【四】-1 ヒュッ……
【四】
運命の出会いにおいて、 恋にまつわるものはとりわけ特別なものだ。
僕の場合、それは初恋だった。恐らくは。
電子書籍の普及で減少の一途を辿っていた本屋。
夜間大学で出された課題に良い参考書がないか探していたときのことだ。
純粋な本屋というものは、
僕の地元からすでに消えていた。
あるのは古着屋と合体した本屋か、
本棚にはもう20冊くらいしか商品を並べず、
学校や公共施設と繋がりのある本を販売して、
存在を維持しているパターンくらいなものだった。
だから、上京して初めて、
本屋という本屋に行き、
僕は知識と好奇心の迷宮をじっくり巡っていた。
思いつく限りの分野について書かれた、
数々の専門書が 埃一つない本棚に陳列され、
温かな光に包まれている。
一冊一冊を書き上げるのにいったいどれだけの時間がかかったのか。
人々の積み上げた智慧と、費やした時間が
この空間に結集しているという事実には、 美術館というより、
宇宙空間に広がる星々のような重厚感があった。
特に僕の学生生活に役立つようなものはなかったが、
せっかくだし何かしらを買ってみようと思い立ち、
美術コーナーの画集、資格コーナーの参考書、 農業関連の本を買ってみようかと思って 本棚を一通り見終え、身を翻す。
すると、 鳩尾に誰かの頭が当たった。
「ぬあんっ」
小柄だが骨太な悲鳴だった。
うず高く積み上げた本が崩れて、
床に散らばろうとしていた。
僕の超高速移動で、
その全てを落ちきる前に掴んで手元に積み直した。
相手の顔を確認する前に、本を積み直したことで、
こちらからは誰がぶつかったのかわからなくなってしまった。
「ごめんなさい。前がよく見えなくて」
「いいですよ、全然、
でも子どもやご老人がぶつかったら良くないですから、
いくらかお持ちしますよ」
「助かります……」
積み上がっていた本の3分の2を受け取る。
すると隠れていた顔が露わになった。
「ヒュッ……」
この時、僕はこれまで本当の意味で
女性と会ったことがなかったのだとわかった。
「なんて可愛いんだ……!」
思わず口に出てしまった。
「そうなんですよ、良い表紙ですよね」
幸運にも、向こうは 一番上に積まれた童話の表紙と思ってくれたようだ。
僕から見れば小柄な、愛らしいたぬき、とでも言うのが相応しい見た目だった。
地元にいたのは僕よりずっと歳上か歳下。
学校には同年代の女の子もいるにはいたが、
狭い村社会での同年代の子どもというのは、距離が近すぎた。
それと、どうしても普段付き合う人々が僕よりもずっと優秀だったから、
同年代の女の子は無条件に子どもに見えてしまうところもあった。
それに比べれば目の前の女性は、一目で心を奪われた。
可憐な容姿。 洗練された知性。
磨かれたシックなファッションセンス。
派手ではないのに、目を引いてやまない魅力。
僕は、たちまち彼女に魅了された。
「あ、あのっ!」
思わず声を発する。
会計中の彼女は首を傾げて こちらの言葉を待った。
感情が先走ってしまった。
ここから何と言うか、 自分の中に何も形がなかった。
遅れてわかった。
どうやら自分は今、
ナンパというものをしようとしている。
物語やテレビの向こうでは当たり前にやっているトレンディなことだが、
実際にやろうとすると、とてつもないハードルの高さだ。
世界の時間が止まって、
周りの全員が僕を凝視している気分になる。
いや、実際にレジ前でいきなり大声を出したのだから
本当にそうなっているんじゃないだろうか。
どうしてこんなところで、
このタイミングでナンパをしているんだ、僕は。
乾いた喉が掠れた息を発する。
錆びついた釘でも喉に刺さっているみたいだ。
「い、い、いいいイィーーーー!
一緒にお茶しませんか!
僕も本が好きなんで!」
「いいですよ」
「フウッ、イエイ!!」
思わずその場で跳び上がって
自分の両足同士を打ち合わせた。
「アハハ、面白いですね。
私、阿藤祭里。
司書をやってます!」
「ぼ、僕は米倉毅です!
実家が米で学生してます!!」
支離滅裂な自己紹介だったが、
祭里は笑って受け入れてくれた。
僕の心臓は今にも口から飛び出そうだった。
その後、僕は地元の親友との関わりで、
人並み以上に本を読んできたことに心から感謝した。
最近読んだもの、好きな作家、
自分ならどんなものを書いてみたいか、等。
いつもはストリーマーの助手として、
法的にも倫理的にもだいぶよろしくない動画配信の片棒を担がされているとは思えない、 充実、それどころか幸福な時間を過ごせた。




