【二】-1 そっと鮭おにぎり
【二】
試合はこちらの敗北で終わった。
あの後、ジェーンを徹底警戒した動きをされ、
連携で封じられてしまった。
最後にものを言うのはやはり積み重ねだった。
「いやあ、楽しい試合でしたな」
親善試合後、改めて
ベアリタ帝国の人々を歓待することになった。
ジェーンの邸宅を改造した
プライマル学院、その中に設けた応接間で、
豪勢な飾り付けに囲まれながら食卓に着いている。
普段はめったに見ることがない燭台や食器が、
ピカピカに磨かれて並べられている。 メイド長シスマのがんばりが伝わった。
「そちらのキャプテン殿はいらっしゃらないのですか?」
「サッカーしか取り柄がないから、
見苦しいところを見せたくないと辞退していました」
フィールドに一人残って、器具を磨くトッティーロの姿は記憶に新しい。
帝国使節団の代表らしい老クマが、
お米煎餅とお茶を味わいながら朗らかに談笑する。
腰の曲がりそうな年頃で、
伸びた灰色の毛が目元にかかっている。
性別は女性、老婆のようだ。
「私たちが出せる全力の精鋭でしたが、
プロリーグが盛んなそちらでも、ご満足いただけましたでしょうか?」
王の統制が突如失われたリトルファムでも、
スポーツの親善試合ができるだけの施設と人がいたのは幸運の極みだろう。
ベアリタ帝国がごく稀に、かつての帝国版図の外にある国を訪れた時、
非領土ができる接待として重要になるのがスポーツだ。
剣術や魔術でもいいが、
共通の話題としては、今は平和な帝国にも通りが良く、
スポーツは強力な外交カードとして機能している。
「ええ。みなさん奇想天外な動きで、
見ていてまったく飽きませんでした。
全員をスカウトしたいものです」
相手チームのキャプテンが頷いた。
無駄なく絞られた肉体。
熊の体毛の向こうに、鍛え抜かれた機能美が窺える。
かなりの名選手なのだろう。
振る舞いだけでそれは伝わる。
「僕のような体がそちらに行っては、ぎょっとされるでしょう」
アレンがぎこちない笑みを浮かべる。
このような場に慣れていないのだろう。
「大丈夫ですよ。全身義体程度で揺らぐスポーツではありません」
自信満々に返され、
アレンの緊張が和らいだ。
場数を踏んだベテランの所作だった。
ヒーローには元トップアスリートが多い。
特に五輪メダリスト上がりが散見されるが、
彼らは往々にして、優れた選手は一目でわかる、という。
門外漢の僕は、それを聞いて、
醸し出す闘争心や野性味というもので判断するのかと認識していたが、
実物を見ていると、それは“存在が占める空間の大きさ”なのだとわかる。
ベアリタ帝国使節団サッカーチームのキャプテンは、
話し方、胸の張り方、視線の動き、目配せ。
直接的ではない振る舞いだけで、相手に変化を起こしていた。
こうした技術を競技や対戦の中でも使えるのが、達人なのだ。
「そちらのキャプテンはまだフィールドにいるのですか?」
「義兄のトッティーロが無礼を働いてしまって……」
この場にいないことを謝罪すると、
相手のキャプテンは謙虚に首を振った。
「いえ、それなら私も一緒にやるべきだったなと。
話もしたかったですし」
本心だとわかる誠実な眼差し。
熊の場合は鼻からも相手のことがわかる。
あの湿り方、本心だ。
まさにキャプテン・サッカーと言うべき人格者だ。
「あの…………遅れました」
こちらのメイドに案内され、
着飾った主役が席に着いた。
キャプテン・サッカーによって緩んだ空気が、
執事やメイドにまで広がっていた。
そこへ現れた主役もまた、
全員が自然と笑みを浮かべるほど愛らしい姿だった。
頭に小さな王冠、ブロンドから覗く熊耳。
手足の先端が熊のそれとなっているフォルム。
熊と人間のハーフと言うべき外見だった。
ジェーン・エルロンド──ヒーロー名ラスター──に求婚した、
ベアリタ帝国のショーシ王子だ。
さっきの試合での大暴れが嘘だったかのように、
今は身を小さくして気弱そうにしていた。
外骨格のクマボディではない、内部の美少年だ。
「ちょっ、ダメッ!」
「いたぁっ!!」
興味を持った相手のことは何でもペタペタ触りだすフィニーが、
王子にも手を伸ばしていたので、ジェーンが人差し指で軽く叩いた。
シスマが血水魔法の多腕を駆使して、 手際よく食事を配っていく。
「おお、これがあの伝説の……」
