80話
「レオリオ、とにかくここから出よう。」
深まりそうになる思考を追いやるように、私はレオリオに声を掛ける。
変な誤解をされる前に、せめて人目のある場所へ行きたかった。
「フィオナ……俺……」
けれどレオリオは、私の言葉が耳に入っていないように口を開く。
「フィオナが公爵家に行ってから、俺……」
言葉を探すように、途切れ途切れに続く声。
「フィオナが、ずっと俺の側にいてくれたことに気付いて……」
不意に視線が絡む。
「それで……この間、アディエルとフィオナを見てさ。なんか……すごく、嫌な気持ちになったんだ」
今さら、そんなことを言われても、どうすればいいのか。
あれほど気付いてほしくて必死だったのに。
今、彼の言葉を聞いても、胸の奥は動かない。
困惑で何も言えない私は、とにかくここから離れようと出口へ向かう。
逃げるような態度だったけれど、今はそれしかできなかった。
今度はレオリオも道を譲ってくれる。
安堵した、その瞬間だった。
突然、手を引かれ、強く抱きしめられる。
「フィオナ……帰ってこいよ」
耳元で囁かれ、全身が総毛立った。
背に触れる、熱を帯びた指先。
その感触に込み上げるのは、嫌悪と恐怖。
「離してっ!」
必死にもがくが、腕はびくともしない。
本能的な恐怖に、肩が震えた、そのとき。
「――何をしているんだ」
地を這うような、低い声。
振り向くと、そこには怒りを露わにしたアディエルが立っていた。
突然現れた彼に驚いたのか、レオリオの腕が緩んだ隙に、私は身を引き、距離を取った。
震える身体を抑えるように、両腕で自分の肩を抱きしめた。
その様子を見たアディエルは、無言でレオリオの胸ぐらを掴み、そのまま思い切り拳を叩き込む。
鈍い音と共に、床に倒れ込むレオリオ。
騒ぎに気付いた誰かの遠くで響く悲鳴。
けれど、目の前の出来事に理解が追いつかない私は、呆然と立ち尽くすしかできなかった。
すると、アディエルは私の手を掴み引っ張るように歩き出した。
「ア、アディエル……」
呼びかけても、彼は振り向かない。
強く握られた手が痛い。
けれどそれ以上に、全身から怒りを滲ませるアディエルの背中が、胸を締めつけた。
――失望させてしまったかもしれない。
あんなふうに、レオリオと二人きりでいるべきじゃなかった。
振り払ってでも、あの場を離れるべきだった。
私の軽率さが、結局こんな大騒ぎにしてしまった。
他国を招いた、大切な舞踏会なのに。
こちらを見ようとしない視線。
ひと言も発せられない沈黙。
それが、私の過ちを肯定しているようで、涙が滲む。
外へ出ると、ひとつ、ふたつ、と雨が落ち始めた。
それはすぐに強まり、ドレスの裾を濡らしていく。
不意にアディエルの足を止めると、自身のジャケットを外し、私の頭にそっと掛けてくれた。
伝わる温もりに、胸が痛む。
気付けば、ランフォード公爵家の馬車の前に立っていた。
視線を上げても、アディエルは私を見ない。
「……先に帰ってて」
それだけ告げると、踵を返す。
慌てて手を伸ばすけれど、呼び止める言葉が見つからなかった。
私はただ、雨の中、遠ざかっていくアディエルの背中を見つめることしかできなかった。




