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「——あきと?」
俺が考え込んでいると、紫乃が不思議そうに顔を覗き込んでいた。
「ああ」
顔を上げると紫乃と目が合う。紫乃の頬には朱が差していて、目が合った途端、恥ずかしそうに目を伏せた。それでも制服の袖を掴む手は離れない。
話す分には問題ない。
けれど、ふとした瞬間に目が合ったり意識したりすると、急に落ち着かなくなる。
俺が視線を彷徨わせていると、
「……あきと?」
今度は声音に不安の色を混ぜ、問いかけてきた。
「ああ、悪い。ちょっと国の未来を憂いていた」
「総理大臣なる?」
紫乃はこういう「どう考えても俺が適当に答えたであろう」ことも、ちゃんと拾ってくれる。それが、温かくて、気恥ずかしくて。
「全国民から——いや、もうちょい……人は選んだほうがよくないか?」
反射的にRADWIMPSの歌詞を口にしそうになって、言葉を止めた。今の心境で口にするには、使える歌詞がなかった。
紫乃は俺の顔をじっと見つめたあと、首を傾げた。
「だめ?」
「だめというか……荷が重いだろ」
「そういう本ある」
「高校生が総理大臣になる本?」
「ナマケモノがなる」
「……紫乃の中で俺ってどう見えてるわけ?」
すぐに返答が来るかと思ったのだが、紫乃は思いのほか時間をかけて悩んでいた。
やがて、「……すらいむ?」と曖昧に答えた。
「す、スライム……? なんで?」
予想外の回答に困惑している俺を見て、くすっと笑う紫乃。どうやら、理由を説明する気はないようだ。声からは、さっきまで浮かんでいた不安そうな色は消えていた。
相変わらず俺の袖を掴んだまま。それが、今は心地よかった。そこから紫乃と繋がっているような気がして。
「——そうだ、本読んだ」
話が一段落したところで、カバンから紫乃に借りていた『火曜日の海には骨が降る』を取り出した。
表紙には白い砂浜と、打ち上げられた傘が描かれているミステリー小説だ。「青春小説です」みたいな顔している。けれど、読み終えたあと爽快感なんて欠片も残っていなかった。
紫乃の瞳がわずかに輝いた。
「どうだった?」
「かなり面白かった……色んな意味で」
「ん。イチオシ」
紫乃は満足そうに小さく頷いた。
主人公の男は刑事で、その幼なじみの女性が犯人のミステリー。心の奥底で人に愛されることを切望していた彼女は言葉巧みに他人を操り、たくさんの人を破滅に追いやった。
最終的に主人公と共に業火の中で命を絶ち、遺灰は海へ撒かれるという話だ。正直、紫乃が渡して来た本の中では、ストーリー展開がすんなり飲み込める作品だった。
紫乃はしばらく俺を見つめていた。やがて袖を摘んでいた指を動かし、今度は布越しに俺の腕を握って小さく笑った。
「ん」
その顔を眺めながら、ふと思い出す。昼休みに考えていたことを。
「そういや、紫乃っていつも昼はどこで食べてるんだ?」
「……? ここ」
「昼もここにいるのか?」
「ん」
昼休みに教室にいなかった紫乃。まさかここへ来ていたとは。考えてみれば可能性はあった。けれど、どうもここは「放課後の場所」という感じがして、無意識のうちに選択肢から避けていた。
「一人?」
「ん」
視聴覚室の長椅子に座り、一人で昼を食べている紫乃を想像する。放課後だけではなく、昼も紫乃と話せたらいいと思った。
「弁当?」
「ん。お姉ちゃんが」
「朝から作ってるのか……溶けてるのに」
雨宮先生が面倒そうにレシピを見ながら、紫乃の弁当を作っている姿を想像した。話を聞く限り、ギリギリまで布団に籠もっている俺側の人間なのだが。
「朝は、ぎりぎり固まってる」
「氷みたいだな。あ……あのさ——」
言うと、紫乃がこちらを見つめてくる。俺は視線を逸らして、前にある上げ下げできる黒板を見つめながら続けた。
「よかったら今度、一緒に食べないか?」
「……ごはん?」
「うん」
放課後は何度もここで過ごした。出かけたときも一緒に食べた。けれど、学校の昼休みを二人で過ごしたことはない。
「嫌なら別に——」
「嫌、じゃない」
言い終えるより早く答えが返ってきた。紫乃は俺の腕を握ったまま、身体ごとさらに身を寄せてきた。触れ合っていた感触がさらに強くなって、制服越しに紫乃の熱が伝わってくる。
桔梗の香水とシャンプーの香りが交ざって、鼻腔まで届く。
「明日、ここ?」
「ああ」
「絶対?」
至近距離で紫乃は見上げてくる。
「……国の未来が危機に陥らなければ」
「辞任して」
「早すぎてツイッターで叩かれちゃうだろ」
「ん」
紫乃は顔を伏せてしまったが、垂れた髪の隙間から覗く横顔の口元は隠せていなかった。頬もさっきより赤く染まっている。
「明日、待ってる」
紫乃はうつむきながらいつもより少しだけ高い声で言った。袖を掴む指先が、嬉しさを堪えるように揺れていた。




