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「……らいん?」
紫乃の声音にはその単語を初めて聞いた、というような色が混ざっていた。
と言っても、さすがに単語の意味がわからないというわけではないだろう。
「ああ、やはりLINEというのは現代における必須ツールだ。紫乃に何かあったときに話を聞くぐらいなら——」
「やってない」
「えっ……」
初音ミクも逃げ出すほどの早口でまくし立てた俺の言葉を、紫乃はたった5文字で消失させた。
思ってもない返しだ。
俺の口角が中途半端に上がった位置で凍りついたように固まっていた。
——やってない。
それはもう浸透しすぎて、直接「お前に連絡先を教えたくない」と言っているのと変わらない。「ぶぶ漬けでも、どうどす?」とかと同じグループにいる言葉だ。
いや、どう考えても断り文句じゃん。
正直、断られるとは思っていなかった。
じゃあ今までのあれなんだったんだ。俺は連絡先を教えたくもないような相手なのか。そんな相手にくっついたりするのか。
俺がひとり肩を落とし、脳内でまとまらない思考を巡らせている。
その間に、視界の端で紫乃が自分のスマホを操作しだしていて。
やがて——
「——できた」
満足そうに呟いた。俺が顔を向けると、紫乃が自身のスマホの画面を見せていた。
「はじめた」
そこには、『成瀬紫乃』と書かれたアカウントが表示されていた。
アイコンは初期のままで、名前だけがそのアカウントが紫乃のものであることを示していた。
俺が混乱しているうちに、どうやら紫乃はLINEのアカウントを作成したようだった。
というか、「やってない」の断り文句で本当にやってない人間いるんだ。
「……行動力の化身かよ」
俺は、ほっと胸を撫で下ろしながら呟いた。
マジでよかった。
それから、自分のスマホを操作して、
「これ、読み取って」
QRコードを表示させた画面を紫乃に向ける。
「そう、そこタップして」
紫乃は少し手間取りつつ、それを読み取って、新しい友だちが一人増えた。
俺が『よろしくな』とメッセージを送ると直後にポン、という音と共にトークルームに、
紫乃:『あきと、一人目』
メッセージが表示される。スマホで口元を隠す紫乃。
そういうこと言われると、こっちが気恥ずかしくなる。
「ん、既読ついた」
「見たからな」
俺は続けてスタンプを送った。
紫乃がどういうスタンプを好むのか分からなかったので、とりあえず、デフォルメされたクラゲが親指を立てているスタンプを選んだ。
初期からあるデフォルトのスタンプの一つだ。
「くらげ」
言いながら、スマホを操作する紫乃。同じクラゲのスタンプが送られてきた。そのまま、続けてメッセージが届く。
紫乃:『連絡、してもいい?』
秋斗:『ああ、いつでも』
紫乃:『夜でも?』
秋斗:『だいたい起きてるからな』
基本、夜中までベースかキーボードの練習している。他にも本を読んだり、音楽を聴いたり。
我ながら、なかなか優雅に過ごしていると思う。
俺のメッセージを見た紫乃は小さく笑って、
紫乃:『だから、あきと遅刻する』
今朝の話を持ち出された。意外に見ているんだなと、思いながら返信した。
隣に座っているのに、LINEを介して会話している。しばらくのあいだ、視聴覚室の空調の音とスマホをタップする音だけが鳴っていた。
秋斗:『学校の外周でゴミ拾いしてる俺を見かけたら、眺めながら登校してくれ』
紫乃:『ん。見てる』
手伝えよ、と内心だけでツッコんでおいた。
紫乃は口元を微かに緩めながら、トーク画面を見つめている。
つま先をパタパタさせながら、小さく鼻歌を唄っていた。
——amazarashi好きだな、紫乃。
◇ ◇ ◇
「しかし、ほんとにやってなかったんだな」
LINEでのやり取りが一段落ついたころ、俺はなんとなしに尋ねた。
まあ、LINEやってない方が珍しいと言われる世の中だ。
「うん」
「珍しいな」
「おねぇちゃんくらいしか、連絡する人いないから」
その返事があまりにも迷いなくて、次に何を言えばいいか分からなくなる。
けれど紫乃は気にした様子もなく、スマホを長机の上に置いた。
「お姉さんいるんだ」
「ん。二人暮らし」
初耳だった。両親は——と聞こうとして、まったく別のことを尋ねた。
「姉ちゃんとはLINEしてないのか?」
「電話と、えすえむえす? してる」
今どき珍しい気もするが、連絡が取れるなら特に困ることもないのだろうか。
「らいんも、使える」
微かに胸を張り紫乃は言った。
その無駄に誇らしげな表情がおかしくて、
「今、始めたばっかりだけどな」
笑いながら返した。
「あきとに連絡できる」
「……そうだな」
ただ事実を確認しただけのような声。けれど、こっちとしては、そんな柔らかい顔で言われると照れる。
俺に連絡するためだけに今まで使っていなかったアプリを入れた。
そこだけ切り取れば、だいぶ特別なことをされているように聞こえる。
いや、実際そうなのかもしれない。
紫乃の友だち一覧には、俺の名前しかない。
そう考えると妙に落ち着かなくなり、意味もなく自分のスマホを操作する。
トーク画面を閉じ、また開く。表示されている内容は当然変わらない。
『あきと、一人目』
その文字が目に入るたび、胸の奥がこそばゆくなる。そんな俺に気づかず、紫乃はスマホを眺めていた。
クラゲのスタンプを画面の上から撫でている。
その姿を見て、少しだけ紫乃に近づけた気がした。
「紫乃ってアプリ、なに入れてるんだ?」
紫乃がどんなアプリを入れているのか、逆に気になった。
音楽アプリはいつも使っているから知っているが。
「ん、見る?」
紫乃はスマホを手渡してきた。なんというか、すごいな。他人に何の躊躇もなくスマホ見せられるの。
豪胆というのは、こういうことを言うのだろうか。
なんて思いながら、スマホを受け取って、
「いつもスマホ見てるから、アプリとかたくさん入れてるのかと思ってた」
紫乃のスマホのホーム画面は標準アプリが大半で、そこにちらほら音楽アプリなどが入っている程度だった。
「そう?」
「俺が来たとき、いつもスマホ見てたからさ。なんかやってんのかなって」
紫乃っぽいといえば、っぽいのだけど、女子高生にしては淡白なホーム画面に少し引っかかった。
扉を開けるたび、スマホの明かりに照らされた紫乃が振り向く。それが、この一ヶ月で何度も見た光景だった。
だからてっきり、お気に入りのアプリでもあるのかもと思っていたのだが。
紫乃はちらりと俺を見て、すぐに視線を長机に向けてしまう。
「……時間、見てるだけ」
「時間?」
見ると、確かに画面のレイアウトが変更されていて、画面の上の方には時刻が大きく表示されていた。
揺れた黒髪が紫乃の横顔を隠し、薄紫色のインナーカラーがわずかに覗く。
隙間から一瞬見えた耳が、少しずつ赤く染まっていた。
長い沈黙のあと、紫乃はスカートを指先でつまみながら、
「…………。……こないかなって」
それだけを、小さく答えた。




