あれば何かと役に立つ魔力運用』をいくつか仕込まれていた。教わっていた時は『いつ使うんだコレ?』とか『戦ってる最中にそんな余裕ない』とかいろいろ思ってたけど、こんなに早く陽の目を見ようとは。
「ひょっとして、これ──」
あんな半信半疑な態度でも懇切丁寧に教えてくれたお歴々に内心感謝していると、森のあちこちに三日月型の魔力残滓が確認できた。数はわからない。やたらとたくさんだ。
「斬撃がその場に残るのか⁉」
「は? 気付くの早えーな⁉ まいいや! これがあたしの魔兵装『分崩離戚』の能力だ!」
しらばっくれるでもなく、瀬川はあっけなく認めた。どうせなら煙に巻くとか嘘を織り交ぜるとかすればいいのに。あたしは楽でいいけど。
「く! だからあんなに振りが多かったのか」
何はともあれ合点がいった。開幕から容赦ない連撃の数々は、あたしを攻撃しながら戦場に仕込みをしていたからか。空間にあらかじめ切り込みを入れておき、標的が近づいてきたら発動し、時間差で対象を斬る。斬撃ならぬ、残撃といったところか。
「頭の切れる技使うじゃないのさ!」
「はっはっはっー! どうだスゲーだろー?」
種がバレてもなんのその。瀬川は新体操の選手顔負けの連続バク転を披露し、さらに距離を取ってくる。どうせこの間合いも、追撃したら切り割かれるんだろうな。
「……世界に喧嘩売るような組織にいるだけはあるか」
感嘆がポツリ。立場上どうしたって思うことはあれど、あいつの仲間を想う心意気や抱く信条には、敬意を以って相対せねば。まあ、いくらご立派なお膳立てを並べ立てようが、立ちはだかる以上退かさいとならないわけだけど。
……さてさてどうするか? 突撃を発動して戦場を仕切る直すか?
「いや、ダメだ」
頭に浮かんだ安易な案を、口にだして却下する。
瀬川の持つ魔兵装の能力に気付くまで、あたしはあいつとかなり立ち回った。突撃で戦場を離脱すると見越して、とっくにに網を張られているはず。
固定された不可視の刃に、突撃の推進力を乗せたまま突っ込めば、手足の一本二本軽々持っていかれてしまう。場所を変えるにしても、少しずつ移し変えていかなければ。
「そぉぉおおりゃゃああっ! でぇぇい!」
「──つぅ! ──ふっ。──っ!」
とにかく瀬川の太刀筋を注視し、一度獲物が振りかぶられた座標には絶対に近づかない。すでに設置されてしまった分は、魔力測的を定期的に発信して位置を確認していく。
謎が解けたところでなんの解決にもなってないけど、対処の道は見えた。ここからどう切り崩すかで、魔女としてあたしの真価も問われる。
「くそ──っ。避けるな……っ! ちゃんと……戦え、よ!」
と、対策がさっそく効いてきたのか、瀬川の息が乱れ始めた。あの様子から察するに、放った攻撃すべてに斬撃が現れるわけではないようだ。
「くぅ! ふっ! よぉっとと!」
能力自体はやっかい極まりないものの、使い手の性分なのか、瀬川はこちらが垣間見せた隙を正直に突いてくる。いざ仕組みを把握してしまえば、芯を外すのは比較的容易だ。
「痛──! ああ、もう! ──つぅぅ!」
しかし、いかんせん数が多すぎる。一つ一つはかすり傷程度でも、何か所もやられてはこっちが先に倒れてしまう。こんな綱渡り、いつまでもやっていられない。
「くっそー! 思ってたより持ち堪えるじゃねーか。だったらこれはどうだ!」
悔しそうな口調のわりに高揚感を滲ませ、瀬川は雑木林を縦横無尽に跳び駆け回る戦法に切り変える。幹を蹴って跳躍し、別の幹からまた別のと、憎たらしくこちらを翻弄する。
「ちぃ! 小さい図体の上にちょこまかと!」
年相応の体躯が、ただでさえ捉えづらい動きに拍車をかけ、向こうの狙い通りだとわかっていてもイライラが募ってしまう。苦戦するだけならまだしも、自身のやりたいようにできないのは想像以上に精神を削られる。
「いい加減に──しやがれぇぇええ‼」
業を煮やした瀬川が、踏み台にした木を圧し折らん勢いで跳ね跳び、晴天を背後にする。
「……見えた」
跳び上がった先の頂点。跳躍力と重力が釣り合い制止する一瞬の隙!
『兵香槍攘』に魔力を込め、突撃を発動。この距離、この位置取りなら外さない。情けをかけてる余裕もない。このまま一気に討伐する!
「そこだぁぁ!」
「──ふん!」
瀬川は、何もないはずの空中で軌道を変えた。
「はえ⁉ ぐほぉぁ!」
完全無欠に虚を突かれ、瀬川渾身の蹴りがキマる。
「ぶぅえぇ! がぁ、ぐはぁ──ぬぅがぁぁ⁉」
成す術なく地面に削るようにのたうち、背中から木に激突。ゴリッという背骨の嫌な音とともに、衝撃で木の実やら虫やらがぽとぽと落ちてくる。気持ち悪い。
「……うぅ、ゲホッゲホ! そう、か……横になら乗れるのか……ゴホッ!」
咳き込みながら四つん這いになり、呻く。いつかのように吐きこそしなかったが、あの時に勝るとも劣らない不快感がまとわりつく。
「はっはっはー! 驚いたろ? こういう使い方もできるんだぜー!」
瀬川は得意げに笑い声を上げ、下手くそな合成写真ばりに空中で仁王立ちしている。なるほど、これがあいつの奥の手か。……この場合は足だけど。
残撃が刃として実体を伴い、かつ座標が固定されているのなら、触れることも乗ることも当然可能だろう。ましてや任意で発動できるとなれば、これを奇襲に使わない手はない。……この場合は足だけど。
序盤は残撃の存在を悟られないためにあえて封じ、あたしが見破ってからは大手を振って解禁してきたというわけか。……この場合は大足だけど。
打ち合えば打ち合うほど、自由に動ける範囲が限られ、反対に向こうさんは自分だけが使える足場まで設置できる。地味かもしれないがめちゃくちゃ堅実だ。
単なる喧嘩っ早いガキんちょかと思いきや、とんでもない頭脳派じゃねーか! そういや私立を受験するとか言ってたし、あれで意外と勤勉だったりするのだろうか?
「ああ、クソ!」
これだけ隙を晒しているにもかかわらず、瀬川は追撃する姿勢を見せない。
そりゃそうか。あっちは討伐能力を持たない先発型魔法少女。角度を変えれば、危険を冒してまで攻める必要はないという解釈もできる。あいつにしてみれば、ここであたしを討伐できずとも、後方の体勢が整うまで足止めできれば十分なのだから。
「ほらほら立てよ魔女! こんなんで潰れるほどヤワにできてねーだろ?」
「お、おう……」
とか分析しているそばから煽られる。ただの小休止だったらしい。作戦云々は関係なく、本人は戦いたくて仕方がないご様子。これは確かに軍隊向きの性格じゃないな。
「よっし、まだいけるな?」
フラフラと立ち上がるなり、体育会系を地でいく台詞が投げかけられる。
「……あんたも中々どうしてぶっ飛んでんね」
「何言ってんだよ。頭使って身体使って勝つ。最高にわかりやすいじゃんか! ついでに仲間のためになるってんだから、手加減なんかしてられっかっての! お前は違うのかよ?」
嘘偽りの入り込む余地のない真っすぐな瞳で、瀬川は高々に言い切る。あたしに負けず劣らず、この子も狂気に支配されてんな。
……てかもしかしなくても、詩乃や他の連中の眼にはあたしってこんな感じに写ってるのか? そう考えてみると、あたしって案外まともじゃね?
「なんてね」
『いやそれはない‼』という、関係者一同の総ツッコみがそこら中から聞こえてくるようだ。あたしが普通じゃないのは、あたしが一番よくわかってるってのさ。
「……しゃーない」
傍らに落ちていた『兵香槍攘』を拾い上げ、余裕綽々で待っている瀬川に改めて向き直る。
「とことん付き合ってやるよ! 瀬川真夜!」
「最初っからそう言やいいんだよ。さっさと来やがれ魔女!」
突撃は発動せず跳躍のみで瀬川に向かっていく。骨の折れる戦いになりそうだ。
†
ズゥゥウウン! ドォォオオゥゥン!
「ううぅぅ! ぐぉぉ──」
空気を圧迫する爆音と、内の恐怖を叩き起こす地響きが絶えず戦場を蹂躙する。
《応戦シロ応戦シロ!》《ウワァ‼ アアァァ》《クソ! 急ニ元気ニナリヤガッタ》
塹壕や砲撃で空けられた窪地に身を寄せ合い、敵陣へ向け魔力弾を放つ魔獣たち。その先の向こうも同じ状況であり、撃ち出した分だけ撃ち返される。
「戦争映画かよ!」
率直な感想が怒気を含んだまま吐き出される。
『まるで物語の中に入ったみたい』なんて例えをよく見るけど、ここにあるのは間違いなく現実で、話は勝手に流れてはくれず、進行させるにはわたしたち自身が動くしかない。
この趣味の悪い乱痴気騒ぎのせいで、空色の魔装衣もすっかり泥だらけだ。普段であれば文句の一つも零すところだが、命が無事ならいくら汚れようが知ったことじゃない。例え魔に身をやつした不死身の肉体であっても、痛い時は死ぬほど痛いのだから。
ガガガガガガガガッ!
「うひぃ!」
銃声からやや遅れて近くの土がピシャンと跳ね、身体を地面に擦りつける勢いで頭を下げる。
「くぅ! 防衛線の引き方うますぎだろ!」
持っていた手鏡を手近にあった枝に刺して向こうを覗き見てみると、自然界に不釣り合い甚だしいコンクリート製の人工物、トーチカがわたしたちの行く手を阻んでいる。
スパイによる敵本島奇襲が成功し、敵の抵抗も少なく順調に進撃できていたのに、ここにきて急に攻撃が激しくなった。もしかしなくてもここを最終防衛線とし、戦力を集中させる腹だったのだろう。おかげでどこもかしこも迂闊に動けず、完全に縫い付けられてしまった。
ガガガガガガガガッ!
さっきから郵便ポストみたいな横に細長い口がチカチカと明滅し、命を貫く鉛玉が吐き出され続けている。うっかり顔でも覗かせようものなら、わたしの頭なんかあっという間に握り潰したザクロかトマトみたいに弾け飛んでしまう。
ピキャアン!
