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『首、絞めて』——それが紫乃の存在証明  作者: さかいかさ


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 しばらく待ってみたが、紫乃が来る気配はなかった。


 スマホで時間を確認してみると、まだ15分しか経っていなかった。


 紫乃はいつも俺を待っていた。最終下校時刻ギリギリまでだって。それに比べれば、大した時間じゃない。


 分かってはいる……けれど。


「…………」


 長椅子の隣を見つめてみても、誰もいない。いつも紫乃が座っている場所。


 最初はドアの隅の壁にもたれ掛かっていた。いつからか、紫乃はここに座っているようになっていた。


「となり」と椅子を叩いて、俺が戸惑っていると不機嫌そうに距離を詰めてくる。


 そんな日が続いて——。


 だから、それで距離が近づいたような気がして。けれど、紫乃のことを何も理解していなかった。


 机の上にスマホを伏せる。立ち上がってみて、座って、また立ち上がる。もう一度、スマホを見る。さっきから、5分しか経っていなかった。


 どうにも落ち着かなくて、理由もなく窓際の遮光カーテンの内側に入って、窓の外を眺めてみる。


 こっち側は初めて見たかもしれない。新校舎からは旧校舎が邪魔になって見えない。学校の敷地に沿うように植えられた木と、その先に広がる住宅街。


 街の景色は特に変わらない。なのに、どこか別世界のような気分になる。


 窓の外が、急に暗くなってきた。ぽつ、と窓を叩く音がして、続けて二つ、三つ。気づけば無数の雨粒がガラスを叩き始めていた。


「……降ってきたな」


 独りごちてみても、返事はない。紫乃がいたら「ん、雨」と返事してくれたのだろうか。


 来るかどうかは紫乃が決めればいい。俺はここにいる——そう思っては見たけれど。


「…………」


 紫乃とのトーク画面を開いてみると、最後に並んでいるのは俺から送った言葉ばかりで、既読だけがついている。


 朝、俺が声をかけたときも紫乃は聞いていた。それは間違いない。


 それでも来ない。


 だったら——。


 LINEの通話ボタンが目に入る。初めて電話したとき、俺は押すか迷った。用事なんてなくて、ただ声が聞きたくて、それで押した。


 今は、用事がある。なら、押せない理由はない。


 通話ボタンをタップすると、聞き慣れた呼び出し音が一回、二回と鳴り始めた。


「……紫乃」


 四回、五回と繰り返されても、呼び出し音が止まることはない。


 やがて——。


 応答がなかった旨を報せる、無機質な表示だけが画面に残った。


「…………」


 もう一度試してみても、今度も出なかった。


『一人でいい』——あの日の言葉が蘇る。


 今までの俺なら。そう言われたなら、一人にした。話したくないなら聞かない。


 来たくないなら待つ。相手が嫌だと言っているのに踏み込むのは違う。


 それは今でもそう思う。


 でも。


「……分かんねぇだろ」


 紫乃が本当に一人でいたいのか。俺に来てほしくないのか。勝手に決めていいことじゃない。


 それでも答えてくれないなら——自分の目で確かめる。


 カバンを掴んで歩き出そうとすると途端、視界が揺れた。長椅子の背へ手をつく。熱のせいか、さっき走ったせいか。


 しばらく待つと、揺れはおさまった。体調はよくはない。でも、歩ける。


 視聴覚室を出た。旧校舎から渡り廊下を抜けて、二年B組の教室へ。


 廊下には部活へ向かう生徒や残って喋っている生徒がいて、教室へ近づくにつれて人影は増えていった。


 教室の扉から中を覗いてみる。窓側、前から三番目。席には誰もいなかった。机の横にカバンもかけられていない。


「……どこだよ」


 呟いて、キョロキョロと首を回していると、教室に残っていた女子が訝しむような目で見てきた。


「瀬戸、何やってんの?」

「いや、ちょっと……」


 一瞬言い淀んで、そんなことをしている場合ではないと気付き。


「紫乃——成瀬、見てないか?」

「成瀬さん? 見てないけど。見た?」


 尋ねて見ると、女子は首を傾げる。他の女子にも水を向けてくれたが、結果は同じ。見ていない、という言葉だけが返ってきた。


「わかった、ありがと」


 それだけ言い残して、俺は足を早めた。思いつく場所を順番に覗く。


 けれど——。


 いない。


 校舎内を歩き回るほど、喉の痛みが増していく。マスクの中が息苦しい。途中で何度も咳き込み、壁に手をついた。それでも探す足を止めなかった。


 紫乃が学校のどこにいるのか。そもそも、視聴覚室以外で紫乃が一人で過ごしている場所を、一つも知らなかった。


 知りたいと言って。分かりたいと言って。


 それなのに。


「……くそ」


 また同じことを考えそうになる。違う。今は自分を責めてる場合じゃない。首を振って思考を追い出す。


 階段を下りている途中で、ふと思い出した。


「……雨宮先生」


 紫乃の姉。唯一の家族。


