第漆拾陸巻 逃亡者 気晴らし
第漆拾陸巻 逃亡者 気晴らし
野盗の男……いや、実際には野盗の集団に紛れて、王国に進行するための足掛かりとなる橋頭堡を確保すべく動いていた、帝国の騎士による特殊小隊の一つに所属する男は、現在、一人で森の中を走り抜けていた。
この大森林にまだ王国側に知られていない、かなりの規模の部隊を駐留させることの可能な橋頭堡となりうる廃砦を発見できたことは朗報ではあったものの、その廃砦には先に住み着いている集団がいた。
探りに行った野盗の下っ端の男からの報告によると、廃砦に住み着いているのはどれも年若い女性たちばかり。
しかも皆、身なりの良さと見目の麗しさから、恐らくは戦争に敗れ、遠くの地より逃げ延びてきた貴族のお嬢様とその御付きの集団だろうと判断された。
そんな娘たちが数十人。
野盗の集団としては拠点と女と金が一挙に手に入ると湧き立ち、攻め込む算段となった。
だが、この野盗の集団の頭はこれだけの大規模な集団を統率するだけあって、なかなかに優秀な様で、さっさと襲ってしまおうと湧き立つ野盗共を抑えて慎重に事を運んでいった。
問題は女たちの数から類推される護衛の男達の数が相当数いるであろうことであったが、しばらくの間、野盗連中の下っ端に見張らせていたところ、それらしき男達は一人も見当たらなかった。
その報告を受けて、女日照りだった野盗の男達が一気に活気づく。
その事はこの男の属する帝国にしても好都合だったので、その流れをそれとなく後押ししていた。
そして、いざ、砦攻略となった現在。
思わぬ事態が起こっていた。
男が一人もおらず女ばかりの集団とは言え、仮にも貴族の一行であれば、女とはいえ護衛がいるはずなのは承知していた。
しかし、恐らく戦えるのはその中の多くても10人前後だろうと踏んでもいた。
だが、単純に総数でも倍はいるの等の数と、その中に紛れ込んだいくつかの帝国の精鋭部隊の力量をもってすれば、制圧するなど造作もない事と自分達は考えていた。
当たり前に野盗の男全員、数だけでどうとでもなると思っていたに違いない。
話によれば、相手はこちらに気付いた様子も無く、人が立ち寄らない廃砦である事を良い事に無防備な姿さえさらしていたという。
しかも真夜中。
さらに濃い霧に紛れての奇襲による押し込み。
正直、帝国騎士としては顔を顰めたくなるような蹂躙劇が繰り広げられるであろうとさえ考えていた。
ところがである。
実際に蓋を開けてみればどうだ。
砦内のあちらこちらから聞こえてくるのは女の悲鳴でもなく、嬌声でもなく、野盗の男どもの断末魔の叫び声だけだった。
気配を消して探ってみれば、転がっているのは戦場でもそうそう見る事のないほどの異様で無残な男達の死体ばかり。
どうやればこうなるかというような、上半身と下半身が分断された死体の山や、何かで血を抜き取られたかのように青白く変化した死体が点在している光景をいくつも目にした。
一方で女たちの方はといえば、女の死体も凌辱を受けて放心状態の女の姿も一つもありはしなかった。
それどころか、猟奇的とも違う、まるで平時と何ら変わらぬ様子で佇んでいる女の姿も遠目ではあるが確認している。
何かがおかしい。
いや、異常なんてものではない。
(どうなっている?)
一体何が起こっているというのか?
罠だったとでもいうのか?
これだけの数の差で?
まったく判断が付かない。
兎も角、何としても帝国に戻りこの事態を報告しなければならない。
王国側の手の者ではなさそうなので、まだ我々帝国の関与がばれていない今、交渉次第では組むなり、引き入れるなりも可能なはずだ。
その意味ではなおの事捕まる訳にはいかなかった。
思考を巡らしつつも、暗い森の中を明かりも付けず夜目を効かせひた走る。
自分の隠形のスキルであれば、まず気付かれることはないであろうという自信は持っていたが、なにやら背中にうすら寒い物を感じている事を自覚せずにはいられなかった。
少し開けた場所に出た。
いつの間にか、すっかり晴れた霧に代わって、この世界の二つの双子月の光が地上に降り注ぎ空間を支配していた。
「お待ちになってくださいまし。そんな、逃げなくてもよろしいではありませんか」
一気にその空間を走り抜けようとしていた男の足が止まる。
本来であれば、そのような声を無視して走り抜け、森の中へと身を隠すのが正解なのだろうが、男は追ってきたのが一人、しかも年端もいかぬ少女であることを気取って考えを変えた。
下手に騒がれるより、この場で始末してしまう方が確実だと。
男は油断なく腰の獲物を確かめながら振り向いた。
そこには男が気取った通り、月明かりに照らされた女が一人で佇んでいた。
追いかけてきたのはまだ少女と言って差し支えないあどけなさが残る長い黒髪の美しい娘。『清姫』の祈世女であった。
少女を良く見れば足元は裸足である。
手にも何も持ってはいない。無手である。
察するに、この娘は魔法を使うかもしれない。発動媒体となる杖や腕輪、指輪などの類は見当たらないが、隠し持っている可能性は十分予想すべきだ。
でなければ、一人で追ってくる真似などしないだろう。ただ、魔法を得意とする者が単独で行動するなど、迂闊にも程があるのだが。
「わたし、逃げ隠れする殿方を探し出すのは得意なんです」
にも拘らず、男を前におびえた様子一つなく、祈世女が穏やかに男に向かって語り掛ける。
「あら、なかなか良い男ですね。まあ、旦那様には遠く及びませんが」
(旦那様?)