「うわ! くっそ外道テメェひぃぃ──」
手鏡を砕かれ、銃弾の嵐が頭上を通り過ぎていく。
「……キャンデロロたちを置いてきて正解だったな」
木々は燃え果て地は荒らされ、多少の障害物はあれどここはかなり見通しがいい。なのでキャンデロロを含む四足歩行系の魔獣は、やや離れた後方で待機させている。いくら草木生い茂る森を駆け抜けられる地戦隊でも、開けた場所で迎え撃たれれば的になるだけだからな。
両陣営から撃ちだされた迫撃弾が、相手の陣営で土砂を巻き上げ爆発し、土の湿った臭いと硝煙の臭いとが混ざり合う。魔力弾の直撃を受けた木は燃え盛り、中ほどからメキメキと音を立てて圧し折れる。
《撃タレタ! 撃タレターッ!》《ァァァァアアァァ──》《頭下ゲロ頭下ゲロォ!》
そして敵も味方も分け隔てなく、バタバタと魔獣たちが倒れていく。
四肢が撃ち飛ばされ、何事かを叫びのたうつ者。攻撃が直撃し、肉片の一つすら残さず霧散する者。すでにこと切れた仲間を盾にし、背後の仲間を守る者。
最初は『魔獣なら銃弾ぐらい障壁で防げるだろう』などと嵩を括っていたが、魔力貯蔵量が少ない平の魔獣は魔力弾や身体強化に手いっぱいで、障壁を張るだけの余裕がない。
まして『郷愁作戦』実施により、ケンが魔女たちの集めた魔力塊を分け与えるまで、こいつらのほとんどは飢餓状態一歩手前だったのだ。防御に関して一兵卒は、この世界の動物と変わらない。『砂漠の薔薇』もよくこんな状態で戦争吹っ掛けようなんて思ったな。
いくら闘争を尊ぶ魔獣であろうと、死を前にして取り乱さない方がおかしい。これまで聞いてきた威勢のいい言葉すべてが嘘だったとは思わないが、己の終焉を前にすれば、立派なお題目などいとも容易く崩れ去る。
「……く!」
何よりわたしこそが、ついこの間までこいつらにこんな境遇を強いていた張本人だという事実が、振り回される感情に重ねてのしかかる。
「クソが! せめてあのトーチカを黙らせれば──」
シュゥゥーー……ドオオォォン!
「……あ、あー」
八つ当たりで口汚く毒づいたら現実になった。言霊ってあるんだな。
「うぁ、危な!」
安堵も束の間、サッカーボールくらいのコンクリート片が当たり前に真正面から吹っ飛んでくる。遅れて頭上から砂やら小石やらがパラパラと降り注ぐ。
視界の隅に写る巨体に視線を移すと、熊の魔獣が一体、ロケットランチャーを構えて膝立ちしていた。先端から煙がでているので、今の爆発はあいつの仕業だろう。人間用の兵器を魔獣が使いこなすというのは、何度見ても慣れない光景だ。
──☆ッ!
熊はこちらを見るなり、まさしく星が弾けるようなウインクを寄こしてくる。
「…………お、おう!」
どう返すのが正解かわからず、無難に統一サインで応える。
「よし、やるか……!」
トーチカは他にもまだあるけど、この辺りは落ち着いた。打って出るなら今しかない。
「魔女一派、魔法少女アカリ! 魔女一派戦隊の先鋒を務めている!」
未だ迫撃砲も飛び交う中、大声張り、全周波念話にも声を乗せて名乗り上げる。こういう局面ではとにかく目立つのが大切だ。
痛いのも苦しいのも嫌だけど、誰かが先陣を切らなければ、味方ともどもささやかな隙間で震えているだけで終わってしまう。ここで奮い立たなければ、散っていった魔獣たちが、なんのために戦っているのかわからなくなってしまう。それだけはダメだ。
命に意味を持たせられるのは、生きている者たちだけだ。だから、わたしたちが忘れさえしなければ、散っていった者たちの生き様は、わたしたちの中で生き続ける。
キレイ事なのは百も承知。死者は生き返らない。こればかりは魔力でもどうにもできない絶対の理だ。例え後ろ指を指され、影でネチネチ言われようと、誰かがやらなければならない。そしてこの場において、この貧乏くじを引くべきなのはわたししかいない!
「お前たちには心底失望している!
「戦局が不利になって途端逃げに徹するなど、魔の獣として情けないとは思わないのか?
「『砂漠の薔薇』に飼われてうちに、そんな当たり前すら忘れてしまったか?
「まったくもって嘆かわしい! とんだ骨折り損だ!
「もし、お前たちの中にもまだ、悔しいと感じる心が残っているなら……わたしにその牙を、その爪を立ててみせろ! 堂々戦ってみせろ!
「わたしは逃げも隠れもしないぞ。……お前たちと違ってな!
棚上げ祭りでとにかく挑発。我ながらつらつらと悪口が出てくるもんだな。
《言ワセテオケバ──》《待テ! 見エ透イタ挑発ダ》《シカシ、魔法少女ガ我々ヲ語ルナド──》《ソレスラ織リ込ンデ嘯イテイルノダ、アノ方ハ》
理性と感情がせめぎ合っているのがここからでもわかる。改めて魔獣は、人間と同じく文明的な種族だと痛感する。こんなボロカスに言われたら、わたしなら即ブチギレる。
《……オ妃サマダ》《まじデ奥方サマノ生キ写シジャネーカ》《アア、オ懐カシヤ殿下》
一方後ろでは対照的に、わたしに仁の奥さんを重ねて何やら悶えている魔獣が多数。鼻息荒く、熱に浮かされたように胡乱気にしている。なんだこの温度差?
《ウオオォォオオゥゥ‼》
と、ようやく向こうから、痺れを切らして突っ込んでくる魔獣が一体。
筋骨隆々な人型の肉体に牛の頭。確か、ミノタウロスとかいう空想上の生き物だ。ああいういかにも怪物って感じの魔獣も、やっぱりいるんだな。
「ははっ。なんだいるじゃないか、活きのいい奴が!」
首が痛くなるほどに体格差のあるミノタウロスを見上げ、今一度強く『疑心暗忌』を握りしめる。『太陽ルチル』時代は出たがりな連中ばかりだったから遠慮していただけで、わたしだって結成前はこいつ一本で戦い抜いてきたんだ。今更ちょっとデカい魔獣が現れたくらいで臆したりするものか。
「さあ、こいよデカブツ! その筋肉が飾りじゃないって証明してみせろ!」
《オオォォゥゥアアッ!》
わたしの頭よりもずっと大きな左拳が、直情的な敵意を添えて振り下ろされる。脳みそからなんとかって物質がドバドハなのか、なんだかやたらとゆっくり動いて見える。
ズウウゥゥン!
重低音を撒き散らし、拳が地面に突き刺さる。
「そこ! いただき──うぅぅ⁉ ちい!」
そのまま懐で一暴れしようかと思いきや、もう片方の腕がわたしを掴もうと迫り、咄嗟にめり込んだミノタウロスの左腕を蹴って距離を取り、追撃の右腕は空を切った。
「はあ……はあ……」
今のは結構ヤバかった。言葉を介さないだけで、知能は普通の魔獣と変わらないらしい。つまり、相当厄介な手合いであることを意味する。
「なんだなんだ? 腕っぷしがあってもおつむが足りなきゃ人間様には勝てないぞ⁉」
《ウグゥゥ──ウォォオオァァアア!》
内に秘めた感想と正反対の煽りを叫び、対するミノタウロスは怒りに任せた大振りを繰りだす。今度は腰を屈め、両腕を地面に叩きつけてくる。
ギイイィィン!
「ぬわ⁉ ……くぅ!」
大地がひび割れ、衝撃波が全身を揺さぶる。当たればひとたまりもない一撃ではあるが、つまるところ当たりさえしなければ、大きめの団扇で扇がれるのと大差ない。
「もらった!」
ビシィ!
臆さず退かず、空いた脇腹にすかさず滑り込み、今度こそ『疑心暗忌』を横一閃に斬り付ける。手応えはあったがそこは巨体、剣傷一つ程度ではビクともしない。
「だが、これでいい!」
《ウウゥ⁉ ……ブォォ! グオゥ──オオォォオオッ》
わたしの剣撃を身に受けて数秒、ミノタウロスは自らを掻き抱き苦しみ始める。右手で傷口を押さえ、左手で頭を抱え、必死に抗っている。
「更地にしろ!」
《……ヌゥゥアアァァガァァ!》
わたしの命令がトドメとなり、ミノタウロスはキレよく回れ右をし、自陣へドカドスと足音を響かせ疾走していく。
《オイ! 何ヤッテンダ⁉》《待テ待テ待テ待テッテ!》《ウワァ! 嫌ダ! 嫌──》
奴は勢いを維持したまま塹壕を踏み荒らし、そこにいた仲間たちを事務的に轢き飛ばしていく。無論それだけで恐慌は収まらず、無傷のトーチカを突進で粉砕し、中に詰めていた魔獣たちをも瓦礫もろとも圧砕する。
わたしの魔兵装『疑心暗忌』は、相手を斬り付けた際、傷の深さに応じて対象を操れる力を持つ。契約当初はこの能力を十全に生かし、ヒカリとともに多くの魔獣を狩ってきた。
あれだけしつこく挑発すれば、向こうは必ず温存している大型、あるいは近接戦闘に特化した魔獣をぶつけてくると読んでいた。そいつにどうにか一太刀入れて掌握し、敵陣で暴走させることができれば、行儀よく白兵戦なんかするよりもずっと楽に戦場を混乱させられる。
《ウモォォオオ! グガァァ! ブゥゥホォォオオ!》
わたしが安堵している間も、ミノタウロスは一心不乱に自らの陣地を駆け回り、下した命令通り辺り一面を更地にしていく。
「……ふう」
心が痛まないと言えば嘘になる。しかし手心を加えている余裕もない。
『砂漠の薔薇』は、世界を変えようとしている。この世界にはない力である魔の付く事柄を利用し、通常では到底あり得ない速さと威力を以ってして。
奴らの暴挙を許し、あまつさえ第四次天空大戦など勃発してしまっては、家族の記憶を元に戻すというわたしの目的が著しく遠退いてしまう。
わたしは必ず、父さんと母さんと……お姉ちゃんがいる、あの家に帰る。こんなところで邪魔されてたまるか! そしてやり方なんて選んでられるか!
