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『首、絞めて』——それが紫乃の存在証明  作者: さかいかさ


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「ストップ」


 伊織の声と同時に演奏が止まった。演奏の余韻だけが、学校のスタジオ内へ反響する。


「悪い」


 俺は短く謝った。キメの部分、俺のベースが他より早く鳴った。ベースは間違えた時だけ目立つとはよく言ったもので、僅かなズレなのにその音だけが浮いて嫌でも目立つ。


「秋斗、調子悪い?」


 新品のギターを提げた星鳴が首を傾げた。練習前に「見て見て。これが新しいギターちゃん」と見せびらかしてきたやつだ。


「いや、そんなに——」


 言いかけたところで、喉の奥に引っかかる感触があった。咳払いを何度かしていると、


「やっぱり、風邪?」


 伊織が俺の口元を見つめながら聞いてきた。


 俺は朝から、念のためマスクをしていた。


 熱もなければ咳もほとんどでない。けれど、スタジオは密室空間に近い。万が一にでもバンドメンバー、特に喉を使うボーカルである伊織にうつしてしまわないように。


「ちょっと、喉の調子が悪い」

「無理そうなら言って」


 伊織は言いながら、壁際に寄せたカバンの群れから自分のリュックを取った。いつも学校に背負ってきている、どこにでもありそうな黒いリュック。


 持ち上げられた途端、リュックにつけられた星型をした薄い青色のストラップが揺れる。星鳴がギターケースにつけているモノと色違いだ。


 カバンの中から、のど飴を何個か取り出し「何もないよりは」と伊織は俺に差し出した。


「ああ、悪い」


 俺は受け取った飴を開け、マスクの隙間から口に入れた。すーっとした感覚が鼻腔を抜けていったが、喉の違和感は消えなかった。


「じゃあ、もう一回。サビ前から」


 伊織が言うと、駿佑がスティックを鳴らしてカウントをとる。


 四回目が鳴った直後、健太のキーボードがコードで雰囲気の土台を作る。星鳴のギターがその上を走る。俺はバスドラムに合わせて低音を重ねた。


 今度はずれなかった、と胸を撫で下ろす。


 体調が悪いせいで集中できていない——それだけなら楽だった。曲はサビに入り、伊織の声が正面から飛んでくる。


 俺は弦を押さえながら、窓際の席に座る紫乃を思い出していた。朝、教室へ入ると、紫乃はいつものように窓の外を眺めていた。


 いつもと変わらない静かな横顔。


 昨日、家に帰ってすぐに送ったメッセージには、朝になっても既読がついていなかった。


『普通じゃないって、紫乃のことを言ったんじゃない』

『ちゃんと話したい』


 送ったメッセージは、何度読み返しても何かが足りない気がした。だからといって、何を付け足せばいいのかも分からなくて。


「秋斗ー」


 名前を呼ばれ、意識が現実へ戻る。


「……悪い」

「今日、ずっと変だぞ」


 駿佑はスティックを指の間で回しながら、俺を見ていた。誤魔化すようにマイボトルの麦茶を飲み、ベースを構え直す。


 思い返すのは昼休みのこと。俺は弁当を持って教室を出た。紫乃が教室から出ていくのを見かけたからだ。


 渡り廊下を抜ければ、あとは向かうだけだった。いつもの階段を上がって一番奥。そこに、視聴覚室がある。


 紫乃が同じように、紙袋を持って待っているかもしれない。


 けれど、階段の手前で足が止まった。


『一人でいい』


 昨日、紫乃が最後に残した言葉。来てほしくないという意味なのか、帰り道だけ一人でいいという意味なのか。分からなかった。


 本人に聞かなければ分からない。分からないなら聞けばいい。何度も自分で言ってきたことだ。


 一段目に足を置いたところで、急に身体が重くなって。


 結局、俺は階段を上らず引き返した。


 紫乃は昼休みが終わる直前に教室に戻ってきた。俺が見ていることに気づいているのか、いないのか。


 視線が合うことはなかった。視聴覚室へ行っていたのか、別の場所にいたのかも分からなかった。


「じゃあ、次は通しで」


 伊織の声に意識を引き戻し、頷く。


 今度こそ演奏だけに集中しようとした。けれど、意識しなければならない時点で、もう集中できていない。


 俺のミスだけがいつもより多かった。そのたびに謝る。謝って直して、それでもいまいちしっくり来なかった。


 いいときは下から波が突き上げてくるような、ピタリとハマったような爽快感がある。それが、ノリというモノなのかもしれないのだが、今日はそれが全くない。


 理由は……考えるまでもない。


 ずっと頭の中を彷徨っている。フレーズを紡ぐ左手の指先の動きも心なしか鈍い。


 集中だ。そう自分に言い聞かせるたびに、浮かぶのは紫乃の顔だった。


 昨日、見た顔。今までで一番傷ついていたように見えた。


 それが、脳裏から離れなかった。


◇ ◇ ◇


「今日はここまで、お疲れ様でした。次も、同じで」


 伊織がそう言ったのは、最終下校時刻の二十分前だった。


「あと、週明けまでに二曲目、作るので——来週あたりに合わせられたら」


 持ち込みのマイマイクを片付けながら言う。


 今日合わせたのは、7月にある軽音部の七夕ライブでやる曲。軽音部のライブは基本コピーバンドがメインなので、俺たちも有名曲から選んでいた。


 話を聞きつつ、各自で機材を片付け始める。


 アンプのつまみを絞って音を下げる。クロスで弦を拭いていると、背後から超速のシャッター音が何度も聞こえてきた。


 何事かと振り返ると、星鳴がスタンドに立てたギターを色んな角度から撮影していた。


 けれど、誰もその光景を気にしていなかった。


 伊織は録音していた演奏をイヤホンで確認しようとして、そこへ駿佑が何やら話しかけている。健太は自分のパートについて何か思うところがあるのか、楽譜へ黙々と書き込みをしていた。


