66話
サハル王国の一行と別れると、宮廷楽団が厳かな音楽を奏で始めた。
――ダンスの始まりを告げる合図。
アディエルは一礼し、私に向かって手を差し出す。
「私に、あなたと一曲を共にする栄誉をいただけますか?」
その恭しい仕草に、遠くから令嬢たちの小さな悲鳴が聞こえた。
シャンデリアの光を受けて柔らかく輝く髪。
優しく細められた翡翠色の瞳。
いつもとは違う、ダークブラウンの礼服。
胸元には、私のドレスと同じ色のポケットチーフが添えられている。
そっと手を取ると、アディエルはすぐに指を絡めてきた。
――彼の指は、こんなにも長く、美しかっただろうか。
いつもは気にも留めないことが、今日は妙に目につく。
そして、そのたびに胸の奥がざわめいた。
手を引かれ、会場の中央へと進むと軽やかなメヌエットが流れ始めた。
互いに一礼し、手を取ると、アディエルの手が私の背中へ回される。
背中が大きく開いたドレスのせいで、彼の体温が素肌に直接伝わってきた。
そっと撫でられた気がして、思わず肩がぴくりと震える。
それに気づいたのか、アディエルがくすりと笑い、音楽に合わせて動き出した。
踊りながら、どうしても周囲の視線を意識してしまう。
練習では問題なくできていたはずのステップも、今にも間違えそうだった。
――練習通りに。
そう頭の中で繰り返すが、呼吸が浅くなっているのが自分でもわかる。
「フィオナ」
「……」
声をかけてくれるのに、返事をする余裕がない。
焦りを自覚し視線を足元へ落とすと、足がもつれ、ヒールがぐらりと傾いた。
(転ぶ……!)
そう思い、アディエルに添えた手に力を込めた
――その瞬間。
アディエルは私の腰を両手で支え、そのまま持ち上げるようにターンさせた。
くるり、くるりと数回転し、そっと床へと下ろされる。
伝統的なダンスにはない大胆な動きに、会場から歓声が上がった。
驚いて目を丸くしていると、アディエルが耳元へ顔を寄せ、囁く。
「僕だけを見てって、言ったでしょ」
思わず彼を見つめると、アディエルは悪戯っぽく微笑んでいた。
その一言で、張りつめていた緊張が、ふっとほどける。
それからは、私はただ、アディエルだけを見つめ続けた。
アディエルもまた、ずっと私を見ている。
さっきまで耳に入っていた周囲の喧騒が遠のき、
まるでこの場所には、私たち二人しかいないような錯覚に包まれた。
あと少し、もう少し、このままで居たい。
そんな風に考えていると、ゆっくりと動きがが止まり、盛大な拍手の音にはっとする。
周囲を見渡すと、それぞれ踊っていた人々が互いに礼を交わし、ダンスの終わりを告げていた。
慌ててドレスの裾を摘み、終わりの礼をする。
まだ夢の中にいるような心地で目を瞬かせていると、アディエルがそっと肩を抱き寄せた。
「大丈夫?」
見上げると、彼は心配そうに私を覗き込んでいる。
「うん……なんだか、ふわふわして」
「ふわふわ?」
首を傾げるアディエルに、私は素直に感じたままを口にした。
「アディエルと……二人しかいないみたいな、そんな感じがして……」
「……」
返事のない彼を見上げると、アディエルはとても柔らかく微笑んでいた。
「僕もだ」
「え?」
アディエルは身を屈め、私の耳元へ囁く。
「僕も、フィオナと二人きりの世界にいたよ」
その甘い声に、胸の奥をぎゅっと掴まれた気がした。
きっと、私の顔は真っ赤だろう。
それを見られたくなくて、逃げるようにアディエルの胸へ顔を埋める。
ふわりと香る彼の匂いに、さらに胸が高鳴り、慌てて離れようとするが、アディエルの手はそれを許さなかった。
楽しそうに笑っている気配が伝わってきて、まるで私だけが焦っているようで、少し悔しくなる。
「……もう」
小さく零すと、アディエルの胸が微かに揺れた。
心臓の音が互いに聞こえてしまいそうな距離が、恥ずかしいのに、どこか心地よくて。
このまま離れがたくなってしまう。
けれど――
耳に届いた周囲の喧騒に、はっと我に返り、私はそっと身を離したのだった。




