【四】-2 え、マジで?
『ナンパしたんですね……』
ストリーマーの呆れた声が通話の向こうから聞こえる。
「そうだよ。別にいいじゃない。
僕も都会の人なんだし」
『邪悪な不潔野郎だ……純愛の否定者だ……
本性を白日の下に曝け出してやる……』
「そんな、ただちょっと親しくなれそうな人とお話したくらいで……」
『超人の身体能力を悪用してオシャレナンパ決めやがった……!
これは決闘モノですよ……! 断じて許してはおけない……
人間代表としてあらゆる脅迫をし、陰キャの意地を見せてやるから覚悟していてください。
ご両親と近所のニャンコと鳩に別れを告げるがいい』
そんなことを話していると、
夜闇からけたたましい騒ぎ声が聴こえてきた。
特に何かあるわけでもないが、
人目につかないような格好をして空を飛びながら周囲を見回っていた。
まだ、ヒーローを名乗る前のことだった。
行ってみると、神社の境内で 高校生らしき少年たちが騒いでいた。
一応、出歩いているところを見つかれば補導される時間だ。
警察に連絡して、来てもらうか、直接声をかけるか。
そもそも都会っ子はこれくらいの時間でも出歩いているものなのか。
まだわからないことが多い僕は、
神社を囲む杉並木の裏から子どもたちを覗いた。
そうしていると、小柄な、見覚えのある影が神社にやって来た。
阿藤祭里だ。お昼にデートした女性だ。
デートかな? でも僕としてはデートと認識しているから……。
ここはデートということで。
何故、その祭里がこんなところに来ているのかわからないが、
決して治安が良いとは言えない状況だ。
大騒ぎしている少年たち、花火の跡、ナイフ遊び、知らないボールの玩具、
普通なら近寄るのを避けるだろう。
「おう、何しに来てんだ姉ちゃん、
逆ナンか?」
大柄な少年が一歩前に出て尋ねた。
胸を張り、顎をしゃくって威圧感を出している。
周囲を怯えさせ、拒絶しようという振る舞いだった。
「タケちゃん、放っとけよ。
辛気臭えビジュアルだから誰かを呪いに来たんじゃねえのぉ!?」
「いっそ、みんなでマワそうぜ!」
何を? 僕は首を傾げたが、その瞬間、祭里の纏う空気が変わった。
気づいたのは、この空間内では覗き見している僕だけなのだろう。
「シャアッ! ここにフライングボールがあっから──」
高校生の一人が、ボールの玩具を手に叫んだ、その時だった。
境内の中央、石畳が上下に開いた。
車庫のシャッターが開く音と酷似していた。
そこから現れたのは純白のリング。
ボクシングやプロレスで使われるあれだ。
「なんだこれ!?」
高校生たちが次々に驚く。 僕も驚いた。
まさか、神社の境内にリングが隠されているとは思わなかった。
「さあ、上がりなさい」
洋服を脱ぎ、畳んで置くと、 昼にお茶をした女性が変わり果てた姿で手招きする。
プロレスラー然とした派手な衣装。 顔には、エキゾチックショートヘアを模したドミノマスク。
阿藤祭里が高校生相手に一人、プロレスラーになっている。
…………何でだろう?
