58話
「フィオナ、ここに座って」
アディエルは、室内に備え付けられたソファへと案内してくれた。
「ありがとう」
そう言って腰を下ろすと、目の前のテーブルには書類が乱雑に積まれている。
それは、アディエルの激務を物語っているようだった。
私の視線に気付いたのか、アディエルは慌てた様子でテーブルを片付け始める。
なんだか、余計な仕事を増やしてしまった気がして、気が引けた。
「アディエル、私、もう帰るよ」
申し訳なく思ってそう告げると、横から声が上がる。
「ダメですよ! ひよこ様が帰ってしまったら、僕はご飯を食べる時間も貰えません!!」
「ミリアム……ちょっと黙ってろ」
アディエルは頭を抱えながら言った。
その二人のやり取りに、堪らず疑問を口にする。
「ええと……ミリアム卿。その“ひよこ様”って、なんなんでしょう?」
首を傾げると、ミリアム卿はアディエルへ視線を送り、そろりと部屋の奥に備え付けられた机を見る。
その視線を追うと、紙の山の隙間から小さな籠がちらりと見えた。
思わず立ち上がり足を進めると、すかさず手を引かれる。
まるで、進むのを阻むように。
顔を上げると、そこには真っ赤になったアディエルがいた。
「アディエル?」
「…………」
彼は何度か口を開くが、言葉になることはなかった。
そんなに見られたくないものを無理強いするのは良くないと思い、私は踵を返して元の位置に戻る。
「ごめんね。そんなに嫌なら、見ないから」
そう告げると、アディエルはますます頭を抱え、ソファに座り込んでしまった。
どうしたものかと困っていると、ミリアム卿が口を開く。
「わー……上司のそんな姿、見たくなかったなぁ」
どこかからかうような響きに、二人の仲の良さが滲んでいた。
そういえば、以前アディエルの部屋を訪ねた時にも、彼の名前が出ていた。
ということは、彼がアディエルの補佐官なのだろう。
そう気付いた私は立ち上がり、ミリアム卿にお辞儀をする。
「はじめまして。フィオナ・ソラリスと申します」
挨拶をすると、ミリアム卿は表情を引き締め、丁寧に頭を下げた。
「ご挨拶が遅れまして、申し訳ありません。小公爵様の補佐官を務めております、ミリアム・チェンバーと申します」
先程までの軽い雰囲気は消え、礼儀正しい所作だった。
その切り替えに、きっと彼は優秀な人なのだろうと思う。
「よろしくお願いします、ミリアム卿」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
微笑み合い、今後きっと会う機会が増える相手との穏やかな顔合わせに、ほっと胸を撫で下ろした。
すると、それまで黙っていたアディエルが急に立ち上がり、私の前に立ちはだかる。
まるで、ミリアム卿から隠すように。
「ミリアム、お茶の用意をしてくれ」
「……うわー、そんな顔しなくてもいいじゃないですか」
どんな顔をしているのか気になって背伸びをするが、私の背丈では表情までは伺えなかった。
「それでは、一旦失礼しますね」
ミリアム卿は、アディエル越しにひょこりと顔を出して挨拶すると、軽い足取りで部屋を出て行った。
アディエルと二人きりになると、室内はしんと静まり返る。
口数の少ない彼に、やはり押しかけて来てしまったのはまずかったのかと不安になり、そっと服の裾を摘んだ。
「……来ない方が、よかったかな?」
そう口にすると、胸の奥がちくりと痛む。
呟くと、アディエルは弾かれたように振り向き、ぎゅっと私を抱きしめた。
「来てくれて、本当にすごく嬉しいんだ」
「うん……」
「でも……なんか、すごく格好悪いから……」
いつもより小さく見える彼に、そっと背中へ手を回す。
その動きに、アディエルがびくりと震え、腕の力を強めた。
「格好悪いなんて、思ってないよ」
「……部屋は汚いし」
「それだけ、お仕事を頑張ってる証拠でしょ?」
「……部下にからかわれるし」
「それだけ、信頼関係があるってことだよ」
しょんぼりするアディエルの背中をぽんぽんと叩くと、少しずつ力が抜けていくのが伝わってきた。
そっと離れて顔を見上げると、アディエルもようやく微笑んでくれる。
少しだけ情けないその笑顔に、胸の奥がきゅっと掴まれたように感じた。
「こっち、来て」
そう言って手を引かれ、机の前へ連れて行かれる。
例の籠が姿を現し、思わず目を丸くした。
小さな籠の中には、ふかふかのクッション。
その上に、ちょこんと座っている――
「…………ひよこ」
思わず呟きが漏れた。
それは、以前一緒に選んだ、あのひよこだった。
首には青い石のネックレスが付いている。
アディエルに視線を向けると、彼は逃げるように私の肩へ顔を埋めた。
「……お仕事場に、いたのね」
自室に行った時、ひよこがいなくて気になっていた。
まさか、ここに置かれていたとは。
「……てる」
「え?」
聞き取れず聞き返すと、アディエルはさらに顔を隠す。
「……連れ歩いてる」
「…………」
返事が出来なかった。
つまり、このひよこと一緒に出勤し、連れて帰ってきているということだ。
ひよこを抱えるアディエルの姿を想像して、口元がむずむずする。
どうしよう。
言葉にしたら、彼を傷つけてしまうかもしれない。
それでも、真っ赤になった耳を見ると、どうしても口を開いてしまった。
「アディエル……可愛い」
そう呟いた瞬間、アディエルはついにしゃがみ込み、両手で顔を隠してしまった。
どうしよう。
そんな姿まで、可愛くて仕方がない。
緩む口元を必死に堪えるが、掌の隙間からこちらを見上げる視線と出会った瞬間、その努力はあっけなくほどけてしまったのだった。