どれだけ直参衆に姫と慕われようと、大勢の魔獣が付き従ってくれようと、わたしにとって一番に優先されるのは、家族との何気ない日常だ。譲れるわけがない。
「今だ! 進めぇぇええ‼」
背後にいる魔獣たちへ呼びかけ、突撃を命じる。
《女王陛下―ッ!》《オヒイサマ~ッ!》《イエェェエエィィ! 女王サマ~!》
「……──っ」
わたしを次々追い抜いていく魔獣たちから送られる声援に、なんと反応すればいいかわからない。さっきから呼び方がバラバラなのは、各々に違う思い出があるからだろうか? だとしても女王サマだけは勘弁してほしい。そんな歳ではないし、別に意味に聞こえるし。
《よっしゃお前ら! 物陰で縮こまってた分死ぬ気で駆けやがれぇぇ!》
《ウオオォォ応ォォゥゥウウ!》
いつの間にか後ろにいたキャンデロロが吠え、待機していた四足魔獣たちが大挙して疾駆する。歩きやすくなった地面を踏み鳴らすかのごとく、土煙を打ち上げて進撃していく。
《オ疲レ! チョット背中デ休ンデナ》《今度ハ俺タチノ番ダ!》《コノママ突貫スルヨ!》
後方から追い付いてきた四足魔獣たちに、二足魔獣が続々騎乗していく。
《アリガトウ、助カル》《ヤッパ走リハアンタタチニ限ル》《コノ風、最高ニサイコーダゼ!》
互いを称え、労う魔獣たち。あれだけ悲惨だった戦闘のあとだというのに、戦隊の士気は驚くほど高い。これも常日頃の信頼関係が成せる技か。
《いや~やるじゃねーか姫さん! 見事なもんだぜまったく》
「……なあ、キャンデロロ」
《あん?》
少なくともこの場での勝敗は決したと確信する中、ふと傍らに立つ一角獣に尋ねてみる。
「わたしって……そんな仁の奥さんに似てるのか?」
《ん? ああ、その話か。んー、散々姫さん姫さん呼んでてなんだけどよ、実はそこまで似ちゃいないんだわ。顔も声も全然違うし》
「そうなのか?」
でもなーと、キャンデロロは歯切れが悪そうに言葉を続ける。
《まとってる雰囲気っていうか、出で立ちが本当にあの人そのものなんだよなー。これが生まれ持った王者の風格ってやつなのかねぇ》
「やめてくれそういうの。大体わたしは──」
ヒュゥゥ──ガアアァァン‼
「うわ! 今度はなんだよ⁉」
ホッと一息も束の間、間抜けな風切音がしたかと思うと地面が炸裂し、付近にいた魔獣数体が現実味にかける派手さで吹っ飛んでいく。敵の迫撃砲⁉ しかもこれまでのよりデカい!
「クソ! まだ戦うってのか?」
《違う姫さん、あっちだ!》
怒鳴るキャンデロロの送る視線の先、東側の空から駆逐艦が三隻、こちらに砲口を向けていた。
「まさか、引き返してきたのか? あの戦闘の中を⁉」
一度は突入する飛戦隊をダメ押しするために離れた艦隊が、わたしたちを殲滅するために戻ってきた。言葉にすれば簡単だが、乱戦になだれ込んだ戦場を離脱するのは、艦隊戦に素人のわたしでも無茶とわかる。反転の隙を突いて攻撃を浴びてしまえば、目的地に着く前に撃沈されてしまうのだから。
わたしの推測を証明するように、どの艦も艦橋は抉られ、穴だらけの船体からは有毒とわかる火煙が噴き出している。まさしく満身創痍。それでも生き残ったわずかな砲塔が、機銃が、死なば諸共とでも言わんばかりに、わたしたちへ狙いを定めている。
《どうやら、もう一仕事しねーとならんみてーだな!》
「でもどうするんだ? ここからじゃ魔力弾は届かない。一方的に殴られ──」
ドォォオオォォンッ‼
考えを巡らしきる前に、中央の一隻が爆沈した。
「うぅ⁉ ああもうなんだよさっきからうわあっついなぁ!」
眼を焼く閃光は太陽がもう一つ生まれたかと思うほどすさまじく、遅れてやってきた熱波に肌がチリチリする。
真ん中からくの字に曲がってゆっくり墜ちていく船体からは、溶解した鋼鉄がパチリパチリと弾け、滝のように流れ出している。あそこはまさに、この世の地獄だろう。
「戦争映画かよ!」
率直な感想が怒気を含んだまま吐き出されるパート②。
呆然と沈みゆく駆逐艦を眺めていると、赤黒い爆炎を突き破り、漆黒の翼竜ら数体の魔獣が現れる。仁とケン旗下の第一飛戦隊だ。
《オオォォ! ザイン司令―ッ!》《陛下~ッ!》《我ラガ王ヨォォ!》
栄えある総指揮官の颯爽登場に、地を踏みしめるすべての魔獣が歓喜し、最高潮に湧き上がる。感情が生みだす爆発に、空気が振動する。
「そ、そうか……鹵獲済みだったのか、アレ」
こちらに急行する艦隊を第一飛戦隊が追撃中に二隻鹵獲し、今まさに最後の一隻を撃沈したって感じか。とはいえ奪った二隻もあの損傷では、今後の戦闘に参加するのは無理そうだ。その分『砂漠の薔薇』が持つ戦力を削られたのだから、戦果としては十分ではあるけど。
《け、遅いんだよザインの奴! まさかわざと一隻残しやがったわけじゃねーよな?》
などと吐き捨てつつも、キャンデロロはどこか誇らしげに制圧した空を飛翔する同僚を見上げている。
「──ん?」
と、こちらに飛んできたザイツィンガーがわずかに傾斜し、統一サインを掲げる仁と、その隣からひょっこり顔を覗かせたケンが見えた。
《オオオオォォオオ‼》
その勇士を熱狂でもって迎える魔獣一同。……そらあんなのしたら絶対士気上がるだろと。
「……戦争映画かよ」
どこかで見たようなシーンの連続に、率直な感想が呆れを含んだまま吐き出された。
†
「きしゃぁ! しゅ! しゃぁ!」
誰が見ても絶好調とわかるノリと勢いで、ソイニネンが魔兵装を振りかざしてくる。
「うっ。ふ! くぅ──」
私も遅れは取るまいと『森羅万唱』を取り回し、向こうさんの繰りだす一撃一撃を丁寧かつ迅速に捌き続ける。
キャャン! ガギィィ! キィィン!
互いの魔兵装がぶつかり合い、絶えず火花が散っては消える。人や獲物の違いはあれど、魔法少女が現場でかち合う場合、大抵がこの流れに落ち着く。
仕合う舞台は戦艦の上。それぞれの魔兵装を手に、背中に形無き荷物を背負い、全力を出し合っている。
「おうおうおう! ペースが鈍ってんじゃねーのか裏切者さんよぉ⁉」
「こんの──お前が元気すぎんだよ反逆者が!」
やる気満々で駆けだしたはいいが、悲しいかな、こちらが若干押され気味だ。
相手は命のやり取りを念頭に置いた生粋の武器。対してこちらは、人に教えを説く際に用いる仏具の一つ。能力を使わず立ち合えば、こうなることは自明の理。
「ちぃ! クソ!」
一度ソイニネンに背を向け、甲板を駆る。
せっかくデカい戦艦の上で戦ってるんだ。どうせならこの空間を存分に活かさなくては。緩急を付けて翻弄するのは駆け引きの基本。断じて逃げを打っているわけではない。
「なんだ今度は逃げんのか? 裏切るだけじゃなくて卑怯者も抱き合わせかよ!」
「言ってろ!」
あけすけな煽りもここは我慢。
敵も味方も空気を読んでくれているようで、私にもソイニネンにも銃撃一つしてこない。しかし好奇の視線だけは絶えず全方位から送られてくるので、お立ち台状態は否めない。
逆もまた然りで、こちらからも空戦のほとんどが見渡せる特等席となっている。
その一角、腹にずっしり重たい魚雷を抱いた攻撃隊五騎が狙うは、未だこちらの制圧部隊潜入を許していない重巡三号だ。
《全騎、突入セヨ!》《了解、突入!》《突入開始、突入開始》
ようやく俺たちの仕事だという覇気を滲ませ、攻撃隊の雄叫びが念話にて届けられる。
投下ギリギリまで軌道を読ませないため、進路を不規則に振り徐々に徐々にと目標に接近する。一騎は囮なのか、他の者より高度を高目に取り、自分たちを撃ち墜とさんと殺到する対空砲火を一身に引き受けている。
《グアァァ⁉ ココマデカ……ミナ、武運長久ヲ──》
案の定、囮役が翼をもがれ、魚雷を抱いたまま海へ吸い込まれていく。
《ヨーソロー……テェーッ!》《投下!》《投──ギィィヤッ》
仇討ちとばかりに、残った四騎が順に魚雷を投下。すぐさま旋回しつつの離脱に移るも、一騎が銃撃の餌食になり、こちらもきりもみしながら落下。しかし大空に一直線を描く四条の軌跡は、これまでに散っていった仲間の無念と願いを乗せて突き進む。
ガガガガッ! ドォン! ドォン! ガガガガッ!
私たちにとっては勝利を手繰り寄せる希望の一槍も、あちらにとっては破滅を引き寄せる死神の鎌。易々と喰らってなるものかと、死に物狂いで撃ち落としにかかる。
ドオオォォン! ──ドガァァアアンッ!
左端の魚雷に機銃がかすり、目的を果たせないまま空中で爆散する。運の悪いことに、隣にいたもう一発も衝撃と熱量に反応し、連鎖して爆発してしまう。
「まだだ──まだだ!」
濛々と立ち込める爆炎の中から、二発の魚雷がぬうっと現れる。重巡三号も投下直後から取舵を切っているが、あの距離ならどう動いても外さない!
「行け……行けぇ!」
ガアアァァン! ボォガァァアアン!
魚雷は艦尾揚力機関と船体中央のどてっ腹に相次いで命中。艦尾の主砲が上部は吹っ飛び下部は抜け落ち、千切れたプロペラは回転の余波を残したまま剥がれ落ちる。
「よし!」
炎上する重巡三号を眼に写し、思わず拳を握りしめる。あの惨状なら中破は確実。誘爆してくれれば航行不能もあり得る。
「余所見してる余裕あんのか、よぉ!」
「ぬぅわ⁉」
ガギィンッ!
