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第8話 白河春奈は距離感がおかしい

 二年A組の入口に着く前に、白河が見えた。

 弁当を両手に持って、廊下へ顔を出している。

 俺に気づくと、一度引っ込んだ。


 え。教室、間違えた?

 足を止めると、すぐに出てきた。


「こんにちは」

「……こんにちは。今、逃げた?」

「待ちすぎてると思われたら、恥ずかしくて」


 言ってから、白河は弁当を持ち直した。


「今のも、言わなくてよかったですね」

「俺まで恥ずかしくなった」


 後ろの教室から視線を感じる。

 どちらからともなく、早足で中庭へ向かった。


 中庭へ着くと、白河がメモ帳を開いた。

 俺は弁当を開いた。向こうはまだ蓋も外さない。


「好きな食べ物は?」

「オムライス。白河はプリンだよな」

「はい。休日は?」

「本読むか寝てる。白河は?」

「弟の宿題です。音楽は?」

「待って。俺の質問、全部追い越されてる」


 白河のペンが止まった。

 メモの質問にはチェックがつくのに、俺の話の続きはどこにも入らない。


「……昨日、順番を考えたので」

「その順番、俺が作ったの?」

「私です」

「じゃあ、一個、俺が決める。弟の宿題って何するの」

「算数。説明してるとテレビをつけられます」

「分かったから?」

「飽きたからです。まだ何も分かってないのに」


 白河は弁当を開き、ようやく箸を取った。

 弟の話なら、順番を考えなくてもいくらでも出てくるらしい。


「名前が入る文章題だと、少しは聞くんです」

「弟の名前?」

「私の名前で、プリンが減る問題を作ったら、ふざけてるって」

「白河も本気で怒りそうだもんな」

「増える問題にすればよかったです」


 そっちか。

 俺が笑うと、白河はメモ帳へ手を戻した。


「では、好きな女性のタイプは」

「算数からの曲がり方が急すぎる」

「最後に聞くと、逃げられそうだったので」


 逃げ道まで調べてきたのか。

 弁当を持ち直し、俺は白河を見た。


「ちゃんと考えたこと、ないよ。前は冬花が好きだったから」


 白河のペンが動かなかった。

 俺も、質問を聞いたばかりなのに名前を出したことに気づく。


「今は、私を知ってもらうところですよね」


 白河は『タイプ』の横へ大きな線を引いた。


「ここは保留にします。私の弟の話、続けていいですか」

「聞きたい」

「プリン、冷蔵庫の野菜室に隠しても見つけるんですよ」

「弟、野菜が嫌いじゃなかった?」

「プリンが入ってるときだけ、開けるんです」


 今度は俺から質問した。

 白河のメモ帳は、弁当の横で開きっぱなしだった。


 ◇


 放課後は、図書室で新しい図鑑を確認した。

 汚れや破れがないか、二人でページをめくっていく。


「水野さん、これって印刷の色ですか?」

「どれ?」


 白河が俺の隣へ来た。

 顔を寄せると、肩が触れそうになる。髪の匂いがした。

 見たいページは、白河の手の下にある。


 近い。

 図鑑を見ようとした目が、制服の胸元へ向きかけた。

 俺は慌てて壁を見た。


「水野さん。そっちじゃなくて、ここです」

「分かってる。ちょっと、近くて」


 白河は図鑑を机へ置き、反対側まで回った。


「離れすぎだって」

「近いと、見られないんですよね?」

「本のことな。俺、図鑑見てたから」


 白河は自分の立っている場所を見た。

 俺からは、図鑑の文字が上下逆になっている。


「これは見にくいですね」

「分かってくれた?」

「本を回せば、私もそちらへ行かなくて済みます」

「俺が見にくくなるだろ」


 くるっと回された魚が、今度は俺のほうを見た。

 白河は図鑑をまた戻し、俺の隣へ来る。

 来すぎたので、俺は肘で境目を作った。


「ここ、俺の読む場所」

「私は?」

「その隣」

「では、もう少し本を真ん中へ」


 白河の指が図鑑を押した。俺も同じだけ押し返す。

 真ん中に置いたはずの本が、二人の間を行ったり来たりした。


「この魚、移動しすぎじゃないか」

「水野さんが私のほうへ押すから」

「白河も押し返してるだろ」


 顔を上げたら、白河も笑っていた。

 近いことを気にしている間に、仕事が止まっている。

 俺は図鑑を押さえ、やっと模様を確認した。


「先輩、返却本どこに置きますか?」


 台車を押した後輩が入ってきた。

 俺は振り返った勢いで、図鑑を閉じかけた。

 白河が慌てて押さえる。


「ごめん。あ、返却はカウンターで」

「はい。……お二人って、付き合ってるんですか?」


 口が動かなかった。俺たち、自分でも怪しい動きをしていた。


「まだ、です」


 白河が答えた。


「今、返事を待ってもらってるんだ」

「あ、はい」


 台車を置くと、後輩はぺこりと頭を下げた。

 さっきより速く出ていく。


「……すごい勢いで帰ったな」

「違いますって言うのは、嫌でした」


 白河は図鑑の端をなぞった。


「だったら、白河の答えでいいよ。俺が聞こえてないふりしたのが、よくなかった」

「聞こえてたんですね」

「図鑑を持って逃げようかとは思った」

「私も持ちます」

「二人で持ったら逃げられないだろ」


 白河がページをめくった。

 隣で、俺も写真を確かめる。


「これ、綺麗だな」

「さっきも見ました」

「そうだっけ」

「水野さん、そこに指、挟んでましたよ」


 言い逃れが出来ない。

 白河はちょっと笑って、もう一度そのページを広げてくれた。


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