この世界では祈世女の見た目の歳で既に許嫁がいるのもそれ程珍しいことではない。まして身分が高くなればなるほど、ごく当たり前にある事を実際は軍に所属している男は承知していた。中には生まれてすぐに親同士が許嫁の関係を結ぶ場合もあるくらいだ。
男はやはり高貴な生まれの連中だったかと再確認していた。
「わたしの気晴らしに、しばらくお付き合いくださいませ。まあ、あなたでは役者不足でしょうが」
「ちっ」
偽りの野盗の男は軽く舌打ちをする。
「もう逃げないのですか? わたし、逃げる殿方を追いかけるのは得意中の得意なんですよ」
ごく自然な足取りで男に歩み寄っていく祈世女。
「わたし、今かなり気が立っています。愛しの旦那様を追いかける事も出来ず、唯々只管にお早いお帰りを耐え忍んで待ち続けているだけなのですから」
祈世女はつつましやかな胸を掻き抱くようにしながら嘆いてみせる。
「もう逃げないのかと聞いたな。お前こそ迂闊だったな。あの砦内にはそれなりに腕の立つ女戦士が何人かいるようだったが、一人でのこのことここまで追いかけて来るとは頭が軽いにもほどがあるぞ」
男はそんな祈世女の仕草を無視して身長に間合いを詰める。
小娘といって気を抜いたりはしない。
何せ、あの砦の惨劇を目にしたばかりである。
「ふふふっ」
祈世女は静かに微笑む。
「頭が軽いですって? その口二度と聞けなくなるように何処までも追い詰めて差し上げましょうか?」
「可愛い顔して蛇みたいな女だ。あんまりしつこいとその旦那様とやらに愛想尽かされるぞ。それとも既に男に逃げられでもしたか」
魔術師ならば精神集中を乱すのが定石。
男は煽るように言葉を続けた。
「ふふふふっ、言ってはいけない事を」
(かかった!)
野盗の男はすらりと腰に下げていた剣を抜き放ち口を開いた。
「さて、無駄話はここまでだ。俺が引導を渡してやろう。少しもったいなくもあるが、野盗共の慰み者になるよりはましだろう」
その言葉は殆ど意味のない虚勢に聞こえたかもしれない。
なにせ、実際のところは慰み者どころか、獲物になっているのは野盗の男達の方なのだから。
「わたしと典人さまの愛の巣に仇なそうとしたのです。無事に帰れるだなんて思わないでくださいましね」
男がじりじりと間合いを詰めていく。一足飛びで少女の首を一撃のもとにはね落とせる、正に必殺の間合いまで後3歩。
「あなたは『蛇に睨まれた蛙」も同然の存在なのですよ。安珍縛!」
もう僅か後3歩の間合いを一気に詰めようとした矢先。
「なっ! かっ、身体が!」
「ふふふ、あなたは追い込んでいたつもりでしょうが、実際にはあなたが追い込まれていたのですよ。一度、わたしが標的とした者が、わたしから逃げおおせられる訳ないじゃないですか」
「何だと?」
「半鐘結界!」
続いて半透明のドーム状の障壁が男を覆う。
「その中からは、簡単には抜け出せませんよ。もっとも今のあなたは安珍縛で身動きすら禄に取れないでしょうけど。試しに安珍縛を解いて差し上げますので、半鐘結界を破ってみてはいかがですか?」
そういうと祈世女は男に掛けていた安珍縛をといて身体を自由にしてやった。
今まで身体を拘束していた得体のしれない金縛りの様な状態は解け、男は自由に動けるようになる。
「ふざけんなよ、このガキ!」
そういうと男は剣を振りかざし祈世女にめがけるようにして結界に振り下ろした。
ガキン!
しかし、その半透明の結界は鈍い金属音の様な音を立てるだけで何の変化も見せない。
ガキン! ガキン! ガキン!
二合、三合と斬りつけるもやはり変化は現れなかった。
それでも男は結界に斬り付けることを止めずに剣を振り下ろし続ける。
次第に力任せに滅茶苦茶に、剣の型も無く振り続けた。
やがて50を超えたであろうか? 覚えてはいないが手が痺れ、息が上がり手を止めて肩で息をする。
「そろそろ気が済みましたか?」
美しい微笑を湛え佇んでいた祈世女が穏やかに語りかけて来た。
一歩、その細く美しい足を前に進める。
男はその少女の歩みに思わず一歩後ずさった。
「まっ、待ってくれ。投降する! だから命だけは!」
「もう手遅れですよ。わたしから逃げようとした事を後悔しながら逝きなさい!」
そう言うと祈世女は、両手を前に突き出し右掌を左の掌に重ねまるで影絵で蛇の様な形を作るようにしてから、その蛇の口をゆっくりと開いていった。
その手の中が赤く輝いたように見えた次の瞬間。
「うわあああああああっ!」
男は業火に包まれた。
いや、正確には祈世女の作り出した半鐘結界に阻まれ炎は男に届いてはいない。
炎は釣鐘状、言い換えれば半球状に野盗の男を避けるように広がり包み込んでいる。
だが、より残酷なのは熱だけは伝わっている事であった。
「うわああああああ!!!」
それから数刻。
男は半鐘結界の中、息絶えるまで熱さにもがき苦しむことになった。