ソイニネンが跳躍にて追い付き、辛うじてその一閃を受け止める。空戦に向けられていた集中が、眼の前の戦場に引き戻る。あまりの迫力に気を取られすぎてしまった。
「きしゃゃああっ!」
なんの迷いもなく、顔面目がけ突きを放つソイニネン。このままでは顔に刺さるので、首を傾け最小限の動作で躱す。
「ぁ──」
十文字槍の利点、それは相手に突き刺した時ではなく──
「──くぅ!」
稲妻のごとく現れた唐突な危機感に、省動力の理念も忘れて身をよじる。
「ち、外したか」
ソイニネンの残念そうな舌打ちが耳に入る中、転げつつ距離を開ける。
「はあ、はあ……危な」
戦場の風を受ける右頬が冷たい。完璧には避けきれず、血が滲んでいるようだ。
「ったく、おもしれーけどおもしろくねーな! 普通躱すかアレ?」
「生憎と、過去の出来事には詳しいもんでな」
十文字槍最大の特色は、独自の形状が織り成す戦術の多彩さにある。刺せば槍、振り払えば薙刀、今のように引き戻せば鎌に姿を変える。選択肢の多さ故に使い手を選ぶが、あの持ち主が獲物の扱いにたたらを踏むようなヘマをするわけがない。
歴史好きが幸いして命をつなぐとは、やはりこの世に無意味な行いなんてないんだな。
「ま、いいけどよ! まぐれは続かねーよ。ズルズル戦ってれば、必ずどっかでミスる!」
前向きに解釈し、ソイニネンは自信に満ち溢れた表情を崩さない。戦闘が始まれば嫌味や罵詈雑言の嵐かと思っていたが、眼前に立つ奴の顔は、憑き物が取れたようにさわやかだ。
戦いは不要な要素を削ぎ落す。つまり普段のあいつは口の悪さで他人との距離を測り、実はこっちの性格が地ということか。なんだよ普通にいい奴だな。
「だとしても、容赦はしない!」
苦楽をともにしてきた相棒をシャンと掲げ、
「『極楽も、地獄も先は有明の、月の心に、懸かる雲なし』」
初期設定の簡素な文言を速攻で削除し、自分で考え割り振り直した認証呪文を唱える。
「──撃‼」
バァチチチチィィーーン‼
「うおぅ⁉」
ソイニネンは魔力で簡素な障壁を張って直撃を防いだようだが、電気は条件さえ整えばどんな隙間さえ見つけて入り込む。完全に受け流すのは不可能に近い。
ピリ……ッ!
「つっ?」
全身にほんの一瞬、わずかな痺れが伝わる。……なんだ、今のは?
「は! ヤベーと思ったらただの静電気か。この程度なら冬は使い道ないんじゃないか?」
「あ゙あ゙?」
細々した疑問を吹き飛ばすソイニネンの挑発に、つい不良みたいな返事をしてしまう。さすがに今のはムカついた。鏡を見れば青筋の一つも額に浮かんでそうだ。
「おー恐! 図星突かれてイライラしちゃった~? だったらもっとヤベーの撃ってこい!」
こちらの反応を楽しむようにつらつらと火に油を注ぐ焼きそば頭。やっぱりこっちが地だと思えてきた。
「あーそうかよだったら! デカいの一発お見舞いしてやるよ!」
生意気な反逆者のご要望にお応えして、次なる認証呪文を唱えにかかる。
「『何事も、移ればかわる世の中を、夢なりけりと、思ひざりけり』──滅‼」
ゴオオアアァァッ!
周囲に咲き乱れる爆炎にも負けない炎の奔流が迸り、憎きソイニネンへ殺到する。
「なんのぉ! ……うお熱っつ!」
対するソイニネンは十文字槍の真ん中を持って回転させ、迫る火炎を霧散させる。これを避けられない場合、長物使いは大抵あの動きで炎呪文に対処する。しかし発せられる熱で皮膚は焼け、光によって視界にも支障をきたす。雷呪文同様、すべてを無傷で防ぎきるのは至難。
「うぅ!」
またしても、今度は手足から火に炙られたような熱さと痛み。加えて不自然に欠ける視野。この異常、どう考えても変だ。
「こ、これじゃまるで──」
「そぉぉらよぉ!」
ドゴォッ!
「ぶぅぐはぁ⁉」
またしても意識が逸れた隙を突き、ソイニネンに背後を取られ、体重の乗った跳び蹴りが背中に直撃する。魔力で蹴りそのものの威力がかさ上げされていたらしく、ほぼ垂直に吹っ飛ばされ、甲板の手摺の鎖に絡まるようにして受け止められた。
「くあぁ! ちく、しょう……っ」
身体中が痛みを訴えてくる中、奇跡的にずれる程度で済んだ眼鏡を直す。
「うお──」
はるか1000メートル直下、群青色にささくれ立った海面が眼前に広がる。うまいこと擦り抜けでもしていたら、今頃真っ逆さまだ。
「ったくよー。せっかく魔女の女房とやり合えるって期待してみりゃなんだこれ? 全然大したことねーじゃねーか」
「だ、誰が女房だ!」
ソイニネンが口の端を吊り上げて主砲の砲身に立ち、無様に倒れる私を見下ろしている。不名誉極まりない通り名もあったもんだ。
「気付きかけてるみてーだから教えてやんよ裏切者。私の『信傷必罰』はな、発動中に私が受けた痛みを相手に返すことができる。お前は反射された自分の攻撃で苦しんでんだよ」
「や、やっぱり……そうなのか」
脈絡なく始まったネタばらしに一瞬はったりを疑ったが、負傷具合から考えるに整合性のある発言ではある。だとしてもこの場合──
「なぜわざわざ私に手の内を晒す?」
「だってその方がお前、ビビッて攻めてこれねーだろ?」
と、あっけらかんとソイニネン。裏をかくとか心理戦とかそういうのではないのか。
「いや、だが……それが事実ならお前だってただじゃ済まないんじゃないのか?」
自ら放つ攻撃が自分に戻ってくると知れば、相手はどうしたって二の足を踏む。そこに付け込めば機先を制すのも容易い。だとしても自身で攻撃を受けるのが前提というのは、博打色が強すぎる。……使い手の性格的にピッタリな力なのは認めるが。
「私の攻撃は一方通行だからいいんだよ! どんだけ傷だらけになろうと、最後に立ってるのが私だけなら勝ちは勝ちだ」
「え、ええ……」
なんという根性論。肉を切らせて骨を断つとは言うが、私は絶対やりたくない戦い方だ。
「お前の理屈はよくわからんがわかった。要は時間稼ぎには打ってつけって話か」
「ご明察だ。つーかよ、こんな弱っちい攻撃で私は落ちないから安心しな」
「あ゙あ゙あ゙あ゙⁉」
なんだこの人を怒らせる天才は⁉ 私は自分が気の短い性格だとは思っていなかったが、こいつに対してだけはその認識も例外らしい。
とはいえ、受け入れざるを得ない。跳ね返ってきた痛みには驚いたが、激痛と呼ぶには程遠い威力だった。ソイニネンが攻撃を捌いた技量を差し引いても、あいつには私の攻撃があの程度にしか感じなかったという言葉は真実なのだ。
悔しい。あいつの言動もさることながら、実際そこまでな攻撃しか放てない私自身が。
「舐められたもんだな……っ!」
どこか童心に還ったような怒りに突き動かされ、手摺を掴み立ち上がる。
何が腹立つって私が立ち上がるまで律義に待ってくれてんのが一番腹立つ! 前言撤回だ! やっぱあいつはいい奴なんかじゃない腹立つあいつ絶対泣かしてやる!
「そうそう、そういう眼だよ私が見たかったのは! せっかく魔法少女やってんだから、もっとギラギラいこうぜ!」
割と殺気やら闘気やらを乗せてガンを飛ばしてみたのだが、足元のおぼつかない私相手に臆するわけもなく、ソイニネンは心底愉快そうに魔兵装を構える。
狂気持ちに振り回されるのは慣れっこだが、眼の前のあいつも中々どうして、あの感情に支配されてるな。業界の体質なのか知らんけど、魔法少女って大抵『見た目通りおかしい奴』と『見た目普通で実はおかしい奴』の二択だもんな。
「面倒な戦いになりそうだ」
存在を確かめるように相棒を今一度シャンと鳴らし、立ち向かうべき障害に向き直る。私は心の中だけで、一つだけため息をついた。
†
《第八十六攻撃隊、コレヨリ降下ニ入ル。貴官ラノ勇敢ナル護衛ニ、心ヨリ感謝ヲ》
《降下了解。貴官ラノ武運長久ヲ祈ル。当テテクレヨ》
《任セロ!》《必ズヤ》《最高ノ花火ヲ照覧アレ》
爆弾を抱えた攻撃隊が、守ってくれていた部隊に見送られ、敵艦目がけて急降下していく。向かう先は重巡四号。わたしのいる軽巡五号より一回り大きな船。
ガンガンガン! ダッダッダッダ! ガガガガガッ!
その重巡四号から撃ちだされた数多の流れ星が、自分たちを沈めようと襲い来る攻撃隊を焼き尽くそうと襲いかかる。
誰もが地獄と呼んで相違ない場所にあって、逃げだす者はいない。ここまで来たらやるべき責務を果たすまでという気迫が、大空を介して伝わってくる。
《ココマデ来テ……無念》《グァ⁉ 撃タレ──》
一騎が対空砲に呑まれ、赤い霧を生み出して破裂する。もう一騎は翼をもぎ取られ、出来の悪い紙飛空機のようにクルクル落下していく。
残った三騎がようやく、敵艦に打ち込むまでは死んでも放すまいとしていた爆弾を身体から解き放つ。この場所まで辿り着けなかった仲間たちの想いを乗せて。
ドゥゥウウンッ!
重巡四号の丈夫そうな船体に、投弾された三発の爆弾のうち、一発が艦中央辺りに命中、爆発した。ここからでもお腹に響く重低音とともに、黒い爆炎がきのこ型に立ち上る。
《一発カ……スマナイ》《ミンナ、アトハ頼ミマス》《……ァァ》
役目を果たし、騎首を引き起こして去っていく攻撃隊。銃撃を受けてしまったのか、一騎が高度を上げることができず海面へ突っ込み、盛大な水柱を巻き上げる。
《我ラモ征クゾ! 七十九部隊、上昇スル! 続ケ!》《ハ!》《イヤッフゥーッ!》
その水飛沫を突き破り、別の攻撃隊が現れる。今しがたの急降下とは逆に、低空からの急上昇で敵艦に接近していく。
「お願い、当たって……!」
自身の戦場そっちのけで、数秒後に確定する未来を見守る。
下側にある大砲を総動員する重巡四号に対し、魔獣たちも降り注ぐ銃弾の雨に臆さないどころか、競うようにぐんぐん速度を上げていく。
《グゥゥ! ……タダデハ墜チン! ウオオォォ‼》
やはりここでも一騎が被弾してしまい、爆弾を放さないまま重巡四号に激突。自身もろとも爆発に消える。最後まで残った二騎からは無事、爆弾二発が打ち上げられた。うち一発はギリギリ船体を外れて空を切り、もう一発が艦尾に命中した。
「やった! やったよ!」
多くの命が関わり、失われた先の結末を前に、つい涙が滲む。
だけど命を賭けているのは向こうも同じ。火の手こそ派手に上がっているものの、重巡四号は速度が落ちも傾いたりもせず、沈む気配がまったくない。上下から計三発の爆弾を受けてなお悠然と飛空している雄姿は、敵方とはいえ称えずにはいられない。
「みんな、すごい……ホントに」
苛烈な光景を前に、安直な感想ばかりが零れ落ちる。
ここではみんな戦っている。それはもう一生懸命に、死に物狂いで。
灯子ちゃん──アカリの発破は念話を通じてわたしにも聞こえてきた。棗も詩乃ちゃんも魔法少女と戦ってる。一緒に堕ちてしまったナギちゃんも、きっとすぐに追いついてくる。
魔の付く世界に歳は関係ないけど、それでもわたしが最年長──青さんは数えない方向で──なんだから、ここら辺で一つ、お姉ちゃんっぽいとこ見せとかないと!