 旧校舎の第二準備室へ向かうと、前に訪ねたときとは違い、今日は扉の隙間から明かりが漏れていた。


 ノックすると、


「どうぞー」


 中から、気の抜けた声が返ってきた。


「失礼します」


 扉を開けると、雨宮先生は椅子に座り、机の上に広げたプリントへ赤ペンを走らせていた。


 俺を見るなり、その手が止まる。


「瀬戸……」

「先生、紫乃——」


 声を出した瞬間、咳が込み上げた。マスクの上から口元を押さえ、何度か咳き込む。


「おい、大丈夫か?」

「……大丈夫です。それより、紫乃がどこにいるか知りませんか?」

「……紫乃?」


 俺が尋ねると、先生の表情に影が刺す。


「視聴覚室に来なくて。電話も出なくて。学校の中も探したんですけど……」

「やっぱり……揉めたか?」

「何か……言ってましたか?」

「いや。何も」


 先生は赤ペンを机へ置いて、


「何も言わないから、分かる……分かってしまう。あの子は、自分の感情を出すのが苦手——というより、自分の気持ちを他人に主張することを怖がってる」


 背もたれに身体を預け、小さく息を吐いた。


「嫌だった。寂しかった。来てほしい。行かないでほしい。そういうことを普通に言えばいいのに、紫乃にはそれが難しい」


 俺は何も言えなかった。思い浮かぶ言葉が、いくつもあった。全部、紫乃なりに言おうとしていたのかもしれない。


「だから、まあ。姉を長くやってると、何も言われなくても顔を見ればなんとなく分かってしまう。紫乃が一番よくする、平気じゃないときの顔」

「俺……紫乃に、普通じゃないって言いました」


 改めて口にすると、最悪な言葉だった。先生は何も言わず、俺の言葉の続きを待っていた。


「紫乃のことを言ったんじゃなくて。首に触って確かめるとか、そういうことを言いたかったんです。でも、俺が焦って……」

「それを私に説明してどうする」


 言葉を遮られた。先生は怒っているようにも、失望してるようにも見えず、ただ、真っ直ぐ俺を見ている。


「……はい」

「前にも言っただろ。紫乃のことなら、紫乃に聞けって」

「…………」

「お前が本当に伝えたいことは、私じゃなくて本人に言ってやってくれ」


 俺は拳を握りしめると、


「俺、紫乃が大切なんです」


 気づけば、それが口から出ていた。先生が僅かに目を見開く。


「だから、ちゃんと話したい。俺が何を間違えたのかも、紫乃がどう思ったのかも。今度は……勝手に決めたくない」


 先生はしばらく黙って俺を見つめたあと、小さく笑って、


「それも本人に言ってやってくれ」

「……はい」


 先生は机の上のスマホを手に取り、何かを確認する。


「家には、まだ帰ってないな」

「分かるんですか?」

「帰るときは連絡するように言ってある。今日はまだ何も来てない」


「ただ一人の妹だからな」と照れくさそうに笑って、先生はスマホを机へ戻した。


「だから、これは姉の勘でしかないけど」

「はい」

「まだ学校にいると思う」


 その言葉を聞いた瞬間、身体が動きそうになった。


「紫乃が一人になりたいときに行きそうな場所とか——」

「それは自分で探せ。私も全部わかるわけじゃない」

「え」

「お前が探すんだろ?」

「はい」


 迷わず答えた。頭を下げ扉へ向かい、第二準備室を飛び出した。


 頭に浮かぶ場所を順番に潰していく。旧校舎の昇降口に近づくと、雨音が激しく響いている。


 いつの間にか土砂降りになっていた。屋根から流れ落ちる水が、滝のように滴っている。


 旧校舎は視聴覚室だけじゃない。ほとんど使われていない教室がいくつもある。


 もしかしたら。


 熱のせいで、足元がふわふわする。


 呼吸するたびに喉が痛い。


 階段を登ろうとして、三段目に足をかけた瞬間——


「ん?」


 足を止めた。


 雨音と風の音。その中になにか別の音が混じった気がした。階段から首を出すと、階段下の倉庫の扉があって、物がズレたりしただけだろうと納得し、


「……気のせいか」


 そう思い、引き返そうとして。


 階段の下、死角になる隅に何かが見えた。


 上履きのつま先だった。慌てて階段を降り、回り込んでみると。


 膝を抱え、身体を小さく丸めた紫乃がそこにいた。膝を抱え、顔を伏せていて、黒い髪の間から薄紫色のインナーカラーが覗いている。


 制服も髪も濡れていない。雨に打たれていたわけではないらしい。


「……紫乃」


 声が掠れて、ほとんど音にならなかった。


 ずっとここにいたのだろうか。視聴覚室にも行かず、帰ることもせず。こんなところに。


「……紫乃?」


 もう一度名前を呼ぶと、紫乃の肩がぴくりと跳ねた。ゆっくり顔が上がる。眠たげな瞳が俺を見た瞬間、大きく揺れた。


「紫乃、俺——」


 話しかけようと一歩近づくと、紫乃が立ち上がった。


 次の瞬間。


 紫乃は逃げるように、駆け出した。俺の脇を抜けていく。


「っ、紫乃!」


 考えるより先に身体が動いた。伸ばした手が紫乃の腕を掴んだ。


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