第11話 春奈が俺を好きになった理由
当番の前に、白河が新しい猫を見せてきた。
顔だけだ。足を描かないことにして、昨日の負けを取り返そうとしたらしい。
「ちゃんと猫だな」
「足は、練習中なので」
白河は紙をしまった。勝ったとは言わなかったが、鞄へ入れる顔は嬉しそうだった。
高い棚の本へ手を伸ばすと、白河が踏み台を運んできた。
「これ、使ってください」
「あとちょっとで届く」
「さっきも言ってました」
俺は諦めて、一段上がった。
簡単に取れる。最初から使えばよかった。
白河は何も言わなかったが、顔が少し笑っている。
「見られてると、格好つけたくなるんだよ」
「私に?」
「ほかに誰がいるんだよ」
「……誰も」
白河は空っぽの図書室を一度見回してから、俺へ戻った。
今のをなかったことにするには遅い。
「本を取るところは、格好よく見えました?」
「踏み台を使ってからは」
「そこじゃなくて、最初」
「最初は、下から押してあげようかと」
「俺を棚へ収納しないでくれ」
俺が本を抱えて降りると、白河が踏み台を片づけた。
無理に腕を伸ばすのは、もうやめた。
閉館後の図書室には、二人だけが残っていた。
俺は最後の本をカウンターへ置いた。
「白河。俺を好きになった理由、聞いてもいい? 一年前のこと」
別人のことだったら、と怖くて聞けなかった。でも、もうそんな疑い方をしたくない。
白河はすぐには答えなかった。
カウンターに置いた本の角を、そっと揃えた。
「去年の五月、私と当番だった日です。返却本が多くて」
思い出せ。
俺は口を閉じ、図書室を見回した。
「箱が、すごく重かった日?」
白河が止まった。
「……箱から思い出すんですね」
「違う。ちょっと待って。白河、具合悪かった?」
「それで、水野さんが本を運んでくれました」
よかった、忘れていない。箱が先だったことは取り消せないけど。
「白河、何かすごい言葉をかけたかと思ってた。箱が重かったほうが、先に出てきちゃって」
「私を持ち上げてくれたとかじゃないです。箱です」
「そこは覚えてるよ」
白河は笑おうとして、口元だけを動かした。
「でも、私には……ずっと覚えてる日で」
何を言ったか、必死で探した。
顔色の悪い白河。重い箱。先生を呼んで、残った本を片づけた。
それくらいしか、浮かばない。
「俺、そんなに大したこと、してないと思う」
「大したことじゃなくても、嬉しかったんです」
白河がカウンターから手を離した。
「それで、気になるようになりました。ほかの人にも同じようにしてるんだなって、見てたら……」
途中で言葉が止まる。
俺の顔を見て、小さく息を吸った。
「好きになってました」
俺は頷こうとして、うまく動けなかった。
白河は言ったあとも、こちらを見ていた。
「ずっと見てたなら。俺が冬花を好きなのも、分かった?」
「当番が終わると、体育館の時間を気にしてたので」
冬花を待つことばかり考えていた。
その隣で、白河が何を言わずにいたかなんて、考えもしなかった。
「今言ってよかったのかは、まだ分からないです。水野さん、つらかったのに」
「言ってくれなかったら、俺、気づかなかった」
白河が口を閉じた。
「だから、聞いてよかった。……箱のことだけじゃなくて」
白河は少し笑った。
俺も、ようやく頷けた。
「あの日、最初に見てくれたのが、私の顔だったんです」
「顔色、悪かったから」
白河の指が、制服の胸元に触れた。
「私、顔より先に、こっちを見られることが多くて」
俺は、白河の顔を見たまま止まった。
「気づかないふりはするんです。でも……何も言わないから、平気ってわけじゃなくて」
分かる、と言いそうになって、やめた。
俺はその視線を、毎日受けたことがない。
「うん。嫌だったんだな」
胸元に触れていた手が、そっと下りた。
「でも水野さんは、顔色が悪いけど歩けるかって。最初に顔を見てくれたので、顔色も気づいてくれたんです」
資料室の入口を見た。箱を持った白河が立っていた場所だ。
あんなに顔色が悪いのに、平気な声を出そうとしていた。
「思い出してきた。箱、置いてくれなくて」
「……迷惑をかけたくなかったんです」
白河も、同じ入口を見た。
俺は椅子を引いた。
「座ろう。ちゃんと聞きたいから」
白河が頷いた。




