64話
「フィオナ、はい」
アディエルからグラスを手渡される。
「ありがとう」
受け取って一口含むと、甘く爽やかな香りが口いっぱいに広がった。
冷えた飲み物が、会場の熱気に温まった身体に心地よく染み渡る。
「そういえば……公爵様と夫人は?」
王宮に着いてからしばらく経つが、まだ二人の姿を見かけていなかった。
「今朝、サハル王国の出迎えに行っているから、たぶん一緒に来ると思う」
公爵様は、ベリオン王国とサハル王国を繋いだ功績者だ。
出迎えに赴き、行動を共にするのも自然なことなのだろう。
ふと、以前聞いた公爵様とアディエルの会話を思い出す。
確か、アディエル自身もサハル王国の王子と面識があると言っていた。
「……アディエル、ここにいて大丈夫なの?」
思わず心配になって尋ねると、アディエルは穏やかに微笑み、頷いた。
「うん、大丈夫。……フィオナを一人にはしたくないから」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
今まで、夜会といえばセレーナとレオリオを交えた四人で参加することが多かった。
けれど途中で彼らとは別行動になり、アディエルの周囲には常に人だかりができる。
私は壁際で、静かに過ごすことがほとんどだった。
――誰の目にも留まっていないと思っていたけれど。
もしかしたら、アディエルはそんな私のことも、ちゃんと見つけてくれていたのかもしれない。
そっと、アディエルが私の手を握る。
「もう、一人にはさせないから」
宣言するような囁きに、思わず息をのむ。
気持ちを伝えられればと、握られた手に力を込めて微笑むと、アディエルも優しい笑顔を返してくれた。
そのまま二人で微笑み合っていると、会場が急にざわめき始めた。
視線を向けると、そこにはベリオン国王子を先頭に、ランフォード公爵夫妻、そして異国風の一団が姿を現した。
褐色の肌に、黒い瞳。
白く輝く髪。
肩に掛けられた羽織物は、極彩色が美しい。
遠目からでも光り輝いて見えるのは、それだけ上質な絹を使っている証拠だろう。
異国の空気を纏ったその姿に、思わず見入ってしまう。
ふと、一際華やかな雰囲気を放つ男性と目が合った。
不躾だったかと不安になるが、彼は気にした様子もなく、むしろ楽しげに微笑んでいた。
とにかく謝意を伝えようと、頭を下げかけた――その時。
急に、肩を抱かれる。
思いのほか強い力に驚き、反射的に視線を移すと、そこにはアディエルがいた。
私の肩を抱いたまま、向こうを睨みつけるように見つめている。
慌てて視線を戻すと、華やかな男性は、口を大きく開けて笑っていた。
その様子から、気分を害していないことが伝わり、思わずほっと胸を撫で下ろす。
「アディエル、もしかして……あの方がサハル王国の王子なの?」
問いかけると、アディエルははっとしたように手の力を緩め、謝るような仕草で私の肩を撫でた。
「……うん。そうだよ」
「じゃあ、ご挨拶に行かなきゃ」
そう促すけれど、アディエルの足は動く気配がない。
「フィオナは……ああいうのが好きなの?」
「……え?」
あまりに唐突な質問に、思わず目を瞬かせる。
挨拶の話から、どうして私の好みの話になるのだろう。
戸惑って視線を彷徨わせると、アディエルは正面から視線を合わせてきた。
「答えて」
真剣な眼差しに、答えを聞くまで動かない意思を感じる。
「えっと……好き、というより……」
言葉を選びながら答える。
「初めて見る色合いが、素敵だなって思って……」
「……色合い?」
真剣に答えたのだが、アディエルからは間の抜けた声が返ってくる。
「ほら、絹の羽織物。ああいう派手な色使いはベリオン王国ではあまり見かけないから……」
微妙に噛み合っていない会話に、首を傾げながら説明すると、アディエルは深く息を吐き、力が抜けたように俯いた。
「ア、アディエル?」
慌てて声を掛けると、彼はすぐに顔を上げた。
その表情は――なぜか、とても清々しい。
「うん。フィオナは、そういう子だ」
一人納得したように頷くが、意味が分からず、私はただ首を傾げるしかない。
アディエルは私の手を取り、そっと指を絡めた。
「気は進まないけど……挨拶に行こう」
そう言って歩き出すアディエルの足取りは、ずいぶん軽やかだった。
私の頭にはたくさんの「?」が浮かんでいたけれど。
彼の楽しそうな横顔を見ているうちに、考えること自体がどうでもよくなってしまう。
――まあ、いいか。
そんな気持ちで、私はアディエルの手を握り返したのだった。




