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家に帰って制服のままベッドへ仰向けに倒れ込んだ。天井を見上げながら、今日の出来事を何度も思い返す。
葛城のことを話してくれた紫乃。くらさぶろうと並んで吊るされていたキーホルダー。俺の手を取って、自分の首へ触れさせた紫乃。そして、扉を開けたときの先生——紫乃の姉の表情も、同じくらい残っていた。
「まあ……そうよなぁ」
傍から見れば、男子生徒が女子生徒の首に手をかけていたわけで。言われるまで、誰かに見られたときのことを考えていなかった。
首筋に手を置いたとき、紫乃は安心しているように見えた。少なくとも俺には。紫乃が求めて、危険でなければ問題ないだろうと、そう思って。
「……紫乃」
右手を持ち上げ見つめる。紫乃の首筋に触れた指先。紫乃の脈拍がまだ指先に残っている気がした。昨日は冷たかった紫乃の手が、今日は微かに温かかった。
スマホを取り出すとペンギンが揺れた。今も紫乃のカバンの内側で、同じキーホルダーがくらさぶろうと並んでいるのだろうか。
俺は紫乃に「分かりたい」と言った。でも実際には、まだまだ知らないことばかりだ。紫乃のことを知り始めただけなのに、一番近くにいるような気になっていたのかもしれない。
最後に見えたのは、紫乃の隣へ座る先生の姿だった。姉妹でどんな話をしたのだろう。帰り道でも、そのことばかり考えていた。
「後日、か」
後日話そうという紫乃の姉の言葉が残っていた。あの人は、俺の知らない何かを知っているような顔をしていた。それは当然なのだが。
過去を痛むような表情にも見えた。
あれが何を意味しているのか、考えたところで分かるはずもない。分かるのは中学のころ、周りから勝手な『成瀬紫乃』を作られていたことだけ。
それと「首、絞めて」がどう繋がるのか。結局、そこまではまだ分からなかった。
そのときだった。
「っ!」
スマホが震え、画面が明るくなって通知が表示された。紫乃からだろうかと、思わず身を起こして画面を見ると、
伊織:『青炎用、一曲目のデモです。こんな感じでどうでしょうか』
バンドのグループトークだった。メッセージに続けて音源と、歌詞ファイルが添付されていた。
なんかこんなこと前にもあったな、と思いつつ俺は机からヘッドホンを取った。装着し、歌詞カードを見ながら音源を再生する。
歌詞カードに付けられたタイトルは『閃光未満』。
控えめなギターに、打ち込みっぽい音色のドラムが重なる。とぼとぼと深夜の住宅街を歩いているようなAメロ。伊織の歌声はスマホで録ったものらしく、音質は決して良いものではなかった。
まだ光と呼べないものが、それでも夜の中を彷徨いながら走っていく。真っすぐなのに陰鬱さがあって、息苦しい歌詞。それが、らしいなと素直に思ってしまった。
込められた昏さがサビに入った瞬間、軽いざらつきを帯びた芯の強い高音と共に、耳の奥へ真っすぐ突き刺さってきた。いわゆるラスピー系のハイトーン。改めて聴いても、いい声をしていると思う。
「……良いな、これ」
聴き終えると、今すぐにでも深夜の真っ暗な浜辺を走り出したい。そんな気持ちになった。一刻も早くこの想いを伝えたいと、人生最速でトーク画面を開いた。
秋斗:『いい曲だと思う。なんというか、息苦しい』
星鳴:『やっぱり伊織ちゃんの隠された陰湿さっていうの? それが滲み出てるよねっ。伊織ちゃんって基本、根暗だからねー』
送信するとすぐに反応があった。伊織ではなく星鳴から。ケラケラと笑うカニのスタンプを添えて、なかなかパンチのある返信だ。
伊織:『星鳴、明日のおやつ抜き』
星鳴:『え……後生ですけぇ……それだけは……』
泣きわめくカニのスタンプを星鳴が送ると、『ダメです』と腕を×にしたカニのスタンプを伊織が送った。
…………。
……こいつらスタンプまでお揃いのモノを使っているのか。というかおやつってなんだ。もしかして二人で放課後ティータイムとかしてるのか?
