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ばっと顔を上げたリリーは、色々な感情が綯い交ぜになったしわくちゃな表情をして、リゼと視線をぶつけた。
「それが最善だとジェイドが判断した。その事実は覆らないわ」
迷いのない目をしていた。憐れむでも負い目に思うでもなく、リゼはジェイドの行動に納得しているし、信じている。
「なんでそんなこと」
「もっと多くの命を助けるためよ」
「おおくのいのち?」
「スタンピードを止める。そのためには多少の犠牲も仕方がない。一を捨てて百が助かるなら、私でもそうするもの」
理屈の上ではそうなのだろう。
命の価値がすべからく等しいならば、裁定の天秤はより多くの命が助かる方に傾けるべきである。
ジェイドがいつから準備をしていて、どれだけの葛藤を乗り越え選択してきたのか、リリーには想像の予知すらなかった。
でも、だからといって、一部の人たちに不幸を押し付けていいわけがない。
大切な人たちが悲惨な目に遭うことを許容できるわけがない。
それらを知ってしまったら、その犠牲を受け入れてしまったら、生きてきた過去と紡いでいく明日を、どうして喜べるというのか。
「リゼは知ってたの?」
「どれのこと?」
「全部」
「知らないわよ、って言っても信じてもらえないでしょうけど。
少なくともレオンのこととか、リリー関連のことは何一つ聞いていないわ。
教えたら未来が変わるからって、ジェイドは滅多に教えてくれないの。
特に、大局に影響する要素については、一人で全部背負ってる」
「なんで教えてくれないんですか。そんなにすごい力なら、みんなに共有して、みんなで対処すれば、もっといい未来も選べるんじゃないですか」
即座に噛みついてくるリリーに、リゼは首を横に振って答えた。
「未来はちょっとしたことで変わるの。
教えたとして、必ずしもいい結果になるとは限らない。
いえ、それどころか、勝手に動かれてよくない方に決定されたら取り返しがつかないのよ。過去は変えられないから。
望む結果を手にするならむしろ、不確定要素は少ない方が効率的でしょう」
「そうですけど……それなら全部、ちゃんと、助けてくださいよ」
押し殺した感情からわずかに溢れ漏れ出した、リリーの悲痛な叫びにも似た声は、触れれば砂と崩れてしまいそうなほどに震えていた。
その返答を予測、あるいは期待していたように、リゼは小さく溜め息を吐いた。
「そうね、今のは全部ジェイドからの受け売り。ここからは私個人の感想よ。
ジェイドの力を知れば、今のリリーみたいに考える人が出てくるでしょうね。
というより、そうなる人がほとんどかもしれない」
未来を見る、見て選択できる。たしかにその力は絶大だ。
選択の全てを委ねてしまうのも無理はない。
それに例え望まぬ結果になろうとも、任せるという判断を下した事実は残る。
だが、世の中は必ずしもそう誠実な人間ばかりではないのだ。
手の及ばない範囲や干渉しなかった過去について、あるいは自身の不幸の全てをジェイド一人のせいにしてしまえる。
するかしないかではない。できてしまえることが問題である。
心の弱い人間、発想が貧相な人間、卑屈で卑怯な人間、絶望した人間。
そういった人たちが、自らの行いの全てをジェイドに転嫁する。
『お前のせいでこうなったんだ』『責任を果たせ』と。
まるでその光景を見てきたとでも言うみたいに、リゼは表情に翳を落とした。
「王弟が反乱の罪で処刑される最後の言葉、知ってる?
『お前のせいで失敗したんだ。お前さいなければ、お前さえ生まなければ』
最後まで恨み節を唱えて、死んでいったわ」
リリーは息を呑んだ。実の父に存在ごと否定される。その境遇をリリーは知っている。それと同じことが、ジェイドには何度も降りかかってきていた。
ふと、ダズの言葉が思い返される。
『過去は乗り越えるものじゃない。未来へ背負っていくものだ』
自身の過去でさえ、一人で背負いきることが困難であることを痛感したリリーにとって、その他大勢のそれを背負わされることがどれほどの重圧か、推し量ることさえままならない。
まして過去だけでなく、未来さえ背負って立つことが、どれほどの覚悟と信念を必要とするのか、考えただけでリリーは胸が締め付けられる思いだった。
「リリー、この際だから教えておくわね」
リリーはいつの間にか逸らしていた目を再びリゼに向け直した。
「あなたがスタンピードを止める鍵になる。ジェイドはそう言っていたわ」
「私が、ですか?」
「ええ。街が、国がなすすべもなく滅んでいく様を何度も繰り返して、どれだけ手を尽くしても変えられなかったその未来が、あなたとの出会いで一変した。
そのことを話してくれた時のジェイドの嬉しそうな顔は、忘れられない」
突然のことにどう反応していいか分からず、リリーは「私が?」と言葉を反芻するばかりだった。
「これだけは覚えておきなさい。
たしかにジェイドは色々な未来を見てきたし、選択してきた。
でもね、未来を選ぶ権利は、あなたにもあるのよ」
「あたしには?」
「さあ、どうかしらね」
ニーナの合いの手をさらりと躱したリゼは、目元を綻ばせて微笑んだ。
「それと覚悟なさい。権利を行使するなら、責任を負うことを」
「それは、分かってます」
「そう。それならもう言うことはないわ」
リゼは言って立ち上がると、「そろそろ寝なさい。明日に響くわよ」と残して去って行った。
「あたしも寝ようかな。リリーはどうする?」
「私は、もう少しここにいます」
「そっ、ならほどほどにね。おやすみ」
「おやすみなさい」
ニーナが去るのと入れ替わるようにして、月がひょっこり顔を出した。
夜が明けたのかと錯覚するほどに輝くその月に、未だ明けぬ夜闇の長きを知ったリリーは風と交えて嘆息し、その目に流星を落とした。
未来が見えるってのも大変ですね(小並感)。
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