第漆拾漆巻 逃亡者 気がかり
第漆拾漆巻 気がかり
夜の森の少し開けた、二つの月がまるで淡いスポットライトのように辺りを照らし出す場所。
蟲の鳴く声が静寂の中に微かに聞こえてくる。
その穏やかさに反して、周囲には何とも言い難い焦げ臭いにおいが漂っていた。
開けた場所の中央を見てみれば、そこには醜く焼けただれた野盗の男の死体とその傍らに佇む一人の可憐な長い黒髪の少女。
『清姫』の祈世女であった。
たった今まで祈世女と逃げ出した野盗の男との戦いがあったばかりで、その辺りに漂う焦げ臭さと、野盗の男の惨状は祈世女の放った火炎放射のような炎の技によるものであった。
結界に囚われた生きた人間の蒸し焼き。
一応、森には配慮してのことか、被害が出ないように開けた所で、火力も最低限に抑えていたようであり、地面は野盗の男を中心に円を描く様に炭化しているものの延焼には至っていなかった。
……その分焼き殺された野盗だった男の苦しみが長引いたのは想像に難くない。
「ああ、今頃旦那様はこの夜空の下、何を思って眠りについているのでしょう?」
にも拘らず、人一人を丸焼きにしたばかりとは思えないようなまるで夢見る乙女のような表情を浮かべ胸の前で両手を組んで、この世界の二つの月を見上げながら歌うように囁く祈世女。
それはまるで、何かの芝居のワンシーンのような光景で。
すぐ近くに焼けただれた男の死体さえ転がっていなければ、その光景を切り取って一枚の絵にして飾っておきたいほどであった。
そこに、ふと森の暗がりの中から声が掛かる。
「祈世女ちゃん、一人で牢獄核の妖力供給範囲の外に出ては駄目でしょ」
諭すようなその声のした方向に祈世女が、ゆっくりと首を巡らす。
そこには祈世女と同じ黒髪黒目の、祈世女より2つ3つ年上に見える着物姿の美しい少女が佇んでいた。
姿を現したのは『硯の精』の鈴璃である。
鈴璃が草むらを踏み分け祈世女の元へと近付いていく。
サクリ、サクリと、草を踏む音が周囲に染み込むように響いた。
「ごめんなさい鈴璃さん。つい追いかけるのに夢中になってしまって」
「はあ……あと、いくら異世界とはいえ、森で火を使うのは避けないと、麗紀さんが悲しみますよ」
鈴璃がしょうがないですねと言わんばかりの溜め息をつきつつ、祈世女の傍まで歩み寄ってゆく。
「あっ、つい「旦那様に逃げられるぞ」なんて言われて、頭に血が上ってしまって、あはははは」
祈世女の誤魔化すような乾いた笑いを見て鈴璃はさらに深いため息をつく。
まあ、大体の人もそうであろうが、特に祈世女に対し『男に逃げられる』という言葉は絶対に言ってはいけない禁忌のようだ。
「しょうがないですね。早く戻りましょう」
「でも、アレ、どうしましょうか」
そういうと祈世女は自らが焼き殺した男の死体、アレを指さして困り顔になる。
首を傾けもう片方の手で頬を抑えるその表情は罪悪感では無く、心底対処に持て余すと言った表情であった。
「わたしに任せて」
すると、更に森の奥から声が掛かる。
声のした方向を見ればそこには『妙多羅天女』の妙羅が二匹の狼を従えて立っていた。
「丁度お腹も減らしていたし」
そう言いながら妙羅は傍らにいた一匹の狼の頭を撫でる。さりげなく、もう片方の手は自分のお腹に当てられていた。
「お任せして宜しいですか?」
「もちろんだよ」
妙羅は気軽な口調で返事を返しながら、そっとチロリ、舌舐めずりをした。
「ああ、本当に。旦那様は今頃何をなさっているのでしょうか?」
そんな、二人の会話を尻目に、祈世女は再びこの異世界の二つの月を見上げ、自分の世界へと入っていくのであった。
◇
時は少し遡り。
砦に野盗が襲撃を仕掛けようとした、その日の昼頃。
「千水さん、火の始末、お願いしますね」
「わかりました」
『小豆洗い』の梓に『藤原千方』の『水鬼』の千水が答えてから、手を翳して焚き火に水を掛けて火を消す。
「千水も水の制御が上手くなりましたね」