「──って、思ってたんだけどな~」
ここでみんなに続けとはさせてくれないこの現状。
「もう……なんだってこんな硬いの?」
散々こちらが仕掛けても、まるで微動だにしない魔獣に視線を送る。
セイウチ──と呼んでいいのかわからないけど、わたしの人生で得た知識を総動員してそれしか思いつかなかったので、とりあえずそう呼ぶ。
3メートルはあるであろうずんぐりした体型。肩より垂れ下がる二本の腕は、直立しているにもかかわらず甲板に触れていて、太さは人間の胴体を軽く超える。そして野性的な外見をこれでもか引き立てる、戦場の光を美しくはね返す双牙。
この世界には存在しない異様とも呼べる威容が、わたしの前に立ち塞がっていた。今まで会ったことなかっただけで、こういういかにも『怪獣!』って感じの魔獣もいるんだね。
「はあ……はあ……」
持久走のあとかよってくらいに息を切らし、つい膝に手を置いてしまう。豆腐に鎹・暖簾に腕押し・糠に釘等々、要は『何をしても無駄』という意味の言葉ばかり頭に浮かんでくる。
開戦からこっち、セイウチの巨体は巌のような甲殻に覆われ、どんな攻撃も歯が立たない。闘片の回転を速くして斬り込んでも刃が通らず弾かれ、鎖を鞭にして打ち付けてもかすり傷一つつかない。
「……相性最悪だね」
わたしの『有刺鉄閃』は元々、一対大勢を相手取るのに向いた魔兵装。乱暴な言い方をすれば、取るに足らないその他大勢を一網打尽にするのが基本戦略だ。だからこういう物理的に頑丈なのが相手だと、どうしても攻め手に欠けてしまう。
ここに限った話じゃなく、きっと他の船にもわたしたちが乗り込んできた時のために、怪獣系の魔獣が配置されているのだろう。よりにもよってその中から、一番やり合いたくない類の魔獣を引き当てちゃうとか、今日はとことんツイてない……。
「ええい、弱気になるな中田唯音! 心が沈んでちゃ成せるものも成せないんだから!」
口に出して自らを鼓舞し、セイウチの周囲に闘片を展開させる。肉体を傷付けるだけの威力がなくても、しつこくまとわりつけて意識を散らすことはできる。
「それそれ! いくよいくよ!」
闘片はまんべんなく張り巡らせず、ところどころに穴を作って混乱を誘う。不規則に間合いを詰めて一閃浴びせられれば、致命傷とはいかないまでも無傷では済まないはず。
《ンモンヌ!》
「ふんぐぅ⁉」
という作戦を見事に読み返され、セイウチの拳が直撃する。いくら戦うのが本分でも、脳みそまで筋肉ではなかったか。
「ひぃぃ⁉ 高っ!」
空中にいたばかりに衝撃を殺せないまま、戦乱渦巻く空海へ放りださせる。
「──これしきぃ!」
もちろん、簡単に落っこちたりはしない。『有刺鉄閃』の先端を射出して船体に引っ掛け、落下の勢いを使って身体をしならせ、軽巡五号の下腹を雑技団よろしく通り抜ける。
「いよっ──とぉ!」
右舷から落下し左舷から飛びだすと、セイウチは落ちたわたしを覗き込んでいるらしく、右舷に寄って背中を向けていた。
「隙あり!」
バシュゥゥンッ!
すぐさま鎖を巻き直した『有刺鉄閃』の照準をセイウチの頭へと定め、更に魔力を上乗せして再射出。遠隔操作している闘片には宿す魔力に限りがあるけど、これなら──
《ブモゥ?》
キィン!
恐るべき察しのよさで、セイウチは腕の動きだけで『有刺鉄閃』を叩き落としてみせた。
「んもう! 背中に眼でもついてるの⁉」
《モォォ》
ニュルン。
「うげぇ⁉」
とかツッコんだらマジで後頭部から眼が浮き出てきた。ホント、魔の付く世界はなんでもありだね。冗談抜きで怖すぎるって夢にでてきたらどうすんのよ?
《──……》
と、セイウチさんはゆっくり振り返り、首を傾げる。ゴツい身体にそぐわないクリッとした瞳から《もう終わり?》という悪意なき失望が漏れ伝わってくる。悔しい。
「だったら……作戦変更だよ! 『同盟』!」
シャリィィィィーーンッ!
鎖をあらん限りに伸ばし、周囲に展開。砲塔・機銃・手摺・よくわからない装置、眼に付くあらゆる障害物に絡めていく。セイウチをその中央に据えて。
《ンモ? モモ?》
「これなら、どうだ⁉」
巨体を覆い隠さんばかりの鎖を以って、セイウチの動きを封じる。斬っても叩いてもダメなら、力を加えて絞め上げるってね!
《グモォォ! ヌゥゥ!》
「んぎぎっぐががぁ──」
遅まきながらことの重大さに気が付いたセイウチは、絡みつく鎖を振り解こうと右に左と身じろぎわたしを揺さぶってくる。こっちも負けるものかと魔力で足場を固定。おまけで鎖の強度も引き上げる。暴走したアカリに振り回されてしまった時の教訓を存分に活かす。
「あんな失敗、二度と繰り返さないよ! ……ぬおぁぁああ!」
ビギィ……ッ! ピキン!
鎖が徐々にセイウチの肉体に食い込んでいく中、ついに甲殻の表面にヒビが入り始める。範囲はゆっくり拡がっていき、剥がれ落ちた甲殻片が甲板に乾いた音を立てる。
「いよっし! このまま、このまま──」
見た目は地味だけど確実に効いてる! 手加減してる余裕なんかないし、このまま一気に討伐しちゃうよ!
《ヌゥゥ、モンッ!》
バァァアアン‼
いよいよ肉体が限界かと思ったその時、突如セイウチが爆散した。全身を覆っていた甲殻片が全方位に向けて弾け、わたしにも襲いかかる。
「ちょっ──ぁぁああ⁉」
咄嗟に顔を守るも、避けようのない密度の甲殻片が魔装衣を刻み、更にその下の皮膚を切り裂く。
「くぅ、痛ったい! あぁ……っ」
右足に力が入らなくなり、膝を突く。どうやらももの動脈をやられたらしく、心臓の鼓動に合わせて血液がドクドクと溢れてくる。緑青色の魔装衣は元の色を探す方が難しいほどに血で染まっている。ここまで手ひどくやられたのは、魔女になってから初めてだ。
「ううぅ、いろいろやり返された気分」
わたしが『同盟』を使って魔法少女や魔獣を斬り刻んでいる時、相手はこういう心持だったのかと、他人事のような感想が浮かぶ。知りたくもなかった真実を知ってしまったよ。
「──って! さっきよりも大きくなってるし!」
甲殻の爆発を経て。セイウチは一回りほど巨大化していた。もしかして脱皮だったのかな?
《ゴアアァァアアアア‼》
「ぬあ⁉ あ、まずっ──」
口にした時には手遅れで、動かせるのは首から上だけ、それ以外は完全に縫い止められてしまった。雄叫びに魔力を込めた金縛りだ。
《ウゥゥ~、モフゥ!》
ピョ~ン! という効果音でも聞こえてきそうなくらい現実離れした身軽さでセイウチが跳び、さらに体積を増した巨体が日の光からわたしを覆い隠す。
「いいぃぃ⁉」
あんなのに体重任せで押し潰されたらひとたまりもない。文字通りぺしゃんこだ。
今更も今更な常識だけど、魔獣だって魔法少女と同じように魔女を討伐できる。魔女が魔法少女から魔獣を守る関係上、そういう事例がなかっただけで、できないわけではない。まあ、等のわたしがその事例第一号五秒前なわけなんだけど。
「……いよいよ年貢の納め時、かな?」
どこかの魔女か裏切者みたいな捨て台詞がポロリ。ここまできて語彙の毛色すらあの子たちに支配されていたとはね。
ダャァン‼
《ブングゥゥヌゥエ⁉》
わたしの記憶を忘却の彼方へ誘わんと迫るセイウチの軌道が、轟音とともにありえない方向へ吹っ飛ばされる。当のセイウチも間の抜けた表情でキョロキョロと周囲を見回しながら、手摺の向こう側へ落ちていく。
「……はえ? ……え?」
とりあえず生きてはいるようなので、助かったのはわかるんだけど、何もかもがいきなりすぎて状況の把握が追い付かない。
『ご無事ですか⁉ 中田会長!』
「え、ナギちゃん?」
呆けていたところに、年下の先輩魔女の声が念話として響いてきた。
『こっちです。中田会長から見て三時方向』
言われるがまま三時──右側を向くと、ナギちゃんが乗り込んだ船、重巡二号の勇ましい艦影があった。視覚共有に表示された識別波長が、味方の色に書き換えられている。どうやら鹵獲が成功したらしい。
つまりあの子は、重巡二号配置されていた怪獣系魔獣を真っ向勝負で討伐し、そこからさらに絶体絶命の危機に瀕したわたしを援護してくれたのか。
「やっぱりすごいな、ナギちゃんも」
速すぎかつ正確すぎる仕事に、ただただ唖然とするばかり。さすが討伐数一位。
「うん、大丈夫だよ。ありがと~」
命の恩人に統一サインを返し、わたしは糸が切れたようにその場にへたり込んだ。この調子じゃあ、また戦えるようになるまでだいぶかかりそうだね。
†
「……くぅ、ぁぁ──」