怖いくらい簡単にその光景を想像できた。
そんな感じで呆れつつもちょっとおもしろい二人の応酬を数ラリー見守っていると、
健太:『いいね。アレンジどうする?』
健太も……なかなかすごいな。流れを完全に無視して突っ込んでいったぞ。特攻隊長だな。
伊織:『いったん、各自好きにいじってください。ぶつかりそうなところがあれば、すり合わせていく感じで』
健太:『けー』
これは了承の意だ。健太は返事によくこの言葉を使う。
俺もスタンプを送ろうとして、止まった。
送ろうとしたのはクラゲが親指を立てているスタンプだ。なんとなく、LINEを交換した日に紫乃が、クラゲのスタンプを見つめていたときの顔を思い出す。
駿佑:『俺の見せ場を増やしてください。スティック回し出来ます』
星鳴:『まず時間通りに来てくださーい』
駿佑:『音楽に遅刻はない』
星鳴:『ちょーあるよ』
くだらないやり取りだと思った。けどこういうやり取りも悪くないと、画面を眺めながら自然と口角が上がっていた。
俺もクラゲじゃない別のスタンプを送って了承の意を示し、スマホを置いた。
クラゲ以外のスタンプにしたことにべつに深い理由はない。べつに、紫乃とのやり取りだけで使いたいとか、そんなことは一切思っていない。
……思っていない。
「……やるか」
気持ちを切り替えるように呟いて、ベースをスタンドから取る。机の上に置かれた、こういうときにしか使わないノートPCを開いた。
ベースと機材とPCを繋ぐと、あっという間に簡易的な宅録セットの完成だ。
音源を再生する。
「……ここ、変えたいな」
仮音源のベースは、ほとんどルートをなぞっている。
悪くはない。けれど、このままだとサビのギターとボーカルに押し潰される。二番へ入る直前も、もっと一度落としてから持ち上げた方が気持ちいい気がした。
紫乃のことは気になる。姉と何を話したのか。「また明日」と言ってくれたけれど、明日も視聴覚室へ来るのか——気にならないわけがない。
けれど、そればかり考えているわけにもいかなかった。伊織たちと大会に臨むと決めたのは俺だ。伊織に協力してほしいと言われて、やると答えた。
だったら、ちゃんと仕上げるのが筋だ。
それに……数日前に、俺がライジングサンに出たら紫乃が見に行くと話したことがあった。
ライジングサンとはいかなくても、決勝のステージに立ったら紫乃は見に来てくれるだろうか。なんて考えがよぎってしまう。
べつに、好きな女の子にいいところ見せたいと思うのは当然なわけで。モチベーションの源泉はたくさんあったほうがいいわけで。
なんて言い訳を交えつつ、音源を何度も巻き戻す。
Aメロは音数を減らし、ドラムのキックへ合わせる。Bメロから少しずつ前へ出て、サビではボーカルを引き立てるように。
サビ前のブレイクには、ゴーストノートを入れてみた。
「違うな」と首を傾げては、弾き直す。「こっちの方が——」と唸りながらまた録る。弾いては止め、録音しては、聞き直す。
それを繰り返して——
「秋斗! お風呂!」
突然、耳元で響いた大きな声に、俺はビクリと肩を跳ねさせた。
振り返ると背後には母がいて。
俺の頭から取ったヘッドホンを持ちながら眉をひそめているところを見ると、どうやら何度も声をかけたようだった。
スマホで時間を確認する。気がつくと、二時間ほど経っていた。そんなに経っていたのか……まだ三十分くらいかと……。
「あ」
LINEのメッセージが来ていることに気づいた。一時間ほど前。紫乃からだった。
紫乃:『あきと。今日はごめんね』
届いたメッセージを見つめた。何に対して謝っているのだろう。姉が来たことか、俺が帰らされたことか。それとも、首に触れてほしいとお願いしたことか。
いくつか考えて、どれも紫乃だけが謝ることではない気がした。
だからといって簡単に、「気にするな」と返すのも違う気がして。
何度見つめても、やはり何と返すべきかは分からない。けれど、「また、明日」があることだけは決まっている。
だったら。
秋斗:『明日は珍味本の話、しような』
送信するとすぐに既読がつき、親指を立てたクラゲのスタンプが一つ返ってきた。それだけで、胸の奥に入っていた余計な力が少し抜けた。




