60話
「結局……どうしてミリアム卿が“ひよこ様”って呼ぶのか、分からないのだけれど…」
まさか職場で、アディエルが“フィー”の名を呼び、話しかけているとは思えない。
ミリアム卿が淹れてくれたお茶を一口飲み、素直な疑問を口にすると、アディエルのそばに控えていたミリアム卿が答える。
「だって、そっくりじゃないですか」
「そっくり……ですか?」
「はい! そっくりです! さきほど一目お会いして、急にひよこのぬいぐるみを抱えて現れた小公爵様の奇行の理由が分かりました」
にこにこと笑うミリアム卿に、私は苦笑いを返すしかなかった。
たしかに、仕事場に突然ぬいぐるみを抱えたアディエルが現れたら……驚かない人はいないだろう。
「……ミリアム、もう出て行ってくれないか」
「えー、もう少しひよこ様とお話ししたいですー」
「失礼な呼び方はやめろ」
二人の軽快なやり取りに、思わずくすくすと笑い声が漏れる。
先ほどから、いつもは見られないアディエルの一面ばかりで、なんだか嬉しかった。
ふと、テーブルに置いたままのバスケットに気づき、そっと引き寄せる。
「もし良かったら……ミリアム卿もご一緒に、昼食にしませんか?」
先ほど、ご飯を食べる時間も貰えないと嘆いていたのを思い出す。
張り切って作りすぎてしまったし、三人で食べるのがちょうどいいかもしれない。
「……私の手作りなので、お口に合うかは分かりませんが……」
そう付け加えた瞬間、アディエルが勢いよく身を乗り出した。
「フィオナが、作ってきてくれたの?!」
「う、うん」
そう答えると、彼は急にミリアム卿を追い払うように手を振る。
その表情は優しく微笑んでいた。
動きの雑さと表情が合っていない。
「ミリアム、ゆっくり休憩しておいで」
「そんなぁ! 僕だって、フィオナ様の作ったお弁当、食べたいですよ!」
「ほら、新しくできたカフェに行きたいと言っていただろう。ゆっくり行っておいで」
「ええー! 愛妻弁当を独り占めなんて、ずるいですよー」
「君の“愛妻”じゃないだろう。悔しいなら、君もさっさと結婚すればいいじゃないか」
「相手を見つける時間もくれないくせに!」
子どものような言い合いが可笑しくて、いつまでも見ていられそうだった。
こうして遠慮なく言葉を交わせる二人の関係が、少しだけ羨ましく思えた。
微笑ましいやり取りを眺めていたが、ひとつだけ気になり、私はそっと口を開く。
「アディエル……私達、まだ結婚してないじゃない」
微笑みながらそう告げると、それまで軽やかだった空気が、ぴたりと止まった。
アディエルは複雑そうな表情で言葉を失い、ミリアム卿はそんな彼を気遣うように、ちらりと視線を送る。
「?」
二人の反応に、変なことを言ってしまったのだろうかと、私はただ首を傾げるしかできなかったのだった。