「おーおー、かわいい色してんじゃん?」
瀬川の心臓に突き刺し貫通した『快刀乱魔』。その背中から出かかる白桃色の魔力塊を眺め、本人をからかってみる。
「……うる、せぇ! 魔女……が」
この手の言葉を吐かれるのはこれで何度目だろうか? というささやかな感傷が小波のように押し寄せる。これを引き抜けば魔力塊は完全に瀬川の肉体を離れ、討伐が完了する。幾度となく繰り返してきた最後の仕上げだ。
「……設置は完璧だった。どうして、足場が突然消えた?」
だけどほんのしばし、答え合わせをしてあげてもいいだろう。
「あんたの『分崩離戚』が残せる残撃の限界は四十九節。それを超えて設置すると古い順番に消えていく。違う?」
「……そうか、五十個くらいだとは思ってたけど……四十九個だったのか」
どうやら自分でも数までは調べていなかったらしい。まあ、この子らしいか。
「……でも、どうやって? 数えてる余裕なんてなかっただろ?」
「うちには痒いところに手が届く小技をたくさん知ってる胡散臭い年寄衆がいんのさ」
直参衆直伝が一つ、魔力索引。特定の条件を設定し、当てはまる存在が範囲内にいくつあるかを客観的に計算してくれる魔力運用。これを魔力測的と併用して残撃の法則性を逆算した。
「……じゃあ、足場が急になくなったのは?」
「あたしの『快刀乱魔』は、魔力でできたものならなんでも切断できる。だからあんたの残撃を斬って、数を嵩上げしたって寸法さ」
「……は?」
ポカンと口を開け、瀬川は討伐されかかっているのも忘れて惚けている。
『教室の中で、一人十個ゴミを拾いましょう。終わった人から帰っていいわよ~』
小学一年生の頃、先生に言われ遊び感覚で掃除をしたことがあった。
その時男子が一人、ストローの包み紙を十個に破いて『はい終了! さよなら!』と叫んでさっさと帰ってしまった。無論先生には連れ戻された上に怒られ、周りからも文句責めに合っていた。──という取るに足らない思い出が降って湧き、即拝借されてもらったのだった。
残撃を切断して一節を二節にしてしまえば、上限を超えた最後尾の斬撃は消滅する。これを繰り返せば、いくら広範囲にばらまこうと意味を成さない。
「……セコ。いやマジでセコすぎだろそれ? 魔女がそんなんでいいのかよ?」
当然のごとく、瀬川は不満を訴える。無理もない。
あたしもあの頃はただ『ズルいなー』とだけ思っていたけど、ああいう着眼点も時と場合によっては大切なんだな。子供の悪知恵に教えられるなんて、やっぱり人生に無意味な物事なんて存在しないって話だよ。
「あんたが魔女にどんな印象持ってるか知んないけど、どんだけズルくても最後に立ってるのがあたしならそれでいいのさ。勝ちは勝ちだから」
「……け! 朝陽さんみたいなこと抜かしやがる」
明らかに納得していな様子だが、結果は受け入れたらしい瀬川。
あたしがどれだけ卑怯者なのかは、あたしが魔女になった時点で決定している。そこからどうするかなんてもはや誤差にもならない些末な問題なのだ。
「……もういい。やれよ、魔女」
「うん」
覚悟を決めたのか、瀬川がこちらを見ずに吐き捨てる。
「あんたは強い。あたしがここまで追い詰められた魔法少女は、そういない。じゃあ──」
「待て、待って!」
「うん」
「……いやだ、忘れたくない……いやだ……!」
「──うん」
強気が一転、泣き出しそうな瀬川の囁きに、ただ頷く。これは時間稼ぎでも、ましてや命乞いでもない。否応なく溢れる心の声、遺言だ。聞き届けなければならない。奪う者として。
「……いい奴なんだよみんな。お前たちには仲悪そうにしか見えないかもしんないけど、いい奴なんだよみんな。国とか何人とかどうでもいいんだよ。いい奴なんだよみんな」
駄々っ子のように同じ言葉を呟く瀬川の気持ちは、痛いほどわかった。あたしにとって魔女一派のみんながそうであるように、この子にとっても『砂漠の薔薇』がかけがえのない居場所なんだ。その想いを頭ごなしに否定する権利は、誰にもない。
瀬川も魔法少女になっていなければ、異国の人間と深く関わり、その裏や影に隠れた事情を知る機会もなかっただろう。そうした畦道獣道な中で育まれた唯一無二の思い出を、あたしはこの子から永遠に取り上げようとしている。これを人殺しと呼ばずしてなんと呼ぼうか。実質的に考えれば、あたしは近代稀に見る大量殺人鬼だ。
などと理解していながら、生物的に息の根を止める魔獣相手の討伐には一切手を下せなかったのだから、あたしという人間はつくづく身勝手な腐れ外道だ。
「じゃあ、やるよ」
瀬川が口を閉じたのを見計らい、謝罪も礼もせず、無言で『快刀乱魔』を引き抜く。
「……くぁ⁉ ぬあぅ──」
白桃色の魔力塊を完全に切り離すと、瀬川はか細く呻き、眠るように気を失った。
『こちら四ヶ郷、瀬川真夜を討伐した。繰り返す。瀬川真夜を討伐した』
《――――‼》《~~~~‼》
念話の先から聞こえてくる魔獣たちの反応は、歓声にも絶叫にも聞こえた。意識が朦朧としているし、ひょっとして全回線に乗せてしまったのかもしれない。
「はあ、はあ、はあ……うぅぅ」
左腕の感覚がない。やっとこさ瀬川を討伐できたとはいえ、戦闘でもらった斬撃は数えきれない。残撃の位置には細心の注意を払ったがすべては避けきれず、もろに食らってしまったものも多い。そもそも感覚がないのも、千切れてなくなっているからかもしれない。
そう考えると、怖くて患部を見る気がおきない。あとあと元に戻るにしても、今感じている経験だけはどうしようもないから。
《──アア》《ナント……ッ》
悲痛な声に振り向くと、二足歩行系の魔獣が二体、距離を置いて立っていた。もはや視覚共有使う余裕もなく、あいつらが魔女一派なのか『砂漠の薔薇』なのかの判断もつかない。
「ああ、あんたたち……ちょうどよかった。この子を頼める?」
《……ハ!》《承知イタシマシタ》
「余計なこと考えないで丁重によろしく。もうただの女の子だから」
《モチロンデストモ》《命ニ代エテモ》
なので伝えるだけ伝えとくと、魔獣は快く──かはわからない──引き受けてくれ、気絶した瀬川を丁寧に抱き抱えた。
「ありが……とう」
トコトコ去っていく魔獣たちの背中を見届け、ホッと一息吐きだすと、すさまじいまでの眠気が意識を襲い、視界が暗転した。
「……うう」
ゆっくりと目蓋を開くと、真正面に小さな太陽があった。ほどなくして、それが吊るされた裸電球であると気が付く。左右に視線を送ると、ゴツゴツした岩肌があたしを囲んでいる。
「洞窟……だよ、な?」
とてつもない既視感が寝ぼけ半分な意識を徐々に覚醒させていく。初めて敵本島に転移してきた時と同じ光景。大方、気を失ったところを運び込まれた、といった感じか。
「どうなったんだ……外は?」
《オハヨウゴザイマス、魔女サマ》
「⁉」
傍らからかけられた脈絡ないあいさつに、気だるさも忘れて全身が警戒態勢に入る。
《モ、申シ訳アリマセン! 魔女サマノ眼ガ覚メルマデ護衛セヨト、我ラガ王ヨリ仰セツカッテオリマシテ! ベ、別ニソレ以外ハ何一ツ──》
気の弱そうな態度が微塵も似合わないゴリラの魔獣が、身振り手振りを交えて狼狽えている。
「あー……はいはい。わかったからとりあえず落ち着いて。まず、ここどこ? 仰せつかったってことはケンもいるの?」
《ゴ安心下サイ、ココハ安全デス。オ身体ノ具合ハイカガデスカ?》
「ん? ん~……」
肩を回しつつ左手を動かしてみる。本当に千切れていたのが再生したのか、単に魔力で治癒したのか──実際どっちかなんて知りたくもない──とりあえず感触に違和感はない。
「うん、大丈夫そう」
《ソレハヨカッタ。時ニ魔女サマ、起キ抜ケデ恐縮デスガオ食事ヲ。今朝カラ何モ食ベテイナイト伺ッテオリマス》
「え? いやいや、さすがにこん状況で食欲……なん、か──」
咄嗟に断ろうとするも、ゴリラが差しだしてきた笹の葉にくるまれた二個のおにぎりを見た瞬間、意志とは関係なく手が伸びていた。
「んぐ……あぐ……んも……」
乱暴に笹の葉を剥がし、両手で交互に口に運ぶ。咀嚼した分を飲み込む前に次を頬張り、行儀など知るもんかとさらに飲み下す。『何も入ってないの⁉ てか海苔くらい巻いてよ!』と思うも手が止まらない。ご飯の素朴な甘味とそれを引き立てる優しい塩気が、数舜まで存在すら忘れていた食欲を叩き起こす。……ヤバイ、泣く。ただの塩おむすびがこんなおいしかったなんて。やっぱ米は暁人の魂だ!