それを見て『藤原千方』の『金鬼』で、藤原衆のとりまとめ役的存在の千金が千水を褒めて、穏やかに微笑む。
「砦での家事手伝いの賜物ですよ。ただ、水の質は芽梨茶殿に及びませんから食事に関して今一つなのは申し訳なく思います」
「そんなことないって、旅先で水に困らないのは本当に助かるよ」
横からの典人の言葉に千水は少し照れたように微笑んだ。
「それに食料もね」
典人は他の女の子たちの方を見て言う。
そう、今回の探索では最初であることでもあるし、少し離れた周囲を探索する程度で止め、あわよくば村や町に至る道でも見つけることが出来れば御の字と言った程度の物で、期間は一週間ほどの旅の日程を考えていた。
それでも荷物が多くなるかと思っていたが、阿弥陀くじで選ばれたメンバーの中に梓と千水がいたため、米と水の調達を考えなくて良くなった分それ程の荷物は必要としなくなっていた。
さらに山菜やキノコなどの森の幸であれば『木霊』の麗紀が探してきてくれるし、他の子たちも狩りをして肉や川があれば魚も取ることができた。
(これもやっぱり阿弥陀様のお導きというやつかな?)
では、残された砦の女の子たちの食料はというと、穀物に関しては典人を召喚してから今日までの間に梓が少しずつ貯蔵していた分があるし、山菜や木の実やキノコに関しては森の結界の外辺りまで行けば十分手に入るようになった。狩りや川の漁で肉や魚も捕れる。
畑も作り始めているので、近い将来においては穀物や野菜もそれなりに賄えるようになるだろう。
何より、魑魅魍魎である女の子たちはもともと食べずとも妖力を消費することによってある程度は持つ。
その妖力も典人のおかげで、牢獄核が活動し補給されるようになったため、少しずつでも回復できるようになってきている。
皆で協力していく体制が、出来上がりつつあった。
けれども、この異世界にあって、牢獄核が何時まで動いているかは分からない。
自給自足の体制も整いつつあるとはいえ、食事をすることは妖力の消費の節約にはなるが、妖力を生み出すわけではない以上、牢獄核が動きを止めてしまえば、漫然とした消滅が待っていることになる。
だからこそ、外へと踏み出すことになったのだ。
(皆、元気でやっているかな?)
そんな事を考えつつ、典人も出発の準備を始めた。
それから、森の中を歩き始めて3時間。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
典人は荒い息をつきながら、足元の悪い道のりを歩き続けていた。
典人も、歩くのは2ヶ月ほど前は日本の猛暑の中を伊勢から甲府まで歩いていたし、ここ最近は山歩きやトレーニングで鍛え始めているので慣れているつもりだったけど、やっぱり舗装された道と森の中を歩くのじゃ疲労の度合いが違うみたいで、つまり、どうやら、単刀直入に言うと、相当疲れたみたいだ。
牢獄核の結界の境界を探索した時のメンバーもそうだったけど、相変わらず、典人以外の女の子たちは疲れた様子も無く、平然とした表情で歩き続けている。
「どっ、何処が森の外縁部なんだよ!」
丸一日歩いたにもかかわらず、一向に道らしき道は見えてくる気配がない。
それを丸3日続けている。
高校生でトレーニングも始めて元気もあったが、山や森を何日も進むような山岳訓練のような経験がある訳では無い。
森の中の行軍に、徐々に体力が削られていき、そろそろ弱音と言うか愚痴が出始めていた。
「まあ、典人の安全を考えて道を選んでいるから、多少回り道をしているのは仕方がないよ。跳弾『一石二鳥』」
遥が話しながら空から襲ってきた二羽の大きな鳥に向かって手を翳し石を一つ打ち出した。
放たれたその石は見事に一羽に命中すると、そのまま更に二羽目へと飛んでいき、こちらも見事に撃ち落とした。
「Oh! 二頭追ウ者ハ、一等大当タリデース!」
『キュウモウ狸』のキキが手に持っていたお玉と鍋をカンカンと叩きながら踊り出す。
