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「はい、おつかれさん。じゃ、解散」
黒川先生がパタンとノートPCを閉じた。帰りのホームルーム終了の合図だ。
途端、教室内が喧騒に包まれる。今日も俺の目の前を生徒の波が通っていく。
「あっ」
その中に紫乃がいて、思わず声を漏らしてしまった。
紫乃は視線を合わせることもなく、そのまま教室から出ていってしまった。この前初めて教室で目を合わせてから、一度も合わせてくれない。
それが、普通の状態ではあるんだが。
けど、一度手が届いたものを取り上げられたような。ないと言われるより、あるかもよ、と思わされる方が気になってしまう。
今日も視聴覚室に行くのだろうか。まあ、俺が通う前から行っていたし。というか、なんで紫乃は放課後にあそこにいるんだ。
またひとつ、知らないことを知った。そんなことを考えていると、
「秋斗ー、お迎えにきたよー」
ぴょこりと前方のドアから顔だけを出したのは、朝比奈星鳴だった。
顔を横にしてこちらを覗き込み、栗色のショートカットがゆらゆらと揺れている。
バンドのギター担当。小柄で人懐っこい見た目とは正反対の歪んだギターサウンドで、初めて聴いたときは、同一人物かと見比べてしまった。
「捕まるようなことはしてないぞ」
「まだ?」
「俺が罪を犯す前提なのおかしいだろ」
カバンを持って席を立つ。
教室を見回すと紫乃はもう席にいなくて——わかってるのに自然とそっちを見てしまった。
昨日、早く終われば行くと伝えてある。間に合えばそのまま向かえばいい。
視線を切って、本来探すはずだった駿佑の姿を探すと。
「見て。新技」
教室の後ろの方で、男子数人で固まっていた。謎のパントマイム的な技を披露して笑いを取っている。
「いくか」
「うん」
俺は見なかったことにして教室を出た。廊下に出ると、横に星鳴が並んできて、
「秋斗、最近付き合い悪いんだって?」
ニヤニヤと見上げながら尋ねてきた。小柄な星鳴が隣に並ぶと、上目遣いを越えてがっつり見上げる形になる。
「そんなことない」
「彼女出来たら報告する約束でしょー」
「残念なことに報告することがないんだ。言わせんな」
「ほんとかなぁ?」
そこで、なぜか紫乃の顔を思い出してしまった。今ごろは、視聴覚室で本でも読んでいるのだろうか。
「それよか、今日楽器いるのか?」
星鳴はギターを背負っていた。黒いお高めのソフトケース。
チャックに星のストラップがついているのを何度も見ているので、ひと目で星鳴のだと分かるようになってしまった。
けれど、そのサイズがエレキギターじゃなくて、
「ん? あーこれは後で伊織ちゃんと動画撮るから」
アコースティックギターだった。星鳴と伊織は二人で動画を投稿している。顔も姿も出さず、見えるのは、ふざけたカニとワニの仮面だけ。そんな絵面を掲げ、歌とギターの巧さで殴ってくるチャンネル。登録者もそこそこいるらしい。
「そっちか。調子いいみたいだな」
「ぼちぼち。女子高生を押し出したらもっと伸びるって言ってるのに伊織ちゃんが首を縦に振ってくれなくてー」
星鳴は昇降口で靴を履き替えながら、唇を尖らせ言う。
星鳴はA組、俺はB組。こういうとき下駄箱が近くて助かる。クラスが離れると靴の履き替えで一度、話が止まる。
星鳴なら関係ないが、あまり話したことない相手だと若干気まずいのだ。
「それは……榊が正しくないか?」
「えー、でも来月だって新しいエフェクター出るし……女子高生はお金がかかるんだよ? 伊織ちゃんちはお金持ちだからそれが分からんのですよ」
「すごい。エフェクターと女子高生になんの関連もない」
「御茶ノ水の女子高生はみんなエフェクター欲しいって言ってるよ?」
「……お前ら、いつか解散しそうだな。音楽性の違いを理由に」
「繰り返される諸行無常——そのときはそのとき」
「ロックすぎるだろ」
「でしょー?」
そんなことを言っているうちに昇降口を抜け、部室棟にたどり着いた。
その一角には軽音部の部室がある。部全体で使うのは学期に数回の定例会だけ。あとは部員が話し合いをするときとかに使われている。
扉に手を掛けると思った通り、鍵は開いていた。
「お疲れ様」
部屋には榊伊織がすでにいて、扉を開けると彼女は顔を上げ穏やかに微笑んだ。
「お疲れさん」
「伊織ちゃん、おつー」
俺たちは挨拶を交わし、それぞれ椅子に腰を下ろした。部室の隅に置かれた丸テーブルを囲む形だ。
「あ、伊織ちゃん今日なんだけど——」