途中から自前の涙で塩気が足されたおにぎりは、あっという間にあたしの胃袋に納まってしまった。嚥下したご飯が喉を通り過ぎ、ようやく落ち着いてくる。
「うっぷ! ……一気に二個も食べちった」
《イエ、三個デス》
「え?」
《ワタクシノ分ヲ一個、当然ノヨウニ掻ッ攫ッテイキマシタ》
「あ、ゴメンつい」
《……ナンデシタラモウ一個ドウデスカ?》
「下さい」
現物を差し出されてしまっては抗いきれず、悩む素振りすら見せずに四個目へ突入。食い意地張ってばかりな魔女ですみません。
「ありがとう、ごちそうさま。ていうかごめん、あんたもお腹空いてんのに」
《イエイエ、魔女サマニ食ベラレタト伝エレバマタモラエマショウ》
「どういう意味だそれ!」
反射的に不満を訴えるも、我関せずとばかりにすたこら去ってしまうゴリラさん。まったく人を大食らいみたいに! いや、この有様じゃ否定のしようもないけども。
「あら四ヶ郷ちゃん、起きたのね」
「あ、青さん!」
入れ替わるように現れたのは、早朝に別れた内の一人、青さんだった。簡素な明りに照らされた微笑みには今朝にはなかった疲れが見て取れる。やっぱり誰もが各々の戦場で戦っていたんだなと、改めて実感する。
「よかった、無事だったんですね──うおっとと!」
「ちょっ──大丈夫四ヶ郷ちゃん⁉」
うっかり力が抜けてしまったあたしを青さんが支えてくれる。
「すみません。知った顔を見たら安心しちゃって、つい」
「あらあら、そんな風に思ってくれて嬉しいわ」
「だってもう仲間ですし。ところで青さん、ここは──」
《大室殿! コチラモ頼ミマス!》
「! わかったわ、すぐ行くから! ごめんなさいね四ヶ郷ちゃん、ゆっくりしてて」
今度こそここはどこか尋ねようとすると、青さんは駆け込んできた魔獣の一声に温和な笑みをキリリと引き締め、踵を返して行ってしまう。
「……いやいやいや」
さすがに居ても立っても居られず追いかける。完璧とはいかないまでも怪我も体調もだいぶ回復したし、動けるからには動かなくては。
「って、狭いなここ! よっ、こいっ、しょっとぉ!」
人がやっとこさすれ違える通路を手探りで抜け、広い空間に出る。そこは傷付いた魔獣たちで溢れていた。風も通らず停滞した空気に、血と硝煙の臭いが鼻を痺れさせる。
重傷者は寝かされているが、そうでない者は辛そうにしながらも励まし合い譲り合い、身を寄せ合っている。場所が場所なので当然無傷な者はおらず、治療に駆け回る者たちすら負傷している。魔女の性質上仕方ないんだけど、そこそこ元気なあたしは肩身が狭いったらない。
そういえばと視覚共有を起動してみると、収容された魔獣たちには魔女一派とそうでない二種類の識別波長があった。言うまでもなく、片方は『砂漠の薔薇』側のものだ。
「そっか、どっちも診てんのね」
負傷者に敵も味方もないって話か。戦争映画でもよくある場面ではあるけど、実際に実行できるかと問われれば、情けないけどあたしは自信がない。
「いた。青さん」
鮮血色が鮮やかな青さんの魔装衣は、裸電球の弱い光の中にあってもよく栄え、見つけるのに手間はかからなかった。
「ひぃ──っ」
青さんの後ろから覗き込むと、オランウータンの魔獣が仰向けに寝かされていた。どうやら首をやられているらしく心臓の鼓動に合わせてピュッピュと血が吹きだしている。見ているだけで血の気が引いてくる光景だ。
《処置ハシタノデスガ、ヤハリ容体ガ安定シマセン!》
「わかったわ。あなたたちは身体を押さえて、傷口を上に!」
《ハイ!》《アト少シダ、大人シクシテロ!》《痛ェ……ガンバレ、ガンバレ》
錯乱して手足をばたつかせるオランウータンの四肢に魔獣たちがしがみつき、固定する。やはり全員がどこかしら怪我しており、オランウータンが暴れる度に傷が開き、降りかかる痛みに歯を食いしばっている。苦しむ仲間を助けようと、ここでもみんな戦っているんだ。
「待ってて、すぐに止血するから──『艱難真紅』」
青さんの指の付け根から流れる血がオランウータンの首元へと滴り落ち、二つの肉体が青さんの血を介してつながる。
《血ガ、止マリマシタ!》《ヤッタ……ヤッタ!》《感謝シマス大室殿……ウウ、ヨカッタ》
これまでの出血が嘘のように収まり、魔獣たちが感涙の声を上げる。
青さんの魔兵装『艱難真紅』は、自身の血液を操る能力だと会議の時に聞かされていた。詩乃からは近接系最強の魔兵装だと力説されたけど、こういう使い方もできるんだな。
魔獣の傷口から自身の血を混ぜ、流れ出る血液に栓をする。おまけに魔力を乗せて体内を循環させられれば、力加減次第では治癒力だって促進できる。
「あとちょっと様子を見るわ。あなたたちは他の子たちを診てあげて」
《承知シマシタ》《アリガトウ、本当ニアリガトウ》《ヨシ! 今度ハ俺タチガ救ウ番ダ》
青さんの指示に、魔獣たちは各々の仕草で敬礼し、助けを求める仲間を探し散っていく。
「あの、青さん?」
「大丈夫よ。足し算引き算でどうこうなるなんて考えてないから。さっきもこの力で大勢内側から破裂させてやったわ。中立派が聞いて呆れるでしょ?」
青さんは患者に眼を向けたまま呟く。発言と行動が矛盾していて、なんと答えていいものかわからない。
「でも、ここに戦う意志のある魔獣はいない。だから、助けられる命があるなら、ね」
「……青さ──」
「そこの通路を真っすぐ進めば、魔王様も獣王様もいらっしゃるわ。ここは私に任せて、顔見せていらっしゃい」
「は、はい」
暗に邪魔すんなと釘を刺されてしまい、仕方なく言われた通り奥へ。負傷者をうっかり踏んづけてしまわないよう、一歩一歩慎重に進む。
《ア、魔女サマ》《オオ、魔女サマダ》《ゴ無事デ何ヨリ》
「うん、なんとか生きてるよ。みんなもお疲れ様」
あたしなんかよりはるかに手ひどくやられた魔獣たちが、あたしを見るなり嬉しそうに声をかけてくれる。みんな巻かれた包帯から血が滲み、椹木や松葉杖が痛々しくも、雰囲気はどこか明るい。むしろ安堵しているようにさえ見受ける。
「──なるほどね」
ふと、じいちゃんから聞かされた小話の一つが思い起こされる。
第三次天空大戦下。敵軍の侵攻を空で食い止められず、本土決戦に突入してしまった島々では、守備隊に混じって老若男女誰もが銃や刀、果ては桑や包丁を手に取って戦っていた。
悲しいかな、そんな付け焼刃が正規の兵隊に勝てるわけもなく、町を奪われた挙句に燃やされ、人々はより内陸へと追いやられていった。生まれてから一度も入ったこともない山や森に我先と駆け上がり、洞窟を見つけて身を寄せ合って雨露をしのいだ。
戦争である以上、怪我人が大勢でるのが常であり、洞窟には兵隊さんが、お隣さんが、父や母が、子や孫が、傷付き、泣き叫びながら連日運び込まれ、介抱されていたそうだ。
着の身着のまま逃げてきたから医療品も少なく、平時であれば問題なく治せる怪我や病気さえどうすることもできず、多くの人が亡くなっていった。
にも関わらず、運び込まれた人々は口々に『ここは天国だ』と囁いたという。日の光も届かず、横たわって死を待つしかない、暗く湿った洞窟を差して。
紛いなりに戦争を経験した今ならば、あの言葉の意味がわかる。この瞬間も外で行われている地獄を思えば、ここは天国以外の何物でもない。……しかもこの経験でさえ、実際に戦争を体験した世代の一割にも満たないはずなんだ。
あたしたち戦後の世代は、戦争の歴史を学ぶ時『あと○日で戦争が終わる』と、無意識に日時を逆算している。しかし当時の人々は、いつ戦争が終わるかなど見当もつかずに日々を過ごしていたのだ。眼前に迫る命の危機に加えて、出口の見えない明日への不安。その重圧に晒され続ける非日常の苦労やいかばかりか。考えるだけでおかしくなりそうになる。
「させない、絶対に」
話でしか知らない未曾有の世界が、現実になるかもしれない。あたしたちだけじゃなく、この世界に住むすべての人たちが巻き込まれるかもしれない。
木嶌イングリッドの言い分だって、角度を変えれば正論なんだ。
本当は歪んでいるかもしれない。本当は間違っているかもしれない。
だとしても、ただ平穏に暮らす誰かの日常を、ある日突然脅かす権利なんて誰にもない。……魔女をやってるあたしが言えた口じゃないのはわかってるけど、絶対そうなんだ。
歪んでいるなら直せばいい。間違っていなら正せばいい。一人ひとりが相手を想いやり、少し優しくなるだけで、世界は必ず良い方へ向かう。ゆっくりでも、一歩ずつひたむきに。
小娘の絵空事は百も承知、それをできないのが人の業と言うなら、まずあたしが周りから変えてやる! 先人が創り譲ってくれた平和を、よりよい形にして時代に託す。これがこの時代を生きるあたしたちの役割なんだ。
「棗姉ちゃん!」《眼が覚めましたか》
まるで戦争映画の主人公みたいなお題目を本気で考えていたところ、ケンと仁がこちらに気が付き駆け寄ってきた。顔を見るのは今朝ぶりだというのに、ずいぶん久々な感じがする。
「ああ、うん。あたし、どんくらい寝てた?」
《小一時間ほどです。気を失っているところを、発見した地戦隊が搬送してきました》
つまり瀬川を預けたあの二体は『砂漠の薔薇』だったのか。力尽きたあたしを討伐することもできただろうに、仇であるあたしの物言いによく従ってくれたもんだ。
「で、ここは?」
「魔女一派の仮司令部だよ」《──というのは名ばかりで、ほぼ負傷者の救護所です》
「だろうね。んで、戦況はどんな感じ? まさか終わっちゃいないよね?」
《説明します。こちらへ》
ケンたちに促され、複雑な通路を右へ左へ進み、会議室的なところに通された。詰めている魔獣たちが念話を駆使し、部隊への指示や情報の確認作業等々がせわしなく行われていた。さすがにここは司令部っぽいな。
《では、戦端が開かれてから現在に至るまでをかいつまんで説明します》
「お願いしまっす」
何分、爆発やら魔法少女の相手やら、振りかかる問題に手いっぱいだったので、改めてここまでの経緯をおさらいできるのはありがたい。
──本日明朝。あたしたち魔女一派は『砂漠の薔薇』が占拠するレビ=ラルダ平等連合・第三八六二号島、通称敵本島を鎮定するため出撃した。
当初、転移直後のこちらを捉えられるだけの射程を持つのは戦艦のみとされており、敵艦隊からの迎撃は許容範囲内であろうと試算していた。
しかし目算は外れ、突入を慣行した各飛戦隊は敵艦隊全艦による艦砲射撃に晒されることとなり、かの艦隊に肉薄する間に六割近い損害をだしてしまう。
このまま摺り潰されるのみかという頃合いで、地上軍が独断で紛れ込ませていた間諜が西側の転移妨害紋を破壊。待機させていた地戦隊を敵本島地上部への引き入れに成功する。
転移妨害紋破壊の直前、『砂漠の薔薇』は飛戦隊を完膚なきまでに叩きのめすため、西側の艦隊を東側へ移動させていた。その選択が仇となり、『砂漠の薔薇』は地戦隊への対処ができず、結果空も地上も乱戦状態に陥った。
アカリとキャンデロロ旗下の地戦隊は、転移直後より大胆かつ的確な用兵により『砂漠の薔薇』地上部隊を翻弄。西側を中心に敵本島地上部の約四割を制圧する。
地下洞窟も深戦隊を中心に順次攻略中。深戦隊曰く、次元の狭間もこちらとなんら遜色ない戦闘が繰り広げられているらしい。
空の戦場においては、当初の三割弱となったザイツィンガー率いる残存飛戦隊が奇跡的にも統率を維持し、艦隊への爆雷撃も概ね成功。どうにか制空権を掌握するに至った。
嬉しい誤算は被弾しても最後まで諦めず、不時着できた者が一定数いるようで、『墜ちた=戦死』と考えるのは早計だとか。まだ戦闘継続中なので正確な数は不明みたいだけど、あたしとしては生存者の中にベルゴーストが含まれていてくれと願うばかりだ。
敵艦隊の現状は、戦艦がほぼ無傷にて健在。重巡は撃沈一・小破一・鹵獲一(損傷軽微)。軽巡は小破一・鹵獲一(損傷軽微)。駆逐艦は撃沈三・大破二・中破二・鹵獲三(小破一・中破一・大破一(戦闘続行不可))。
つまりこちらが鹵獲できた艦隊は、重巡と軽巡が一隻ずつに、駆逐艦が実質二隻ということになる。向こうさんに与えた損害を鑑みれば、上々の成果と言えよう。
人間勢はあたしが今まさに回復し、即時戦線復帰可能。詩乃がソイニネンと戦艦一号で依然戦闘中。唯姉さんは魔獣との戦闘で深手を負い、すぐの戦線復帰は難しい。渚は重巡を鹵獲後に詩乃の加勢に行こうとするも、接近できず待機中。青さんはさっき会った通り、陣営関係なく負傷者の救護中。
総括すると、地下はまだ掴み切れていない部分が過分にあるものの、空と地上の戦場においては魔女一派が優勢で推移していると言って差し支えない状況である。
《──という感じでしょうか。何か質問はありますか?》
「う~ん……そういやアカリは?」
説明を終え聞いてくるケンに、人間勢の報告ででてこなかった一人の名を上げる。
《ああ、失礼。アカリなら、あなたと入れ替わりで出撃していきました。キャンデロロとともに、前線で指揮を執っているはずです。食事も休息も最低限で、本当に頭が下がります》
「え~、がんばりすぎでしょあの子~」
時間の都合で漠然とした説明しかしなかっただけで、アカリだって相当な戦争体験をしたはずだ。敵の土俵で戦う以上、楽に進撃なんてできるわけないし、追い詰められた魔獣たちの抵抗は激しさの極み。それを圧してなお先陣切って戦っているというのだから、これは次に会ったら軍神とでも呼んでやるしかないのではなかろうか。
《報告いたしますわん》
「ひぃややややぁぁぁぁ⁉」
突然眼前に現れたサメの大口に、本能に直接訴えかけられる根源的な恐怖が絶叫となって口から吐きだされる。ついでに腰も抜ける。
《あら魔女サマ、いらしたのん?》
「いらしたのんじゃないよ出てくる前にあたしがいるくらいわかってんだろどうせよぉ⁉」
「あのね、棗姉ちゃん」《向こうには負傷者もいますので静かに》
案の定あたしだけが怒られる。クソ!