「なに、秋斗。そんなに見たいの? もう、仕方ないなぁ~」


 撮影を終え満足げな顔をしていた星鳴が、獲物を見つけたとばかりに俺を捉えた。溶け出した表情に、緩みきった笑顔で近づいてくる。


「特別、だよ?」


 秘め事のように囁いて、隣でスマホの画面を見せてくる。新しいギターの写真が何枚も何枚も現れ、スワイプするたびに角度が変わる。


「同じ写真ばっかじゃん」


 俺が言うと、星鳴は不満そうに頬を膨らませた。


「全然違う! 角度とか、光の当たり方とか! ほら! ほら! ほら!」


 スマホをすごい勢いでスワイプしては、


「これとか、表情が違うでしょ!」


 と、同じような写真が流れていく。


「……なるほど?」

「秋斗には、この子の可愛さが分からないんだね」


 曖昧に返すと、可哀想なものを見るような目をしてから、やれやれと肩を竦めてきた。


「……そういえば、俺も去年、ベース買ったとき同じことしてたわ」

「え、仲間じゃん」

「いや、一緒にすんな」


 俺は数枚、写真を撮っただけだ。決してあんな風にはしゃいでいない……はずだ。深夜、両親が寝静まってから洗面所の姿見の前には立ったけど……。


 その間にも「これも、これも」と星鳴がスワイプしていく。


 明らかにさっき撮った写真ではないものまで遡っていく。おそらく、星鳴の部屋で撮られた写真だ。それらも、角度を変えて何枚も何枚も撮られていた。


 星鳴がほらほらとスワイプをしていって。


「ん?」

「あ」


 突然、今までのギターとは違う写真が目に入ってきた。制服姿の星鳴が見覚えのない男子に肩を寄せて写っている。


 男子の制服はうちの学校とは違った。黒髪で顔立ちにも目立つところはない。こう言ったら悪いが、正直、ぱっとしない印象だった。


 けれどその隣に映る星鳴は、普段よりもずっと幼い顔で笑っていた。満面の笑み、という言葉そのまま。


 星鳴はスマホをさっと背後に隠した。それから伊織たちの様子を確認し、声を潜める。


「声大きい」

「何も言ってないだろ」

「こっち来て」


 室内の隅へ寄った星鳴に手招きされ、仕方なく壁際に寄る。星鳴はきょろきょろと辺りを見回し、両手で口元を隠した。


「……彼氏」


 囁いた。


「彼氏っ!?」

「だから、声!」


 星鳴が俺の腕を叩く。再度あたりを見回し、他のメンバーがこちらに意識を向けていないことを確認する。


「……いつの間に」


 俺も声を潜めて問いかけた。


「実は先週、前に相談したでしょ?」

「ああ……そんなこともあったな」


 あれを相談と呼べるかどうかは諸説ある。星鳴が勝手に喋って、俺は大したことも言えなかった。「壁がある」と言われたことだけが、思い出すと今になって刺さってきた気がした。皮肉な話だ。


「そうそう。それで、思い切ってこっちから告白しちゃった」


 照れたように笑う。


「……成功したのか」

「見れば分かるでしょ」


 もう一度、画面を見せてくる。


 写真の中の彼氏は緊張しているのか、背筋を伸ばして硬い笑みを浮かべていた。その隣で、星鳴だけが身体を寄せ、歯を見せて笑っている。


 昼休みに俺へ密着していた姿とは、まるで違って見えた。星鳴に恋愛的な意図はなかった。分かっていたつもりだったが。


「秋斗が情報知るの、一番目だよ~」


 そう思うとこの表情も、少しムカついてくる。


 あれがなければ昨日のことは——いや、それは他責すぎるか。結局は俺の中途半端さが招いたのだから。


 浮かんできた昏い考えを咳払いと共になんとか断ち切って、


「榊は?」


 星鳴のことだから伊織に真っ先に報告してそうだと思って尋ねた。


「ここだけの話——」


 星鳴は伊織をちらりと見やる。伊織はイヤホンをつけたまま、駿佑と何やら話をしていた。


「伊織ちゃんは、そういうのに疎いの」

「そうなのか?」


 意外と言えば意外だし、違うと言えば違う。容姿で目立っている伊織は告白されることもあると聞く。けど、全部断っているとも聞いた。


 伊織に話しかける駿佑を俺は憐れむように見つめた。恋愛に積極的じゃないなら、可能性は薄いんじゃないだろうか。


 星鳴も俺の視線を追い、納得したように頷いた。


「確かに、一番可能性があるのは駿くんだね」

「は?」


 予想外の方向に話が進展していった。


「伊織ちゃんもまんざらじゃなさそう」

「……どこが?」


 俺は再度、二人をよく見てみる。駿佑が話しかけ、それを軽くあしらわれているようにしか見えないのだが。まあ、伊織の表情は柔らかいように見えるな。


「うーん、オーラ?」

「根拠ゼロじゃねえか」

「でも、まだちょっと遠いね。ここからの頑張り次第かな~」

「誰目線なんだよ」


 呆れた声で返すと、星鳴は得意げに腕を組んだ。


「恋愛強者」

「急に強く出るな」

「彼氏、いるので」

「うわっ」


 言い切った星鳴を見て、俺は深いため息を吐いた。幸せトーク。普段なら何も思わないのに、今日は胸がやけにささくれ立ってしまう。


 話は終わりだと、俺はベースアンプの前に戻り片付けを再開しようとした。


 手が思うように進まず、スマホを取り出し画面を開いた。紫乃とのトーク画面には、昨夜送ったメッセージが既読をつけないまま残っていた。


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