第4話 もう、勘違いはしない
玄関で一度、引き返しかけた。
忘れ物はない。冬花と顔を合わせる勇気だけが足りない。
もう靴は履いた。学校くらい行け、俺。
いつもの塀の前に、冬花がいた。
「おはよう」
「……おはよう、奏太」
俺が挨拶すると、冬花の肩が少し下がった。
「連絡しようと思ったんだけど」
「何か用事?」
「昨日の、あれ……」
続きを待った。信号が青になっても、出てこなかった。
「遅れるぞ」
「うん」
途中の自販機で、冬花の足が一瞬止まった。
俺は歩いた。いつもなら、買っていた飲み物を今日は買わない。
それだけのことに、ひどく力がいった。
◇
「奏太、教科書見せて。忘れちゃった」
教室で冬花に言われ、机へ置いた。
「はい」
「……隣で見ればいいじゃん」
「俺、次の授業の準備するから。使い終わったら返して」
冬花は教科書を持ったまま、立っていた。
普通の顔をしたいだけなのに、どうしてこんなに難しいんだろう。
昼休み、隣の席へ佐伯が来た。
冬花が弁当を持って近づくと、佐伯は腰を浮かせる。
「俺、どこうか?」
「いいよ。先に座ったんだから」
冬花が止まった。
「別に、私の席って決まってないしね」
笑ってから、友人たちのほうへ行った。
俺の弁当には、卵焼きが全部残っていた。
「何かあった?」
佐伯の声は小さかった。
「……振られた」
「藤宮に?」
「俺が勘違いしてた」
佐伯は冬花を見かけ、すぐ俺へ視線を戻した。
「今日はここで食うわ」
「悪い」
「飯食うだけだろ」
俺も箸を動かした。
全部あるはずのおかずが、いつもより少なく見えた。
◇
放課後、冬花が廊下で追いついてきた。
「今日、待ってないの?」
「当番が終わったら帰る」
「そのあとでも待てるじゃん。いつもそうしてたし」
「今日は帰るよ」
冬花が俺の袖をつかんだ。
「昨日のこと、怒ってる?」
「……怒ってない」
「じゃあ、なんで」
「また勘違いしたくないから」
冬花の指に力が入った。
「そんな、急にやめなくても」
「急じゃないと、やめられないんだよ」
言ってから、ようやく冬花を見た。
「嫌いになったわけじゃない。でも、好きだったのを忘れたい。今までと同じだと、俺、また期待するから」
「私は……」
冬花の唇が動いた。
俺は待った。袖を引っぱられても、動かなかった。
「……前みたいに帰れたら、そのとき話そうと思ってた」
「その話を聞かないと、俺は前みたいに出来ないよ」
冬花が口を閉じた。
指が離れる。
「部活、行くね」
「頑張れよ」
何度か振り返る冬花を見送って、俺は図書室へ向かった。
◇
「遅れてごめん」
「時間どおりですよ、水野さん」
「ごめ――」
言いかけて、口を閉じた。
白河春奈は何も言わず、返却本の半分を俺へ寄せてくれた。
いつもの作業なのに、背表紙の記号が頭に入らない。
「水野さん。その本は、隣の棚です」
「ありがとう」
棚を移した。次の本でも、また呼ばれた。
三度目には、白河が俺の手元へ手を伸ばし、本を台車へ戻した。
「少し休みませんか」
「いや。働かないと、余計考えるから」
「……何かあったんですね」
大丈夫と言ったところで、本をもう一周させるだけだ。
「昨日、振られてさ」
白河の目が大きくなる。
「ごめん。今の忘れて。仕事に持ち込まないようにする」
「そんなに急いで、いつもどおりにしなくても」
白河は台車を引き寄せた。
「私が戻しますね。水野さんは一覧を見てもらえますか」
「でも、それだと白河ばっかり」
「じゃあ、明日は書架整理をお願いしてもいいですか?」
困った顔で笑われた。
俺は一覧を受け取った。今日はその頼み方に甘えた。
何も聞かれずに、一緒に手を動かした。
一覧を終えて渡すと、白河はうなずいた。
「合ってます。ありがとうございます」
普通に言ってもらえて、少し息ができた。
「助かった。明日はちゃんとやる」
「明日、当番のあと、少し時間をもらえませんか」
白河は鞄を持ったまま、俺を見た。
「書架整理の続き?」
「仕事の話じゃなくて」
「俺、何か壊した?」
「壊してません。あの、仕事じゃないって、今……」
白河は鞄を持ち直した。困ったように眉を下げたあと、俺をまっすぐ見た。
「水野さんに、話したいことがあるんです」
「分かった。終わったら待ってる」
白河は、やっと少し笑った。
何の話かは分からない。今度こそ、本人の言葉を聞こう。