《ラズチナ、用向きは?》
《は! 潜行中の深戦隊から連絡ですわん。先日魔女サマたちが交戦したと思わる大回廊を発見しましたわん》
理不尽に対する怒りはひとまず脇に置き、舞い込んできた知らせに思考を割く。
大回廊はあたしたちが集められた迎賓館からもわりかし近かった。あれの場所が割れたからには、『砂漠の薔薇』司令部の発見も秒読み。そこさえ制圧できれば戦いも終わる。
両陣営に多くの犠牲をだし、生き残った者たちさえ心も身体もボロボロだ。様々な要因や背景を巻き込み発展した壮大な内輪揉めは、ようやくの決着を見る。と信じたい。
《ふむ、その情報は視覚共有に反映されていますね?》
《もちろんですわん。姫ちゃまより一分毎に更新せよとのご命令ですのでん》
《であればアカリも大回廊を目指すでしょう。棗、あなたも準備でき次第、大回廊へ向かって下さい。敵の組織的抵抗も弱体化しています。もうすぐです》
「応よ! しっかり休んだし、一気に決めてくるってね!」
拳を打ち付け威勢よく声を張り、勢いのまま司令部を飛び出す。
「……ケン!」
《なんです?》
「とりあえず出口まで連れてってくんない? 道わかんない」
《……ついてきて下さい》
何とも言えない間を挟み、犬っころは小さく嘆息し、あたしの先をトコトコと歩き始めた。
†
……ドォーン。ゴン……ッ。……ズーン。
地上の爆発が洞窟内を揺らす度、細かい砂がパラパラ落ちてくる。
振動の大きさと頻度が徐々に増えきている。敵の勢いを留められないまま、戦線が押し上げられている証拠だ。このままではここもそう経たないうちに戦場になる。
「真夜ちゃん……」
もはやわたしたちの記憶を欠片も残していない仲間の名を、名残惜しく呟く。
レビ=ラルダを取り巻くいろいろにまったくなんにもこれっぽっちも関係もないのに、嵐のように現れて転がり込んできた、最年少のじゃじゃ馬娘。
頭が悪いわけでも勉強ができないわけでもないクセに、感情を優先してばっかりでそれらを何一つ活かせていなかった。
そんなあの子だからこそ、みんなにも、魔獣たちにも慕われていたんだと思う。じゃなきゃわたしも、ここまで悲しまなかったはずだから。
挑発のつもりか、ご丁寧にも魔女はオープンチャンネルで真夜ちゃんの討伐を知らせてきた。まあ、魔女の声も死にそうだったし、単に余裕がなかっただけなのかもしれないけど。
わたしはもちろん、無慈悲な事実を突きつけられた魔獣たちの動揺は計り知れず、中にはこのまま降伏しようと言いだす者もでた。
『嘆くのはすべてが終わってからだ。今やらねば取り返しのつかない事柄が、貴様らの眼前にはあるはずだ。頼む、涙で視界を滲ませないでくれ』
イングリッドの一言で、『砂漠の薔薇』は悲しみに暮れながらも落ち着きを取り戻した。こういう場面でカリスマを輝かせられるのは、さすが代表だなと改めて感じた。
本来であれば、島内での戦闘指揮はわたしとハルに任されている。しかし実際はイングリッドが艦隊の操作と並行してそちらにも指示をだしていて、未だわたしたちの出番はない。
戦力として温存されているのはわかるけど、戦っているみんなを思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。待機が長引くほど罪悪感も積み上がり、戦う前におかしくなりそう。
『ほらホタル。お前の名前は暁語でこう書くんだよ』
時間だけはたっぷりあるからか、先程から考えてしまうのは小さい頃の想い出ばかり。
雨宮蛍。
なんてことない普通の日に父から教えられた、わたしのもう一つの名前。だけど大好きな父と母からもらったこの名前を、どこかに書き残した経験は一度もない。
レビ=ラルダ平等連合の暁系二等国民は、名字か名前のどちらかに漢字を使わなければならない規則がある。わたしの家は名誉レビ=ラルダ人の権利があるので、名字も名前も暁名でありながら、公用レビ=ラルダ語で表記するのが許されている。それはつまり、漢字など使おうものなら『恩知らず!』『反逆の意志あり!』と非難の的にされてしまうという意味でもあった。事実、父には『どこにも書いてはいけないよ』と約束もさせられた。
だからわたしは、雨宮蛍という名前をどこかに書いては誰の眼にも届かないうちに消すしかなかった。
わたしが魔法少女になったのも、この境遇を少しでも変えられたらと考えたからだ。誰もが思い描く希望を内に溜め込んだり、我慢しなくてもいい世界にできればと願って。
そうして、二人と出会った。
不愛想で冷静で、氷のような人だと思っていたら意外と世話好きで、持ち前の不器用さで周囲との距離を縮められない木嶌イングリッド。
口は悪いしわたしが嫌いだし、何かにつけて突っかかってくるけど、いざという時芯の通った性格が頼りになる朝陽ソイニネン。
放っておけない人。嫌いになり切れない人。どこか憎めない、わたしの仲間。
わたしはあの二人が羨ましい。苗字を、名前を、なんのはばかりなく自身のルーツを書き記せるあの二人が、羨ましくてたまらない。名誉レビ=ラルダ人であるわたしが、二等国民の二人にこんなことを言えば絶対怒られるだろうけど、本気でそう思っている。
《ここにいたのか》
「……ハル」
薄暗い中でもしっかりとわかる、白銀の毛艶をまとった狼が近寄ってくる。
《わかっているのだろうが、我らの出番も近い。覚悟は決まったか?》
淡々と、しかし有無を言わさない重圧を兼ねて、ハルはこちらに問いかける。
「やっぱり、戦わないといけないの?」
お互いしかいない空間で本音が零れ落ちる。多くの魔獣が巻き込まれ、真夜ちゃんまで討伐されてしまい、とっくに引き返せないところまで来ているというのに、わたしはわたしたちが戦わなくて済む方法ばかり考えている。さっきまでの罪悪感が聞いて呆れる臆病風だ。
《ここで逃げるのも一つの選択肢。だがそなたは選ぶまい。瀬川真夜の生き様に心を動かせるそなたなら。義務感や責任感ではなく、愛情を以って臨まんとするそなたなら》
「嫌な言い方」
《ふふっ。そなたもまさか、気まぐれで見逃した魔獣にここまで入れ込むとは、思いもよらなかったのではないか?》
「うん。思いもよらなかったよ。……ハルの方が先に死んじゃうなんて」
《……その点に関しては謝る他にないな。梯子を外すような真似をしてしまって》
とはいえなぁホタルよ。と、こちらの想いを余所に、ハルは続ける。
《永遠に近い時を生きる魔の獣とて、討たれれば死ぬし病には勝てぬ。であるならこの命、明日を生きようとする者たちのために使いたい。そう考えてしまうのは、私が歳を取りすぎたからなのだろうか?》
「知らないよ。わたし、まだ十四年しか生きてないし」
《湿っぽい顔をするな。肉体こそなくなってしまうが、そなたの中で私の魂は生き続ける》
お行儀のいい典型的な遺言だ。そんな台詞を言われて、なんと答えれば正解なのか。
《強いて上げるのなら、ソイニネンとの約束を違えてしまうのだけが心残りだな》
「……──」
《……笑えとは言わんが、その顔はよしてくれないか? 怖い》
わたしの嫉妬を込めた視線に、白銀の狼は珍しくたじろぐ。
《大した話はしていないぞ? 死なずにそなたの傍にいろと食い気味に言われただけだ》
「朝陽さんが……ホントに?」
《ああ。口の悪さが玉に瑕と言う輩もいるだろうが、あれでバランスを取らなければとんでもない聖人君子だ。不完全という側面で見れば、あの者は実に人間らしい》
悔しいけどわかってしまう。きっとわたしも、朝陽さんのそういうところが引っかかって憎み切れないんだろうな。じゃなきゃ面と向かってケンカなんかしないはずだし。
《……さて、敵の反応もだいぶ近づいてきた。ぼちぼち始めるとしようか、ホタル》
思い出話で時を稼ぐも、ついに話が本筋に戻ってしまう。
《私は知っているぞ。そなたは決断すべき時に決断できる者だと》
やればできる子みたいに言われても困る。
「でも……わたしが討伐されちゃったら結局──」
《だとしても一緒だ》
ハルは視線を放さない。自身の言の葉を信じて疑わない瞳。そうまでして断言されてしまっては、何も言い返す術がない。
「……『一恋托生』」
召喚に応じて現れる、一本の簪。数えるのも億劫になるほど魔獣の喉元を掻っ捌き、心臓を抉り出してきた、わたしだけの魔兵装。
「ねえ、ハル」
《何かな、ホタル》
それをハルの眼前に突きつけ、互いに最後の言葉を紡ぐ。
「愛してる」
《私もだ》