そう言えば、彼女と話していた時に、
独り言のように漏らしていたことがある。
子供の頃に少年少女が
息を呑むハラハラする危機を乗り越えるお話を読んで、
なんども夜ふかしをしていたという話題で盛り上がった時だ。
──今では、冒険はリングの上にしかなくなってしまいましたから。
舞い上がっていた頭では、
なんか格闘技観戦が好きなのかなと思い、
言われたことをまともに咀嚼できなかった。
まさか、こんな趣味を抱えていたとは……。
この時の僕は黒いパーカーにスウェットで、
動きやすさと目立たなさだけを考えた衣装だった。
対して、蛍光テープとラメで自発的に光を放っている彼女は、
光がない場所ではっきりと輪郭をアピールしていた。
最初から見ていなければ、 僕でも同一人物とはわからない変貌。
だが、思い返せばたしかにリングについて言っていた時の彼女の瞳は、
形容し難い妖しい剣呑さを放っていた。
「ヒャ、ヒャハハハ! なんだこれ馬鹿じゃねえの!!」
「プロレスかぁ、やらせだろやらせ!」
さっきまで神社で馬鹿騒ぎしていた高校生達の様子が変わった。
口では威勢の良いことを言っても、眼が落ち着かなくなり、足が震えだしている。
察するところ、恐らくは初めての変質者体験だろう。
この状況で”やらせ”を気にしても仕方がないことも考えられないくらいに、動転している。
神社の境内で夜中に遊んでいたら、
小柄で大人しそうな女性がやってきて、
声をかけたら 境内にリングが発生して、
服を脱いだド派手なタイツの女性にリングへ誘われる。
夜遊びの危険性をよく示した状況と言えるだろう。
そして、これは僕も同じような状況だ。
リングに何を仕込まれているかわからない以上、
下手に動いて学生たちを危険に晒すことへの躊躇で割って入れない。
「お、俺が上るぜ!」
最初に、一番大柄な少年が進み出た。
まっさきに祭里に接触した人物だ。恐らくは、リーダー格だ。
筋肉の付き方を見るにラグビーだろうか。
リングに上った少年を値踏みするように、
女性が頭からつまさきまでためつすがめつ遠慮なく見る。
「ひょおっ!」
短い怪鳥めいた叫び。
彼の胸元に、手刀をいきなり繰り出した。
ぺちん、という音が異様な空気の中に場違いに響く。
動き方からも、おや、と思ったが、 腰の入らない、高い重心の攻撃。
間違いない、彼女は素人だ。 体の使い方がまるでなっていない。
「は、はははは! こいつ素人だぜ! ビビらせやがって……
本当にビビらせやがって!! よかった! マジで良かった……!」
「やった、よかった!!
そのままぶちのめせるならぶちのめせ、タケ!」
弱々しい攻撃。
その威力に大柄な少年のタケちゃんが気合を入れなおした。
強引に逃げるという選択肢を考えられないのは、しょうがないだろう。 神社の境内にリングが隠されている以上、 この空間はすでに彼女の領域と言っていい。
「なら来なさい! 夜遊びをしたい情熱、
逃避衝動を拳にぶつけろやぁ!」
「ヒャア!!」
悲鳴を上げて突き出した拳。
握りも構えもなっていないが、
女の鼻っ柱にはまともに入った。
クリーンヒットに祭里の重心が膝から折れかける。
鼻腔から血を滴らせ、
唇にかかったのを舌で舐める。
「いい、いい文脈が入ったぁ……!!」
そう言えばお茶をしていた時に、
彼女が言っていた。
良い物語には良い文脈があると。
その点において、プロレスは文脈を武器に戦う唯一の格闘技だとも言っていた。
「だからあちこちにリングを秘密裏に造っていると……
……あれ、だいたい言ってたな、なんてこった……!」
自分が恋のトキメキにどれだけ浮かれていたのか、 悲しい気持ちになる。
まだ彼女がヴィランとは決まっていないが、 変質者であることは事実だ。
僕がしっかりしていれば……この少年たちが恐怖に翻弄されることもなかっただろう。
祭里が何度も両手を扇いで
相手を激しく挑発した。
「もっと、もっと殴って!
じゃないとこっちからビール瓶をぉ! 脚を上げて突きだせえ!!
入ったぁ……! 同じ動作を繰り返せぇ!!」
体重のあまり乗っていない、威力の弱い蹴りを腹部に受け続ける。
言われるがままのラッシュ。 彼女はひたすらに攻撃を貰うのみ。
…………今なら強引に引き剥がせるか?
だが、ダメージを受けているのは、 あくまで彼女の誘いのままだ。
つまりは、これは彼女の策略の範囲内でしかないということになる。
「どうして夜に出歩くの?
ご両親が心配してるんじゃないの?
