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『首、絞めて』——それが紫乃の存在証明  作者: さかいかさ


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 先生は状況をうまく飲み込めないのか、困惑を浮かべていた。


 一方の俺も俺で、同じくらい困惑していた。


 この状況を目撃されたこともそうだし、いきなり紫乃が「お姉ちゃん」とか言い出すし。話に出ていた紫乃の姉がこの人、ということだろうか。


 確かによく見ると、目元が紫乃に似ている気がする。なんて余計なことを考えていると、


「——とりあえず、手を離してくれないか?」


 先生は紫乃に似た低めの声で言った。怒っているわけでも、咎めているわけでもない平坦な口調。なのに大人に言われたという事実だけで、俺が勝手に身を固くしてしまっていた。


「……はい」


 紫乃の首筋からゆっくり手を離すと、俺の手を握っていた紫乃の指先がそのまま制服の袖口を名残惜しそうにつまんだ。


 俺が手を引くと制服が少しだけ引っ張られて、紫乃の指先はするりと離れてしまって、急に距離ができたような感覚がした。


 その様子を見届けた先生は俺と紫乃を交互に見たあと、視聴覚室の扉を閉めた。


「それで——」


 そこまで言って、入り口前に立ったままだと俺たちと距離があると思ったのか、先生は少し距離を詰めてきた。


 近づきすぎない辺りで立ち止まって、


「君たちは、何をしていたんだ?」


 ただ、見たものを正確に把握しようとしているような声音で尋ねてきた。


「…………」


 どう答えればいいのだろう。紫乃がここにいることを確かめるため。それはたぶん事実なのに、言葉にすると意味が分からなくなりそうで。


「私が、お願いした」


 先に口を開いたのは紫乃だった。じっと先生を見つめながら、迷いなく言った。


「……紫乃が?」

「ん。首、触ってって」


 紫乃がなにごともなかったかのような平坦な声で言うと、先生が微かに眉をひそめた。


「どうして、そんなことを?」

「確かめて、もらってた」

「確かめる?」

「私が、ここにいるか」

「……紫乃」


 先生の視線が迷子のようにふらふらと紫乃の首筋へ向かい、それから俺をちらりと見た。


 部屋に沈黙が降りる。


 先生は何を言うか迷っている様子で。


 なんだろう。やっぱり家族だからか、話し方から俺の知らない紫乃を知っている気がして。嫉妬……とは少し違うなにかが、じわりと滲んできた。


 先生が次に水を向けてきたのは、俺だった。


「君は……紫乃と同じ二年か?」

「はい。二年B組、瀬戸秋斗です」


 俺のネクタイの色を見ながら、昇降口で交わしたようなことを尋ねてきた。関わりがないので俺の名前を知らなさそうだったので、一緒に名乗っておいた。


「えっと……」


 こちらも先生の名前が分からなかった。紫乃の姉なら苗字は「成瀬」だろうけど。成瀬先生なんて、いただろうか?


 先生の名前を聞こうとするより先に、次の問いが飛んできた。


「瀬戸くん。以前にも、こういうことはあったのか?」

「…………。首を絞めるのはできないから、触るだけならって」

「首を、絞める?」


 途端、先生の声に鋭いものが混じった。しまった、大人に詰められて余計なことまで言った気がする。けれど、出した音はもう戻らないわけで。


「紫乃」

「ん」


 名前を呼ぶ声は教師が生徒を注意するものよりも、もっと温かかった。それだけで、紫乃のことを大切に想っていることは伝わってきた。


 紫乃を見やると、気まずそうに先生から目を逸らしていた。さっきまで晴れていた表情が、叱られた子どものように少しずつ沈んでいく。


 紫乃は俯いたまま、


「でも、あきとはしなかった」


 小さく、けれどはっきりと聞こえる声で呟いた。


「そういう問題では——」


 先生は言いかけて、一つため息を吐いた。怒りを押し殺したというより、何から話すべきか整理しているように見えた。


 その顔を見て俺はようやく、二人が姉妹なのだと実感する。目元も、すっと通った鼻筋も、スラリとした体型も、似ていると言われれば似ている。


 けれど、先生の瞳は眠たげには見えなかった。こちらの言葉も紫乃の小さな動きも、一つも見逃さないような鋭さがあった。


「瀬戸くん」

「はい」

「君を責めるつもりはない。紫乃が頼んだという話も、今はそのまま受け取る」


 今は。その言葉が妙に耳へ残った。


「ただ、首は触れ方一つで危険になる場所だ。それが、他人からどう見えるかは、分かるだろう?」

「……はい」


 何も言い返せなかった。俺は絞めていないし、紫乃も分かっている。けれど、先生が扉を開けた瞬間、事件にしか見えなかったのも事実なわけで。


「瀬戸くん。申し訳ないが今日は帰ってもらえないか? 紫乃と二人で話がしたいんだ。後日、改めて話をしよう」

「…………」


 本当は、このまま紫乃を残して帰りたくなかった。ようやく、紫乃が少し話してくれた。首を絞める以外の方法を一緒に探そうとした。それなのに、また何も分からないまま離れる。


 紫乃を見やると、


「あきと——」


 俺を見つめる紫乃と目が合って、柔らかく微笑んでいた。水族館で見たような自然な笑みで、その顔を見た瞬間、少し肩の力が抜けた。


「また、明日」


 紫乃は小さく手を振った。


 姉妹で話すべきこともあるのだろう。俺がここにいれば、紫乃が言えなくなることもあるかもしれない。


 紫乃はまた明日と言った。なら、明日がある。


 机に置いたままのスマホをポケットにしまって、カバンを持って立ち上がる。


 紫乃は俺を見上げながら、もう一度小さく手を振ってきた。その瞳には、さっきまでの不安がまだ残っている。それでも紫乃は俺から視線を逸らさず、胸元で小さく手を振っていた。


「ああ、また明日」


 俺も手を上げて応えると、先生に軽く会釈をして視聴覚室を出た。扉が閉じる直前、先生が紫乃の隣へ座るのが見えた。


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