82話
日が昇り、鳥の鳴き声に導かれるように目を開けた。
どうやら、ほんの少し眠っていたらしい。
冷えた身体を擦っていると、外から馬の嘶きが聞こえてくる。
アディエルを乗せた馬車が、戻ってきたのかもしれない。
そう思った瞬間、弾かれたように飛び起き、扉の前まで駆け寄った。
そのまま外へ出ようとドアノブに手を掛け――けれど、動きを止める。
アディエルが帰ってきたとして、私の顔を見たくないかもしれない。
そんな弱気が、みるみる勢いを削いでいった。
昨夜、怒りを滲ませていた彼の表情を思い出すと、一歩を踏み出すことを躊躇ってしまう。
一人で立ち尽くし、どうすべきか迷っていると、不意に扉を叩く音が響いた。
ゆっくりと扉を開ける。
そこに立っていたのは、アディエルだった。
服装は昨日のまま。
皺の寄ったシャツに、いつもより乱れた髪。
そして、どこか気まずそうな笑顔。
「ごめん、起こしちゃったかな」
そう言って頭を掻き、微笑む姿を見た瞬間、先程まで胸を占めていた戸惑いは、すべて消えてしまった。
衝動のまま、飛びつくように抱きつくと、彼は一瞬驚いた後、すぐに優しく抱きしめ返してくれる。
伝わってくる温もりが、冷え切っていた身体をゆっくりと温めていく。
「……ごめんなさい」
「どうして、フィオナが謝るの?」
「だって、私が……」
そう呟くと、そっと身体を離したアディエルが、顔を覗き込んできた。
その目元には、隠しきれない疲れが滲んでいる。
彼もまた、眠れぬ夜を過ごしていたのだと、物語っていた。
「フィオナは、何も悪くないよ」
「でも……」
なおも言い募ろうとすると、アディエルは言葉を遮るように、再び強く抱きしめてきた。
「謝るのは僕の方だ。……怖い思いをさせて、ごめん」
腕に込められた力に身を委ねる。
胸の奥が、じんわりと安心感で満たされていようだった。
気づけば、理由も分からないまま、涙が滲んでいた。
暫くのあいだ、お互いを確かめるように抱き合った後、そっとアディエルが身を離した。
「またあとで話そう」
「……うん」
頷きながらも、離れるのが惜しくて、思わずアディエルのシャツの裾を握ってしまう。
「……寝てないんでしょ? ゆっくり休んで」
「……うん」
アディエルも、明らかに寝不足の顔をしている。
お互い、休んでから話したほうがいい――それくらい分かっている。
それでも、手を離せなかった。
「フィオナ」
苦笑いの滲む声に顔を上げる。
やっぱり、このまま離れたくない。その想いが、胸の奥で強くなる。
「アディエル……一緒に寝よ?」
「え?」
驚いたように固まった彼の手を掴み、室内へ招き入れる。
自分でも強引だと分かっているが、どうしても離れ難かった。
ベッドの傍まで辿り着いたところで、アディエルがはっとしたように身を強張らせる。
「フィ、フィオナ……!」
戸惑う声をよそに、先に布団へ潜り込む。
何度か手を引くと、迷うように視線を彷徨わせていたアディエルは、やがて観念したように小さく息を吐き、布団の中へ入ってきた。
「まったく……」
そう呟く彼に抱きつくと、さっきよりも温かい体温が伝わってくる。
「……私に、会いたくないんじゃないかって思ったの」
胸の内を零すと、アディエルは黙って抱きしめ返してくれた。
「そんなこと……思うわけないじゃないか」
「だって、帰ってこなかったから……」
彼の胸に顔を埋めると、そっと髪を撫でられる。
「ごめん。……頭を冷やしたかったんだ」
「……嫌われたかと思って、怖かった」
その言葉に、アディエルの手が止まる。
「フィオナ」
名を呼ばれ、顔を上げると、真剣な眼差しとぶつかった。
「僕がフィオナを嫌いになるなんて、そんなこと、絶対にない」
迷いのない言葉が、胸の奥をじんわりと温めていく。
「……うん」
嬉しさに、また彼の胸へ顔を埋める。
アディエルに包まれる安心感が、重くなった瞼を静かに閉ざしていった。
気付けば、彼と並んで眠りに落ちる。
寝不足だった私たちは、レイラが起こしに来るまで、眠り続けた。
ーー互いの手が離れることはなかった