「なんと貴重な……しかもこれ程の美女が使い手とは」
「まるでソシャケゲ(ソーシャル・シャケ・ゲームの略)みたいだ……」
僕の時代でも万夫不当の最強魔術として恐れられた血水魔法。
眼前で演舞のように繰り広げられ、
使節団から感嘆の声が漏れる。
「さあ、いただきましょう。
うちのシスマの料理はとても美味しいんです。
王子もいいですよね?」
「……はい」
ショーシ王子がジェーンと目を合わせられずに頷く。
なんて……普通の年頃の少年だ。 年齢は十二歳くらいだろうか。
さっきまで求婚相手の胴体を掴んで、 フィールドにがつんがつん叩きつけていた乱暴さはどこに行ったのか。
食事を始めると、
王子の隣に座っている
使節団代表の老クマが髭を撫でながら嘆息した。
「いや実に美味しい。
不思議と帝国の郷土料理よりも魂が馴染む気さえしますね」
「それは良かったです」
「王子も食が進んでいますよ」
一口目までは恐る恐るだったが、
口に入れてからはスムーズに箸を進めていた。
食が細く見えたが、気に入ってもらえたようだ。
「さて、早速ですが、求婚のお答えは?」
「ちょっと、やめてよ!」
王子が食べるのをやめて、人の良い老婆の二の腕を叩く。
この二人、祖母と孫のように距離が近い。
微笑ましく思う。僕には祖父母がいなかったから、なおさら。
「私は聖女の称号を喪い、公爵家からも勘当されています。
王子とは到底身分が合わないでしょう」
「そんなことないです!」
そつのない断り方だったが、
ショーシ王子にはその意図がわからず、
素直に身分のせいで身を引かれたと解釈し、大声を出した。
「ぼ、ぼく、こんな痩せっぽちで、クマらしさがなくて。
家族にも心配だけされるお人形みたいに扱われてたんですけど……。
ジェーンさんの話をクレオから聞いて、こんな凄い人がいるんだって感動したんです!
一人で世界の主食を塗り替えるだなんて!」
大きなクマの両手で身振り手振りをするたび、
その勢いに引っ張られて胴体まで激しく揺れる。
どういう生まれかはわからないが、
アンバランスな成長の仕方をしているようだ。
たしかに、それでは周囲は心配で仕方がないだろう。
体格的に優れていることが多い熊の環境では、なおさらだ。
つまり、この王子は愛されて育ったのだろう。
静かに、ジェーンがテーブルの下で僕にそっと鮭おにぎりを渡す素振りをした。
僕も実体化はできるようになったが、
今はするつもりがない。
だから、あくまで渡した振りと受け取った振りだ。
求婚されていると知った時、
ジェーンはその場から逃げようとした。
次に、あらゆる言い訳を使ってなかったことにしようと言った。
クレオも何とか会うよう勧めていた、例の求婚だ。
ここでベアリタ帝国と友好関係を築ければ、
大きな意味を持つだろう。
それでも床に座り込んで、
頑として動かない意志を表明したジェーンに、
僕が一つ、賭けをした。
求婚してきた王子がまともそうなら僕が鮭おにぎり十個、
そうじゃない、悪いヴィランって感じの人ならジェーンが鮭おにぎり十個。
踏み出すきっかけを得たのか、
ジェーンはようやく首を縦に振ってくれた。
実際にこうして王子と話をしてみると、
なんてことのない、よくいる頑張りたがりの少年だ。
クレオがどれだけ話を盛ったかわからないが、
ジェーンの活躍は、体の弱い少年にとって、
胸をときめかせる英雄譚だったのだろう。
それで結婚を申し込むまでいくのは、凄い勇気だ。
僕がそのくらいの年頃なら、年上のお姉さんというのは……
“彼”は男だから別として、
別の領域に棲まう宇宙人か天使のような存在に見えたものだ。
「だからっ、そのっ、ぼくは、
貴女と一緒なら、何でもできそうだって」
「うんうん。そうだよねえ」
クレオが楽しそうに笑って頷く。
目元にはべっとりとドス黒い隈が浮かんでいる。
日々の激務が祟っているのがわかった。
“普通の天才になるための旅”と嘯いてベアリタ帝国に行ったが、
そこでしっかり帝王一族にも接近していた彼女は、
こうなることを予想していたのだろうか。
ともかく、この場の誰もショーシ王子に悪印象を抱いていないのはわかる。
親善試合のために来ていた選手も、
にこやかに彼の話に耳を傾けていた。
このまま、まだ幼い王子の背伸び旅行を、
ほんの少しのほろ苦さで終えられれば、上等だろう。




