幕間
「……はぁ……」
王宮の一角にある執務室。
机の上に高く積まれた書類の山に目も向けず、僕は深く頭を抱えた。
口をついて出るのは、ため息ばかりだ。
「……アディエルは、どうしちゃったんだい?」
備え付けのソファでは、ロベリア王子が優雅に紅茶を口にしながら、こちらの様子を面白そうに眺めている。
「さあ……。ここ数日ずっとこんな調子で、仕事も全然進まないんですよね」
補佐官のミリアムが、困ったように首を傾げてぼやいた。
「友よ。私でよければ、話してみないかい?」
その声に顔を上げると、両手を広げて笑うロベリア王子の姿が目に入る。
どこか楽しげなその表情が、癪に障る。
――けれど。
自分一人では、もうどうしていいのか分からなくなっていた。
僕は短く息を吐き、口を開く。
「……フィオナに、避けられてる」
ここ数日――正確には六日間。
僕は、フィオナに避けられていた。
朝、挨拶をしに行けば、部屋はすでにもぬけの殻。
食事の席で顔を合わせても、視線を逸らされる。
何より――
触れようと手を伸ばしても、指先が届く前に、するりと身を翻されてしまう。
六日間。
僕は、フィオナの温もりに触れられていない。
最初は、ただの偶然だと思っていた。
タイミングが悪かっただけだ、と。
だが二日、三日と続くうちに、さすがに偶然ではないと気付く。
理由を知ろうにも、まともに顔を合わせる機会すら与えられず、問いかけることさえ叶わない。
しかも、サハル王国の使節団が帰国してからというもの、雑務が立て込み、ゆっくり時間を取る余裕もなかった。
思考は堂々巡りを繰り返し、ますます頭が重くなる。
再び深く頭を抱えると、ロベリア王子とミリアムが、顔を見合わせているのが視界に入った。
「やっぱり、ブレイシア侯爵家の坊っちゃんを殴ったのが、まずかったんじゃないですか」
「確かに。暴力的な男はモテないからね」
二人のやり取りに、胸の奥が痛む。
――あの夜。
フィオナは、確かに怯えていた。
翌朝、謝罪はした。
したつもりでは、あった。
けれど、彼女の顔を見られたことが嬉しくて……
肝心な部分を、曖昧に流してしまった気がしなくもない。
「そもそも、小公爵様はフィオナ様に対して、少しスキンシップが過剰なところがありますからね」
「重すぎる愛は、ときに苦痛になるものだよ」
好き勝手に話を進める二人に、腹が立つ。
――だが。
あながち、間違っていない気もして、何も言い返せなかった。
フィオナを前にすると、気持ちを抑えられない。
その自覚は、確かにある。
触れたくなる。
抱きしめたくなる。
ひよこのフィーのように、ポケットに入れて連れ歩けたらどんなにいいだろうと、いつも考えてしまうほどに。
……この気持ちが、重いのか。
そう思った瞬間、胸の奥が、ずしりと沈んだ。
ますます頭を抱えたところで、ロベリア王子が、わざとらしく咳払いをした。
「悩み多きアディエルくんに、良いものをやろう」
声に視線を上げると、ロベリア王子がどこか得意気な顔で、一通の手紙を差し出していた。
……その表情が、無性に腹立たしい。
長年気心の知れた友人に対する、ただの八つ当たりだと分かってはいるのだが。
差し出された手紙を受け取り、中身を確かめる。
それは、王宮で開かれるパーティーへの招待状だった。
「さすがに、公式の場でパートナーを避ける、なんてことはしないでしょうね」
横から手紙を覗き込みながら、ミリアムが小さく頷く。
「仕事をさっさと片付ければ、一日くらい休みは取れるだろ?」
そう言って軽くウィンクをしてみせるロベリア王子に、つい先ほどまで抱いていた苛立ちを、胸の内でこっそり謝罪した。
――フィオナに、会える。
その口実を得た途端、胸の奥に熱が灯るのを感じる。
背筋を伸ばし、目の前に積まれた紙束を手に取ると、僕は一心不乱に仕事へ取りかかった。
呆れたような表情でこちらを見ている二人の視線に気付いてはいたが、何かを言い合う時間すら惜しい。
とにかく、フィオナと話そう。
何か嫌なところがあるのなら、ちゃんと聞きたい。
問題があるのなら、直したい。
――もう、彼女を手放すことなど、出来ないのだから。