二人がこの後の打ち合わせを始めたので、俺はスマホを眺めつつ背景に徹した。
検索画面に【クラゲ 種類】と入れ、検索してみたりする。
へー、山形にクラゲ世界一の水族館なんてあるんだ。紫乃は知ってるのだろうか。なんてクラゲ情報を収集し、そこそこ楽しく時間を潰していると、
「お疲れー」
部屋に入ってきたのはキーボード担当の畑中健太だった。各々が挨拶を返していると、
「いやー、遅れて申し訳ない。実は道端でご老人が——」
駿佑がどこかで聞いたことのある嘘を言いながら駆け込んできた。伊織はなにか言いたそうに駿佑を見やり、
「全員揃ったわね」
全てを飲み込んだかのようにそれだけ言った。
◇ ◇ ◇
「これに出たくて」
榊がそう言ってスマホを机に置いた。全員でそれを覗き込む。
「あーこれ、十代限定のやつだろ」
「去年、優勝したバンドがそのままメジャー行ったやつ」
駿佑が反応し、健太が続けた。
画面には、十代限定音楽大会『青炎』の募集要項が表示されていた。音源審査を通過すれば地区ごとのライブ審査。
そこで勝ち残った数組が本戦のステージで演奏できるらしい。
伊織は背筋を伸ばしたまま俺たちを順番に見回して、
「高校にいるうち、一度は本気で大きい場所を狙いたくて」
いつもの強い目だった。切れ長の瞳に強い信念が宿っている。誘われたときも、榊は同じ目で「一緒にバンドやらない?」と言っていたことを思い出す。
「なるほど、だからこのメンバー」
星鳴は合点がいった様子で判を押すようにポン、と手のひらを叩いた。それから「私はやってもいいけどー」と他のメンバーを見回す。
「締め切りは?」
「三週間後。二曲出す。私が作るから」
俺が聞くと、伊織は即答した。
「だから……協力してほしい」
伊織が拳をぎゅっと握り締め言った。
別にここで良いよと言うのは簡単だ。高校の思い出づくりとして楽しむ。そういう事もできるだろう。けれど伊織の瞳が見据えるのは、明らかにそこじゃない。
もっと上の——
「ま、いいんじゃね? こういうの、やるなら高2が最後のタイミングだろ」
「確かに。やってもいいんじゃないか?」
駿佑がさらっと言うと、それに健太が続いた。
俺は。
「まあ、俺はどこまでできるかわかんないけど……やるか」
「ありがとう。よろしくお願いします」
全員が参加の意思を示すと、伊織は深々と頭を下げた。
◇ ◇ ◇
それから曲、アレンジ方向、練習日程。話し始めると決めることはいくらでも出てきた。
伊織がギターを持つ場合は、星鳴との音の住み分けも必要になる。
気づいたころには、窓の外は薄暗くなっていた。
「じゃ、今日はここまで。次回のスタジオは軽音部のライブの方の練習をしましょう」
各々が頷いて了承を示すと、伊織はノートを閉じた。
「ふー、あっという間だったな。じゃ、俺帰るわ」
健太が立ち上がって去っていった。
いつも一番に帰るのは健太だ。初めのころは集まりが嫌で帰りたがっているのかと思ったが、単純にそういう性格なだけのようだ。
その証拠に、先の話し合いでは積極的に提案や異議を挟んでいた。
俺も帰る支度をしようと、片付けをしていると。
「ねえ秋斗、ちょっと恋愛相談が……」
星鳴が椅子をとなりに寄せ、すすすっと近づいてきた。
「……相談相手、間違えてないか?」
「秋斗って彼女いない歴イコール年齢のくせに、そういうの冷静そうじゃん」
「相談と言いつつ、いきなり刺してくるな」
俺のツッコミはなかったかのように、星鳴は机に頬杖をついて話し始めた。
「別の学校にね、好きな人がいるんだけどさ。優しいんだよね」
「いいやつじゃん」
「でも……さ、もう一歩来てほしいときもあるでしょ?」
そこで、紫乃の顔が浮かんだ。昨日、袖を握ったまま俯いていた横顔が。
「本人が言いたくないなら、待つしかなくないか?」
「うーん……やっぱり秋斗って、たまにめっちゃ壁あるよね」
「……そうか?」
「踏み込まないっていうか。あ、別に悪いってわけじゃないけど」
星鳴はそう言って立ち上がり、「じゃあ私、帰るね」と笑った。
そのとき、ポケットの中でスマホが震えた。
画面を開く。
紫乃:『あきと、来ない?』
時計を見ると最終下校時刻まで、もう十分もなかった。
早く終われば行く。約束はできない。
そう伝えていた。だから連絡しなくてもいいと思っていた。けれど紫乃は、俺が来るかもしれないと思ってずっと待っていたのだろうか。
秋斗:『ごめん。今日は行けない』
送信すると、すぐに既読がついた。けれど、返事はしばらく来なかった。やがて表示されたのは、短い一言だけで。
紫乃:『そっか』




