61話
数日後、ついにサハル王国を迎える舞踏会当日となった。
アディエルはさらに忙しさを増し、ダンスのレッスンで顔を合わせることすらできなくなっていた。
彼の職場を訪れて以来、私は一度も彼に会えていない。
舞踏会の身支度のため、朝早く起きた私はサハル王国について書かれた本を開いた。
少しでもアディエルの助けになれればと読み込んだページには、いつの間にかたくさんの折り目がついている。
「フィオナ様」
本に集中していた私は、レイラに声をかけられてはっと顔を上げた。
そこにはレイラと数人のメイドたちが、さまざまな荷物を抱えて立っている。
「若旦那様から、フィオナ様への贈り物です」
そう言って、レイラの合図で一人のメイドが前に出る。
緑色のリボンがかけられた、大きな箱だった。
「……アディエルから?」
思わず首を傾げると、レイラは「開けてみてください」と微笑む。
箱を受け取り、ゆっくりと蓋を開ける。
そこには、赤いドレスが丁寧に収められていた。
「これは……」
「本日の舞踏会で、お召しになってほしいとのことです」
――ということは、アディエルが選んでくれたのだろうか。
部屋のクローゼットにも夜会用のドレスは何着か用意されている。
そこから選ぶものだとばかり思っていた。
そっとドレスに触れると、なめらかな生地が心地良い。
うっとりと、ドレスを眺めていると、マーシャが部屋に入ってきた。
「さあさあ、まずはお風呂に入りましょうね!」
腕まくりをしたマーシャに促され、私は浴室へ連れて行かれた。
そこから先は、まるで嵐のようだった。
いつもはゆっくりと浸かる風呂も、今日はメイドたちに囲まれ、顔にはさまざまな液体を塗られ、パックまでされる。
同時に髪には何種類もの香油が使われ、頭皮のマッサージも施された。
部屋へ戻った頃には、慣れない工程にぐったりと椅子へ腰を下ろしてしまう。
けれどそんな私を気にする様子もなく、髪を乾かされ、手のマッサージを受けながら爪を磨かれていく。
公爵家ともなると、準備だけでも大仕事だ。
夜の舞踏会のために朝早く起きる理由が分からなかったが、今やっと理解できたのだった。
化粧を施され、髪を整え、最後にドレスを身にまとう。
窓の外の空は、すでに夜の色へと移り変わっていた。
「とてもお似合いです」
その言葉に、鏡の中の自分を見つめる。
アディエルが贈ってくれたドレスは、赤といっても派手すぎない、深いワインのような色合いだった。
胸元はオフショルダーで、肩の部分は薔薇の花のように絞られている。
ドレスに合わせた化粧も相まって、いつもよりずっと大人びた雰囲気だ。
「……なんだか、私じゃないみたい」
そう呟くと、鏡越しにレイラが優しく微笑んだ。
「お美しいです、フィオナ様」
その言葉に、周囲のメイドたちも大きく頷く。
再び鏡に視線を向ける。
今まで“美しい”という言葉は、セレーナを表すものだった。
それが自分に向けられたことに、どこか不思議な気持ちになる。
正直、まだ実感はない。
本当に美しいのかも分からない。
けれど、向けられた言葉を否定しようとは思わなかった。
――“私なんて”と、自分を卑下したくない。
そうして俯いたまま、アディエルの隣に立っていたくはないから。
一度目を閉じ、彼の笑顔を思い浮かべる。
すると胸の奥が、トクンと小さく跳ねた。
自分が思っている以上に、私の心はアディエルに会いたがっているらしい。
「フィオナ様、お時間です」
その声に、ゆっくりと目を開け、背筋を伸ばす。
この姿を見たとき、アディエルは何を思うだろう。
そう考えた途端、私の足は自然と、いつもより早く扉へ向かっていた。




