第12話 最初に顔を見てくれた人
白河は椅子へ座り、膝に両手を置いた。
「朝から、少し体調が悪かったんです。でも、入学したばかりだったから。いきなり当番を休むのも、言いづらくて」
俺も向かいに座る。
机の向こうの顔を見ていたら、少しずつ思い出してきた。
◇
あの日、資料室のほうで箱の当たる音がした。
白河は段ボールを抱えたまま、壁の近くに立っていた。
汗をかいている。唇の色も薄かった。
「白河さん、顔色悪いけど。歩ける?」
「大丈夫です」
そう言う間に、箱が少し下がった。
「一回、そこに置こう。俺も持つから」
白河は箱を見た。
俺が反対側を支えると、ようやく手を緩めた。
二人で机へ置く。こんなに重かったのか。
「保健室、行ったほうがいいと思う」
「まだ、片づけが」
「本は俺がやるよ。ちょっと休んで」
近くの椅子を引いた。
白河は座ろうとして、膝を止めた。
「……一人で行けます」
「本当に歩ける?」
「たぶん」
たぶんで行かせるのは怖かった。
腕を出しかけて、やめる。まだ仕事の話しかしたことがない相手だ。
「先生、呼んでこようか。それとも、俺が一緒に行く?」
白河が俺を見た。
しばらくして、小さく頷く。
「先生を、お願いできますか」
「分かった。座って待ってて」
白河が椅子へ座るのを見てから、司書の先生を呼びに行った。
先生が保健室へ付き添ってくれたので、俺は図書室へ戻った。
箱を開けると、まだ本が詰まっていた。
片づけるとは言ったけど、これを全部は厳しい。
分類して、台車に載せて、棚へ戻す。閉館までに終わらなかった分は、先生に事情を話した。
次の日、白河は図書室で俺を待っていた。
「昨日は、ありがとうございました」
「もう具合、いいの?」
「はい。仕事も、水野さんがしてくれたって」
「全部は無理だった。先生に、今日まで待ってもらってる」
返却台へ向かうと、白河もついてきた。
「何か、お礼を」
「いいよ。困ってたから手伝っただけだし」
そう言ったのは覚えている。
あのとき白河がどう返したかは、覚えていなかった。
◇
「しばらく、何を渡したらいいか考えてました」
今の白河は、少し笑っていた。
「でも、次に会ったときも、普通に本の話をしてくれたので。何も持っていなくても、話していいんだなって」
「そりゃ、いいだろ」
「水野さんは、そう言うんですよね」
膝の上で、両手が少しほどけた。
「それから、当番が一緒だと嬉しくなって。ほかの人を手伝ってるのも、気になるようになって」
「俺、そんなに手伝ってた?」
「後輩が棚を間違えたとき、一緒に直してました。本人がすごく慌ててた日です」
俺は首をひねった。
なんとなく覚えている。でも、いつだったかは出てこない。
「……白河のほうが、俺のこと覚えてない?」
「はい。自分で忘れたことがあったら、聞いてください」
「俺の記憶、外に預けてたのか」
目が合った。
白河は先にそらしたが、そのまま続けた。
「でも、水野さんなら誰にでも優しいって思うと、言えなくて。私にだけじゃないのに、勘違いしそうだったので」
俺は机の上へ手を置いた。
冬花の言動を並べて、自分だけかどうか考えたことを思い出す。
「それ、ちょっと分かる」
白河は頷いた。
「だから、今は言いたいです。私は、水野さんだから好きなんです」
机の端を見てしまい、慌てて顔を上げた。
「……俺、そんなにちゃんとしてないよ」
「昨日、猫を見てずっと笑ってましたね」
「そりゃ、笑うだろ。しっぽと足、区別つかなかったんだぞ」
「しっぽじゃなくて、後ろ足が変だったんです」
「ほら、まだ言い張る」
「今日も、届かない本を無理して取ろうとしてました」
「それも見てたな」
白河の口元が緩んだ。
「でも、そういう顔も好きです。格好つけて失敗して、私を見て困ってる顔も」
「待って、今、俺その顔してるだろ」
「だから、見ています」
白河は俺から目をそらさなかった。
俺が先に机へ目を落とした。顔を隠しても、さっきまで見られた分は消えない。
「ずるい。こっちは返事も出来てないのに」
「隠してたときは、何も進まなかったので」
「俺も、白河に会うのが楽しみになってる」
言ったら、今度は白河が口を開けたまま動かなくなった。
俺は少しだけ勝った気がして、また余計なことを言う。
「その顔、今見ていい?」
「……明日でも、見られると思います」
明日もそんな顔になるつもりなのか。
俺ももう、会う理由を当番だけにしたくない。
「好きな本、教えて。白河のことも、もっと知りたい」
白河は頷き、近くの棚を指した。
借りる本が一冊決まった。
廊下を並んで歩いていると、同じ学年の男子が俺たちを見た。
目が合うと、にやっとする。
白河から離れかけ、足を戻した。
何も悪いことはしていない。隣を歩いているだけだ。
「帰ろう」
白河はいつもの距離で、俺と歩いた。




