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『首、絞めて』——それが紫乃の存在証明  作者: さかいかさ


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「あきと、また明日」


 立ち上がった紫乃は小さく手を振って、扉の方へ歩いていく。扉を開けたところで、惜しむように振り返りもう一度手を振った。


「ああ、また明日」


 俺も手を上げて応えた。


 昼ごはんを食べる約束をしたあと、俺が渡した本の話をしていたら、あっという間に最終下校時刻、十分前を告げるチャイムが鳴った。


 紫乃の姿を見送った俺は、硬い背もたれに身体を預けて天井を眺めた。


 特に代わり映えのない白い天井。ところどころに黄色い染みや塗装の剥がれがあって、よく言えば趣がある。まあ、普通に見たらボロい。


 俺は考えていたことがあった。


 葛城まふゆと出会ったのは日曜日だった。出かけるのが日曜日になったのは、俺が『風水的に——』なんて理由にもなっていない理由を持ち出したからだ。


 もし、紫乃の言った通り土曜日に行っていたら、葛城とは会わなかったかもしれない。


 見方によっては、俺の不用意な発言のせいとも言えるわけで。


 いや、分かっている。


 こんなことを考えている時点で思考は道を外れている。水族館へ行く日を決めたことと、偶然、本屋で会ったことを結びつけても意味はない。


 けれど一度考え始めると、堰を切ったように同じところをぐるぐると回ってしまう。


 同じようなことで、知らないうちに紫乃を傷つけているんじゃないか。そんな考えがずっと頭の片隅に潜んでいた。


 考えないようにしていただけ、なのかもしれない。


 紫乃の見た目は、どう考えたってかわいい。


 紫乃を好きだという事実を差し引いても、かわいい。駿佑が前に、「二年のビジュアル担当は成瀬さんと榊の二枚で回してる」と言っていた。


 本人に聞かせたら何を回しているんだ、と真顔で聞かれそうだが言いたいことは分かる。


 整った顔。白い肌。眠たげな目。短い黒髪の内側に入った紫。細くて長い手足。水族館の日だって、服も髪型も似合っていた。見た瞬間にそう思った。結局、口には出せなかったけど。


 見た目で勝手な『成瀬紫乃』を作られてきた紫乃は、俺がその見た目を好ましく思っていることを嫌に思ったりしないだろうか。


 葛城の言葉を嫌だと言った。けれど、俺だって紫乃の顔をかわいいと思っている。


 違うのは、それだけじゃないということだ。


 変な本が好きで、音楽が好きで、ちょっと変わった感性を持っている。意外と表情が豊かで、クラゲを見たときは目を輝かせて、姉のために土産を買って。俺の適当な冗談も拾ってくれる。


 そこまで並べて、胸の奥に引っかかるものがあった。


 それも結局、俺が見つけた特徴を並べているだけじゃないのか。葛城たちが作ったものとは違っても、俺も俺に都合のいい『成瀬紫乃』を作っているだけなんじゃないのか。


「……分からん」


 声に出してみても当然、答えは返ってこない。古い空調の音に混じって、最初からなかったかのように溶けていくだけ。


 分からないなら聞けばいい。外からなら、なんとでも言えるのだ。自分事になった途端、それがいかに難しいか思い知らされる。


『俺、お前の顔かわいいと思ってるけど嫌か?』なんて気持ち悪い確認、どう聞けばいいんだ。ツイッターに晒されても文句は言えないレベルだ。


「まあ、そもそも——」


 どう思うかを聞く前に、俺の中で整理するべき問題な気もした。


 考えは何もまとまらないまま、カバンを持って立ち上がって視聴覚室の照明を消した。そろそろ最終下校のチャイムが鳴る頃だ。


 そういえば、紫乃はSNSは——やってるわけないか。LINEすらやってなかったんだ。スマホを見せてもらったときを思い返してみても、それらしきアイコンはなかった。


◇ ◇ ◇


 家に帰り、部屋着に着替えてベッドへ寝転がった。スマホを開くと、駿佑から個別にメッセージが届いていた。


 駿佑:『明日六時から取れた』


「ああ、明日か」


 この前した水曜日の約束。


 場所は大通り沿いにあるスタジオだ。学校にスタジオがあるとはいえ、毎回そこを使えるかと言えば、他のバンドとの兼ね合いもある。


 なので、学校外のスタジオを利用することも珍しくない。


 個人練の予約は前日から受け付けているところがほとんどなので、今日の連絡になったのだろう。となると、明日はベースを学校まで持っていかなければならない。


 正直、少し面倒だ。バンドや駿佑と個人練に入るの自体は億劫じゃない。


 ただ気温も少しずつ上がってきてジメジメした中を、四キロ以上ある物体を背負わなければいけない。エフェクターボードを持てば重量はさらに増す。それが、ちょっと嫌なだけ。


 明日は紫乃と昼休みに会う約束をしている。放課後については約束していない。けれど、いつも通り視聴覚室へ行くのだろう。


 紫乃とのトーク画面を開く。


 秋斗:『明日、早めに帰るかも』


 送ってから文章を見直すと、我ながら曖昧だ。


 紫乃:『ん。お昼、待ってる』


 返事はすぐに来た。メッセージと共に、謎に踊るクラゲのスタンプも続けて送られてくる。


 それだけで明日の昼休みが急に具体的な予定になった。紫乃が視聴覚室で待っている。俺も弁当を持って、そこへ行く。放課後じゃなく、昼休みに。


 画面を眺めていると、今日、紫乃が途中で口にしたことを思い出した。


 五時に紫乃が、曲を聴き始めたときのことだ。今日はamazarashiではなかった。最近、よく聴いているバンドがあると、その曲を再生した。


 まだマイナーなバンドらしいが、どこかで聴いたことがある気がした。どこかのネット記事かストリーミングのランダム再生かもしれない。


 スマホで公式サイト、配信ページ、ネット記事を見ていく。中央でマイクを握るボーカル。その横で、俯きながらベースを弾く男。


 記事によると、楽曲はベーシストが作詞作曲の大半を担当しているらしい。配信ページを開き、適当に再生してみる。タイトルは『負け犬は、なにものにもなれず』。


 その曲は青春の一ページ。好きな女の子の横顔を、遠くから眺め続けるという内容だった。他の曲も、そういう雰囲気の曲が多い。


 紫乃がどうして、このバンドを好きなのか。歌詞なのか。声なのか。それとも、俺が気づかなかった別の何かなのか。


 分からない。紫乃を見ているつもりで、俺が見たい紫乃だけを見ているのかもしれない。その疑問も消えなかった。


 それでも、リピート再生をタップした。紫乃が好きだと言ったものを、もう少し聴いていたかったから。


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