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リリーが誘拐されてから七日目の夜のことである。
人々が寝静まった深夜のリビングにて、ジェイドとリゼはランプの火を間に挟んで会話をしていた。
「調子はどうだ?」
「驚くほど順調よ。順調すぎて怖いくらいにね」
傍から見れば怪しい裏取引きの現場かと思われても仕方がないくらい、暗澹とした雰囲気を醸し出されている。
だが、それに比して口調は明るかった。
昔からの付き合いの二人は時折、どちらからともなく、劇中に入り込んだような空気を作り、それを楽しんでいる。
「具体的には?」
「そうね、文字の読み書きは簡単なものならできるようになったわ」
会話の内容はリリーの学習状況についてだった。
リゼが話した通り、リリーはすでに絵本に出てくる程度の文章なら読めるようになっており、短いながら文字を書いて自分の意思を伝えることも可能になっていた。
普通なら、もっと長くかかるはずであった。
特に文字を書くというのは、根気を必要とする反復作業でしか身につかないと考えられており、最低でもひと月は習得に要するとリゼは見ていた。
もちろん、長い文章を読んだり書いたりということはまだ難しい。単語のミスだって散見される。
また、習得過程においてはゼロか百かではなく、グラデーションが存在しているので、徐々に覚えていくものである。
しかし、それらをリリーは覆していた。
たった三日程度で基本となる記号、頻出単語を覚え、学習用に渡した絵本もきちんと内容を把握しながらすらすらと読めるようなっていた。
最近ではリゼが読んでいる小説や新聞などにも挑戦していたりする。
これらのことを聞いたジェイドも「最近の子ってそんなに物覚えいいのか?」と驚いていた。
「そんなわけないでしょ。レオンを見て見なさいよ」
「そう、だよなぁ」
「貴族の子にしたって、覚えの悪いのはたくさんいるわ」
リゼは過去に家庭教師をしていた時のことを思い出して溜め息を吐いた。
「それに、リリーは退廃特区で育ったんでしょ」
「そのはずだね」
「劣悪な環境でこれなら、才能よ」
「もしくは……」
「なに?」
「魔力を学習能力に使ってるとか」
「……あなた、できる?」
「試そうと思ったこともない。けど、難しいだろうな」
「そうよね。それができるなら苦労はないもの」
「まあ、勉強は分かった。他には?」
神妙な空気になりかけたところに、ジェイドが話題を切り返す。進捗は何も勉強だけに限らないのだ。
「体術はまだ教えてない。まずは健康的な体になることから」
「俺もそれに賛成。で、どう?」
「ありえないほど健康体ね。もう体力づくりに入ってもいいくらい」
「まあ、それは魔力があるからだろうな」
「その魔力を使うのはまだ難しいみたいだけど」
「こればっかりは感覚だから」
「きっかけがあればって感じかしら」
それから二、三の日常的なリリーの様子を聞いたジェイドは、「それなら」と会話の主導権を握った。
「明日、リリーを元の家に連れて行こうと思う」
リゼの目からすっと光が引いた。
眉間にしわが寄ることも、目を細めることもせず、外見的な変化は一切起こっていない。
それにも関わらず、表情には静かにかつはっきりと怒りが表れていた。
「どういうつもり?」
「そんな怖い顔すんなって。悪いようにはしないから」
「どういうつもりかを訊いたんだけど?」
「いや、なに。リリーを預かることをちゃんと伝えておこうと思ってね」
「あなた一人でよろしいのでは?」
「誘拐犯の言葉を信じる親がいるわけないだろ」
リゼは観念したように溜め息を吐いた。
「こういうのは本人の意思が重要なんだから」
「どうせ最初からそのつもりで攫ったんでしょ」
「さあ、なんのことやら」
「それで、私は付いていっていいのかしら?」
「今回は遠慮願いたいね」
「そう。なら、リリーに何かあったら承知しないわよ」
「ずいぶんと気に入ってるんだ」
「一緒に暮らせば情が湧くものよ」
「殴られる覚悟はできてるよ」
「最低ね、ほんと」
〇ストーリー要約
・リリーが誘拐されてから七日が経過した
・ジェイドへリリーの学習等における進捗を報告