私に、悩みを打ち明けて、ぶつけてよ」
女が真摯な説得を始める。
なんという恐るべき精神力だ。
彼女は、道理を説く側に己を置こうとしている。
まあ、深夜徘徊は良くないとしても、
それを起点に説得サイドになるつもりなのだ。
「ひいっ、何、まともぶったことをいきなり!?」
「怖っ、こいつ怖えよ!!」
「うええええええん、家に帰りたいいいいいいい!!」
まずい、そろそろ堪えていた恐怖が堰を切って溢れ出す頃だ。
これは、一度、そうなると止めるのは困難を極める。
危惧したままに、理解不可能な精神に触れたせいで、高校生達が次々に逃げ出した。
動けばどうなるかわからない、という理性的判断を本能的恐怖が覆したのだろう。
やむをえない。僕が直接動いて、ひとり残さずに、神社から出す。
祭里は、逃げ出す子どもたちに少しの注意も払わない。
相手を見据え、1mmも視線を逸らさずにいる。
リングで、血と打撲痕を次々に拵える祭里は囁いた。
「両親は俺達を見捨てている──さあ、言え」
「親は俺らのことなんて見捨ててるぜえ──ハッ!!」
女の気迫と、この異様な空間に呑まれたタケちゃんが、
決定的なことを発言してしまった。 これはよろしくない。
いわゆる文脈が乗った形になる。
彼らが救われるべき子羊に仕立て上げられた。
僕が音速よりも速く動けば、万が一のことが起きる前に助けられるとは思うが──
変質者とは往々にして音も光も直感で捉えるものだ。
「痛い、痛いなあ。
この流れる血潮が君達の心の叫びなんだねえ……!
ボルテージを上げろッ!! 最終タックルだ!!」
「今だ、やれえ、タケ!」
そう応援した最後の一人も、
神社の外へ連れ出した。
見たところ追っ手はいない。罠もない。
自由だとわかると、高校生達はたちまちなりふり構わず逃げ出した。
僕が境内へ戻った時には、 タケがもう走り出していた。
「そうだぁ。全力でぶつかってこい!!」
タケがその通りにタックルを放つ。
ラグビー部らしい、 しっかりした踏ん張りと腰、肩の入った突撃。
次の動きを、この場の誰も視認できなかった。
戻った僕の動体視力でさえも、だ。
僕が捉えられたのは、彼女が身を沈めた最初の瞬間だけだった。
次に姿を認識した時には、すでにタケの背後に回っている。
「文脈スープレックス!!」
ゾッとするほどに美しい動作でジャーマン・スープレックスを決めた。
やはり、素人同然だったのは演技だ。 だが対戦相手は少なくとも、
その演出を信じ、そこに縋った。
キャンバスに頭から突き刺さったタケちゃんは、
眼をパチクリさせているが、 重傷を負ってはいない。
骨も内臓も異常はない。
だが、恐怖だけはしっかりと心に刻みつけられた。
もうここにいた高校生は、 夜に出歩こうとは思わないだろう。
「君は、いったい……」
リングに降りて、 タケちゃんを担いだ僕に、
彼女は人差し指を左右に振ってから、親指で自らを指した。
「私はモチベーター、消しゴムとも好敵手になれる、世界最高の冒険家!
I AM THE ART! The Festival Art!!」
昼間に見た可憐な女性とは似ても似つかなかった。
それなのに、不思議と幻滅はしなかった。
僕は自分が何者かを知らず、 自分より強く、
輝く者に引っ張られてばかりだった。
けれど、これまで出会ってきた「天才」たちとは違う。
自分一人で輝くのではない。 他者とぶつかり、
その相手まで輝かせながら、自分も輝こうとする人間を見たのは、初めてだった。
決して褒められたことではないが、
リングの上で輝く彼女の美しさに、
僕は相手が変質者だということを忘れてしまった。
「なんて……素敵なんだ……!!」
ヒーロー名、フェスティバル・アート。
いや、彼女がヒーローを自認していたのかはよくわからないが、
とりあえずは彼女こそが、僕の初めての恋の相手であり、後の妻だった。
「え、マジで? 頭おかしいのか?」
ずっと僕の想い出を見物していたジェーンが、
ハッキリとしたツッコミを入れた。 日に日に、
僕へのダメ出しに遠慮がなくなってきているが、
これもまた親子の距離が近づいたということだろう。