「おっ、夕飯ゲット!」
遥も嬉しそうにいう。
「遥ちゃんスゴ~い!」
典人がへばりながら歩いている横で『糸取り狢』の射鳥が無邪気に喜ぶ。
「これ本当に森の外に向かっているの?」
「ノリト!千里ノ道モ五十歩百歩デース
キキの判断の付きにくい励ま(はげま)しの言葉? に押されながら歩き続ける。
「あとどのくらい?」
「だらしないわね典人。あっ、勘違いしないでよね。典人のことを心配して言ってるんじゃないんだからね!」
「んなこと言ったって。もう丸三日、森の中を歩き続けなんだぞ」
『磯姫』の姫埜の言いように反論しながらも、黙々と足だけは前に進めようとする典人。
「そろそろ森も終わりそうですね」
そんな典人の愚痴をいつものマイペースで受け流し、麗紀が言うのに続いて、
「あっ、あそこの木々の間から道みたいなのが見えるよ!」
射鳥が元気よく叫んだ。
◇
「ふう、やっと道に出た」
典人が大きく一息つく。
道をよく見ればやはりと言うか、予想通りと言うべきか、元の世界のような舗装されているような道では無かった。
剥き出しの土が平らになっていて、そこに月日によって刻まれたであろう馬車らしきものの轍の跡のようなくぼみが彫り込まれている道だ。
それでも道幅だけは馬車2台がすれ違うことが出来るくらいには広く作られていた。
これだけ見ても、この異世界に人に類するような知的生命体が存在することを充分感じさせるものであった。
その事で、無意識にでも期待が高まる。
「どっちに行こう?」
射鳥が可愛らしく左右をキョロキョロしながら皆に問いかける。
「ここは左手の法則だろ!」
その問いに典人が勢いよく答えた。
「典人、それ、迷路の攻略法じゃない。あっ、別に文句があるわけじゃないんだからね。勘違いしないでよ」
『磯姫』の姫埜があきれたといった表情で言う。
「オレたちはこの世界の迷子みたいなものなんだから」
「なるほ、ど?」
奇妙な説得力に姫埜が困惑気味に応えるのを尻目に、典人は内心、ちょっとうまい事を言ったと思いつつ、左に向かってずんずんと歩き始めた。
この辺はこの異世界に召喚される前まで一人で歩き旅をしていた時、適当に道を決めながら行き当たりばったりの旅を楽しんでいた感覚が出ているようだ。
他の皆も一度顔を見合わせてから典人の後に続いた。
やはり森の中を歩くのとは違い、格段に歩きやすくなった。
流石は若さと言うべきか、典人も幾分か元気を取り戻しているようで意気揚々に歩いている。
そんな中。
「慧理」
遥が何事かに気付き、ソッと慧理の傍までいくと小さな声で声を掛け目線で示す。
「……リョクー林♪ リョウ山パーク♪」
ふと、『覚』の慧理が唐突に口遊んだ。
「なんだそりゃ? 森林公園の中のテーマパークのCMソングか!? 聞いた事ないけど、ローカルテレビの放送か? 田舎のじっちゃん家じゃ見た事ないけど」
慧理の唐突で意味不明に発せられた言葉に典人が突っ込みを入れる。
「「……」」
他の子達は表情を一瞬変えたが、典人がその事に気が付く事は無かった。
「タノシソウデース! ノリトハドノ乗リ物ガ好キデスカ?」
キキが陽気な声で尋ねる。
「そうだなあ……」
典人が考えようとするとそれ程は慣れていない森の草むらの中から複数人の男達が姿を現した。
「お~い! 君たち!」
森の中から男たちがぞろぞろと出て来た。
その数は6人。
全員男性だ。
先頭の男が、敵意のない事を示すかのように大きく手を振っている。
他の男達も先頭の男程ではないが、軽く手を上げたり、笑顔だったりと、気軽な感じで近付いてきた。
全員、異国の恰好をしていて、それぞれに一目で武器と見て取れる物を所持している。
だが、その武器を構える様子はない。
(すげえ! 本物の武器じゃん!)
典人は心の中がワクワクするのを感じていた。
これが、この異世界に召喚されて、典人が初めて遭遇した住人であった。




