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土曜日は恐ろしいほど早く過ぎ去った。
紫乃に会ったら最初になんて言うか。そればかり考えていて。「ごめん」から入るべきか。「聞いてほしい」なのか。余計な前置きはせず、最初から全部伝えるべきなのか。
結局、答えは出なくて気づいたら空が暗くなっていて。
ただ紫乃のことを考えていた。
考えるほど、俺は紫乃のことを知らないんだと、思い知らされる。言葉だけは立派で、行動が伴っていない。
そんな仄暗い思考が浮かんできたころ、考えるのをやめた。考えすぎて良くない方向へ流れてしまった。
問題が起きたのは、日曜日だった。朝食を食べに一階へ降りたら、母に熱を計れと言われ、
「37度8分」
俺が差し出した体温計を見た母が、呆れたように読み上げた。
「今日は寝てなさい」
「ん」
反論する元気もなく、素直に部屋へ戻った。金曜から怪しかった喉は悪化していた。起きた瞬間から咳は出るし、頭もぼんやりしていた。
昨日は喉の違和感だけだったのに。タイミングが悪すぎる。
「……明日」
ベッドに潜り込みながら、スマホを手繰り寄せる。紫乃とのトーク画面には、金曜の夜に送った二つのメッセージが一番下に表示されていて——その横に、既読がついていた。
「…………。紫乃」
いつついたのか、分からない。昨日は何度も確認しそうになって、そのたびにスマホを伏せた。
既読がついていなかったら落ち込むし、ついていても、返事がなかったら——それはそれで落ち込むし。
どっちに転んでもろくなことにならない。けれど、今は既読がついている。返事はない。それでも紫乃が見たということだ。
「来るよな……」
一人の部屋で呟いてみたところで、答えは返ってこない。俺は待つと伝えた。なら、明日は学校へ行くだけだ。這ってでも。
そう決意した直後だった。スマホが震えて、一瞬、心臓が跳ねる。
けれど表示された名前は、
榊伊織。
……いや、別にがっかりとか、してないけど。
バンドのグループLINEに音声ファイルと歌詞カードの画像が送られていた。
伊織:『二曲目です』
伊織:『来週水曜と金曜の両日、もしくはどちらかで合わせたいです』
タイトルは『碧白』。シンプルだな、と素直に思った。重い頭を揺らしながら、机からヘッドホンを取った。
再生すると、ギターがアルペジオで爽やかな音を奏でる。
ひと夏の青春、って感じの曲。高校生っぽい感じの曲だと思う。『閃光未満』とはまるで逆で、明るかった。
なんというか、引き出しが広いんだな、と素直に思う。
そのとき「そういえば」と、考えがふと浮かんできた。昨日ずっと同じようなことを考えていたからかもしれない。
大会に出たいといったのは伊織で。『高校生のうちに一度——』と言っていた。だったら、伊織はプロとかを目指しているのだろうか。そういう話をしたことがない。
初めて話したのは二年になってから。バンドに誘われたとき。
付き合いとしては三ヶ月くらいで、それまでは星鳴と仲が良くて、歌が上手くて部内で目立っていた女子、ってくらいの距離感だった。
誘われてからも、二人で話すことはあまりなかった。べつに仲が悪いとか、苦手とかそういうわけじゃないけど——。
思うのは——俺って……誰のことも知らないんだな、という考えだった。
相手のことをよく知らずに語りたくないと言いながら、他人のことをよく知らない。
滑稽な話だと思った。
「……最悪だ」
考えがどんどん良くない方向へ滑っていく。体調が弱っているとメンタルまでも弱っていくというのは本当らしい。
知らないことなんて、いくらでもある。それでも知っていきたい。紫乃に近づきたい。そういうことだ、と内心で無理やりまとめて考えを打ち切った。
スマホを見るとグループLINEには、すでに反応があって。
駿佑:『水金いける』
健太:『どっちも大丈夫』
星鳴:『伊織ちゃんが青春ソングを!!!!』
星鳴:『大きくなって……』
星鳴:『水金おっけー』
俺も、
秋斗:『水金いける』
と送って。少し考えてから、
秋斗:『風邪ひいてた。申し訳ない』
金曜日にスタジオで合わせた時点で、患っていたのだと思う。謝ったところでなにも変わらないけど。言葉にするのは大切だ。バンドメンバーにも。それに紫乃にも。
すぐに伊織から返信がきた。
伊織:『大丈夫。免疫には自信がある』
星鳴:『秋斗の免疫は弱そう』
ケラケラ笑うカニのスタンプが二つ並ぶ。バカにされている気がする。
秋斗:『おい』
駿佑:『秋斗はデカいだけでひ弱なんだよ。運動しろ運動』
駿佑:『水金ですり合わせて、来週あたりから詰める感じ?』
伊織:『再来週の月曜以降。合わせてから決めたい』
一通り予定がまとまったところで、スマホを置いた。
音楽を聴いている間だけは、頭の中から余計なことが少し消えていた。消えていたと言うより、余計なことを考えずに済むって感じ。
紫乃のことが頭から消えることはない。
明日。俺が扉を開けたとき紫乃はいるのか。それとも、俺が先に行って待つことになるのか。
来なかったら。
「…………」
そこから先を考えるのをやめた。来なかったら、そのときはそのときだ。
そのときになってから考えることで。
いまは来ると信じる。だから、今の問題はただ一つ。明日、学校へ行ける状態まで治すことだ。
「よし」
俺はベッドから起き上がり、クローゼット兼物置きを開けた。
中からいちばん分厚い毛布を引っ張り出す。さらに、友達が泊まりに来たときに使う掛け布団。全部まとめてベッドへ運び、身体を包み込んだ。
「汗をいっぱいかく作戦」
我ながら頭の悪そうな作戦名だ。昔、風邪を引いたときに汗をかいたら翌日には楽になった記憶がある。
今は医学的根拠より明日の登校が大事だ。プラシーボという言葉もある。毛布を頭まで被ると、ものの数分で、
「……暑い」
汗が吹き出てきても毛布にくるまったまま出ない。
紫乃が来るかどうかなんて、分からない。
それでも、待つと決めたのだから。
目を閉じると暗闇の中で思い浮かんだのは、薄暗い視聴覚室の部屋だった。




