第6話 私を知るところから始めてください
「ついこの前まで、別の人が好きだったんだ」
中庭で、俺は続きを話した。
白河はうなずき、途中で口を挟まなかった。
「十年以上近くにいたから、すぐ忘れたとは言えないんだ。白河に好きだって言ってもらえて嬉しいけど、今付き合ったら、寂しいからかもしれない」
鞄の持ち手を握る手が、少しだけ緩んだ。
「それで白河を傷つけたくない。ちゃんと白河を見てから、返事したい」
「それなら……私、まだ諦めなくてもいいですか」
白河はそっと聞いた。
「待ってもらっても、好きになれるかは分からないぞ」
「分かってます。でも、まだ私のこと、あまり知らないですよね」
うなずくと、白河は少し身を乗り出した。
「私を知るところから始めてください。一緒にお昼を食べたり、帰ったり。もう少し、話したいです」
「友達になるってこと?」
「……友達だけ、って決めないでほしいです」
言ってから、白河は頬を赤くした。
「ごめんなさい。欲張りですよね。でも、好きになってもらいたいので」
逃げずに言われ、俺のほうが目をそらしそうになった。
「もし答えが変わらなかったら?」
「泣くと思います」
白河は小さく息を吐いた。
「泣かないって約束は、できないです。でも、その場で返事を変えてもらおうとはしません。……たぶん、帰ってから泣きます」
「そんなところまで考えてたの?」
「考えました。昨日、なかなか眠れなくて」
鞄を少し持ち上げた。中に紙が見えた。
「忘れそうだったから、書いてきたんです。お昼は週に三回くらいなら、迷惑じゃないかなって」
「回数まで?」
「最初は五回で書きました」
「毎日じゃん」
「学校、週に五日なので」
「俺が休む場合は」
「その日は心配します。お昼とは別に」
白河は紙を広げた。『一緒に帰る』にも、丸がついている。
こんなに考えてきたのに、俺に言うときは手が震えていたのか。
「三回ならって、自分で決めた?」
「減らしました。……本当は減らしたくないです」
白河が紙を胸元へ戻した。
駄目だったときに泣く話まで、ちゃんと言った人だ。笑ってごまかすつもりはないらしい。
「明日、食べよう。当番の日は一緒に帰ろう」
「明日は私が迎えに行きますね」
「二年C組まで?」
「場所は知ってます」
「出席番号も?」
「……今、そこは忘れてもらうところです」
俺も笑った。白河は紙の『三回』を消さず、明日のところに大きい丸をつけた。
◇
「水野さん。お昼、一緒に行きませんか」
翌日の昼休み、白河が教室の入口に来た。
騒がしかった二年C組が静まり返った。
俺は弁当を持ったまま固まった。
約束はした。したけど、教室じゅうに聞こえると思っていなかった。
「水野さん?」
「行く。今行く」
椅子から立つと、佐伯が俺の袖を引いた。
「いつ、何があった?」
「あとで」
「あとでって何時?」
「お前の予約も取らなきゃ駄目なの?」
冬花も友人たちの輪からこちらを見ていた。
「白河さん、奏太に何の用?」
「一緒にお昼を食べる約束なんです」
「……二人で?」
「はい」
白河は俺を見た。俺も弁当を持ち直し、入口へ向かった。
廊下へ出てから、ようやく息を吐く。
「みんな見てたな……」
「嫌でしたか?」
白河の歩く速さが落ちた。
「嫌じゃない。慣れてないだけ」
「じゃあ、人の少ないところにしましょう」
中庭の端に座った。
白河は弁当を膝に置いて、俺が開けるのを待っている。
「先に食べていいよ」
「……何から話したらいいか、考えてました」
「食べながらでいいって」
「好きな人と二人で食べるの、初めてなので。卵焼きからで合ってますか」
さらっと言うな。
俺は留め具を外す前に、弁当の蓋を引っ張った。
「水野さん、そこ、まだ留め具が」
「お弁当は向いてなかった」
「じゃあ何なら向いてますか」
「開いた弁当」
白河が肩を揺らした。昨日みたいに謝らず、少し笑ってくれた。
「好きな食べ物、聞いてもいいですか?」
「甘い卵焼き。白河は?」
「プリンです。弟に取られずに食べられると、もっと嬉しいです」
「取られるの?」
「私の分も自分のだと思ってるんですよ。名前を書いても駄目で」
白河が、本当に困った顔をした。
学校で見るだけでは知らなかった顔だった。
「じゃあ、弟より先に食べないと」
「だから帰ったら、冷蔵庫を先に見るんです」
その話が可笑しくて、俺は笑った。
白河も笑って、弁当の蓋を開けた。
返事を急がれなかった。俺が黙ると、白河もおかずを食べる。
その間も、嫌な沈黙にはならなかった。
教室へ戻る途中、俺から聞いた。
「明後日も、ここで食べる?」
「迎えに行きますね」
「今度はちゃんと、立てるようにしとく」
白河が笑った。
失恋の痛みは消えていない。でも、次に会う約束をするのは嫌じゃなかった。




